本の購入希望書に悩みを書かないでください。

エルトベーレ

1-1 本の購入希望書

「部活何入るか、決めた?」
ある朝の喧騒の中、前の席の大澤おおさわ裕暉ひろきから声をかけられた。
「あー、まだ決めてない。あんまり興味湧かなくてさ」
オレの返答に、彼は呆れたように息を吐いた。
「決めてないって……。部活か委員会、それか生徒会のどれかには必ず入らなきゃいけないって、オリエンテーションで先生言ってただろ? どれにも興味湧かなくてもさ」
「わかってるよ。でもそう言われてもなぁ……。裕暉はもう決めたのか?」
「もちろん。文化祭実行委員だ。魅力的だろ? お前もどうだ?」
オレを気遣ってくれたのか、はたまた純粋に誘ってきたのかはわからないが、あいにく祭りごとは好きじゃないんだ。
「いや、いいよ。ありがとうな」
ちょうどタイミングよくチャイムが鳴り、会話は打ち止めとなった。


もうすぐ高校に入学して一ヶ月が経つ。どこに所属するのか、そろそろ決めないといけない。わかってはいるが、どれも興味が湧かないのも事実。今まで何にも染まることなく平凡に生きようとしてきたオレが、今更何かにハマれるとも思えなかった。それに、今はただでさえ周りに溶け込むので精一杯なんだ。新しく何かをする余裕もない。
ああ、そんなことを考えているから、また時間だけが過ぎていくんだ。


早いうちから仮入部を始めたやつは、部の中にもう溶け込み始めてる。オレの入る余地はない。そうなると、委員会か生徒会か……。できるだけ、面倒じゃなさそうなやつにしよう。



放課後、オレにはこの時間の楽しみができていた。二階の廊下の奥の一室。木でできた重々しい扉を開ければ、廊下の喧騒を物ともしない静寂が広がっている。
ずらっと並べられた本棚から、オレは文庫本を一つ選び出し、窓側の隅の席に座った。


別に、特別読書が好きなわけじゃない。この穏やかな空間こそが、オレの癒しだったのだ。そして本は、読んでいる間は何もかもを忘れさせてくれる。嫌なことも面倒なことも忘れ、本の世界に入り込んでいる間はそこに集中できる。
最後のページを繰り、本を閉じて非現実の世界から帰還すれば、いつも通りの下校時刻。


読んだ本を棚に戻すときに、ふと、あることに気づいた。
……続きがない。全十二巻のうちの五巻までしかないじゃないか。あとの七巻は借りられてるってことか? そんなはずはない。だってこんな本、読むやつはオレくらいのもんだろう。しかし、一応確認はしておいた方がいいな。


オレはカウンターの向こうの、清楚な女子生徒に声をかける。たぶん、彼女は図書委員なのだろう。
その横顔は、小柄な体躯たいくと裏腹に、艶めいて見えた。気づけば、纏め上げた髪の下に見える首筋に、視線が吸い付いてしまっていた。
「……何か?」
見惚れていると、訝しげな視線を投げかけられる。
「あ、あの、これの続きって誰か借りてますか?」
するとすぐに、心地の良い穏やかな声が返ってきた。
「いえ。その本はここには五巻までしかありませんよ」
「そうですか……。ありがとうございます」
オレは頭を垂れて、改めて本を棚に戻す。


どう見ても駄作なのに、一度読んじゃうとついつい先も読んじゃうんだよなぁ。……続き、気になるなぁ。よし、購入希望を出しておくか。叶うかどうかは別として、希望を出すだけ出しておくのはいいと思う。


カウンター横の投書箱に、はがきほどのサイズの購入希望書を入れようとすると、さっきの女子生徒が露骨に嫌そうな顔をして、じとっと睨んできた。
え、ダメだった? それとも一年のくせに購入希望出してんじゃねぇよとかそういうこと?
真意はわからないまま、オレは思い切って投書し、そそくさと図書室をあとにした。



次の日も、いつも通り図書室に足を向けると、扉は固く閉ざされていた。
あれ、今日って休館日だったっけ。
「今日は臨時休館よ」
その声に思わず振り返ると、昨日の女子生徒の姿がそこにはあった。


「あら、君、昨日の一年生ね。ちょうどよかったわ」
ちょうどよかった、とは何のことかわからなかったが、彼女は隣の司書室の鍵を開けて中に入り、内側から図書室のドアを開けてくれた。


「そこに座って」
オレは言われるままに、指定された席についた。
十中八九、昨日オレが出した投書のことだよな。というか、それ以外に心当たりがない。やっぱり出さない方がよかったかな……。


やがて彼女は向かいに座り、一枚の紙をオレに見せた。
「これを書いたの、君?」
その用紙は、間違いなく本の購入希望書だ。ただそれは、本来の用途を失っていた。
「オレのじゃありません」
彼女はオレを見据えたまま、そう、とだけ呟いた。


「それにしても、それ、何なんですか?」
オレは聞かずにはいられなかった。
紙に書かれていたのは、“先輩に激しく言い寄られて困っています。助けてください。”という言葉と、連絡先。連絡先まで載せるってことは、悪戯ではないんだろう。
「たまにあるのよ、こういうの。でも、君じゃないならいいわ」
用も済んだし出てってと言わんばかりに、彼女は立ち上がる。しかし、オレは立ち上がらなかった。
「……それ、どうするんですか?」
「……関係ないでしょ。それとも、手伝ってくれるの?」
彼女のその挑発的な微笑みは、どこか寂しげな憂いを帯びていた。
やっぱり、何とかする気だったんだ。どうしてそこまで……。
「手伝いますよ。オレで良ければ」
彼女は驚いたようで、その整った眉をかすかに釣り上げた。
「……ふぅん。じゃあ、手伝ってもらおうかな」
彼女は口元を緩めて、再び席についた。


これが、オレと彼女の出会いだった。
そしてここから、何にも染まらなかったオレの日常は、鮮やかに彩られていったんだ。

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