ハーフ・ゴースト

島流十次

7 踊らされる死者

 アームストロング博士――リヴァー・アームストロングが、銀の義手にいざなわれ、アペアスポイルの一員となったのは、彼が三十代前半のことだった。それまではB大学院で医療と科学の研究をしていたが、彼の存在に目をつけたのが、その銀の義手の所有者、そしてアペアスポイルの創始者であるエイブラハム・アップルヤード氏だったのである。

 アペアスポイル社とは、あのゴースター教授の退屈な授業によりほんの少し学んだが、アップルヤード氏をはじめとし、アメリカの土葬、エンバーミングなど、「人の死」に関わっている大規模な会社である。死者を『愛する人を、愛する人のままで』いられるような時代を作り上げた会社だ。 ごくごく簡単に言うと、『愛する人を、愛する人のままで』いられるためのビジネスの裏では、にわかに信じがたいような、なんともファンタジーで奇天烈な闇のプロジェクトがアップルヤード氏を中心として行われていたのだ。それは、

「『死者の蘇生』だ」

 博士は、大量の角砂糖によってすっかり甘くなったコーヒーを啜り、そう言った。 人間は死ぬと何グラムか軽くなる。四分の三オンス。つまり、二十一グラム。それが魂の質量であると言われたのは遠い昔の話だし、今や都市伝説となってもいる。彼ら――アップルヤード氏たちは、まず、人間の肉体からその二十一グラムの魂を発見した。わけではない。どういうわけか、その質量二十一グラムの魂を、作り上げたのだという。

 その「死者蘇生」のための研究チームに携わっていた博士でさえも、アップルヤード氏がどこで/どうやって/どのように、魂を発見したのではなく作り上げたのかはわかっていないらしい。

「魂には二種類ある」 《完全魂パーフェクト》、そして《不完全イン・パーフェクト》。

 銀の義手の男によって創られた成功作が完全魂であり、運悪く出来上がってしまったのが不完全魂だ。完全魂は成功率が低い。

 死者の蘇生のためには二つのものが用意される。まず、当たり前だが、蘇生させたい死者の亡骸。そしてここに、魂である。魂は、亡骸に「入れる」まで、それが完全のものなのか不完全のものなのかはわからない。

 死体に完全魂が足されればそれは蘇生者になり。

 死体に不完全魂が足されればそれは。

「要は、ゾンビになる。あそこでは、オレたちはそれを欠陥品ラックと呼んでいた」そう言う、博士の顔には表情がなかった。

 だったら、博士や、僕は一体なんなんだ? アップルヤード氏の理解にも及ばないその他の公式が複数存在していたようだった。その一つが、僕たちだったのだ。

《死体+完全魂=蘇生者》《死体+不完全魂=欠陥品》

 そして三つ目、《健全な肉体+(?要素)+不完全魂=半幽霊ハーフ・ゴースト》。

「お前が遭った、あの事件での魂は、恐らく不完全なものだった。これはオレの推測だが、アペアスポイルの『機密物質』もとい魂をどういうわけか持ち出すことのできた例の男は、ワケあって魂を欲しがったんだろう。だが、男が手にできたあの魂は、不完全のものだった。それにそいつが気づいていたかどうかはわからないが……そいつは、追い詰められ、結局、その魂を諦め、そして身柄は拘束された。そいつが今どうしているのかもわからないが、ただ、その男が勝手に捨てやがった不完全魂がお前の身体に影響を及ぼしたってことはわかる」

「でも、なんで僕が? 周りに人はたくさんいたんだ」

「だから、言っただろ。オレたちに値するさっき言った三つ目の式。?要素。その要素がお前にあったんだ。要素の内容はオレにもなんなのかわからない」

 そしてその『?要素』が博士にもあった。

 ある日、博士は不完全魂を並べていた。この使えない代物をなんとかできまいかと一生懸命考えていたところだった。不完全魂はすべて、あの男が持っていたような美しいランタンの中におさめられていた。

 その中の一つを、彼は取り出した。いつも当たり前のように触れているし、それまでなんとものなかったから、そのときもなにかが起きるだなんて考えもしなかった。いつも通り作業をするつもりだった。だが、その日は違った。

「まるで走馬灯。あるいは夢」

 触れた瞬間、全身がぐいと強く引き込まれるような感覚がして、そして引き込まれた自分の身体は、研究室でもどこでもない『無』の世界にいた。そして自分以外にそこにいたのは、つい最近処分される予定だったニナ・ホワイトと、そして自分の父だった。ニナも父も自分に微笑みを向けていて、それから、手を振っていた。

 そんな走馬灯や夢のようなものを見てからだった、博士が、『半幽霊』になってしまったのは。

 彼は自分の存在と力を恐れた。自分が半幽霊という奇妙なものになってはじめて、自分が身をおいていた組織とそしてその組織がしようとしていたことの恐ろしさに気付き、彼はアペアスポイルから姿を消した。失踪という形で。

 それからは、あの廃墟の中で自分の時間をおかしくなってしまった身体をどうにかするための研究に捧げた。アペアスポイルから去る前にあらかじめ持ち出した不完全魂を研究に用いて、それを自力で完全魂にしようとしてみる、などのことをしたが、アップルヤード氏がいないには自らの手でそんなことするなどまるで不可能だった。 それに研究を重ねれば重ねるほど、魂に触れれば触れるほど、なぜか自分の本来の年齢の姿から遠のいていく。それも、若くなってゆくのだ。二十代のころの姿に逆戻りしたときは内心少し喜んだが、その喜びもつかの間。研究を繰り返すうちに更に肉体・細胞はどんどん若くなり、いつの間にやら十代前半の姿になってしまった。

 若くなればなるほど半幽霊の力も増すのではなく、むしろその力は減退していった。できることが減った。非人間的な力がなくなるのは大いに構わなかったが、なくすためにこのまま研究を続けていけば、きっとそのうち自分の身体は赤ん坊になってしまうではないか。そうなってしまっては、研究もクソもない!

「そこで運よく見つけたのが――」指先の体温で溶けてしまったチョコレートがついた人差し指を僕に向けて博士は、「お前だ」

 それもド近所。若い。青年。知り合い。と博士は続けて、「アペアスポイルの裏での目的が『死者蘇生』だからってなんだ? 死者を蘇生させたからって。問題は、その先だ。その死者を蘇らせた先だ。奴らはもっととんでもないことを考えている。それはオレにもわからないし、適当なことは言えないが……」

 まず、倫理的におかしいだろ。
 言い、博士は空になったコーヒーカップを少し強めにローテーブルの上に置く。

「すやすや眠っていた人間を無理矢理起こしてなんかに使おうだなんて、間違ってる気がしないか? 死者はオモチャじゃねえんだぞ。それまで普通の死体だったものを勝手にゾンビにしてみたり。幽霊にしてみたり。お前はどう思う?」

 墓の前で母の名前を呼べば、母は戻ってくる。生前と変わらない、誰よりも優しい女神のような寝顔で。血の気を失っているようにも見えないし、そこで昼寝をしているというだけで、死んでいるようには決して見えないのだ。母の肉体は永遠に腐ることがなくあそこで横たわっている。母がそのようにしてそこで待っていなければ、父はずっと家にこもっていただろうし、僕だって、なにかあったときの報告相手が一人かけていた。

 しかしあの墓でまた感じるのは、母に再会することによる安らぎとかそれ以前に、昔から心に引っ掛かる違和感。いきなり倒れた母の姿と墓地で昼寝をしている母の姿を交互に思い返してみれば、なおさらだ。 僕は、あの墓のせいで、「死」という概念から遠ざかっている。

 果たして、それでいいのか?

「知ってるかもしれないけど、僕の母は昔、病気で死んだ。でも、今はただ寝てるだけみたいに、あの墓にいる。死んだひとを生き返らせる話は正直いまだにピンとこないけど、母さんのことを考えれば、僕はあの埋葬自体間違ってると思う」

「そうか。それならシンプルな結論にたどりつけるな」

 あの日からすっかり幼い少年の顔になってしまった博士の背後に、かつての、本来の大人の博士の顔が見えた気がした。

「エイブラハム・アップルヤードは――アペアスポイルは、オレたちの敵だ」

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