無能力者と神聖欠陥

島流十次

4 ググ/良々鶏、Cセットと男

 ︎

「無能」には、学びが必要だ。
 「有能」であれば、その時点で手に職がついていることになり、学歴なんてものを必要とせず、なりたいと思った職業に簡単に就くことができると言われているほどであるがそれは事実で、逆に言うと、「無能」であるならば違う。まず第一に地頭のよさと、それから次に学歴が必要だ。

「学歴の無い無能の将来はチキン屋」という言葉は、ググもよくきく。

 チキン屋には申し訳ないが、生涯をチキン屋として終えるのはググにとってもまっぴらごめんな話だ。そうはなりたくなくて、大学に通っている。もっとも、生計をたてるために選んだバイト先はチキン屋であるが、それは自分に対しての戒めでもあった。チキン屋を侮辱するということは世話になっている大好きなバイト先の店主を侮辱するということなので、あまりそれは考えたくもないし口にしたくもないことだったし、別に職業差別をしたいというわけでもなかったが、とにかく自分の将来を永遠にチキン定食をさばくことに捧げるというのは、嫌だった。狂おしいほどにチキンが好きならば、また別の話だったかもしれないが。

 部室を出たあとは、大学の駐輪場に止めておいた自分のマウンテンバイクにまたがり、バイト先のチキン屋へ直行。大体、通学した日はそんな放課後だ。

 大学から、第一新釜山へと向かい、そこからは約1キロある「新橋」を渡り、自分の住む港街でもありバイト先の所在地でもある第二新釜山へと向かう。新橋はただただまっすぐなので、いつも気が楽だ。

 空が熟れた蜜柑のような色をしている下で、ググの目前数メートル先に三人の小学生が歩きながら何かをしているのが見える。
 三人のうち二人は、チェック柄のワンポイントが目立つ制服を着ていて、革製の鞄を背負っている。それからもう一人は、制服ではなくいたって普通の私服をきて、その子のものであろう、布製のリュックは彼らの頭上2メートルほどの高さでゆらゆらと浮いていた。

 返してよ、とリュックの持ち主の少年が高い声で求めるも、ふたりの少年はゲラゲラと笑い声をあげている。少年が必死に手を伸ばしたり、飛び跳ねてみても、当然その手がリュックに届くことはなかった。

「返してほしかったらとってみろよ、石頭」

 少年のひとりが言った。

 返してあげろよ。

 わざわざマウンテンバイクから降りて少年たちにそう声をかけるわけでもなく、ググはいたしかたなしに彼らの横をとおりすぎる。
 声をかけたところで彼らは自分の言うことはきかないだろうし、自分だって、リュックを奪われているあの少年と同じで、何もできないのだから。
 もし、出勤までの時間に余裕があったとしても、少年のためになにかをしてやることはなかっただろう。

 ごめんね。ぼくもその石頭のひとりなんだよ、なんにもできないんだ。

 すれ違うとき、少年と目が合ったのでググは内心でそうやって少年に声をかけたが、それは伝わるわけがなかった。


「良々鶏」という大したひねりもない字面だが、これがまさにググの働くチキン屋の店名だ。
 良々鶏の開店は夕方の五時。四時半には到着していれば良い。普段、暇な店なので、開店までに急ぐ必要は一切ない。ここに訪れチキン定食を食べていく客はと言えば地元の顔見知りの客ばかりで、たまに訪れる客もおとなしい日本人の観光客くらいだ。

 ここの店主である老人は大体ググに店を任せっぱなしで、開店から閉店まで他所にいて、店に一切いないことのほうが多い。外を散歩しているか、ググがあの入学試験の日にみた老人たちのように、外で小さな宴会に参加しているか、家で寝ているかだ。

 店前に到着し、マウンテンバイクを入り口付近に止め、盗難防止のためタイヤに鍵をかける。ここらへんで人様の自転車を盗む人間なんてそうそういないが、新品だし、これがなくなったら通学とここに来るのも不便になるため、念のための施錠は忘れられない。

 ポケットに入れていた鍵で店のドアの施錠を解き、軋む木製のドアを横にスライドさせ、店内に入った。

 それからは流れ作業だ。キッチン付近のロッカーを開け、黒いエプロンを取り出し、来た格好のままエプロンをつける。ロッカーはググ専用だ。他にここでアルバイトをしている人間はいないのだから。
 パーカーの袖を捲り上げ、手を洗い、いつ客がきて注文をしてきてもいいように、調味料を混ぜ合わせたり肉を切ったりしておいて、下準備。あとはまた最後に手を洗えば終了。
 キッチンから出て、ググは店内の時計を見た。四時五十分。手慣れたものだ。開店の夕方五時までまだあと十分もある。

 いつも座っている丸椅子を引っ張ってきて、それに座り、店や自転車の鍵と同じくパーカーのポケットに突っ込んでいた薄型の小さい電子端末を取り出した。薄さも大きさもトランプとさほど変わらないそれをぐっと横と縦に引き延ばすと、それはググがキッチンで使っているようなまな板と同じくらいのサイズへと変化する。

 いつもプレイしているオンラインゲームを立ち上げる。まだ開店までに時間が余っていたり、やることがなく暇だったりするときは大体、端末でゲームをしているか、読書をしたり、音楽をきいたりしている。音声の出力は、客が来たり客が注文をしたときに気づけるように、「パブリック」に設定だ。「プライバシー」モードで頭の中で音が鳴るようになっていたら、すっかり集中してしまって周りの変化に気づきにくくなってしまうので、音が端末から出るようにしていることが一応ググの中でのルールだ。

 いつも通りログインしてアバターが所定のワールドへ移動するのを待っていたそのとき、店のドアがガラガラと音を立てて開いた。

「あれ、まだやってなかった?」

 見たことのない姿、顔の中年の男の客だ。ググは、すぐに端末をまた小さく圧縮させ、それをポケットにしまいんで立ち上がる。用意も終わっていたし、別に開店十分前くらいなら来られても構わない。

「いえ、大丈夫ですよ。お好きな席にどうぞ」

 すると男は、ググが座っていた場所に近い席に座った。店のメニューフィルムを手にとり、ほんの少しの間だけ悩んで、「Cセットで」とググに告げた。

 はい、と返事をし、言われた通り、Cセットを作り始める。甘辛チキンにチーズが多めに乗っていて、あとは白米、サラダがついた簡単な定食だ。下準備もしておいたし、作るのには十分とかからない。

 調理、盛り付けを終え、すぐに男に出すと、男はそれを食べはじめる。

 口調からしても明らかにこの国の人間ではあるものの、男はこの地元の人間ではなさそうだった。服装はだらしがないが、汚くはなく、むしろダボっとした服はファッションの一環のように見えた。髪も肌も、特に不潔なわけではない。年齢は不詳だ。ググからしてみれば四十代~五十代に見えるが、それより上もあり得るかもしれない。

 男の食事を見続けているわけにもいかないので、ググはまた自分の丸椅子に座り、端末を開こうとした。が、おもむろに男が口を開き、ググに声をかける。

「大学は楽しいか」
「え?」

「大学だよ」男がググのほうに顔を向け、咀嚼しながら、「大学生だろ、海七道大学の」

「ええ、そうですけど……」ググは伸ばしかけで中途半端なサイズになった端末を膝に置く。「どうしてそれを?」

 男はにやりと笑った。唇に赤いソースがついている。「さあ」

 大学付近で自分を見たのかもしれないし、このへんの大学といえばそこくらいなので、言い当てられてもまあ別におかしくはない話だ。

「大学は……楽しいというか、なんというか」
「ゲームのほうが楽しいか」
「すみません」慌てて端末を元のサイズに戻し、ポケットに押し込む。
「いや、いいんだ、それは」

 ググはなんだか、不思議な気分だった。この男と話すのに、懐かしさを感じたからだった。あの入学試験の前には消えていた父と話すような感覚なのは、ちょうど父と同じ世代の男と会話をするというのが普段あまりないからだろうか。自分より年上の男性客が話しかけてくることはよくあるが、それは父よりも断然上の世代の、老人ばかりだ。

「一人暮らしは大変か?」

 男が、皿のチキンを全て腹に落とし終えたあと、ググにそう言う。
 ググは思わず目を見開く。

「あの、あなたとぼく、どこかで?」

 なぜわかるのか。たとえ有能の人間でも、相手を少し見ただけでプライバシーまで見透かしてしまうということはありえない。

「なぜ、ぼくのことを知っているんですか」
「なんでだろうな」

 男はとぼけて、肩をすくめる。それから、紙ナプキンで乱雑に口を拭いた。

「まあ、一人暮らしっつうより、石頭のほうが大変だろ」

 ググは男から目を離せない。
 石頭。その言葉をきいて、ここまで来るときに見かけたあの有能の少年二人と、無能の少年一人を思い出す。

 結局無能の子供たちが通う小学校に入学してからは、帰宅までにああやって他の有能の学園に通う小学生に持ち物を奪われて宙に浮かばされて「とってみろ」と馬鹿にされたこともあったし、絶対にとれない高い場所に置かれたりもした。

「石でも投げられたか」

 そう。男の言う通り。小学生のとき、紙につつまれた赤ん坊の拳ほどの大きさの石を投げつけられたこともある。有能の「力」のせいでその勢いは普通に投げるよりも強く、その石はググの左頰にあたって、肉をほんの少し抉った。
 今でも数ミリの傷跡が頰に残っている。

 石を包んでいた紙は、開くと「馬鹿パボ」と書かれていた。

「そんなこともありましたね。でも、もう慣れました。それに、この歳にもなれば、そうやって子供みたいに正直な態度とってくるひと、あんまりいませんから。ぼくにとってみれば自分が石頭なのなんて昔からふつうだし、生きるのが困難だと思ったことはないから、いいんです。ちょっと不利だったり、たまに見下されたり、馬鹿にされるだけで……」

「そうか」

 言って、男は立ち上がる。

「でも、その不利だったり見下されたり馬鹿にされるっていうの、耐えられなくないか?」

 男が一歩、丸椅子に腰かけたままのググに近づいた。

「え?」

 ググの顔の目の前に差し出されたのは、男の手のひらだった。

 手のひらだ、と脳がそれだけを察知したそのわずかな間に、ばつん、と何かがショートして弾けたような音とともに、首の後ろ全体に燃えるような痛みが広がり、視界に真っ白なフィルターがかかる。

 音は一瞬だった。
 痛み、視界の白さも、一瞬だった。

 まだ首にじんわりとした熱さが残るも、痛みそのものはもうない。視界も明瞭に戻る。
 ググは、思わず首に手をやる。
 何をされたのか判断もできないまま、ググはおそるおそる男の顔を見上げたが、男は自分が予想もつかなかった言葉を口にした。

「会計しようか」

 かすかに笑って、男はそう言う。

 皿を見ると、もう完食された後だった。
 男が何者なのかはわからないが、これだけは確かだった。この男は危険人物だ。

 もちろん、危険な男に対して反抗するわけでもなく、会計をしてくれるならむしろありがたい。ググは、ガクガクと壊れたように頷き、すぐに手のひらサイズの円盤型会計パッドをカウンターから持ってくる。
 男がパッドに人差し指をそっと載せると、立体拡張文字がそこから浮かび上がり、支払い先である「良々鶏」と、そこでの代金、「承認」「非承認」が表示される。「承認」をすれば、男の定食代はこの良々鶏へと支払われるのだ。

「これを」
 男は、「承認」ではなく店名に触れた。
「こうして」
 その指先を、右へとスライドさせる。
「こう」

 右へ移動し消え去った店名のかわりに、新たにググのフルネームと口座番号が表示される。代金はCセットの代金ではなく、都市部でマンションを一棟購入できるような金額へ変わった。

「い、いや、ちょっと」

 ググは慌てて男の手を止めようとしたが、男は躊躇せず「承認」に触れた。

「痛かっただろ。勝手なことしたからな。お詫び」

 これで家賃も滞納しないな。
 そう言って、男は上着の内ポケットからタバコの箱を取り出す。それは今時物好きしか吸わない紙タバコだった。一本をつまみだし、その先端に指を押し付け、すぐに離す。すると、タバコの先端は鈍い赤の光を放ち、火が灯る。

「じゃあな」

 男はタバコをくわえ、ググに背を向けてドア前へと向かった。

「待って……ください」

 ググの男へのその声は、どうしても震えてしまっていた。

「大丈夫だ、小板チップは壊したわけじゃないから、さっきの金もちゃんとおろせる」
「そうじゃなくて」

 誰なんですか? なんのために? じゃあ、ぼくの開発小板チップには一体何を?

 ググがすべてを聞く前に、男は店から出て行った。


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