セラルフィの七日間戦争

炭酸吸い

第五章四話


 もう一年は経過した。組織側では二日経ったのだろう。まあ一週間以上相棒と離れ離れになることなど日常茶飯事だったので(主に相棒の方がいなくなるのだが)、まだ気にする必要はない。鐘ももう少しで直りそうだ。直ったらこの世界に用の無いシルヴァリーは必然的に残る理由がなくなる。が、ここから立ち去りたくないと思っている自分がいた。
「キーム」
「なんでしょう」
 二人でも充分座れるであろうソファを前にして、二人は鐘楼の台座に腰かけていた。他所から見れば奇妙な光景だろうが、彼にとっては最初の日を思い出させてくれるベンチのようなものだったのだ。
 無表情で小首を傾げる仕草を見るのはもう数えきれない程である。そうやって覗き込んでくるキームから顔をそむけるように、モノクルのメガネをしきりに押し上げながら、
「私は、あなたのことがその……好き、なのかもしれない」
 と、人を散々不器用呼ばわりした男が不器用な言い方をしたのである。
「あら、やはり口説くつもりだったじゃないですか」
 無表情で散々言ってくるセリフも、もう数えてはいない。よく考えれば当初の不思議な感情は愛情に近しいものだったのかもしれないと、今更ながらに思った。
 妙に興味を持ってしまっていたとは思っていたが、と、頭の中で伝わりもしない言い訳をしている。ただ口に出さないと伝わらないので、両手を振って誤解を解こうと必至になった。
「いや、違うんだ。あのときはその、親切心というか。そうだな」
 気の利いた一言でも考えようとしていたが、思い浮かばず、その猶予ももらえないうちにキームは困ったような無表情で返した。
「ダメですよ。その、理由は言えませんが」
 言えない理由にそっぽを向くキーム。代わりにシルヴァリーが答えた。
「あなたが《マヨイビト》だからと言うことがですか?」
「知ってらしたんですか」
 目を丸くする彼女に、大した事でもない風に返す。
「気付いたのは一か月過ぎたあたりからですがね。この目で『《マヨイビト》特有の、呪われた薔薇の刻印』を見たのは更に半年過ぎた頃です」
「でも、あなた方は私たちのような種族を危険視しているのでしょう? なぜ殺そうとしなかったのですか」
「あなたに害意が無いと分かっていたので。それに、あなたは他の《マヨイビト》とは雰囲気が違うようだ」
「それは褒めているんでしょうか。バカにしているんでしょうか」
「さあ。それよりも、あなたの返答がまだです」
 なんとか会話の主導権を握ろうとしていたキームだったが、最終的に観念したようにそっぽを向いた。
「…………なんと言うのでしょうか。こういうのは初めてで、あまり器用ではないのです」
「知ってますよ」
「ですよね。私もおそらく、あなたのことを気に入ってると思います」
「あやふやな返答は困ります。それはイエスなのですか、ノーなのですか」
「そんなに迫らないでください。恥ずかしいです」
「あなたの数倍私だって恥ずかしいですよ」
 当初出会った時以上に、キームの表情の変化は大きく、いつもより血の通った薄赤色の頬をしていた。
 恐らくその数倍自分も血の通った色で頬が染まっていたのかもしれない。
 キームがシルヴァリーの方を向いたかと思うと、目を合わせるわけでもなく、瞳は泳ぎっぱなしだった。
「『イエス』トコタエマス」
「なぜ片言なのですか」
「恥ずかしいからです。しかし、つまりあれですよね。この瞬間から恋人ということになるのでしょう? なんてお呼びすればいいのですか? あなた、とかですか」
「発展しすぎです。普通に名前でいいでしょう。お互いそのほうが呼びやすい」
「ですね、シルヴァリー。仮にこの鐘楼を直してくださったとして、その後はどうしますか? 《マヨイビト》と仲の良くなった異次元管理局メンバーなんて、あなたの上司が許してくれるとは思えませんが」
「構わないさ。その時はどこまでも逃げ続ければいい。一緒に」
「そう簡単に言いますけど」
 隣の男のはっきりしない未来予想に、呆れ顔で空を仰ぐ。
 と同時に、キームの表情が強張った。シルヴァリーも同じだった。得体の知れない力の塊が、遥か上空から降りかかるのを感じたのだ。
  
  ――それは音も無く舞い降りた。
  右腕を鞭のように、否。大蛇へと変化させ、砂漠に叩きつけて衝撃を吸収した黒服の少年。姿を目視した直後には大きく舞い上がった砂煙に隠れてしまった。
  即座に砂煙を蛇の右腕で払う。風圧は軽く殴られたような衝撃でこちらまで飛んできた。好戦的な目つきでこちらを見ている。そして、シルヴァリーを見ると馬鹿にするように笑った。
「随分と仲が良くなったもんだね、相棒」
「アロノア! なぜここに」
 その少年を、シルヴァリーは知っていた。初めてこの世界に迷い込む前に、『相棒』と別の空間へ調査をしに向かっていたのだ。
「それはこっちのセリフだイモ野郎。面倒事押し付けやがって、それに……《マヨイビト》までいるじゃねえか! 大手柄だなおい! さっさとブッ殺」
 《マヨイビト》の発見に大手柄だと喜び近寄ってくる少年、アロノア。
 キームの目の前に歩み寄ろうとした少年の前に、庇うようにシルヴァリーが立った。
「なんのマネだ」
「この人はやらせない」
 変なことを言う同僚に、アロノアが眉根を寄せた。
「何寝言いってんだイモ野郎。バカですか? アホなんですか? ターゲットがそこにいんだろうが! 忘れたのか。『害を及ぼすか否かの判断を挟まず、《マヨイビト》は発見次第始末する。困難だった場合、応援を要請する』そう組織から教わっただろうが能無しが。お前三日間俺に隠れて何してたんだよ。殺す機会を伺ってたんだろ? もう『討伐役』の俺様が来たんだからターゲットを油断させる演技なんて必要ねーの。オーケー? さっさとそこでアホ面かましてる女ぶっ殺すぞ」
「悪いがこれは冗談じゃない。ましてや演技でもない。お前の思う我々が過ごした三日間は、私たちにとっては大事な二人だけの一年なのだよ」
 アロノアという少年を見て、キームはわずかな恐怖を無表情の中に浮かべる。この少年とは会話をしてはいけない。目を合わせたらそこで終わりだと、どこかで理解しているようだった。
 そしてそれは間違いではなかった。シルヴァリーの所属する異次元管理局では、最低二人での行動を義務付けられる。索敵・調査に特化した『補助役』。そして戦闘による人、街の巻き添え対策を補助役に全て任せ、脅威を排除する事のみに専念する『討伐役』。
  アロノアは間違いなく後者だった。
「……あー。完全にイッちゃってるわ。こいつ、精神支配の能力でもあるワケ? どうでもいいけど、邪魔すんなら公務執行妨害でぶっ殺すぞ」
 シルヴァリーは何も言わない。否、何も言えない。長年の付き合いで、口を開く隙を見せれば、即座に自分の首が跳ぶと分かっていたのだ。冷や汗のみが頬を伝う。
「やるんだな。あーわかったわかった。わかっちゃいました。もう手加減とかしてやんねえから、二人仲良く生首並べて死ねッ!」
 アロノアが跳びだすよりも早く。意を決したように、懐中時計を突き出した。表面に亀裂が入る。シルヴァリーは眩暈がしたように倒れかけた。
 その首を大蛇の腕が噛み砕こうと迫ったとき、キームごと煙のように揺らめく。二人は完全に姿を消した。
「チッ、幻覚とかせこいことやってんじゃねえよ」
 家具も鐘楼も全て見えなくなる。アロノアは面倒くさそうに大蛇の腕を振り上げた。


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