セラルフィの七日間戦争

炭酸吸い

004



 トトが部屋から出ていったと思ったその直後である。
「セラ! 来るな!」
「やはり居たか、テロリスト共!」
 物騒な物言いにセラが扉の方に視線を向けた。
「テロリスト!?」
 聞き返した瞬間。騒がしい声が交差したと思うと、冗談のような速度で一つの影がこちらへ吹き飛んできた。
 扉の先から覗くのはこの町の兵士特有の鎧を纏った青年。情熱に満ち溢れる顔には鋭い刀傷が流れている。赤い短髪を掻き、切っ先をこちらに向けた。まさかずっと跡をつけられていたのか。単身で乗り込んできたということは、まだシルヴァリー達にはここのことはバレていないはず。
 トトの方に目を向けた。彼の服は破れているところもなければ兵士の大剣に血が付いている様子もない。自分の身長と大差ない大剣で人間を吹き飛ばしたようだ。細い線からは想像もできない筋力を持っている。
 トトも打ちどころが良かったようで、後頭部を抑えながらも立ち上がった。
「トト! あなた彼に何を言ったんですか!」
「知らないよ! コイツが変な妄想をしてるだけだ!」
 赤い瞳が怒りに揺れる。
「妄想だと!? この期に及んで保身をはかるつもりか!」
「あーもう面倒くさい! ちょっと話聞いてよ」
 無駄に正義感のあふれている青年剣士。説得さえできれば何とかなるかもしれない。トトも同じことを思っていたのだろう。抵抗する様子は見せなかった。
 流れに任せて和解する方向へと持っていこうとしたセラルフィだったが。
「そうです! そこの兵士! あなたシルヴァリーの正体を知らな――」
「問答無用だ。悪は殺す」
 呆れるほど頭の固い男だった。
 他の兵士はゴロツキの制圧と自己防衛を両立させるために剣と盾を両方備えているようだが、この赤髪だけは両手剣のみの攻撃的な武装を施している。今こちらが対抗できる手段はセラルフィの持つ細剣と無制限の魔術行使のみ。あいにく魔術行使をしようにも心臓を奪われている今ではまともな力を発揮できないでいた。
「くそっ! やるしかないのか」
 手にほうきを取るトト。ただの掃除道具で大剣を相手にできるハズはなかった。
「無駄な足掻きはやめろ。時間の無駄だ」
「うるさい!」
 大声をあげながら扉の男へ飛びかかるトト。どう見ても勝ち目はない。にもかかわらず、青年は大剣すら構えずに一歩後ろに下がった。
「いけない、止まって!」
 遅かった。あのまま屋内で青年と対峙していればわずかにも勝てる可能性はあったのに。一般的に大剣は大振りの武具。そういったタイプの相手には狭い場所での戦闘に持ち込むのがベターだったのだ。ただの警護兵かと思っていたが、想像以上に戦い慣れしている。
 完全に誘い出された。
「一人目」
 足を掛けられたトト。体勢はあっけなく崩される。かわす時間は無く、受け流す武器は無い。無意識に突き出した箒は刃によって豪快にへし折られる。
 セラルフィに助けられる力は無い。臓器一つ無いだけでこうも無力を痛感した日は無かった。声を上げる間もなく、
 ――凶刃の動きは停止した。
「トト、それは――」
 時間的な意味ではない。物理的な意味で、ペジットの大剣は勢いを殺されたのだ。金属と金属がぶつかり合うような不快音を発し、今まで無かったはずのソレは現れた。
「かな、づち……?」
 青い光を内包する、酷く機械的な大槌だった。
 ひび割れた装甲を纏っていると考えてもおかしくないその外装は、柄の着いた巨大な手榴弾しゅりゅうだんを思わせた。
 幾つもの筋が通った大槌。心臓の様に脈動している。溢れんばかりの光が外へ出ようと膨張し、それを留めようと大槌が収縮する。心臓。まさに生き物の臓器をそのまま武器へと変換したような禍々しい物質が、二人の間に鎮座していた。
『使用コード〝トレイル〟。所持者ノ生命活動ヨリ危険性ヲ感知。防御態勢ヘ強制移行シマス』
 無機質な女性の声が大槌から流れ出る。その大槌は間違いなく、トトの首元で揺れていたはずのネックレスだった。
 異様な光景を目にし、ペジットは悟ったように唇を震わせる。 
「なぜお前が魔道具を! この国の中でも国王だけしか持っていないはず……始めは生け捕りにしておこうと思っていたが、事情が変わった。今ここで消してやる!」
 大きく踏み込んだペジット。大剣と鎧を纏ったその体はしかし、重量を無視した動きで瞬く間に肉薄した。
 再度追撃を狙う。胴ではなく、首へと。剣腹ではなく、刃によって。
 呼応するように大槌がしなる。
「ガッ」
 装甲が大きく膨張。空気を吐き出すのに酷似した音がこちらまで届く。大槌が砂煙を巻き上げ、トトの鼻先をかすめてその場を大きく旋回した。
 飛び込んだペジットは否応なく大槌に弾き飛ばされる。もと居た位置まで綺麗に吹き飛ばされるも、体勢を立て直して着地した。
「一、二回なら――ッ」
 躊躇をしている余裕が無いといった顔で、ペジットは両腕を突き出した。数秒で詠唱を終える。掌に浮かぶ黄色い歪み。蜃気楼のように揺れ、はっきりとした色が浮かび上がる。ソレが危険性を伴った何かであることだけはセラルフィにも分かった。
「下がって!」
 片手を突き出すセラ。ペジットよりも強い紅蓮色が魔法陣となって展開。ペジットとほぼ同時に魔術は発動した。
 黄色い光の奔流ほんりゅうがトトへ迫る。へたり込んでいた状態のトトが回避できる速度ではない。大剣の時以上の速度で、吸い込まれるようにトトの心臓へ照準が定まっている。
 セラルフィは咄嗟に両腕を構えた。黄色の熱線とトトの間を狙う。
 セラの手から放たれたのは巨大な炎竜、ではなく――小さな火の粉だった。
(しまっ――)
 過信はしていなかった。それでも一介の兵士が使う魔術に劣るなどと、心臓を奪われただけの自分が。ライムから聞いた危険生物に含まれる自分が。炎を操るどころか、火の破片しか生み出せなくなっていたなどとは、欠片も思っていなかったのだ。
 虚しく目の前を通り過ぎる光線を追う。届くはずの無い恩人の元へ駆ける自分を責め、走る。二歩目に達するか否かのところで、
 ――またも大槌が動きを変えた。
「なにッ!?」
 大槌の装甲が大きく開き、身代わりとなるようにトトの目の前へ躍り出た。青い光がより一層漏れ出すと、ペジットの放った熱線はスパークをあげて衝突した。散る火花。青と黄色の交錯する空間で、セラルフィは目撃した。
 熱線を喰らう瞬間を。空腹を満たしたように蒸気を噴き出す禍々しい大槌を。次の瞬間、
「――ッ!」
 黄色い熱線をそのまま吐き返した。
 勘が働いたのだろう。ペジットは吐き返される前に射程から離脱し、横跳びに転げ回避した。
 興味が失せたのか、大きく開いた大槌の装甲は大人しくなり、先の脈動へと落ち着いた。迎撃のみが自分の仕事だと言わんばかりに、ペジットへの追撃は無い。いつの間にかペジットの顔にあったはずの落ち着きや正義感といったモノが消失していた。人ならざる者に出くわしたような、そんな目でトトを見ている。
 セラルフィも同じだった。奇怪な行動を起こす大槌。明らかにトトの意図した動きから外れている。たまらず訊いた。
「なんなんですかソレ!」
「僕もよくわからないよ! でも」
「やるしかない」言いながら大槌を手に取り、トトの身体以上あるソレを軽々と持ち上げた。
 ペジットと同じように構える。
「セラは下がってて!」
「魔術も効かないのか……仕方ない」
 小さくつぶやくと、ペジットはおもむろに鎧を脱ぎ捨てた。大剣を地に突き立て、小さく詠唱する。
 足元に黄色の光が灯る。光から文字が浮かび、それは円を組んで自身の足に纏わりついた。
「どこでもいい。切り落としてやる」
 光の尾を引いた。残像が引き延ばされ、人類の出せる速度を二段階ほど越えた走り。生物の移動速度を増加させる魔術。
 初めは勧善懲悪を行動原理にしていたはずの男の顔が、今や新しい玩具に対する嬉々とした笑みへと変貌している。殺すことを楽しむように。ライムの言っていた、『《マヨイビト》を除く人間が魔術を使うと心がすり減る』というのはこの事を言ってたのだろうか。
 残像を目で追う。肉眼で追うことが限界の状況下に投げ出されたトト。気付けば、トトの背後まで忍び込んでいた。トトは気づいていない。
 それすらも大槌は捉える。
 独りでに動く大槌を手放さなかったトトは、妙な動きをしながらもペジットの剣を全て受け流していた。
「そんな単調な受けで――」
 大槌が動きを変えた。大剣の射程外へと弾き飛ばすつもりらしい。横殴りに大槌が回ると誰もが思った。現にペジットは半身を反らせてそれを避けようとした。その最中。上空を通り過ぎようとした横方向のベクトルが真下へ向き、ペジットの上半身へ振り下ろされた。
「ぐ、ぁっ」
 受け止める。生身の体と大槌の間に大剣を差し込んだ。咄嗟の行動は仇となる。大剣の重量と大槌の重量を上半身に一挙に受けることとなったペジットは仰向けのまま大地に叩き付けられた。
 小さな陥没が起こる。
 このまま再度大槌を振り下ろせば仕留められる、が。
「あづッ!?」
 大槌を持つ腕が急に変な方向へと曲がる。関節が持っていかれそうなところで、トトが慌てて大槌を放棄した。今まで軽々と振り回していた大槌が、急に重力に従い地に落ちる。
「何でだよ、クソッ! 動け……!」
 力一杯柄を引くが、地面を小さく抉るだけで満足に持ち上げることさえかなわなかった。急に主人の意思に反する大槌に、ペジットが薄く笑う。
「そこらの市民が慣れない獲物を使おうとするからだ。まして魔道具なんてゲテモノ。扱えるのは国王くらいだ」
 足払い。隙を狙われたトトは無様に横転する。ペジットは立ち上がり、トトの胸を踏みつけ動けないようにした。
 目が泳いでいる。口元が緩む。歯が覗いた。声が漏れた。だらしなく。
「正義のぉ……鉄槌だぁあああははははは!」
 容赦のない切っ先は命を奪い取る瞬間のソレだった。セラが何度も経験してきた殺し合いのほんの一シーンの光景。鍔迫り合いの最中、留めの一手。セラにはコレがどういう状況なのか知っていた。そうだ、殺し合いと言っても、殺すつもりで殺したのではない。全力の一撃が偶然に、あるいは計画的に決まっただけであって、それが命を奪えるものなのかは確信できなかった。分かるのは、いつも相手が絶命した後――
 死ぬ――まっすぐ心臓へと振り下ろされた大剣。
 死ぬ――水面を通したように歪む視界。
 死ぬ――脳内をかき乱す膨大な情報量。
 死ぬ――速度を落とさない刃。
 トトが――死ぬ?
 巨大な火柱がペジットを吹き飛ばした。
 音も無く、熱の化物は生身の人間を喰らい、ペジットごと遥か後方へと消える。大剣がトトの服を破る寸前の出来事だった。
 動いたつもりがないのに、気付けばトトの前に自分が立っていて。突き出した右手からは残り火がきぬのように柔く揺らめいていた。ダムが決壊したと思うほどに、今までにない威力で業火を開放したのだ。
「セラ!」
 トトの声を耳にした時にようやく正気を取り戻す。魔術を使えた自覚は無いが、結果的に自分がトトを助けたことに代わりはない。
「殺させません。彼は私の命の恩人。言葉による解決が不可能なら結構。この剣であなたの目を覚まさせてあげます」
「チッ。オレは女を切る趣味なんてないんだぞ」
 再度加速する。《マヨイビト》と呼ばれたセラルフィでさえ目で追えなかった相手だ。口上では剣士同士の切り合いをにおわす発言をしてしまったが、まともに刃を打ち合うことはできそうもない。
 セラルフィは行動を一つに制限した。博打に近い攻撃手段にされているが、使えない訳ではない。
 右前方に現れるペジット。セラは目もくれなかった。初手の攻撃は高確率で誘導である。ペジットのように速攻で決めに来るタイプならば、次の手は大振りかつ広範囲の攻撃のみだろう。真反対の左前方に手をかざした。
 一か八か。相手をひるませることのできる威力が出せれば。そう願うだけの賭けの一撃だったが。
「ぐゥッ」
 今度はロクに火を生成することもできない。予測通り左前方に現れたペジットだったが、ペジットの魔術を止められなかったセラが何度も同じことをできないと予測していたのだろう。顔面を掴まれ、そのまま大木へと沈められた。大木か自分の骨か、どちらか分からないような不気味な音を発して制圧された。
 追撃を阻止しようとトトが前に出る。大槌を掴む手を目視したペジットは一度大きくステップし後退した。 
「ダメだ。あいつ見た目以上の怪物だぞ。僕やキミじゃ――今のキミじゃ、まともにやりあえない。お願いだから逃げてくれ」
「悪いですけど、まともにやりあうどころか、まともに逃げきれるかも怪しいです。今のあなたのほうがまだ逃げ切れるかもしれません。逃げてください」
 一時睨み合いの状態だが、そんなに長くはないだろう。無駄に互いの身の安全を優先するところ、ペジットを倒す算段はもう尽きたことを暗示していた。
「なあ、勘弁してくれよ。そんな取ってつけたような思いやりなんて、オレは見たくないんだ。悪は悪らしく、卑怯な手でも使ってくれないとやり辛いんだよ」
 向こうも正気を取り戻したのか怪しい。人を殺めることに躊躇しているところを見ると、魔術を行使したとはいえ精神の鍛えられた人間ということなのだろう。情緒の不安定状態から安定するまでの間が短い。
 しかし、殺すという目的だけはやはり覆らないようだった。
「ああ、畜生。せめて二人同時に切り落としてやるから……動くなよ」
 ゆっくりと近づいてくる死。シルヴァリーに課せられた寿命よりも早く、自分が死んでしまうなら良い。だが死ぬのはトトだけだ。シルヴァリーの言っていたことが正しいなら、自分はどんなに腕をもがれようが足を切り落とされようが死ぬことができない。心臓は奴の手の中だ。異空間でつながっているとは言っていたが、恐らく致死量までの出血に至らないのだろう。あるいは、《マヨイビト》の特性とも呼べる異常性がそうさせているのかもしれない。
 あと数歩。大剣の射程圏内に入るところで、
「やめてお兄ちゃん!」
「お兄ちゃん?」
 聞き覚えのある幼い声。その女の子の声によって、二人の(特にトトの)寿命を延長することが出来た。
 ペジットはその少女の方へ意識を向ける。剣を握る手は自然、緩んでいた。
「リラ、なんでお前がここに……って、そのケガどうした!? 誰にやられた? まさかうちの兵団のやつらか? わかった! こいつらだろ!? 今ちょっと大事な話してるから、兄ちゃんが良いって言うまで裏でまってろ」
「なに言ってるの? この二人は王様から私を助けてくれたんだよ!?」
「バカ言うなよ。こいつらがそんな……本当なのか?」
 考える素振りを見せるペジット。少しの間唸るようにしていると、信じたのだろう。大剣を背に納めた。
「命拾いしたなお前ら……。完全に信じたわけじゃないが、リラはお前たちの知り合いでもあるみたいだしな」
「……その前に、さっきまでの横暴について謝罪してほしいな」
 痛そうに後頭部をさするトト。ペジットは特に悪びれる素振りもなく背を向けた。
「バカ言うな。テロリストの疑いが晴れたわけじゃないんだぞ。一時休戦ってやつだ」
「はいはい。まあいいや、それよりもリラ。君もだけどお父さんお母さんは大丈夫だった?」
「うん。お姉ちゃん、あの時は助けてくれてありがとう」
 セラも剣を納める。リラが現れてくれたおかげで、ペジットもただの真面目な一兵士へと正気を取り戻したようであった。彼女がいなかったら自分たちもただではすまなかっただろう。
「いえ、助かったなら何よりです。今後は更に兵士達の動きが激しくなるでしょうから、リラはご両親と一緒に家から出ないようにしてくださいね」
「うんっ」と、引きつった笑みで返した。リラがやせ我慢をしていることは明らかである。少しだけ膝が震えている。シルヴァリーに付けられた傷やアザが痛々しく小さな体に刻まれていた。セラ達に心配をかけまいとしているのだろう。
「可愛そうに。私たちはあまり表に出られませんから付き添えませんが、ひとまず彼と一緒に両親の元へ行った方が」
 突如。
「行った方が良い」と言い切る前に、リラとセラルフィの間で陽光が歪んだ。蜃気楼を思わせる歪み。あるいは風にはためく暖簾のれんのように、ソレはゆらゆらとはためき始める。ある範囲だけ肉眼で認識できるほどに、穏やかな景色が折れ曲がり、
 巨大な爪が飛び出した。
「なんだッ!!」
 分厚い空間の膜を引き裂き、強引に頭部をあらわにした赤い生物。この生物は、ペジットの言葉を借りるといわゆる、
「魔獣だ! なんでこんなタイミングで」
 魔獣である。通常両生類と爬虫類など、異種間での肉体的合体を果たした奇怪な生物を魔獣と呼んでいるが、アレはそういう類のものでは無かった。
 竜の頭部だった。身体が巨大すぎるのだろう。空間の裂け目から無理やり押し広げた腕だけでも、セラルフィの体を優に越えているくらいだ。無理やり体をねじ込もうとしているが通れるはずがない。何を目的にして来たのか、堅牢な赤い鱗を持つ竜は、宝石のように透き通った黄眼を一周させて一人に焦点を合わせた。
 アザだらけの小さな体。リラである。
「下がれ! 食い殺されるぞッ」
 ペジットの怒声。ノコギリよりも鋭く並んだ歯から火の粉が漏れ出す。全盛期のセラルフィにも匹敵するような熱量でこちらを睨んでいた。
「なんなんだコイツ! どっから出てきた!」
「恐らく異空か――」
 言い切ろうとして口を閉じる。ペジットは《マヨイビト》のことを知らない。そこへ新たな声が飛んできた。
「異界の侵入者だ! うかつに近寄るな!」
「ライム! お前今までどこに行ってたんだ!」
「野暮用だ。それよりもコイツを何とかするぞ」
 ペジットは落ち着いた様子で、しかし切っ先を竜から外さない。
「近づかなければ問題ないだろう。よく考えればあの大きさの……穴? か、分からないが。とにかくコイツはここまで出てくることはできないはずだ。見たことのない魔術を使っているようだが、どうやって来たんだ?」
「……いや、放置しておくのはマズイ。コイツはこの空間にヒビを入れる事が出来る生物。しかも異空間の圧力で圧死することなくここまで来れたということは――」
 空間に立つ竜のかぎ爪。氷塊にヒビが入っていくような不穏な音が広がる。
「この世界まで侵入する恐れがあるってことだ」
 咆哮。
 同時、薄赤色の空間がセラルフィとリラ。そして赤竜の三者を招き入れ、その他全てを弾き飛ばした。
「これは……結界ですか」
 発動者の指定した生物、物質以外の全ての侵入を拒む固有領域。人間なら良くて意識障害も避けられないレベルの膨大なエネルギーを必要とする術である。赤竜の生成した空間はまさにそういうモノだった。
 背後ではトトやペジットが必至に声を上げている。それでも外部の声はここまで届かない。何とか結界の内部に入ろうと必至に武器を叩きつけているが、ヒビの一つも入ることは適わない。
 彼らの言わんとすることは分かっている。人間においても結界を構築するということはそれだけ『緊急の事態』であるか、そうしなければいけない相手と戦闘になっているかの二パターンしか無い。この巨大な生物は結界を構築することに人間ほどの〝覚悟〟は必要ないだろう。それだけの生命力が宿っているのだから。
「お姉ちゃん」
「心配しないで。出来るだけ後ろに下がっててください」
「でも」
「信じてください。絶対にリラを傷つけさせませんから」
 赤竜が意図的にセラルフィを結界へと誘ったことは明白。その理由は無論、人ならざる者の力をセラルフィが有していると認識したからだ。とどのつまり、〝危険生物〟とみなされたわけである。
 リラが数歩下がったと同時、赤竜の眼が黄金の輝きを放った。
「――ッ!」
 得体の知れない力の塊を感じる。セラルフィはほぼ無意識に火球を生成し、ぶつけた。
 先ほど放った火球がある地点で停止。そのまま動かなくなり、やがて消失した。
「まさかシルヴァリーと同じ……いえ、別物ですね。捕縛の類ですか」
 どうやらあの眼には対象の動きを制限する能力があるらしい。リラを封じ込めようとしたのだろう。
「早急に始末した方が良いですね」
 静かに、魔の術式が全身を侵す。それは、膨大な力を発動する前の、《マヨイビト》という高位生命体特有の症状。
 帯剣していた直剣を抜く。顔の前に直剣を構えると、一気に炎が立ち上った。
 一閃。波状に伸びる火炎の刃が相手の首を狙う。しかしその刃は鋭利な歯によって受け止められる。直後の爆発。赤竜の視界を覆うように高熱の光が広がった。
 狙ったように飛び出した人影。光の膜を切り裂き、迫る。獲物を狩る瞳。赤竜の眼球へと伸びる切っ先は鋭い。
 赤竜の瞳孔がひときわ細くなった。強引に火炎を吐き出す。放射状に吹き荒れる火の嵐はセラルフィの体を完全に取り込んだ。
「これが竜の炎。なるほど、〝良く馴染なじむ〟」
 直剣が大きく旋回したと思うと、先ほどまでセラルフィを覆っていた攻撃的な業火は完全に直剣の支配下に置かれた。
「あなたと遊んでいる時間は一秒も無い。帰ってもらいます」
 莫大に膨れ上がった火球はさながら隕石の様に、更に形を変え、巨大な槍と成ってゼロ距離で突き――

 セラルフィの腕は槍ごと食いちぎられた。

「――――」
 息を呑むリラ。声の上がらない光景。地に膝を付くセラルフィ。
 よく見れば、その腕は完全に食いちぎられてはいなかった。寸でのところで手を引いたのだろう。しかしあの鋭い歯でズタズタに筋肉まで引き裂かれていることは明白である。少し引っ張れば簡単に肘から剥がれ落ちそうなほどに、赤く濡れた細腕は情けなくぶら下がっている。
 それでも赤竜は大口を開け、セラルフィの首を喰おうとしている。異空間に掛ける爪はさらにヒビを深くさせる。頭部に迫る歯。垂れる唾液。炎混じりにかかる息。その顎がセラルフィの頬に触れた時、『妙な音』がした。
 絶叫。
 しかしそれは人間の出す叫びではない。これは間違いなく、およそ内臓の底から湧き上がるような、巨獣の出すソレだった。
 セラルフィはぬぐった。口の端から垂れる、ゼラチン質と赤土色が混ざった何かを。
 消えた赤竜の左目。そこにあるはずだった眼球。
 リラの視界に映ったのはそういうモノだった。獣の眼球を喰らう人間の――
「喰らえ」
 赤。ただひたすらに赤。真紅に濡れたセラルフィの右腕が強引に持ち上がる。血よりも赤いその液状の炎は、口づけをするように赤竜の鱗に垂れ――大きく燃え上がった。
 もがく赤竜。異空間に掛けた爪に力が入る。大きく空間が引き裂かれ、その巨体が侵入できるほどの大きさになる。それでもこちらの世界に侵入することは無い。悲痛の咆哮がセラルフィの体を突き抜けた。その身をよじり、赤竜はその巨体を退け異空間へと姿を消した。
 ガラスが砕け散るような音で徐々に結界が剥がれ落ちていく。真紅に染まった景色が青々とした空間に変わったとき、真っ先にトトが駆けよって来た。
「セラ!」
 向こうではペジットがリラの元に付いている。どうやらリラの方も無事のようだった。ただ唯一、視線だけはセラルフィの右腕から外れない。
「セラ、その腕」
 ライムも少し離れた位置で観察しているが、傷の具合は察しているようだ。
「出血の量がひどい。もう死んでいてもおかしくないぞ」
 相変わらず無感情に分析してくる。《マヨイビト》相手だとそうなのだろう。
「心配は要りません。よりにもよってシルヴァリーに助けられることになるとは思いませんでしたが」
「心臓爆破の呪いか」
「ええ、彼から心臓の呪縛が解けない間は死ぬことは有りません」
 トトが不安そうにセラを見ている。
「でもセラ。死なないとは言ってもその右腕の治療はした方が良いよ。はやく家に戻ろう」
「それなら」
 言い終わるより早く、セラルフィの右腕を激しい炎が喰らった。魔術の暴発ではない。意図して傷だらけの右腕を襲わせたセラルフィはしかし、その熱さに眉ひとつ動かすことなく右腕を振りぬいた。貼り付いていた火炎は空気に溶ける。ぎょっとしたトトの眼先には、傷口の塞がったセラルフィの右腕があった。
「火でふさげば治ります」
「セラ……」
 塞がった傷。しかもただ止血されたのではなく、始めから傷などなかったかのように完治している。歪みを見ているようだった。兵士達から追い回され、気絶していた時のセラルフィとは何かが違っていた。
「本当に、大丈夫と思っていいんだね?」
「ええ。見ての通り。何かおかしいですか?」
「…………」
 トトが何も言えないでいると、セラルフィは特に気にする様子もなく、気を失ったリラの元へと行ってしまった。
 そんなセラを見て、トトは口にしてはいけないと思った。
 少しずつ。それでも確実に。セラルフィとしての人格が欠落していることを。



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