一人が好きな俺が自転車サークルに入った結果。

沼口

手違いで彼女が出来た。3

「うん!いい感じ!」

 御影が手を叩き、明るい声で言った。
 俺は今、サイクルウェアを装備している。サークルの数少ない備品の一つで、御影が言うにはこれが無いと勝てないらしい。

「ビンディングシューズは後で説明するとして…」

 ケータイをこちらに向けられ、いきなり写真を撮られる。 やめろ、俺を撮るな。

「君もほら!見てみなよー!」

 そう言い、御影が俺にケータイの画面を向ける。
 そこには、黒いサイクルウェアを身に纏った、1人の男の姿が映し出されていた。日本人の象徴とも言える天然で少し跳ねている黒髪に、やる気の無さそうな黒い瞳。その細い身体つきは、何というか頼りなさげだ。

 ――まあ、俺なのだが。

「うーん、妙に様になってるねぇ。流石、自転車通学者」
「いや、別に通学者だから似合うとかではないだろ。こういう服で登校したりはしないしな」

 普通の自転車でこんな格好してたら、変な目で見られる。こういうのはそれに合ったモノに乗るからこそ立派に見えてくるのだろう。

「はい、じゃあヘルメット被って……完成‼︎」

 御影が無理やり俺の頭にヘルメットを押し込む。
 とりあえず、顎紐はちゃんと締めておこう。

「んで?装備は良いけど、何か作戦とかあんのか?」

 服は正式なものを装着したが、それは相手も同じことだ。これでやっと対等というものだろう。
 問題はこれからだ。御影の指示を元に、勝負の計画を立てていかねばならない。

「ん?ないよ?」

 当たり前じゃんみたいな表情で俺を見つめる御影。

 いや、何でないんだよ。てか、それで何であんな自信満々でいられたんだよ。

「なあ、一つ聞きたいんだが、さっきの天野とかいうのはどの位強いんだ?」
「うーん……。適当な草レース出たら普通に優勝するくらい?の強さ」
「……どんなレースを指しているかはともかくとして、優勝するというのは少なからず誰かよりは強いってことだろ?そんな奴に、俺が勝てると?」
「行ける行ける!自分を信じて!」

 御影が親指を立て、無責任にもエールを送って来る。
 自分の何を信じればいいのだろうか。運とかだろうか?相手がパンクするのを望めというのかこいつは。

「二人とも、そろそろ時間になるよ?」
「ああ、もう…か」
「さあ!張り切って行こー‼︎あ、リクくんコレね」

 そう言い、何かを指差す御影。俺はそれを見て、思わず溜息を吐く。

 そこにあったのは、異様な形に曲がっているハンドルが特徴の、長細いマッドブラックの自転車だった。

 『コレね』と言われて直ぐに乗れる代物ではないと思うのだが。乗り慣れてないと扱えないだろう、こういうのは。

「サドルの高さとか、諸々もろもろあるだろ?そういうのはどうするんだ?」
「あぁ。それなら大丈夫!さっきミドリが全部合わせてくれたから」
「全部合わせた?」

 俺が神無の方を向くと、神無が笑顔でこちらに手を振ってくる。

「ミドリはフィッティングの天才なんだよ。人の体に触っただけでその人の体格を把握して、適切なポジションで自転車に乗れるように自転車を設定する事が出来るんだ!」

 なるほど、だからさっきあんなに触られたのか。
 それにしても、才能というやつだろうか。人に合わせたフィッティングを一瞬でやってのけるとは、感心せざるを得ない。

「それじゃあ、遠慮なく乗らせてもらう」

 自転車の元へと足を進め、俺は試しにハンドルを掴む。少し押し返されるような柔らかさ、ゴム状のテープが巻かれている。
 一通り車体を眺め、試しに乗る為、サドルを跨ぐ。跨いだだけでは何とも言えないが、腕の位置やサドルの高さなどは丁度いい。フィッティングをしたというのは嘘ではないらしい。

「あれ?リクくん。よくシューズとペダルの固定が出来たね」

 俺の履いているビンディングシューズと、それを吸い付つけるように固定しているペダルを見て、御影が驚きの声を上げる。


 ――しまった、やらかした。


 反射的に右のビンディングシューズのクリートを、ペダルと合わせてしまったことを、俺は後悔する。
 クリートというのは、ペダルとシューズを繋げるための道具で、普段はシューズ側に取り付いているパーツだ。
 ペダルにハマるように作られているパーツであるが、ちゃんと付け方を知っていないと大抵付けられない為、何も知らない人が自然にはめられるものではない。


 つまり、俺はコイツの付け方を知っていた。


 だが、それを悟られるのは俺にとってマズイことだ。何とか誤魔化さねば。

「勘だよ、勘。お前がビンディングシューズとか言ってたから、何かあるのかと思ってな。靴の裏に突起物みたいなものがあったしな」
「……そうなんだ…。ふーん。まあ、付けられたなら説明は無くても大丈夫かな?ペダルとシューズを固定することによってペダリング効率……まあ、つまりは上手く自転車が漕げるようになるんだ。ちなみに、外す時は踵を外側に向ける感じでやると上手く抜けるよ」
「なるほど、どうやって外すのか困っていた所だった。踵を外側にか…なるほどな」

 そう言い、踵を外側に捻ると、いとも簡単にペダルとシューズは分離した。

 まあ、分かってたが。
 これくらいの演技はしておいた方がいいだろう。

「よし、自転車にも乗れそうだからな。そろそろ行くとするか。確か自転車競技部の部室は1階だったよな?」
「うん。羨ましい…こっちは3階に部室があるのに…ロード運びづらいったらありゃしないよ」

 御影が肩をすくめ、やれやれといったポーズをとっている。
 確かに、自転車を運ぶのであれば1階の方が楽だろう。しかし、1階に自転車競技部がいるのに3階に部室を構えるとは、いい度胸だ。1階は勿論やめた方がいいにせよ、3階もご近所さんレベルに近いだろうに。

「まあ、エレベーターがあるんだからいいじゃないか。ぶつけなければロードに傷はつかないだろ」
「…ん?ロードって言った?今」
「あ?ああ…ロードバイクだろ?この自転車。それくらい俺も知ってる」

 そう言って俺は手で支えている自転車を指で2度叩く。
 御影は何やら怪訝けげんな表情をしているが、まあ別に良いだろう。おかしなことは言っていない。
 ロードバイクくらい普通の人でも知ってる単語だ。

 まあ、だが少し焦った。こんな短時間で2度も墓穴を掘るとは…俺らしくもない。御影が『ロード』というから、釣られて言ってしまった。

「セン、桜島くん。時間がそろそろヤバイよ?17時58分。5分前行動きってる」

 自らの腕時計を二本の指で示し、神無が御影と俺を急かす。確かに、そろそろ時間的に行かなければならない。
 途中で無駄話をしていたからすっかり時間を気にせずにいた。

「行くか」
「うん」
「急ぎめにね」

 2人に合図を送り、俺は自転車を押しつつ、待ち合わせの場所である自転車競技部の部室を目指して歩き始めた。



 ◇



 自転車競技部の部室前には、天野以外の人間も多く集まっていた。まあ、野次馬というやつだろう。
 御影が自転車競技部に入部するのをやめたというのは、他の部員には秘密にしているらしかったが、この様子だと天野は部員に勝負の詳細を言ったようだ。
 まあ、勝てば御影はマネージャーになるのだから、もう言っても、勝つ気の天野に損は無いだろう。

「よお、準備はいいか?シロート」

 左手で、緑を基調に銀が織り交ぜている輝かしい色のロードバイクを支えている天野が、自信満々な笑みを浮かべ、分かりやすく煽ってくる。天野だけではない、周りもニヤニヤと下衆な笑いをしている。
 まあ、分かってはいたが、完璧になめられている。

「まあ、あんまり良くはないが」

 俺は短く答え、御影と神無の方に目をやる。すると、2人は同時に親指を立て、笑顔でエールを送ってくる。何とも無責任な。

「はっ!まあ、いい。とりあえずルール説明だ」

 良くなくても始めるらしい。

「コースはたったの1km。校舎から一般道へ出る下り坂だ。流石に登りとか平坦だと俺がぶっちぎっちまうからな!ははっ!」

 天野が嘲笑し、ギャラリーも合わせるように笑い出す。

 カンに障る奴らだ。
 あまりやる気がなかった俺だが、これだけなめられると流石にやる気……というか、一泡吹かせたくなってくる。

「あ、それと。俺のことを一瞬でも抜けた時点でお前の勝ちでいいぜ?それでもお前に万一の勝利はねーからよ」
「なるほど、それはそれは、優しいな全く」

 おそらく、後でフェアじゃないとか文句を言われないようにアチラも考えた上でのハンデなのだろう。

 ならばそのハンデ、存分に使わせてもらおう。

「なあ、御影…頼みがあるんだが」
「――え?」

 俺は小声で御影の耳に囁いた――。



 ◇



 我が大学は、とある街道沿いに位置しているのだが、校舎にたどり着くには1km程の坂を登らなければならない。
 まあ、これは予想なのだが、この坂が嫌になって大学を辞めた奴も少なからずいるのではないだろうか。まあ、歩くと結構苦痛な坂道である。
 校舎の近くを通っているモノレールで来る人間は幾分か楽できるが、それでも登るのに変わりはない。

 しかし、自転車乗りにはベストなコースだ。きちんと車道と歩道も分かれている道の為、歩行者を気にしながら走る必要は無いし、下りからいきなり街道に出るわけでは無いので、安心してスピードが出せる。
 まさにうってつけの練習コース。そんなコースの下り開始地点に、俺は立っていた。

 先ほどは自転車競技部の野次馬だけが多々いたが、今は明らかに部外者の生徒達が野次馬として俺の周りに立っている。
 おそらく、ただならぬ雰囲気を感じ取った奴らが、噂に噂を重ねてこんなに集まってしまったのだろう。それに御影と神無という美女コンビ付きだ。そっち狙いの奴もいるんだろうな。正直、見世物じゃ無いのでお引き取り願いたい。

 が、まあそんなこと言えないので、俺は1人で着々と勝負に向けて準備を進めていた。

 ロードバイクのサドルより少し前の、トップチューブというフレーム部分を跨ぐようにして構え、ハンドル兼ブレーキ兼ギアチェンジ用のレバー部分の《デュアルコントロールレバー》というものに手を置く。ブレーキを握って離してを何度か繰り返し、制動力を確認する。

 ――ふむ、問題無さそうだ。

「おい、じゃあそろそろ始めようぜ?日が暮れちまう。つっても、もう暮れてるけどな…っ!はははは」
「ああ、だな」

 ジョークなのか何なのか、天野の言葉に俺は適当に応えておく。

 いよいよ勝負が始まる。あまり気乗りはしないが、ここまで来たのだから全力を尽くすのが礼儀というものだろう。
 天野が右足のビンディングシューズを右ペダルにハメる。カチッという音が少しだけ空間に響く。

「よし!それじゃあボクがスタートの合図をするよ!」

 御影が俺と天野の間に入り、開いた手を空へと伸ばす。5秒前のカウントダウンをする為だろう。

「いくよ……5…4…3…」

 俺は右足を、クランクを時計と見立てた時に、1時の位置にあるペダルに重ねる。

「2…1…!スタート――‼︎」

 御影が勢いよく手を振り下ろし、スタートを告げる。その瞬間。
 天野が左足をペダルと合わせようと、右足でペダルを踏み込み、絶妙のタイミングで発進する。そして、すぐに左足のビンディングシューズをペダルにハメた。
 実に良いスタートだ。

 『さあ、これから熱いダウンヒルレースが始まる!最後までブレーキを掛けないのはどちらか⁉』

  ――と、でも観客は思ってるんだろうが。悪いな、直ぐに終いだ。

 俺も右足で思い切りペダルを踏み込み、次に間髪入れずに左足でも思い切り踏み込む。立ち漕ぎをしたままの全力で――追い抜いた。

「――え?」
「は?」

 御影と天野の間抜けな声が聞こえる。まあ、驚くのも無理ないだろう。なんせ――もう勝負は終わった・・・・・・・・・のだから。

 天野を軽く抜かした俺は、車体1個分前に出た所まで進むと、ブレーキをし、ロードを止める。

「抜いたぞ。俺の勝ちだな」
「は…はああああああああああ⁈」

 天野もロード止め、驚愕の表情を浮かべ、――叫ぶ。

 まあ、だろうな。そんな反応にもなるわな。開始3秒で終わったんだから。
 ちなみに、天野はロードに乗ってから何もミスをしていない。したとしたら乗る前だろう。

 ビンディングシューズは、ペダルと合わせようとすると、噛み合わせるのに少しだけ時間を使ってしまう。初心者の場合、2度3度上手くハマらない時もある。その点、天野は1度でハメたのだから上級者と言えるだろう。

 だが、シューズをハメるのに気を取られすぎて、右足の踏み込みが若干甘くなっていた。そして、俺がこんなにも早く仕掛けるとは思わなかったのだろう。左でも全力で踏み込む俺の動きに、天野はついてくることが出来なかった。

 まあ、やってみれば簡単な事だ。

「お、おい!お前!なんでビンディングシューズ履いてんのにそんなに早く踏み込め……――な⁈」

 天野が俺の靴を見て驚く。その、ビンディングシューズでは無い普通のランニングシューズに――。

「はぁぁぁあー⁈お前、さっきまでビンディングシューズ履いてたじゃねーか!なんで普通の靴履いてんだ⁈」
「…ああ、あんたがルールで“俺を抜かしたら勝ち”っていうのを追加してくれた時に御影に頼んだんだ。俺の普通の靴を持って来てくれって」
「んなっ⁈」

 そう、俺が天野よりも早く踏み込めた理由はこれだ。ビンディングシューズを履いてしまうと、必ずペダルとシューズの固定にロスタイムが生じてしまうが、普通のランニングシューズであれば直ぐに踏み込める。

 これが、慣れでビンディングシューズを履いていた天野の意表を突いた俺なりの策であり、一泡吹かせる為の方法だった。

 まあ、こんなに上手くいくとは思わなかったが。

「――リクくーん‼︎」
「ああ?」

 スタート地点にいた御影が、満面の笑みでこちらに突っ込んでくる。マズイ、嫌な予感しかしない。

 そして俺の嫌な予感は的中し、ロードに乗ったままの俺に御影が思い切り抱きついてくる。
 危ない、重い、苦しいの三拍子――。

「やったね!信じてたけど、こんなにも速攻で勝っちゃうなんて!最新の頭痛薬より速攻だよ!」
「おい、それは褒めてるのか?あと、『速攻』と『即効』は違うぞ」
「いいじゃ無いかそんな事!それより今はこの喜びに身を委ねようよ!さあ、君もギュッと来るといい!」
「嫌だ。というか離れろ。目立つだ――」

 と、言いかけて俺は気がつく。
 今回の勝負、結末から言えば俺が望んだ以上にいい結果で終わった。勝負は一瞬だったし、目立つようなことは無かった。それは目立つ事を嫌う俺にとってハッピーな結末なのだが……。

 ――今、この御影に抱きつかれている状況はどう考えても目立っている。

 俺は恐る恐る、周りにいる野次馬共に目を向ける。

 まず、俺の目に映ったのは神無だ。爆笑してるのだろうか?とにかく腹を抱えて笑っている。次に映ったのは天野を含めた自転車競技部の連中。なんか顔が落書きみたいに崩れている。相当ショックで動けないとみた。そして残る野次馬だが、途轍もなく鋭い眼でこちらを見ている気がする。特に男。

 呪い殺されそうなほどに視線が痛い。一刻も早く御影と離れたいが、ガッチリ掴まれていて離せない。
 勧誘の時もそうだが、華奢なわりにパワーがある…。

「おい御影。離せ、痛い」

 ――視線が。

「ん?あ、あぁ!ごめんごめん!ついついね。ふふふ…これで備品が充実していく……」

 怪しげな笑みを浮かべる御影に、俺は溜息を吐く。
 確かそんな約束もしてたなこいつ。

「ち、ちなみに…勝利した時のご褒美も……つ、付き合うっていうの…ボクは忘れてないから、安心して…ね?」
「あー……」

 まあ、忘れていたわけでは無いが、何というか…こいつはそれでいいのか?そんな顔赤くしながら言われると多少の罪悪感が湧いてくるんだが……。

 ただ、こんな現場で『あ、付き合う気は無いんで』なんて言ったら俺は野次馬連中の誰かに殺されるだろう。――精神的にも物理的にも。
 ということで、この場を適当にやり過ごす為の言葉は――

「ああ、よろしく」

 とりあえずの承諾だ。

「う、うん…!」

 俺の体を解放し、微笑む御影。
 俺の面倒なサークル活動は、こうして幕を開けた――。



 ◇



「ところで、リクくんは何で天野先輩にはタメ口なの?先輩なのに」
「横暴な奴には下手したてに出たら負けなんだよ」
 俺は、礼儀知らずには例え先輩であっても敬語は使わないと決めていた。
 そういう点では、御影も中々に礼儀知らずではあるが……。
 ――俺は今更ながらそう思った。

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