海の声

漆湯講義

91.価値感とお裾分け

「いつまで抱き合ってんの?」

もう10分以上経ってる気がするけど…

『うるさい、ほっとけ。』

海美に埋まった顔から篭った声が響いた。

『誠司くん、ありがとね。』

「え、俺なんもしてないけど…」

『美雨ちゃんに会わせてくれたのは誠司くんだよ。』

「いや、まぁ…初めはそうかもだけど、ここに来たのは美雨だし…」

『ううん、キッカケは誠司くんが美雨ちゃんに会わせてくれたからだよ。』

そう言って目尻に透き通った雫を残しつつ微笑む海美に心臓が高鳴った。

「そ…そうかな…」

俺は視線を窓への方へと逸らして、抱き合う2人の側で沈んでいく夕陽を眺めた。

俺にとって当たり前に見えているモノが、他人からするとこんなにも大切なモノだなんて….俺って贅沢だよな。
この当たり前に目の前にある夕陽だってそうだったりして。

身の回りの"当たり前"がちょっとだけ大切な事に思えた気がした。
モノの大切さというものは、無くなって初めて気付くと聞いたことがあるけど、こういうことなのかなって思う。
父さんや母さんが居るのも海美や美雨にとっては当たり前じゃないんだもんな。

そんなことを考えているうちに辺りはダークブルーの空に包まれていく。

階段の下から"食器洗うから持ってきなさいねぇー"と母さんの声が聞こえた時、海美たちは満足したようにその身体を離し、肩を寄せ合い横に並んだ。

「もういいの?」

『うん、ありがとう、なんか嬉しくって。なかなか美雨ちゃん離せられなかった。』

『いいよっ。あー、海美ねぇに抱きつくのどれくらいぶりだろう…すごい長い時間してなかった気がする。』

2人の顔には幸せが満ち溢れていて、なんだか俺まで幸せな気持ちだ。

そのせいか俺は、食器を片付けると部屋へと戻るなり、2人にこう言った。

「今日、泊まってきなよッ。」




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