海の声

漆湯講義

4.沖洲島

 駐車場みたいなフロアからエスカレーターを上がると、そこはまるでホテルのロビーみたいな光景が広がっていた。
 床にはサーモンピンクの絨毯が一面に敷かれていて、その奥には小さな売店みたいなものも見える。上を見上げれば天井からキラキラとした宝石みたいな電灯がぶら下がっていて……本当にここが船の上だなんて信じられない。初めて見るフェリーの船内に、俺の心が踊った。そんな俺の気持ちを露骨に言葉にしたのが母さんだ。母さんは子供みたいに興奮を隠しきれない様子で船内のあちらこちらを指さしては"ねぇあれ見てっ"なんて言って俺や父さんの肩を叩いた。

「子供じゃないんだからやめろよ」

 俺がそう呟くと、母さんは少し屈んで俺の視線に並び、気味の悪い笑みを浮かべて「ふふっ、おばさんよりかはいいわねッ」なんて俺の額を指で突いたのだった。いつもなら瞬く間に眉間に皺を寄せてガミガミと説教を始めるというのに、一体どうしたものか。旅行気分で浮かれているのか、島流しにあって頭がおかしくなったのか……。まぁどっちにしたって怒られなかったからいいか。
 父さんの後を追って銀色の手摺りが伸びる階段を昇っていると"二人で甲板にでも出てきたらどうだ"と父さんが言った。でも俺は何だか母さんみたいに"はしゃぐ"のが恥ずかしい気がして"疲れたからいいや"と答える。そんな俺に「勿体無いわねぇ……」なんて言う母さんに「はしゃぎ過ぎないでよ、恥ずかしいから」って忠告したけど、母さんは何故か微笑んで俺の頭にぽんと手のひらを当てながら「大きくなっちゃって」と呟いたのだった。

 それから十数分後……。
 俺は休憩所みたいなマットが敷かれたスペースに横になって項垂れていた。
初めて耳にする汽笛の音に感動する間もなく降り口へ急ぐ。


フェリーを降りて寂れた待合室で横になり、古びた室内をぼーっと眺める。
白いペンキが所々剥がれた壁には、いつの時代のものかわからないようなポスターがいくつも貼られている。その中に1枚だけ貼られた新しいポスターがやけに目立つ。

"5年に渡る沖洲島花火大会計画本年度実現!!…今年から島の名物になる予定です!!"

予定って…大丈夫か…

生温い潮風に吹かれてしばらく横になると、ようやく体調が回復してきた。

「ごめんもう大丈夫。」

室内に貼られたポスターをまじまじと眺めながら母さんが呟く。
『そんなんじゃ漁師にはなれないわよ。』

誰が漁師になるなんて言ったんだよ!そう言い返そうと思ったが俺は力無く笑うしかできなかった。





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