LIFE~僕と君とみんなのゲーム~
平原の大将1
「ログアウト……できないって?」
ログアウトできない。確かにこの女性はそう言った。
僕は頭が真っ白になり、慌ててメニューを開き、ログアウトボタンを探していく。
「ない……ない……ログアウトボタンが、ない……!」
現実に戻れるはずの。
自分の世界に戻ることができるはずのボタンがどこにもないのだ。
「無駄無駄、いくら探してもないよ。君たちはこのゲーム世界に閉じ込められてしまった。はい、これが事実ね」
マントの女性はやや楽しげに――嘲笑しながら、ニヤニヤと気味が悪い笑みを浮かべていた。
「ああ、どうしてもログアウトしたい? うーん、そうだね……。私を倒せば、いいんじゃないかなあ?」
次の瞬間、パアンと銃声が鳴り響く。誰かが女性に向けて撃ったのだ。
しかし、女性は平気そうな顔をしてニコニコとしている。
「まあ今は無理だけどね。君たちが束になってかかってきたところで私に傷一つ負えやしないよ」
と、次々にプレイヤー達が「ふざけんなあ!」「ログアウトさせろ!」と舞台に上がって行き、それぞれ武器を構える。
「おーおー、製作者である私にわざわざ武器をみせてくれるなんて嬉しいね。剣、長銃、太刀、ハンドガン、双剣、杖、斧、槍、ハンマー……あはは、ナックルもあるのか!」
怒涛の攻撃の中、女性は涼しい顔をしながらみんなの武器を眺めていく。
このゲームのプレイヤーの体力は頭上に赤いバーが表示され、最初はみんな同じ体力の量であり、それから所持する武器によって体力(小)や体力(中)などがスキルとして付くと通常体力量が増える。
だが、彼女の頭上に表示されている『青い』バーは全くと言っていい程、減っていなかった。
ちなみに、本来青いバーは敵モンスターにつくバーである。
……と、以上の事をユキが教えてくれた。
「あははは! みんなそれぞれ面白いスキルばっか持っているねえ! これだから人っていうのは面白いんだ! あははははは!! でもね! いくら攻撃しても! いくら抗っても! 君たちは私には勝てないんだよ! あはははははははは!!!」
様々な攻撃の中、狂ったように笑う彼女が――僕は怖かった。
怖い。怖い。怖い。
「ちょ、レイ!?」
気がつくと僕は会場の出入り口に向かって走り出していた。
怖い、逃げたい、帰りたい、嫌だ。
そんな感情が渦巻いていく。
怖いものは怖いのだ。
アニメやマンガみたいに、すぐに「じゃあクリアしてやるぜ」なんて意気込めない。
帰れない。
ここはもう仮想現実なんかじゃなくなる。
ここが――現実となるかもしれないんだ。
それがどんなに不安なのか、今になってわかった。
よく小さい頃に、辺りが暗くなるまで友達と遊んだときに「こんな時間まで夜遅くまで遊んでいて大丈夫かな? 家に帰れるかな?」と不安になった事がある。
それの比ではないのだ。
帰れない。戻れない。
もうここから――。
ずっと――。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
声が枯れるくらいに叫んで駆け出す。
生まれの街を駆け抜け、草原まで出たところで僕はようやく止まる。
「はあっ……はあっ……」
息を切らしながら僕は空を見つめていた。
雲一つない真っ青な偽物の空を眺めていると、涙が自然と零れてくる。
「レイ!」
ふと、僕を呼ぶ声が聞こえて振り向くと、そこにはこちらに駆けてくるユキの姿があった。
「ユキ……」
「その……なんじゃ、一旦落ち着け」
「落ち着けだなんて、出来ないよ……だって元の世界に帰ることが出来ないかもしれないんだよ?」
不安、というのが正しいのだろうか。
いや、絶望という方が正しいのだろう。
暗闇に呑み込まれ、何一つ光が見えない。
「僕は一生、自分の家で家族と暮らす事が出来ないかもしれない。一生、友達とも遊べないかもしれない。もう、ここで一生を終える――死ぬかもしれないんだ」
ごく当たり前のようにある、日常を失ってからその大切さに気がつく。
僕はもう――。
「じゃから、落ち着けって言っとるだろうが。まだもうログアウトすることが出来ないとは限らんじゃろ」
「でも……」
「――っ! レイ!」
ユキが突然僕の首根っこを掴むと、引きずるようにして素早く後ろへ下がる。
何事かと顔を顔を上げると、目の前にハイエナに酷似したモンスターが唸りをあげてこちらを見ていた。
赤い目をぎらつかせながら鋭い牙を剥いている。
「あ……あ……」
僕は目の前のモンスターに足が竦んでしまう。
元々これはゲームなのだから別に痛くもないし、もし仮に負けて自分が死んでしまってもまた復活できるのだから恐怖というものは芽生えないはずなのだ。
しかし、今となっては違う。
あの女性は言っていた。「ゲームオーバーは実際の死を意味する」と。
つまり、自分が倒された時点で終わり。実際に死んでしまうのだから。
もしそれが本当なのだとするのであれば――僕は目の前のモンスターに恐怖心を抱いてしまうのも無理はないだろう。
怖いのだ、死ぬ事が。
「嫌だ……まだ死にたくない……やめて……」
どうしてこうなってしまったのだろうか。
自分はただ、最新のゲームに興味を持ってプレイし始めただけなのに。
自分はただ、ついさっきまで平穏な日常を送っていたはずなのに。
なのに、どうして――!
「はあっ!」
と。
座り込んでしまった僕の頭上からそんな掛け声が聞こえたかと思うと。
目の前に突然、黒髪の女性が現れる。
短いポニーテールをしたその女性は両手に日本刀のような刀身が細い形の刀を持っていてその二つを目の前の獣に向かって大きく構える。
「『回転斬り』!」
黒髪の女性がそう叫ぶと宙を舞って、くるくると回転しながらハイエナを切り刻んでいく。
ハイエナはガアッと悲鳴をあげて光の粒子に包まれて消えた。
「ふう……えーっと、大丈夫?」
女性は一息つくと、僕の方を見る。
助けてくれた女性は僕より背が少しだけ高い。年上だろうか。
「は、はい……」
「……とりあえず、街に戻ろっか」
僕は自然と声が震えていて、そんな僕の様子を伺うと、女性は優しい笑みを浮かべて僕に手を差し伸べる。
「私はアユコ。あなた達は?」
「レイ、です……」
「我はユキじゃ」
「ふうん、レイにユキか。よろしく」
ニコリと女性――アユコさんは黒髪のポニーテールを揺らしながらはにかむ。
「とにかく、一旦街に戻って今の状況を確認しよう? まだ今後どうすればいいのか、考えなくちゃいけないし」
「……はい」
この時の僕はすっかり怯えきっていて、彼女の言う事にコクコクと頷いていた。
そのくらい、混乱していたのだ。
こうして、僕とユキはアユコさんに連れられ、街へと戻っていった。
「はい、どうぞ」
生まれの街。
その中にある街々の裏道に僕たちは座っていた。
アユコさんが裏道に連れてきたのは、人が多いところより落ち着くからという彼女なりの気遣いなのだろう。
アユコさんは僕とユキに陶器に入ったコーヒーを差し出す。
「そこの市場で売ってたから。これ飲んで落ち着きなよ」
「……ありがとう、ございます」
僕はもらったコーヒーを一口飲む。……苦い。
この、苦いという味覚はゲームのはずなのに何故か感じることができる。普通ならそんなはずはないんだけど……どうしてだろうか。
「にがっ! ……これがコーヒーってやつの味なのか?」
初めて飲むのか、ユキはコーヒーを飲むと顔をしかめて、ペロリと舌を出していた。
「はい、レイ」
と声をかけられて彼女の方を見ると、カードみたいなアイコンが浮かび上がる。
「『指定したプレイヤーにメニューボタンで仲間申請して承認されれば、その相手と仲間になる事ができる』……って、あの人が言ってたよ」
あの人、というのはさっきの女性の事だろうか。
僕はアイコンにタッチし、『仲間申請に承認しますか? YES / NO』と出てきたので『YES』に手を伸ばす。
アユコさんのプレイヤーカードが送られてきて、僕は見てみることにする。
僕のは所持スキルとか一つしかないという、なんとも初期らしいステータスだったんだけど……他の人のはどんな感じなのだろうか。
△▼△▼△▼△▼△▼
名前:アユコ
職業:剣士 Lv.1
体力 :750
魔力 :100
攻撃力:40
防御力:20
敏捷力:30
所持スキル1:剣術1
所持スキル2:攻撃力強化(小)
所持スキル3:攻撃速度上昇(小)
所持スキル4:抜刀
所持スキル5:索敵
△▼△▼△▼△▼△▼
「うわっ、スキル多い! しかもステータスたっか!」
「えぇっ、ユキってプレイヤーじゃなくて、モンスターなの!?」
お互いのプレイヤーカードを見てみて、お互い驚きの声を上げていた。
「いやいや、何でこんなに所持スキルが多いの……? ず、ずるい……!」
「ああ、それは違うよ」
「うわあっ!?」
突然後ろから声が聞こえて僕はびっくりして振り返ると、そこにはさっきの女性がニコニコとしながら立っていた。
瞬間、アユコさんが腰に収めていた日本刀の一本を抜いて女性の喉に突きつける。
「おおっと、危ないなあ。これから説明しようとするのに喉を使うのに、その喉を潰されたらどうやって説明すればいいんだい?」
と対して危なさそうに、女性は表情を崩さない。
「……ふん」
アユコさんは鼻を鳴らすと、日本刀を鞘に収める。
「じゃあとっても親切なユーコさんが教えてあげよう。あ、私ユーコって言うんだ、よろしくね!」
「えっと……レイです、よろしくお願いします」
自己紹介をされたので、僕も反射的に自己紹介をしてしまう。
「スキルには所持スキルと追加スキルの二つに分類されているんだ。その中の所持スキルは所謂、初期スキルなんだよ」
「初期スキル?」
「そう、初期スキル。初期スキルは誰もが5つしか持ってないんだ。スキル1は職業によって決まる。スキル2、3は武器の種類によって決まる。スキル4は職業の固定スキルで、スキル5はランダムに決まるんだよ」
「えっと……」
僕は頭の中で言われた事を整理してみる。つまり、アユコさんのステータスを例として考えてみると……。
所持スキル1:剣術1
……職業スキル
所持スキル2:攻撃力強化(小)
……武器スキル1
所持スキル3:攻撃速度上昇(小)
……武器スキル2
所持スキル4:抜刀
……職業固定スキル
所持スキル5:索敵
……ランダム
こんな感じだろうか。
「1と4の違いは成長するか否かだよ。1は職業レベルによって成長するけど、4はずっと性能はそのままなんだ」
「なるほど……」
なんとなく理解は出来た。
だけど、理解できないことがある。
「じゃあ、なんで僕の所持スキルは1つしかないんですか? もしかして、バグ?」
「私からしたらレイ君の方がよっぽどバグだよ。元々、テイマーなんて職業、想定してなかったし」
「え、そうなんですか?」
「当たり前だよ。好きな武器を言えって言ったのに、まさか敵を飼うとか言い出すとは思いもしなかったからさ」
「あー……」
確かに「好きな武器を言え」と言われたら「ああ、このゲームではモンスターが完全に敵側のゲームなのか」と誰もが思うだろう。
「武器スキルがないのは君の武器にレベルが振られてないから。テイマー専用の武器なんて、設定されてないし。職業固定スキルがないのは、テイマーの固定スキルが設定されていなかったから。ランダムがないのは、テイマーという職業がどれほどまでにゲームバランスを崩してしまうのか、わからないから。……まあ、要するに」
と、女性――ユーコさんが言う。
「テイマーという職業はそれほどまでに不確定要素なのさ。下手に能力を沢山付けたらゲームバランスが崩壊してしまうほどに」
不確定要素。
つまり、それは未知の力――という事なのだろうか。
「君も周りからチートだなんて言われたくないだろう? ……まあ、私からすればもう充分にチートなんだけどね」
まあそこが人の面白いところなんだけどね――と、付け加えるユーコさん。
「ああ、そうだ。もう一つのスキル、追加スキルについて。これは武器に付いているスキルで、それぞれの武器にそれぞれ違う固有スキルが一つだけ付いているんだよ。まあそれについては後々に説明するよ。というわけで、説明は以上! わかった?」
「はあ、大体は……えっと、ありがとうございます」
頭を軽く下げてお礼を言った僕を見て、ユーコさんは内心驚いたような顔をする。
「驚いたな……私はこうしてプレイヤー一人一人に色々と助言をしてあちこちに回っているんだけど、君のようにお礼を言われたのは初めてだよ」
「いや、これくらいは普通なんじゃないですか……?」
日本人ならお礼を言うのは当たり前のようになっているし。
だが、ユーコさんはチッチッチッと指を振る。
「お礼はいい人にやるんだよレイ君。悪い人には普通、頭を下げない」
「ええ、だから頭を下げたんですけど……?」
「ん?」
「だってユーコさん、悪い人には見えなくて……。だって、悪い人だったらプレイヤー全員に助言を与えようとしませんよね?」
ログアウトが出来ないと言われた時はユーコさんの事を狂っている、怖いと感じていたが――いざ話してみるとそうでもなかった。
むしろ、優しいような。
本当にとっても親切なユーコさん、という感じだ。
「……君は面白いね。他に質問はないかな?」
「僕は特に……」
「私はあるよ」
と、今まで黙っていたアユコさんが口を動かす。
「何かな?」
「このゲームのクリア条件――ログアウトが出来る条件はあなたを倒す以外にはないの?」
「それに関してはノーコメント、かな。そうでもあるし、そうではない」
と、曖昧に返すユーコさん。
「それと、みんながあなたに攻撃して倒そうとした時、あなたは『今は無理だ』と言っていた。今は、って事はいつかはあなたを倒すことが出来るのよね?」
「…………」
ユーコさんはニコリとしたまま黙って、「さて、どうだかね」となんとも曖昧な返事をする。
「ああ、あとこれは親切なユーコさんからのアドバイス。この『生まれの街』は見ての通り、平原に囲まれているけど――」
ピシッとユーコさんは天に向かって指を立てる。
「ここを占めている『平原の大将』を倒せ。――これが最初のミッションだよ」
ミッション。
それはまるで――このゲームストーリーを始めるかような感じだった。
「そうすれば君たちプレイヤーは次のステージへと行ける。信じるか信じないかは君たちが決めることだよ」
そう言ってユーコさんは「じゃあまたね」と笑いながらフッと消えた。
まるでそこに最初からいなかったかのような、消え方だった。
「……どうする? レイ」
と、アユコさんは僕を見てくる。
「僕はやってみます。何もしないよりかマシだから……アユコさんはどうしますか?」
「さん付けや敬語なんて私に必要ないよ。私はとりあえず、まだやりたい事もないからレイについていくよ」
「……わかった、アユコ。じゃあ僕と一緒に戦ってくれる?」
「勿論」
とニッコリとアユコは微笑む。
「じゃあ、まずは必要な物を買おうよ。ユキも行こう。……ユキ?」
ふとユキを見ると、果たして彼女は目を潤ませてお腹をさすっていた。
「そんな事より腹が減ったのじゃ……レイ、アユコ、何か食べようぞ……?」
「なんか静かだなと思っていたらそんな事か……」
「腹が減っては戦は出来ぬというじゃろうが……」
ログアウトできない。確かにこの女性はそう言った。
僕は頭が真っ白になり、慌ててメニューを開き、ログアウトボタンを探していく。
「ない……ない……ログアウトボタンが、ない……!」
現実に戻れるはずの。
自分の世界に戻ることができるはずのボタンがどこにもないのだ。
「無駄無駄、いくら探してもないよ。君たちはこのゲーム世界に閉じ込められてしまった。はい、これが事実ね」
マントの女性はやや楽しげに――嘲笑しながら、ニヤニヤと気味が悪い笑みを浮かべていた。
「ああ、どうしてもログアウトしたい? うーん、そうだね……。私を倒せば、いいんじゃないかなあ?」
次の瞬間、パアンと銃声が鳴り響く。誰かが女性に向けて撃ったのだ。
しかし、女性は平気そうな顔をしてニコニコとしている。
「まあ今は無理だけどね。君たちが束になってかかってきたところで私に傷一つ負えやしないよ」
と、次々にプレイヤー達が「ふざけんなあ!」「ログアウトさせろ!」と舞台に上がって行き、それぞれ武器を構える。
「おーおー、製作者である私にわざわざ武器をみせてくれるなんて嬉しいね。剣、長銃、太刀、ハンドガン、双剣、杖、斧、槍、ハンマー……あはは、ナックルもあるのか!」
怒涛の攻撃の中、女性は涼しい顔をしながらみんなの武器を眺めていく。
このゲームのプレイヤーの体力は頭上に赤いバーが表示され、最初はみんな同じ体力の量であり、それから所持する武器によって体力(小)や体力(中)などがスキルとして付くと通常体力量が増える。
だが、彼女の頭上に表示されている『青い』バーは全くと言っていい程、減っていなかった。
ちなみに、本来青いバーは敵モンスターにつくバーである。
……と、以上の事をユキが教えてくれた。
「あははは! みんなそれぞれ面白いスキルばっか持っているねえ! これだから人っていうのは面白いんだ! あははははは!! でもね! いくら攻撃しても! いくら抗っても! 君たちは私には勝てないんだよ! あはははははははは!!!」
様々な攻撃の中、狂ったように笑う彼女が――僕は怖かった。
怖い。怖い。怖い。
「ちょ、レイ!?」
気がつくと僕は会場の出入り口に向かって走り出していた。
怖い、逃げたい、帰りたい、嫌だ。
そんな感情が渦巻いていく。
怖いものは怖いのだ。
アニメやマンガみたいに、すぐに「じゃあクリアしてやるぜ」なんて意気込めない。
帰れない。
ここはもう仮想現実なんかじゃなくなる。
ここが――現実となるかもしれないんだ。
それがどんなに不安なのか、今になってわかった。
よく小さい頃に、辺りが暗くなるまで友達と遊んだときに「こんな時間まで夜遅くまで遊んでいて大丈夫かな? 家に帰れるかな?」と不安になった事がある。
それの比ではないのだ。
帰れない。戻れない。
もうここから――。
ずっと――。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
声が枯れるくらいに叫んで駆け出す。
生まれの街を駆け抜け、草原まで出たところで僕はようやく止まる。
「はあっ……はあっ……」
息を切らしながら僕は空を見つめていた。
雲一つない真っ青な偽物の空を眺めていると、涙が自然と零れてくる。
「レイ!」
ふと、僕を呼ぶ声が聞こえて振り向くと、そこにはこちらに駆けてくるユキの姿があった。
「ユキ……」
「その……なんじゃ、一旦落ち着け」
「落ち着けだなんて、出来ないよ……だって元の世界に帰ることが出来ないかもしれないんだよ?」
不安、というのが正しいのだろうか。
いや、絶望という方が正しいのだろう。
暗闇に呑み込まれ、何一つ光が見えない。
「僕は一生、自分の家で家族と暮らす事が出来ないかもしれない。一生、友達とも遊べないかもしれない。もう、ここで一生を終える――死ぬかもしれないんだ」
ごく当たり前のようにある、日常を失ってからその大切さに気がつく。
僕はもう――。
「じゃから、落ち着けって言っとるだろうが。まだもうログアウトすることが出来ないとは限らんじゃろ」
「でも……」
「――っ! レイ!」
ユキが突然僕の首根っこを掴むと、引きずるようにして素早く後ろへ下がる。
何事かと顔を顔を上げると、目の前にハイエナに酷似したモンスターが唸りをあげてこちらを見ていた。
赤い目をぎらつかせながら鋭い牙を剥いている。
「あ……あ……」
僕は目の前のモンスターに足が竦んでしまう。
元々これはゲームなのだから別に痛くもないし、もし仮に負けて自分が死んでしまってもまた復活できるのだから恐怖というものは芽生えないはずなのだ。
しかし、今となっては違う。
あの女性は言っていた。「ゲームオーバーは実際の死を意味する」と。
つまり、自分が倒された時点で終わり。実際に死んでしまうのだから。
もしそれが本当なのだとするのであれば――僕は目の前のモンスターに恐怖心を抱いてしまうのも無理はないだろう。
怖いのだ、死ぬ事が。
「嫌だ……まだ死にたくない……やめて……」
どうしてこうなってしまったのだろうか。
自分はただ、最新のゲームに興味を持ってプレイし始めただけなのに。
自分はただ、ついさっきまで平穏な日常を送っていたはずなのに。
なのに、どうして――!
「はあっ!」
と。
座り込んでしまった僕の頭上からそんな掛け声が聞こえたかと思うと。
目の前に突然、黒髪の女性が現れる。
短いポニーテールをしたその女性は両手に日本刀のような刀身が細い形の刀を持っていてその二つを目の前の獣に向かって大きく構える。
「『回転斬り』!」
黒髪の女性がそう叫ぶと宙を舞って、くるくると回転しながらハイエナを切り刻んでいく。
ハイエナはガアッと悲鳴をあげて光の粒子に包まれて消えた。
「ふう……えーっと、大丈夫?」
女性は一息つくと、僕の方を見る。
助けてくれた女性は僕より背が少しだけ高い。年上だろうか。
「は、はい……」
「……とりあえず、街に戻ろっか」
僕は自然と声が震えていて、そんな僕の様子を伺うと、女性は優しい笑みを浮かべて僕に手を差し伸べる。
「私はアユコ。あなた達は?」
「レイ、です……」
「我はユキじゃ」
「ふうん、レイにユキか。よろしく」
ニコリと女性――アユコさんは黒髪のポニーテールを揺らしながらはにかむ。
「とにかく、一旦街に戻って今の状況を確認しよう? まだ今後どうすればいいのか、考えなくちゃいけないし」
「……はい」
この時の僕はすっかり怯えきっていて、彼女の言う事にコクコクと頷いていた。
そのくらい、混乱していたのだ。
こうして、僕とユキはアユコさんに連れられ、街へと戻っていった。
「はい、どうぞ」
生まれの街。
その中にある街々の裏道に僕たちは座っていた。
アユコさんが裏道に連れてきたのは、人が多いところより落ち着くからという彼女なりの気遣いなのだろう。
アユコさんは僕とユキに陶器に入ったコーヒーを差し出す。
「そこの市場で売ってたから。これ飲んで落ち着きなよ」
「……ありがとう、ございます」
僕はもらったコーヒーを一口飲む。……苦い。
この、苦いという味覚はゲームのはずなのに何故か感じることができる。普通ならそんなはずはないんだけど……どうしてだろうか。
「にがっ! ……これがコーヒーってやつの味なのか?」
初めて飲むのか、ユキはコーヒーを飲むと顔をしかめて、ペロリと舌を出していた。
「はい、レイ」
と声をかけられて彼女の方を見ると、カードみたいなアイコンが浮かび上がる。
「『指定したプレイヤーにメニューボタンで仲間申請して承認されれば、その相手と仲間になる事ができる』……って、あの人が言ってたよ」
あの人、というのはさっきの女性の事だろうか。
僕はアイコンにタッチし、『仲間申請に承認しますか? YES / NO』と出てきたので『YES』に手を伸ばす。
アユコさんのプレイヤーカードが送られてきて、僕は見てみることにする。
僕のは所持スキルとか一つしかないという、なんとも初期らしいステータスだったんだけど……他の人のはどんな感じなのだろうか。
△▼△▼△▼△▼△▼
名前:アユコ
職業:剣士 Lv.1
体力 :750
魔力 :100
攻撃力:40
防御力:20
敏捷力:30
所持スキル1:剣術1
所持スキル2:攻撃力強化(小)
所持スキル3:攻撃速度上昇(小)
所持スキル4:抜刀
所持スキル5:索敵
△▼△▼△▼△▼△▼
「うわっ、スキル多い! しかもステータスたっか!」
「えぇっ、ユキってプレイヤーじゃなくて、モンスターなの!?」
お互いのプレイヤーカードを見てみて、お互い驚きの声を上げていた。
「いやいや、何でこんなに所持スキルが多いの……? ず、ずるい……!」
「ああ、それは違うよ」
「うわあっ!?」
突然後ろから声が聞こえて僕はびっくりして振り返ると、そこにはさっきの女性がニコニコとしながら立っていた。
瞬間、アユコさんが腰に収めていた日本刀の一本を抜いて女性の喉に突きつける。
「おおっと、危ないなあ。これから説明しようとするのに喉を使うのに、その喉を潰されたらどうやって説明すればいいんだい?」
と対して危なさそうに、女性は表情を崩さない。
「……ふん」
アユコさんは鼻を鳴らすと、日本刀を鞘に収める。
「じゃあとっても親切なユーコさんが教えてあげよう。あ、私ユーコって言うんだ、よろしくね!」
「えっと……レイです、よろしくお願いします」
自己紹介をされたので、僕も反射的に自己紹介をしてしまう。
「スキルには所持スキルと追加スキルの二つに分類されているんだ。その中の所持スキルは所謂、初期スキルなんだよ」
「初期スキル?」
「そう、初期スキル。初期スキルは誰もが5つしか持ってないんだ。スキル1は職業によって決まる。スキル2、3は武器の種類によって決まる。スキル4は職業の固定スキルで、スキル5はランダムに決まるんだよ」
「えっと……」
僕は頭の中で言われた事を整理してみる。つまり、アユコさんのステータスを例として考えてみると……。
所持スキル1:剣術1
……職業スキル
所持スキル2:攻撃力強化(小)
……武器スキル1
所持スキル3:攻撃速度上昇(小)
……武器スキル2
所持スキル4:抜刀
……職業固定スキル
所持スキル5:索敵
……ランダム
こんな感じだろうか。
「1と4の違いは成長するか否かだよ。1は職業レベルによって成長するけど、4はずっと性能はそのままなんだ」
「なるほど……」
なんとなく理解は出来た。
だけど、理解できないことがある。
「じゃあ、なんで僕の所持スキルは1つしかないんですか? もしかして、バグ?」
「私からしたらレイ君の方がよっぽどバグだよ。元々、テイマーなんて職業、想定してなかったし」
「え、そうなんですか?」
「当たり前だよ。好きな武器を言えって言ったのに、まさか敵を飼うとか言い出すとは思いもしなかったからさ」
「あー……」
確かに「好きな武器を言え」と言われたら「ああ、このゲームではモンスターが完全に敵側のゲームなのか」と誰もが思うだろう。
「武器スキルがないのは君の武器にレベルが振られてないから。テイマー専用の武器なんて、設定されてないし。職業固定スキルがないのは、テイマーの固定スキルが設定されていなかったから。ランダムがないのは、テイマーという職業がどれほどまでにゲームバランスを崩してしまうのか、わからないから。……まあ、要するに」
と、女性――ユーコさんが言う。
「テイマーという職業はそれほどまでに不確定要素なのさ。下手に能力を沢山付けたらゲームバランスが崩壊してしまうほどに」
不確定要素。
つまり、それは未知の力――という事なのだろうか。
「君も周りからチートだなんて言われたくないだろう? ……まあ、私からすればもう充分にチートなんだけどね」
まあそこが人の面白いところなんだけどね――と、付け加えるユーコさん。
「ああ、そうだ。もう一つのスキル、追加スキルについて。これは武器に付いているスキルで、それぞれの武器にそれぞれ違う固有スキルが一つだけ付いているんだよ。まあそれについては後々に説明するよ。というわけで、説明は以上! わかった?」
「はあ、大体は……えっと、ありがとうございます」
頭を軽く下げてお礼を言った僕を見て、ユーコさんは内心驚いたような顔をする。
「驚いたな……私はこうしてプレイヤー一人一人に色々と助言をしてあちこちに回っているんだけど、君のようにお礼を言われたのは初めてだよ」
「いや、これくらいは普通なんじゃないですか……?」
日本人ならお礼を言うのは当たり前のようになっているし。
だが、ユーコさんはチッチッチッと指を振る。
「お礼はいい人にやるんだよレイ君。悪い人には普通、頭を下げない」
「ええ、だから頭を下げたんですけど……?」
「ん?」
「だってユーコさん、悪い人には見えなくて……。だって、悪い人だったらプレイヤー全員に助言を与えようとしませんよね?」
ログアウトが出来ないと言われた時はユーコさんの事を狂っている、怖いと感じていたが――いざ話してみるとそうでもなかった。
むしろ、優しいような。
本当にとっても親切なユーコさん、という感じだ。
「……君は面白いね。他に質問はないかな?」
「僕は特に……」
「私はあるよ」
と、今まで黙っていたアユコさんが口を動かす。
「何かな?」
「このゲームのクリア条件――ログアウトが出来る条件はあなたを倒す以外にはないの?」
「それに関してはノーコメント、かな。そうでもあるし、そうではない」
と、曖昧に返すユーコさん。
「それと、みんながあなたに攻撃して倒そうとした時、あなたは『今は無理だ』と言っていた。今は、って事はいつかはあなたを倒すことが出来るのよね?」
「…………」
ユーコさんはニコリとしたまま黙って、「さて、どうだかね」となんとも曖昧な返事をする。
「ああ、あとこれは親切なユーコさんからのアドバイス。この『生まれの街』は見ての通り、平原に囲まれているけど――」
ピシッとユーコさんは天に向かって指を立てる。
「ここを占めている『平原の大将』を倒せ。――これが最初のミッションだよ」
ミッション。
それはまるで――このゲームストーリーを始めるかような感じだった。
「そうすれば君たちプレイヤーは次のステージへと行ける。信じるか信じないかは君たちが決めることだよ」
そう言ってユーコさんは「じゃあまたね」と笑いながらフッと消えた。
まるでそこに最初からいなかったかのような、消え方だった。
「……どうする? レイ」
と、アユコさんは僕を見てくる。
「僕はやってみます。何もしないよりかマシだから……アユコさんはどうしますか?」
「さん付けや敬語なんて私に必要ないよ。私はとりあえず、まだやりたい事もないからレイについていくよ」
「……わかった、アユコ。じゃあ僕と一緒に戦ってくれる?」
「勿論」
とニッコリとアユコは微笑む。
「じゃあ、まずは必要な物を買おうよ。ユキも行こう。……ユキ?」
ふとユキを見ると、果たして彼女は目を潤ませてお腹をさすっていた。
「そんな事より腹が減ったのじゃ……レイ、アユコ、何か食べようぞ……?」
「なんか静かだなと思っていたらそんな事か……」
「腹が減っては戦は出来ぬというじゃろうが……」
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