魔法世界の例外術者《フェイク・マジック》 - 魔力とは無力である -
夏休みといえば:夏祭りと花火大会2
キャイキャイと騒がしく何かしており、俺は一人寂しく部屋で待つこと数十分。
「すみませんケンジくん、お待たせしました!」
と、廊下から優梨の声が聞こえて、襖が開く。
「いや、それは別に構わないんだが……。お前ら、何をして――」
何をしていたんだ、と言おうとしたが、優梨の姿を見た途端にみんなが何をしていたのかが一瞬でわかったので、その台詞は途切れた。
「えへへ……ケンジくん、どうです、どうです?」
水色の布地に赤い金魚が描かれた『浴衣』を着た優梨がくるりと回る。
なるほど、そりゃ俺が手伝えないわけだ。俺は嬉しそうにくるくる回る優梨を見て、正直な感想を述べる。
「帯の結び目が解けているぞ、優梨」
「ふぇえっ!?」
どうやらちゃんと結べていないらしく、帯がだらしなく垂れている姿の優梨は慌てて帯を結ぼうとするが、なかなか上手く出来ない。
「もう、仕方がないわね優梨は……。ほら、ちょっと後ろを向きなさい」
と、今度は京香が顔をひょっこり出して優梨の帯を締める。
俺は京香の姿をまじまじと見つめる。
「…………」
「…………な、何よケンジ。何か変、かしら?」
「いや……」
桃色の花柄の浴衣を着た京香が少し恥ずかしそうに頬を赤らめて、俺から一歩下がる。
えっと、なんというか……。
「なんというか……いつもと違うな」
「い、いつもと……?」
「その……いつもと違って、女子らしくて……似合ってるなって……」
「に、にあっ!?」
少し言うのが照れくさかったので途切れ途切れになりながらも言うと、京香の顔が更に真っ赤になる。
「似合ってる……似合って……にあっ!」
「そんな壊れたカセットテープみたいに何度も言わなくていいから」
「にあーっ!」
何やら猫みたいで猫じゃないような叫び声をあげながら、京香は部屋から出ていってしまった。
「…………」
俺はその姿を見て、呆れと安堵の息をつく。
そんな叫びながら逃げるような言葉じゃないだろという呆れと、本当のことを言わなくて良かったという安堵である。
「……ふふっ」
と、そんなやりとりを見ていた優梨がクスクスと笑う。
「困ったものですね」
「ああ、全くだな」
「あら、それはケンジくんも含まれているんですよ?」
という優梨の発言に、俺はドキリとする。
「……何の話だ? 別に俺はありのままの感想を言ったままだぞ」
「ふふっ、そうですね」
見透かしたかのような優梨の口ぶりに俺は目線を逸らす。
本当のこと。
それは元々、篠崎京香という人物のギャップがあっただろうか、思ったことである。
俺が知っている京香は世話焼きであり、服装やら態度やら男らしいところからボーイッシュなイメージであるから。
だからこそ、『美しい』と思ってしまった。
いや、『美しい』という意味をまだよく分かってない高校生の俺が使うのは大変恥ずかしい言葉であるのだが、しかし一言で表わすのであれば『美しい』が一番しっくりときた。
美しい――または『綺麗』、というべきなんだろうか。
いつもの京香とは思えぬ、新しい女性らしい面を見た気がする。いや新しい面だからこそ、こんなにも強く印象づいてしまったのだろう。
しかしそんな事を本人の前でありのままに言う事なんて、それこそ恥ずかしいことなので『似合っている』という最も言いやすく、かつ間違ってはいない言葉を使ったのである。
ただただ――美しかった。
ただただ――綺麗だった。
「なんか京香っちが顔を真っ赤にさせながら部屋に戻ってきたんだけど、ケンジくん何かしたの?」
と、続いて三縁がひょっこりと顔を覗かせる。
「なんで俺がやった前提なんだよ。いや、確かにそうではあるが……」
「あはは、普通わかるよー」
何を根拠に普通というのだろうか、という疑問はさておき。
「で、どうかなケンジくん? 似合う?」
黄色の花柄の浴衣を着た三縁は元気よくビシッとピースをする。
「……うん、いつもの三縁だな。あと、もう少し落ち着かないと女性らしさが出ないぞ?」
「ダメだしされた!?」
予想外だったのか、ショックを受けた顔をする三縁。何と言うのだろう、普通に可愛いし足も長いのに言動というか行動がそれにそぐわっていないというか中身が幼いというか……。
「駄目ですよケンジくん。そういう時はは必ず『可愛い』とか『似合ってる』って言わなくちゃ」
「いや、そんな心の篭ってないお世辞の定型文みたいな感じで言われて女子は嬉しいのか? いや、確かに優梨も三縁も似合っているが……」
プールの時もみんな本当に似合っていたから俺は『似合ってる』と言った。
ならもし、似合ってなかったらどうしていたか? ……多分その時も俺は『似合ってる』と言っていただろう。本当の事をいうのは相手に対して失礼だ、と反射的に考えてしまって咄嗟に言葉に出してしまうだろう。
だが――それをわかっていて『似合ってる』なんて言葉を投げかけられて、相手は本当に嬉しいのだろうか。
そんな事を考える俺に優梨は表情を崩さないまま答える。
「それでも嬉しいものなんですよ、女の子は」
「……よくわからないな、『女の子』というのは」
「はい、よくわからないものです」
本当、よくわからない。
と、人影が続いて近づいてきてこの部屋に姿を現す。
「なんか京香さんが顔を真っ赤にさせながら部屋に戻ってきたんだけど、志野くん何か変なことでもしたの?」
「なんで変なこと前提なんだよ。お前には俺がそう見えるのか」
「何を言ってるのよ。そんな失礼なこと思っているわけないじゃない。だって、志野くんってチキンだし」
「チ、チキン……!」
黒の布地に花火が描かれた豊岸が冷笑を浮かべながら入ってくる。
言われたい放題で何かやり返す方法はないか、と考えていた俺は今さっきの会話を思いだす。
……ふむ、少し試してみるか。
「お前はその毒舌をもっと控えた方がいいぞ。その……可愛いんだし、その姿も似合ってるんだし」
「私が可愛くてこの姿が似合ってるなんてことは、この私が一番知ってるから嬉しくないし、そんな安っぽいお世辞はどうでもいいわ。それより、私から毒舌を取ったら何も残らないじゃない。馬鹿なの? あっ、志野くんは馬鹿だったわね」
「どうでもいいって言われたぞ、優梨! お前から言われた通りに言ったら、どうでもいいって言われたぞ!」
とんだ返り討ちである。
そんな俺に優梨は小さい子を叱るように、めっと人差し指を俺に向ける。
「駄目ですよケンジくん。そんな安っぽい定型文を言っても、女の子は喜びませんよ?」
「さっきと言ってることが違う!」
そしてとんだ踏んだり蹴ったりである。……いや、本当に似合ってるとは思ったのだが。
「ほらお姉ちゃん、もう大丈夫だから」
「うぅ……」
と、叶子がまだ顔を赤くさせている京香を引っ張ってくる。これじゃどっちが上なんだか、わからなくなる。いや、身長的に京香の方が上だということはわかるんだが。
橙色の花柄の浴衣の叶子は可愛らしかった。叶子がまだ幼いだけに可愛いというより、可愛らしいという言葉がピッタリである。
「…………」
チラリと俺を見るなり、ぷいっとそっぽを向いてしまう京香。まだまともに顔を直視出来ないのだろう、俺もそうなのだから。
「全く、京香ちゃんに何をしたのさ、ケンジくんは」
と、みさとの声が聞こえる。俺は何度目の台詞だと少しため息をつき、声の主の方を向く。
「あのな……。…………誰だ、お前」
「人の姿を見て、第一声がそれ!?」
蝶柄の紫の浴衣に着た女性は、しかし確かにその声はよく知っているみさとであった。
いやいや。いやいやいや。
「いや、俺の知っているみさとと、今目の前にいる人は天地の差ぐらいに違うんだが……」
「……君は今、とても失礼なことを言っているに気がついているかな?」
みさとは随分とお怒りのようだが、そのくらい驚愕しているのだ。
いつも周りから俺とみさとが「似てる」と言われて、ただのちょっと男っぽくて危なかっしいやつなだけじゃねえか、というのがみさとの印象である。
しかし今目の前にいるみさとはいつもの男っぽい雰囲気はなく、ただの可愛らしい女性であった。
若干暗い紫色の浴衣が更に大人っぽさをぐっと増しているのがポイントである。
なんだ、京香と言いみさとと言い、浴衣というのは普段そんなに女子らしくない人の魅力を引き上げるようなものなのだろうか。
「さて、じゃあ行くか」
メンバーも揃った事だし、と部屋を出ようとする俺を優梨ががっしりと掴む。
「いいえ、まだ終わってませんよ?」
「え、終わってない?」
一体何の事を言ってるのだろうかと首を捻っていると、優梨がにっこりと笑う。
「はい、終わってません」
「いや、終わっているだろ。もう準備は終わってるんだし」
「いえいえ、まだいるじゃないですか。私服の人が」
「えっ、そんなのどこにも…………あ」
「わかりました?」
「…………まさか」
「大丈夫です、お手伝いさんが手伝ってくれますし」
「いや、そういうわけじゃない。俺は別にいい」
「そんな遠慮せずに、さあ」
「だから、別に……ちょ、お手伝いさん女性ばっかじゃねえか! 男性はいないのか!?」
「すみません、男性の方は今手が空いてないんです」
「待て待て待て! ちょっと待て! 本当にやめっ……うわああああああああああああああああっ!」
お手伝いさんの腕力は見た目より強く――俺は弱いことがわかった。
* * *
「屈辱だ……屈辱だ……」
「こら、ケンジくん。いつまでもウジウジしないのっ。大丈夫だよ、似合っているし!」
「似合っている似合ってないはどうでもいいんだよ……」
浴衣姿になった(ただし強制的に)俺らを乗せるリムジンの中、三縁は元気づかせるように落ち込んでいる俺の肩をポンッと叩く。
ちなみに俺が着ているのは縞模様の紺色の浴衣という、無難な選択である。
「男として大事な何かを失った気がする……」
「大丈夫よ志野くん。あなたに男として大事なものなんてないわ」
「慰めるような言い方してさらっと貶すのをやめてもらえるか、豊岸」
「あら、誰が慰めるような言い方なんてしたのかしら? 志野くんにとってはこれがご褒美なんでしょう?」
「んなわけあるか!」
クスクスと意地悪く笑う豊岸の隣に座っている優梨が続いて俺の手をがっしりと掴む。
「大丈夫ですケンジくん! そしたら私がケンジくんをお嫁さんとして貰いますので!」
「全然嬉しくない……」
「嬉しくない……? あっ、当然私がお婿さんですよ?」
「そういう問題じゃねえよ!」
というか優梨はそれでいいのだろうか……?
さっきに比べ、随分と落ち着いた京香が俺を見てうんうんと頷く。
「案外似合っているじゃない。馬子にも衣装ってやつね」
「そりゃ、どうも……」
「確かに孫にも衣装ですねっ。叶子もそう思いますっ!」
「お前は俺のおばあちゃんか」
「じゃあ……子にも衣装?」
「何で馬が取れるんだよ。その言い方だと俺がみさとの子みたいじゃねえか」
「じゃあじゃあ、馬にも衣装だね!」
「それは傷つくから、ちょっとやめてくれ三縁……」
「ああ、馬鹿にも衣装ね」
「お前は全力で黙ってろ豊岸」
「ケンジくんにも衣装ですね!」
「何で俺限定なんだよ」
「意味は何かしら? 『ケンジみたいに胡散臭そうなのでもそれなりに格好がつく』とか?」
「意味を考えなくていいからな?」
新しいことわざの誕生……いや、しねえよ。
ふと車窓から町並みに視線を向けると、浴衣で同じ方向に向かって歩いている人たちが何人も見える。
「やっぱり夏祭りだから、結構人が来るんだろうな」
「まあ、夏の思い出としてみんな行くと思うわよ」
俺の呟きに京香も窓の方を向く。
「ふと思ったが、女性の浴衣の柄って花柄が多いな。お前らも含めて」
「……あのね、志野くん。プールの時にも言ったと思うけど、小説のキャラみたいに誰もがそれぞれ違う柄の浴衣を着るわけじゃないんだからね」
と、豊岸が咎めるように説明すると、三縁も会話に参加してくる。
「ケンジくん、さっきから花柄花柄って一纏めしてるけど、その花にだって色々種類があるんだよ?」
「へえ、そうなのか」
「牡丹、芍薬、撫子、菖蒲、桜、椿水仙、藤、梅、朝顔、薔薇……これくらい知っておきなさい、日本人なら普通でしょう?」
そんなに多く言えるのは果たして普通なのだろうかと京香の記憶力に感心しつつ、そう言われると京香たちも花柄と言ってもみんな違う種類なんだなあ、と改めて色とりどりの姿を見つめる。
「到着しました」
と、運転手(確か右舷さんって名前の人だ)は静かに車を止める。
「ここからは車で行けませんので……」
「わかりました、じゃあ私たちは歩いていくんでここまでで結構です。じゃあ行きましょう、皆さんっ!」
優梨がリムジンから降り、それに続いていく。
「……お嬢様。何度も言っていることですが、勝手な行動は慎むようにとご主人様が何度も――」
「ケンジくーんっ。行きますよーっ!」
今にも泣きそうな運転手の言葉は優梨に耳が入らなかったようで、俺は若干涙目になっている運転手に軽く頭を下げる。
この人も苦労しているんだな……。
「すみませんケンジくん、お待たせしました!」
と、廊下から優梨の声が聞こえて、襖が開く。
「いや、それは別に構わないんだが……。お前ら、何をして――」
何をしていたんだ、と言おうとしたが、優梨の姿を見た途端にみんなが何をしていたのかが一瞬でわかったので、その台詞は途切れた。
「えへへ……ケンジくん、どうです、どうです?」
水色の布地に赤い金魚が描かれた『浴衣』を着た優梨がくるりと回る。
なるほど、そりゃ俺が手伝えないわけだ。俺は嬉しそうにくるくる回る優梨を見て、正直な感想を述べる。
「帯の結び目が解けているぞ、優梨」
「ふぇえっ!?」
どうやらちゃんと結べていないらしく、帯がだらしなく垂れている姿の優梨は慌てて帯を結ぼうとするが、なかなか上手く出来ない。
「もう、仕方がないわね優梨は……。ほら、ちょっと後ろを向きなさい」
と、今度は京香が顔をひょっこり出して優梨の帯を締める。
俺は京香の姿をまじまじと見つめる。
「…………」
「…………な、何よケンジ。何か変、かしら?」
「いや……」
桃色の花柄の浴衣を着た京香が少し恥ずかしそうに頬を赤らめて、俺から一歩下がる。
えっと、なんというか……。
「なんというか……いつもと違うな」
「い、いつもと……?」
「その……いつもと違って、女子らしくて……似合ってるなって……」
「に、にあっ!?」
少し言うのが照れくさかったので途切れ途切れになりながらも言うと、京香の顔が更に真っ赤になる。
「似合ってる……似合って……にあっ!」
「そんな壊れたカセットテープみたいに何度も言わなくていいから」
「にあーっ!」
何やら猫みたいで猫じゃないような叫び声をあげながら、京香は部屋から出ていってしまった。
「…………」
俺はその姿を見て、呆れと安堵の息をつく。
そんな叫びながら逃げるような言葉じゃないだろという呆れと、本当のことを言わなくて良かったという安堵である。
「……ふふっ」
と、そんなやりとりを見ていた優梨がクスクスと笑う。
「困ったものですね」
「ああ、全くだな」
「あら、それはケンジくんも含まれているんですよ?」
という優梨の発言に、俺はドキリとする。
「……何の話だ? 別に俺はありのままの感想を言ったままだぞ」
「ふふっ、そうですね」
見透かしたかのような優梨の口ぶりに俺は目線を逸らす。
本当のこと。
それは元々、篠崎京香という人物のギャップがあっただろうか、思ったことである。
俺が知っている京香は世話焼きであり、服装やら態度やら男らしいところからボーイッシュなイメージであるから。
だからこそ、『美しい』と思ってしまった。
いや、『美しい』という意味をまだよく分かってない高校生の俺が使うのは大変恥ずかしい言葉であるのだが、しかし一言で表わすのであれば『美しい』が一番しっくりときた。
美しい――または『綺麗』、というべきなんだろうか。
いつもの京香とは思えぬ、新しい女性らしい面を見た気がする。いや新しい面だからこそ、こんなにも強く印象づいてしまったのだろう。
しかしそんな事を本人の前でありのままに言う事なんて、それこそ恥ずかしいことなので『似合っている』という最も言いやすく、かつ間違ってはいない言葉を使ったのである。
ただただ――美しかった。
ただただ――綺麗だった。
「なんか京香っちが顔を真っ赤にさせながら部屋に戻ってきたんだけど、ケンジくん何かしたの?」
と、続いて三縁がひょっこりと顔を覗かせる。
「なんで俺がやった前提なんだよ。いや、確かにそうではあるが……」
「あはは、普通わかるよー」
何を根拠に普通というのだろうか、という疑問はさておき。
「で、どうかなケンジくん? 似合う?」
黄色の花柄の浴衣を着た三縁は元気よくビシッとピースをする。
「……うん、いつもの三縁だな。あと、もう少し落ち着かないと女性らしさが出ないぞ?」
「ダメだしされた!?」
予想外だったのか、ショックを受けた顔をする三縁。何と言うのだろう、普通に可愛いし足も長いのに言動というか行動がそれにそぐわっていないというか中身が幼いというか……。
「駄目ですよケンジくん。そういう時はは必ず『可愛い』とか『似合ってる』って言わなくちゃ」
「いや、そんな心の篭ってないお世辞の定型文みたいな感じで言われて女子は嬉しいのか? いや、確かに優梨も三縁も似合っているが……」
プールの時もみんな本当に似合っていたから俺は『似合ってる』と言った。
ならもし、似合ってなかったらどうしていたか? ……多分その時も俺は『似合ってる』と言っていただろう。本当の事をいうのは相手に対して失礼だ、と反射的に考えてしまって咄嗟に言葉に出してしまうだろう。
だが――それをわかっていて『似合ってる』なんて言葉を投げかけられて、相手は本当に嬉しいのだろうか。
そんな事を考える俺に優梨は表情を崩さないまま答える。
「それでも嬉しいものなんですよ、女の子は」
「……よくわからないな、『女の子』というのは」
「はい、よくわからないものです」
本当、よくわからない。
と、人影が続いて近づいてきてこの部屋に姿を現す。
「なんか京香さんが顔を真っ赤にさせながら部屋に戻ってきたんだけど、志野くん何か変なことでもしたの?」
「なんで変なこと前提なんだよ。お前には俺がそう見えるのか」
「何を言ってるのよ。そんな失礼なこと思っているわけないじゃない。だって、志野くんってチキンだし」
「チ、チキン……!」
黒の布地に花火が描かれた豊岸が冷笑を浮かべながら入ってくる。
言われたい放題で何かやり返す方法はないか、と考えていた俺は今さっきの会話を思いだす。
……ふむ、少し試してみるか。
「お前はその毒舌をもっと控えた方がいいぞ。その……可愛いんだし、その姿も似合ってるんだし」
「私が可愛くてこの姿が似合ってるなんてことは、この私が一番知ってるから嬉しくないし、そんな安っぽいお世辞はどうでもいいわ。それより、私から毒舌を取ったら何も残らないじゃない。馬鹿なの? あっ、志野くんは馬鹿だったわね」
「どうでもいいって言われたぞ、優梨! お前から言われた通りに言ったら、どうでもいいって言われたぞ!」
とんだ返り討ちである。
そんな俺に優梨は小さい子を叱るように、めっと人差し指を俺に向ける。
「駄目ですよケンジくん。そんな安っぽい定型文を言っても、女の子は喜びませんよ?」
「さっきと言ってることが違う!」
そしてとんだ踏んだり蹴ったりである。……いや、本当に似合ってるとは思ったのだが。
「ほらお姉ちゃん、もう大丈夫だから」
「うぅ……」
と、叶子がまだ顔を赤くさせている京香を引っ張ってくる。これじゃどっちが上なんだか、わからなくなる。いや、身長的に京香の方が上だということはわかるんだが。
橙色の花柄の浴衣の叶子は可愛らしかった。叶子がまだ幼いだけに可愛いというより、可愛らしいという言葉がピッタリである。
「…………」
チラリと俺を見るなり、ぷいっとそっぽを向いてしまう京香。まだまともに顔を直視出来ないのだろう、俺もそうなのだから。
「全く、京香ちゃんに何をしたのさ、ケンジくんは」
と、みさとの声が聞こえる。俺は何度目の台詞だと少しため息をつき、声の主の方を向く。
「あのな……。…………誰だ、お前」
「人の姿を見て、第一声がそれ!?」
蝶柄の紫の浴衣に着た女性は、しかし確かにその声はよく知っているみさとであった。
いやいや。いやいやいや。
「いや、俺の知っているみさとと、今目の前にいる人は天地の差ぐらいに違うんだが……」
「……君は今、とても失礼なことを言っているに気がついているかな?」
みさとは随分とお怒りのようだが、そのくらい驚愕しているのだ。
いつも周りから俺とみさとが「似てる」と言われて、ただのちょっと男っぽくて危なかっしいやつなだけじゃねえか、というのがみさとの印象である。
しかし今目の前にいるみさとはいつもの男っぽい雰囲気はなく、ただの可愛らしい女性であった。
若干暗い紫色の浴衣が更に大人っぽさをぐっと増しているのがポイントである。
なんだ、京香と言いみさとと言い、浴衣というのは普段そんなに女子らしくない人の魅力を引き上げるようなものなのだろうか。
「さて、じゃあ行くか」
メンバーも揃った事だし、と部屋を出ようとする俺を優梨ががっしりと掴む。
「いいえ、まだ終わってませんよ?」
「え、終わってない?」
一体何の事を言ってるのだろうかと首を捻っていると、優梨がにっこりと笑う。
「はい、終わってません」
「いや、終わっているだろ。もう準備は終わってるんだし」
「いえいえ、まだいるじゃないですか。私服の人が」
「えっ、そんなのどこにも…………あ」
「わかりました?」
「…………まさか」
「大丈夫です、お手伝いさんが手伝ってくれますし」
「いや、そういうわけじゃない。俺は別にいい」
「そんな遠慮せずに、さあ」
「だから、別に……ちょ、お手伝いさん女性ばっかじゃねえか! 男性はいないのか!?」
「すみません、男性の方は今手が空いてないんです」
「待て待て待て! ちょっと待て! 本当にやめっ……うわああああああああああああああああっ!」
お手伝いさんの腕力は見た目より強く――俺は弱いことがわかった。
* * *
「屈辱だ……屈辱だ……」
「こら、ケンジくん。いつまでもウジウジしないのっ。大丈夫だよ、似合っているし!」
「似合っている似合ってないはどうでもいいんだよ……」
浴衣姿になった(ただし強制的に)俺らを乗せるリムジンの中、三縁は元気づかせるように落ち込んでいる俺の肩をポンッと叩く。
ちなみに俺が着ているのは縞模様の紺色の浴衣という、無難な選択である。
「男として大事な何かを失った気がする……」
「大丈夫よ志野くん。あなたに男として大事なものなんてないわ」
「慰めるような言い方してさらっと貶すのをやめてもらえるか、豊岸」
「あら、誰が慰めるような言い方なんてしたのかしら? 志野くんにとってはこれがご褒美なんでしょう?」
「んなわけあるか!」
クスクスと意地悪く笑う豊岸の隣に座っている優梨が続いて俺の手をがっしりと掴む。
「大丈夫ですケンジくん! そしたら私がケンジくんをお嫁さんとして貰いますので!」
「全然嬉しくない……」
「嬉しくない……? あっ、当然私がお婿さんですよ?」
「そういう問題じゃねえよ!」
というか優梨はそれでいいのだろうか……?
さっきに比べ、随分と落ち着いた京香が俺を見てうんうんと頷く。
「案外似合っているじゃない。馬子にも衣装ってやつね」
「そりゃ、どうも……」
「確かに孫にも衣装ですねっ。叶子もそう思いますっ!」
「お前は俺のおばあちゃんか」
「じゃあ……子にも衣装?」
「何で馬が取れるんだよ。その言い方だと俺がみさとの子みたいじゃねえか」
「じゃあじゃあ、馬にも衣装だね!」
「それは傷つくから、ちょっとやめてくれ三縁……」
「ああ、馬鹿にも衣装ね」
「お前は全力で黙ってろ豊岸」
「ケンジくんにも衣装ですね!」
「何で俺限定なんだよ」
「意味は何かしら? 『ケンジみたいに胡散臭そうなのでもそれなりに格好がつく』とか?」
「意味を考えなくていいからな?」
新しいことわざの誕生……いや、しねえよ。
ふと車窓から町並みに視線を向けると、浴衣で同じ方向に向かって歩いている人たちが何人も見える。
「やっぱり夏祭りだから、結構人が来るんだろうな」
「まあ、夏の思い出としてみんな行くと思うわよ」
俺の呟きに京香も窓の方を向く。
「ふと思ったが、女性の浴衣の柄って花柄が多いな。お前らも含めて」
「……あのね、志野くん。プールの時にも言ったと思うけど、小説のキャラみたいに誰もがそれぞれ違う柄の浴衣を着るわけじゃないんだからね」
と、豊岸が咎めるように説明すると、三縁も会話に参加してくる。
「ケンジくん、さっきから花柄花柄って一纏めしてるけど、その花にだって色々種類があるんだよ?」
「へえ、そうなのか」
「牡丹、芍薬、撫子、菖蒲、桜、椿水仙、藤、梅、朝顔、薔薇……これくらい知っておきなさい、日本人なら普通でしょう?」
そんなに多く言えるのは果たして普通なのだろうかと京香の記憶力に感心しつつ、そう言われると京香たちも花柄と言ってもみんな違う種類なんだなあ、と改めて色とりどりの姿を見つめる。
「到着しました」
と、運転手(確か右舷さんって名前の人だ)は静かに車を止める。
「ここからは車で行けませんので……」
「わかりました、じゃあ私たちは歩いていくんでここまでで結構です。じゃあ行きましょう、皆さんっ!」
優梨がリムジンから降り、それに続いていく。
「……お嬢様。何度も言っていることですが、勝手な行動は慎むようにとご主人様が何度も――」
「ケンジくーんっ。行きますよーっ!」
今にも泣きそうな運転手の言葉は優梨に耳が入らなかったようで、俺は若干涙目になっている運転手に軽く頭を下げる。
この人も苦労しているんだな……。
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