魔法世界の例外術者《フェイク・マジック》 - 魔力とは無力である -
夏休みといえば:
「あ、ケンジ! いいところに!」
今日は昼で学校は終わりだったので、急いで教室に戻って自分のバッグを持った後に俺はすぐさま自分の寮へと逃げ込んだ。
男子禁制の女子寮なら流石の男子も追ってはこれないだろう。……その男子禁制の場所に平然と出入りしている俺はなんなのだろうか、と疑問に思うが。
そしてとりあえず荷物をまとめようと部屋に戻ろうとしていたところ。
途中で突然背後から話しかけられ、振り返るとそこには京香の姿があった。
「……? どうした、何かやってほしいことでもあるのか?」
「ええ、ただ頼んでいるのは私じゃなくて比良坂先輩だけどね。ちょっと人手が必要なんだって」
「ふうん……」
まあどうせやることと言っても部屋の中の物を荷物に詰め込むだけだ。比良坂先輩の方を優先するか。
そうして食堂へと向かっていく京香の後をついていく。
食堂に入るとそこには何人ものの女子生徒が机や椅子を持って右往左往していた。
「あっ、ケンジくん! 手伝いにきてくれたの?」
と、その中の一人――女子寮の寮長比良坂やよい先輩がニコニコとして俺の方へと歩いてくる。
「ええ、まあ」
「なら早速やって欲しいことがあるの。食堂はもう人手が足りているんだけど、稽古場が誰も片付けできてないのよ。うーん……そうね、よかったら京香ちゃんと二人で片付けしてくれる?」
「なるほど」
稽古場には畳の他にダンベルやそれを入れる棚、その他の器具など色々置いてある。あそこも片付けなければいけないだろう。
しかもあそこにある物は結構重かったりする。その事を考えると男である俺に任せた方が効率がいい。
ただ、わからないことがある。
「どうして京香と二人っきりなんですか? 他の人を呼んだ方が効率がいいんではないのでは?」
「ええっと、それは……」
と、何でもズバズバと言う比良坂先輩にしては珍しく口ごもる。
……? 何をそんなに困ったような顔をしているのか。
「……とにかく! とりあえず今は二人でやっていて! こっちが終わったらそっちに何人か手伝いに行かせるから!」
「は、はあ……」
まあ、要するに片付ければいいのだろう。
俺はどこか納得できないような気持ちのまま、稽古場へと向かう事にする。
どうして二人っきりなのだろう? ……京香が望んでいた、とか?
と、チラリと隣を見ると、同じくなんで二人だけなのかと不思議そうな顔をしている京香が。
どうやら京香にもよくわかってないらしかった。
* * *
「じゃあケンジ。まずは小道具から片付けていきましょう。畳とか大きいものは後の方がいいわ」
「そうだな」
俺は頷き、棚の中にあるダンベルを一つ持ち上げる。
結構重いなこれ……。今まで一度も使ったことなかったけど、夏休みが明けたらこれでトレーニングをしてみることにしよう。
ある程度の小道具は片付けると次は畳のような、一人では持ち上げられない物を京香と運んでいく。
「……いや、浮遊魔法を使えば私一人で十分なんだけどね」
「じゃあ俺は必要ないよな……」
「そうよね、大体そんなに早めにやって欲しければもっと人を呼べばいいのに、なんで二人である必要があるのかしらね?」
「さあな、俺にもよくわからん」
「……それに最近あんたと二人っきりだと調子狂うのよ」
「なんだそりゃ、稽古の時とかは特に気にしてないじゃねえか」
「稽古中は集中しているから大丈夫――あっ」
京香はふと何かに気がついたような顔をする。
「夏休み中、稽古はできないわね……」
「……ああ、そうなるな」
その事に関しては俺も気がついていたのだが――まあ敢えて言わなかった。
何故ならば。
「日課のように行っている事をやらなくなるのは――何だか寂しいから、あんまり考えないようにしてたんだけどな」
「そうね、私も少し寂しく思うわ」
俺の意見に同意する京香。
……まあ今言った事はただの建前ってやつだけど。
いつも付き合ってくれている。
京香に会えなくなるのは寂しい――これが俺の本音に当たるところだ。
でも、こんな本音言える訳がないだろう?
だって恥ずかしいじゃないか。
「……ケンジ」
「ん?」
そんな風に少し憂鬱な気分になっていると、後ろから京香に声をかけられて振り向く。
と。
振り向いた途端にガッと両肩を掴まれて、俺は思わず左足を左に移動させて身構える。
が。
「うおっ――!?」
京香は俺の肩を掴んだまま――軸足である右足のアキレス腱辺りに足を入れられ、そのまま払われる。
バランスを失った俺はそのまま畳へと倒れる。
いや、まだ畳片付けてなくてよかった。
フローリングとかだと痛そうだし。
京香はそのまま俺に跨り、俺に向かって手を伸ばす。
そこで、京香の動きが止まった。
「……足払いにこんなに簡単にかかるなんてケンジもまだまだね。今、魔法模擬戦で私が炎魔法を出していればあんたは確実に負けていたわよ?」
「いや、いきなりそんな事を言われても……っていうか、いきなり何をするんだお前は」
と、狼狽する俺に京香はこの体勢のまま、ニヤリと笑う。
「あんたがそんな情けない顔をしてるからよ。心配しなくともケンジは見ての通りまだまだだから、夏休みが明けたらきっちりとまた稽古してあげるわ」
「…………」
京香なりの励まし方、なのだろうか。
別に今後一切出来なくなるわけではないんだから――そういう意味を込めての。
「……ああ、じゃあまた夏休み明けにでも頼むぞ」
「ええ、任せなさい!」
京香の笑顔に俺もつられて笑う。
そしてそんな俺と京香を稽古場のドア付近でポカンとした目で見ているのは。
豊岸千恵子と柏原優梨の二人。どちらとも知り合いである。
どうやら稽古場の片付けを手伝いに来てくれたようだ。……なのだが。
「「…………」」
よく考えてみるとこの状況、傍から見れば京香が俺を押し倒しているような体勢になっているよな。
つまり、それは……。
「……行きましょう、優梨さん。片付けと称して熱い時間を過ごしているお二人を邪魔したら悪いわ」
「そ、そそそうですね! 二人共お幸せに!」
「「ちょっと待てえええええええええええええええええええ!」」
顔色一つ変えない豊岸と顔を真っ赤にしている優梨がそそくさと去ろうとして、俺と京香は誤解を解く為に二人を必死に止めにかかった。
* * *
七月二十五日十一時五十分。俺は大きな荷物を持ちながら炎天下の中で学校の正門へと歩いていた。
「あっ、ケンジくーんっ! こっち、こっち!」
とそんな俺にブンブンと元気に手を振るのは麦わら帽子を被っている三縁である。
「よう、三縁。約束した時間は十二時だったはずなんだが……随分と早いな」
「まあねー!」
「いや、大丈夫か……? その、熱中症とか」
「大丈夫! それに日焼け止めクリームも塗ってるからね!」
「そ、そうか……」
三縁はニコニコとしたまま「じゃあ案内しましょう!」と言って、俺の手を取る。
「お、おいっ……」
「ん? 駄目かな?」
「いや、そうじゃないけど……少し、恥ずかしいんだが」
「あはは、それならこう考えたらいいと思うよ」
「ん?」
「ケンジくんは迷子の男の子で私が案内する優しいお姉さん、っていう感じで」
「余計恥ずかしいわ!」
それだとその俺は絶対小学一年生辺りかそれ以下じゃねえか。
「しかもさりげなく自分をお姉さんと格上げしているし……」
「いやいや、私は立派なお姉さんだよ!」
「……そうか?」
俺は学校での三縁を思いだす。
俺のノートに落書きする三縁。
京香にベタベタとくっつく三縁。
豊岸にペラペラと一人で喋っている三縁。
新聞紙でボールを作ってキャッチボールする男子達に混ざる三縁。
……三縁は充分に子供だと思うんだが。
「最近はちゃんと授業のノートを取るようになったよ!」
「随分と低レベルだ……」
「身長も157.5センチになったよ!」
「随分と可愛いお姉さんだな」
「やだケンジくん、お姉さんだなんて」
「随分と都合のいい耳だな、おい!」
その前の「可愛い」はどこへ行った。
っていうか、普通ならそこを取るだろうが。
「でも私より背の低い京香っちは何だかお姉さんっぽいよ?」
「あれは性格が、だろ」
「うーん、あんな風に世話好きになればいいのか……うん、無理だね!」
「即答かよ……」
「いや、だって考えてみなよ? 京香っちって本当に面倒見がいいんだよ? 朝早くに寝坊気味の優梨っちを起こして、いつも騒がしい男子達を静かにさせて、困っている生徒には手を貸してあげて、先生の手伝いもきちんとこなして……なんか本当にお姉さんって感じだよね」
「まあ、そうだな……」
改めるとすごいな京香は。
今思い返すと、京香があの性格だったからこそ俺はあの時救われたのだと思う。
自分が一人で勝手に劣等感を抱いているあの時、「そんな事を気にするんじゃないわよ」というかの風に前を向かせるかのように接してくれた京香だからこそ。
「その中でもケンジくんに対しては特別だよね!」
「えっ……そうか?」
「そうだよ! 朝も一緒、昼も一緒、放課後には二人で勉強してるんだって?」
「いや、たまに優梨も一緒に勉強する事もあるぞ?」
「それでも京香っちはケンジくんといつも一緒じゃん!」
うーん、よく考えてみるとそんな感じがするな。
夜には俺の稽古も付き合ってくれるし。
「二人共気がついてないと思うけど、一部の……っていうかAクラスのみんなはケンジくん達の事を『夫婦みたい』って言ってるよ?」
「そ、そうだったのか……」
「それに……女子寮にある稽古場で何かしてるんだって?」
「さも如何わしいようなその言い方はやめてくれ。普通に稽古だ」
「でも、体育祭前では京香っちとケンジくんが抱き合ってたって優梨っちから聞いたよ?」
「いや、それは誤解なんだ……」
「つい最近には京香っちがケンジくんを押し倒してたって千恵子っちが言ってたよ?」
「それも誤解なんだって!」
というか、寮生じゃない三縁にも知れ渡っていたのか。情報網というのは恐ろしいものだ。
「さてさて、着いたよ! ここがザ・三縁っちハウスだ!」
と、話している内にどうやら着いたようだ。俺はふと三縁が指を指す方向を見る。
そこには七階建てで薄い水色のマンション。
「まあハウスっていうか、マンションだけどね――こっちこっち!」
と三縁に手を引かれるがままに玄関ホール――というのだろうか――へと向かう。
三縁はポケットからカードを取り出す。
そして玄関ホールを塞いでいるガラス張りのドアに設置されている機械にそのカードを当てる。
ピッという音がしてドアが開き、三縁と俺は中へと入る。
「さっきのは魔法式セキュリティロックって言って、魔法で動くセキュリティーなんだよ」
「へえ、魔法で動くっていうと?」
「カードに魔法陣が描かれていてあの機械に当てるとそのカードの魔法が発動して、それを機械が読み取るって仕組みなの」
「誰か友達とか来た場合は?」
「あの機械の隣に0から9の数字のボタンがあったでしょ?それで用がある人の号室を入力すると、その人の部屋に連絡が入るんだ」
「なるほど……」
防犯セキュリティーにも魔法は使われているのか。
エレベレーターの中に乗り込み、三縁は『4』のボタンを押す。三縁の部屋は四階か。
まもなくエレベーターは四階へと着き、三縁は『408』のプレートがあるドアの前へと立つ。
「ささ、あがって!」
「お、お邪魔します……」
俺は少し緊張しながらも、中へと入る。
まず小さな玄関がお出迎えをして、すぐ右側に見えたのがキッチン。そして向かい側の壁にはドアが二つ。おそらくトイレと浴室だろう。
そして更に歩いていくと低いテーブルが一つ。ここで食事をするのだろうか。
そして奥には扉が一つある。
「まあ1DKだけどね――一人暮らしには十分なくらいだよ」
「……三縁って一人暮らしなのか?」
「うん、まあね!」
へえ、てっきり家族と暮らしているのかと思った。
そうか、三縁が一人暮らしか……。
「……なんか、想像がつかん」
「む、今失礼な事考えていたでしょ」
と、三縁は口をへの字に曲げる。
俺は曖昧に笑いながら話題を変えることにする。
「そ、そうだ。荷物はどこに置いたほうがいい?」
「あっ、奥の部屋に適当に置いといていいよ」
と三縁に言われたので俺は奥のドアを開く。
ドアを開けると洋室になっていて、テレビと机、タンス、それにベッドが一つあり、その奥はベランダがある。
「ふむ……」
何というか……結構綺麗に片付けられているな。
きっちりと物は整理してあるし。
「ふふん、どうだ。今日ケンジくんが来るので急いで大掃除したこの結果は!」
「いや、そういう事は言うなよ」
普段は片付けてないことが丸分かりじゃねえか。
「ではでは、これから約一ヶ月間よろしくお願いします!」
「ああ、よろしくお願いする」
「この家に住むって事はケンジくんは私の家族に入るって意味だよ! 私がお姉さんだからね!」
「それはちょっと……」
頼りない姉だな。
「じゃあ荷物を置いたら出かけるよ!」
「出かけるって……どこに?」
「もちろん、スーパーに!」
* * *
俺は手ぶらで、三縁はバッグと財布を片手にスーパーへと向かう。
「なんか悪いな。俺も後で払った方が……」
「いやいや、別にいいよ。いつも生活費は余っちゃっているくらいだから、むしろ丁度いいんだよ!」
「そ、そうなのか……。ところで生活費って誰から貰っているんだ? 両親からか?」
俺は何故か理事長から貰っていたりする。
最初は躊躇った俺に、「君がこの学園にいるだけで、私にとっては十二分に利益なのだよ」とかわけのわからない事を言いながら。
三縁も両親とかに貰っているのだろうか、それともバイトをしているのか?
結果的に言うと、それはどちらとも不正解であり、三縁はフルフルと首を横に振る。
いつも通りの、眩い笑顔のまま。
「ううん、親戚から。私の両親は……事故で亡くなっているから」
「っ……。…………そうか」
それを聞いた途端、「ごめん」という謝罪の言葉が喉までこみ上げてきた。
だが、「その人にとって何よりも辛いのは、同情される事。その事について『可哀想だ』って言うと『自分は可哀想なんだ』と思ってしまうから。だから『そうなんだ』という風に、あまり気にしない方がその人にとって何よりも気が楽なのよ」と京香が以前言っていた言葉を思いだし、必死になって言葉を呑み込む。
そうして出てきた返事はたった三文字の、素っ気ない言葉だった。
そんな反応に三縁はチラリと俺を見る。
俺は一瞬、ちょっと素っ気なさ過ぎたか、と少し焦って言葉を続ける。
「あっ……いや、ほら。俺も両親がいない、みたいだし」
「……そうだよね。ケンジくんも私と一緒みたいなもんか。っていうか、そんなに焦って言わなくてもいいよ。ただ反応が若干京香っちに似ていたなあって思って」
「まあ、それは……京香に教えてもらったからな」
「京香っちに話したときは抱きしめてきて、一瞬理解できなかったけどね。あはは」
「そうか……」
そういえば、俺の時は撫でてきたな、と今になっては少し懐かしい記憶が蘇る。
少し懐かしい、か。
それほどまでに――俺は京香と、みんなと過ごしてきたんだな。
「まあまあ、それはそうとして、生活費の面はこの三縁っちに任せておけとの事だよ。何と言ったって、今はお姉さんだから!」
「……ありがとな」
俺は宿泊含めての感謝の意を込めて、改めて三縁に頭を下げた。
今日は昼で学校は終わりだったので、急いで教室に戻って自分のバッグを持った後に俺はすぐさま自分の寮へと逃げ込んだ。
男子禁制の女子寮なら流石の男子も追ってはこれないだろう。……その男子禁制の場所に平然と出入りしている俺はなんなのだろうか、と疑問に思うが。
そしてとりあえず荷物をまとめようと部屋に戻ろうとしていたところ。
途中で突然背後から話しかけられ、振り返るとそこには京香の姿があった。
「……? どうした、何かやってほしいことでもあるのか?」
「ええ、ただ頼んでいるのは私じゃなくて比良坂先輩だけどね。ちょっと人手が必要なんだって」
「ふうん……」
まあどうせやることと言っても部屋の中の物を荷物に詰め込むだけだ。比良坂先輩の方を優先するか。
そうして食堂へと向かっていく京香の後をついていく。
食堂に入るとそこには何人ものの女子生徒が机や椅子を持って右往左往していた。
「あっ、ケンジくん! 手伝いにきてくれたの?」
と、その中の一人――女子寮の寮長比良坂やよい先輩がニコニコとして俺の方へと歩いてくる。
「ええ、まあ」
「なら早速やって欲しいことがあるの。食堂はもう人手が足りているんだけど、稽古場が誰も片付けできてないのよ。うーん……そうね、よかったら京香ちゃんと二人で片付けしてくれる?」
「なるほど」
稽古場には畳の他にダンベルやそれを入れる棚、その他の器具など色々置いてある。あそこも片付けなければいけないだろう。
しかもあそこにある物は結構重かったりする。その事を考えると男である俺に任せた方が効率がいい。
ただ、わからないことがある。
「どうして京香と二人っきりなんですか? 他の人を呼んだ方が効率がいいんではないのでは?」
「ええっと、それは……」
と、何でもズバズバと言う比良坂先輩にしては珍しく口ごもる。
……? 何をそんなに困ったような顔をしているのか。
「……とにかく! とりあえず今は二人でやっていて! こっちが終わったらそっちに何人か手伝いに行かせるから!」
「は、はあ……」
まあ、要するに片付ければいいのだろう。
俺はどこか納得できないような気持ちのまま、稽古場へと向かう事にする。
どうして二人っきりなのだろう? ……京香が望んでいた、とか?
と、チラリと隣を見ると、同じくなんで二人だけなのかと不思議そうな顔をしている京香が。
どうやら京香にもよくわかってないらしかった。
* * *
「じゃあケンジ。まずは小道具から片付けていきましょう。畳とか大きいものは後の方がいいわ」
「そうだな」
俺は頷き、棚の中にあるダンベルを一つ持ち上げる。
結構重いなこれ……。今まで一度も使ったことなかったけど、夏休みが明けたらこれでトレーニングをしてみることにしよう。
ある程度の小道具は片付けると次は畳のような、一人では持ち上げられない物を京香と運んでいく。
「……いや、浮遊魔法を使えば私一人で十分なんだけどね」
「じゃあ俺は必要ないよな……」
「そうよね、大体そんなに早めにやって欲しければもっと人を呼べばいいのに、なんで二人である必要があるのかしらね?」
「さあな、俺にもよくわからん」
「……それに最近あんたと二人っきりだと調子狂うのよ」
「なんだそりゃ、稽古の時とかは特に気にしてないじゃねえか」
「稽古中は集中しているから大丈夫――あっ」
京香はふと何かに気がついたような顔をする。
「夏休み中、稽古はできないわね……」
「……ああ、そうなるな」
その事に関しては俺も気がついていたのだが――まあ敢えて言わなかった。
何故ならば。
「日課のように行っている事をやらなくなるのは――何だか寂しいから、あんまり考えないようにしてたんだけどな」
「そうね、私も少し寂しく思うわ」
俺の意見に同意する京香。
……まあ今言った事はただの建前ってやつだけど。
いつも付き合ってくれている。
京香に会えなくなるのは寂しい――これが俺の本音に当たるところだ。
でも、こんな本音言える訳がないだろう?
だって恥ずかしいじゃないか。
「……ケンジ」
「ん?」
そんな風に少し憂鬱な気分になっていると、後ろから京香に声をかけられて振り向く。
と。
振り向いた途端にガッと両肩を掴まれて、俺は思わず左足を左に移動させて身構える。
が。
「うおっ――!?」
京香は俺の肩を掴んだまま――軸足である右足のアキレス腱辺りに足を入れられ、そのまま払われる。
バランスを失った俺はそのまま畳へと倒れる。
いや、まだ畳片付けてなくてよかった。
フローリングとかだと痛そうだし。
京香はそのまま俺に跨り、俺に向かって手を伸ばす。
そこで、京香の動きが止まった。
「……足払いにこんなに簡単にかかるなんてケンジもまだまだね。今、魔法模擬戦で私が炎魔法を出していればあんたは確実に負けていたわよ?」
「いや、いきなりそんな事を言われても……っていうか、いきなり何をするんだお前は」
と、狼狽する俺に京香はこの体勢のまま、ニヤリと笑う。
「あんたがそんな情けない顔をしてるからよ。心配しなくともケンジは見ての通りまだまだだから、夏休みが明けたらきっちりとまた稽古してあげるわ」
「…………」
京香なりの励まし方、なのだろうか。
別に今後一切出来なくなるわけではないんだから――そういう意味を込めての。
「……ああ、じゃあまた夏休み明けにでも頼むぞ」
「ええ、任せなさい!」
京香の笑顔に俺もつられて笑う。
そしてそんな俺と京香を稽古場のドア付近でポカンとした目で見ているのは。
豊岸千恵子と柏原優梨の二人。どちらとも知り合いである。
どうやら稽古場の片付けを手伝いに来てくれたようだ。……なのだが。
「「…………」」
よく考えてみるとこの状況、傍から見れば京香が俺を押し倒しているような体勢になっているよな。
つまり、それは……。
「……行きましょう、優梨さん。片付けと称して熱い時間を過ごしているお二人を邪魔したら悪いわ」
「そ、そそそうですね! 二人共お幸せに!」
「「ちょっと待てえええええええええええええええええええ!」」
顔色一つ変えない豊岸と顔を真っ赤にしている優梨がそそくさと去ろうとして、俺と京香は誤解を解く為に二人を必死に止めにかかった。
* * *
七月二十五日十一時五十分。俺は大きな荷物を持ちながら炎天下の中で学校の正門へと歩いていた。
「あっ、ケンジくーんっ! こっち、こっち!」
とそんな俺にブンブンと元気に手を振るのは麦わら帽子を被っている三縁である。
「よう、三縁。約束した時間は十二時だったはずなんだが……随分と早いな」
「まあねー!」
「いや、大丈夫か……? その、熱中症とか」
「大丈夫! それに日焼け止めクリームも塗ってるからね!」
「そ、そうか……」
三縁はニコニコとしたまま「じゃあ案内しましょう!」と言って、俺の手を取る。
「お、おいっ……」
「ん? 駄目かな?」
「いや、そうじゃないけど……少し、恥ずかしいんだが」
「あはは、それならこう考えたらいいと思うよ」
「ん?」
「ケンジくんは迷子の男の子で私が案内する優しいお姉さん、っていう感じで」
「余計恥ずかしいわ!」
それだとその俺は絶対小学一年生辺りかそれ以下じゃねえか。
「しかもさりげなく自分をお姉さんと格上げしているし……」
「いやいや、私は立派なお姉さんだよ!」
「……そうか?」
俺は学校での三縁を思いだす。
俺のノートに落書きする三縁。
京香にベタベタとくっつく三縁。
豊岸にペラペラと一人で喋っている三縁。
新聞紙でボールを作ってキャッチボールする男子達に混ざる三縁。
……三縁は充分に子供だと思うんだが。
「最近はちゃんと授業のノートを取るようになったよ!」
「随分と低レベルだ……」
「身長も157.5センチになったよ!」
「随分と可愛いお姉さんだな」
「やだケンジくん、お姉さんだなんて」
「随分と都合のいい耳だな、おい!」
その前の「可愛い」はどこへ行った。
っていうか、普通ならそこを取るだろうが。
「でも私より背の低い京香っちは何だかお姉さんっぽいよ?」
「あれは性格が、だろ」
「うーん、あんな風に世話好きになればいいのか……うん、無理だね!」
「即答かよ……」
「いや、だって考えてみなよ? 京香っちって本当に面倒見がいいんだよ? 朝早くに寝坊気味の優梨っちを起こして、いつも騒がしい男子達を静かにさせて、困っている生徒には手を貸してあげて、先生の手伝いもきちんとこなして……なんか本当にお姉さんって感じだよね」
「まあ、そうだな……」
改めるとすごいな京香は。
今思い返すと、京香があの性格だったからこそ俺はあの時救われたのだと思う。
自分が一人で勝手に劣等感を抱いているあの時、「そんな事を気にするんじゃないわよ」というかの風に前を向かせるかのように接してくれた京香だからこそ。
「その中でもケンジくんに対しては特別だよね!」
「えっ……そうか?」
「そうだよ! 朝も一緒、昼も一緒、放課後には二人で勉強してるんだって?」
「いや、たまに優梨も一緒に勉強する事もあるぞ?」
「それでも京香っちはケンジくんといつも一緒じゃん!」
うーん、よく考えてみるとそんな感じがするな。
夜には俺の稽古も付き合ってくれるし。
「二人共気がついてないと思うけど、一部の……っていうかAクラスのみんなはケンジくん達の事を『夫婦みたい』って言ってるよ?」
「そ、そうだったのか……」
「それに……女子寮にある稽古場で何かしてるんだって?」
「さも如何わしいようなその言い方はやめてくれ。普通に稽古だ」
「でも、体育祭前では京香っちとケンジくんが抱き合ってたって優梨っちから聞いたよ?」
「いや、それは誤解なんだ……」
「つい最近には京香っちがケンジくんを押し倒してたって千恵子っちが言ってたよ?」
「それも誤解なんだって!」
というか、寮生じゃない三縁にも知れ渡っていたのか。情報網というのは恐ろしいものだ。
「さてさて、着いたよ! ここがザ・三縁っちハウスだ!」
と、話している内にどうやら着いたようだ。俺はふと三縁が指を指す方向を見る。
そこには七階建てで薄い水色のマンション。
「まあハウスっていうか、マンションだけどね――こっちこっち!」
と三縁に手を引かれるがままに玄関ホール――というのだろうか――へと向かう。
三縁はポケットからカードを取り出す。
そして玄関ホールを塞いでいるガラス張りのドアに設置されている機械にそのカードを当てる。
ピッという音がしてドアが開き、三縁と俺は中へと入る。
「さっきのは魔法式セキュリティロックって言って、魔法で動くセキュリティーなんだよ」
「へえ、魔法で動くっていうと?」
「カードに魔法陣が描かれていてあの機械に当てるとそのカードの魔法が発動して、それを機械が読み取るって仕組みなの」
「誰か友達とか来た場合は?」
「あの機械の隣に0から9の数字のボタンがあったでしょ?それで用がある人の号室を入力すると、その人の部屋に連絡が入るんだ」
「なるほど……」
防犯セキュリティーにも魔法は使われているのか。
エレベレーターの中に乗り込み、三縁は『4』のボタンを押す。三縁の部屋は四階か。
まもなくエレベーターは四階へと着き、三縁は『408』のプレートがあるドアの前へと立つ。
「ささ、あがって!」
「お、お邪魔します……」
俺は少し緊張しながらも、中へと入る。
まず小さな玄関がお出迎えをして、すぐ右側に見えたのがキッチン。そして向かい側の壁にはドアが二つ。おそらくトイレと浴室だろう。
そして更に歩いていくと低いテーブルが一つ。ここで食事をするのだろうか。
そして奥には扉が一つある。
「まあ1DKだけどね――一人暮らしには十分なくらいだよ」
「……三縁って一人暮らしなのか?」
「うん、まあね!」
へえ、てっきり家族と暮らしているのかと思った。
そうか、三縁が一人暮らしか……。
「……なんか、想像がつかん」
「む、今失礼な事考えていたでしょ」
と、三縁は口をへの字に曲げる。
俺は曖昧に笑いながら話題を変えることにする。
「そ、そうだ。荷物はどこに置いたほうがいい?」
「あっ、奥の部屋に適当に置いといていいよ」
と三縁に言われたので俺は奥のドアを開く。
ドアを開けると洋室になっていて、テレビと机、タンス、それにベッドが一つあり、その奥はベランダがある。
「ふむ……」
何というか……結構綺麗に片付けられているな。
きっちりと物は整理してあるし。
「ふふん、どうだ。今日ケンジくんが来るので急いで大掃除したこの結果は!」
「いや、そういう事は言うなよ」
普段は片付けてないことが丸分かりじゃねえか。
「ではでは、これから約一ヶ月間よろしくお願いします!」
「ああ、よろしくお願いする」
「この家に住むって事はケンジくんは私の家族に入るって意味だよ! 私がお姉さんだからね!」
「それはちょっと……」
頼りない姉だな。
「じゃあ荷物を置いたら出かけるよ!」
「出かけるって……どこに?」
「もちろん、スーパーに!」
* * *
俺は手ぶらで、三縁はバッグと財布を片手にスーパーへと向かう。
「なんか悪いな。俺も後で払った方が……」
「いやいや、別にいいよ。いつも生活費は余っちゃっているくらいだから、むしろ丁度いいんだよ!」
「そ、そうなのか……。ところで生活費って誰から貰っているんだ? 両親からか?」
俺は何故か理事長から貰っていたりする。
最初は躊躇った俺に、「君がこの学園にいるだけで、私にとっては十二分に利益なのだよ」とかわけのわからない事を言いながら。
三縁も両親とかに貰っているのだろうか、それともバイトをしているのか?
結果的に言うと、それはどちらとも不正解であり、三縁はフルフルと首を横に振る。
いつも通りの、眩い笑顔のまま。
「ううん、親戚から。私の両親は……事故で亡くなっているから」
「っ……。…………そうか」
それを聞いた途端、「ごめん」という謝罪の言葉が喉までこみ上げてきた。
だが、「その人にとって何よりも辛いのは、同情される事。その事について『可哀想だ』って言うと『自分は可哀想なんだ』と思ってしまうから。だから『そうなんだ』という風に、あまり気にしない方がその人にとって何よりも気が楽なのよ」と京香が以前言っていた言葉を思いだし、必死になって言葉を呑み込む。
そうして出てきた返事はたった三文字の、素っ気ない言葉だった。
そんな反応に三縁はチラリと俺を見る。
俺は一瞬、ちょっと素っ気なさ過ぎたか、と少し焦って言葉を続ける。
「あっ……いや、ほら。俺も両親がいない、みたいだし」
「……そうだよね。ケンジくんも私と一緒みたいなもんか。っていうか、そんなに焦って言わなくてもいいよ。ただ反応が若干京香っちに似ていたなあって思って」
「まあ、それは……京香に教えてもらったからな」
「京香っちに話したときは抱きしめてきて、一瞬理解できなかったけどね。あはは」
「そうか……」
そういえば、俺の時は撫でてきたな、と今になっては少し懐かしい記憶が蘇る。
少し懐かしい、か。
それほどまでに――俺は京香と、みんなと過ごしてきたんだな。
「まあまあ、それはそうとして、生活費の面はこの三縁っちに任せておけとの事だよ。何と言ったって、今はお姉さんだから!」
「……ありがとな」
俺は宿泊含めての感謝の意を込めて、改めて三縁に頭を下げた。
コメント