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共感による感動のメカニズム

共感による感動のメカニズム

物語的感動とは、カタルシス(つまりは不から正への変換)によって起こる。
しかしその物語的感動とは別に、泣けるシーンと言うものは存在する。
例えば、助けてくれていた存在が消えるとき。
例えば、主人公が大きな決意するとき。
例えば、主人公が己の弱さをさらけ出すとき。
例えば、ヒロインが勇気を出して告白するとき。
これらのシーンは、中には最後の方であり、カタルシスも同時に得ている場合があるが、そのほとんどは物語の途中で起きる。
しかし物語的感動とは違うその感動(つまりは感情の変動(喜怒哀楽の発露))。
それを私は、共感による感動と名付けた。
そしてこの共感による感動で揺さぶられる感情とは、「喜びなどのプラスの感情」または「悲しみなどのマイナスの感情」である。
つまり、助けの消失による悲しみと言うマイナスの感情や、決意による驚きや称賛などのプラスの感情。
更には弱さを認める強さへの憧れと言うプラスの感情や自分には無い強さへの嫉妬と言うマイナスの感情。
勇気を出したヒロインへの賛同や応援などのプラスの感情と、羨ましいなどのマイナスの感情。
ではこれから、その共感による感動が起きるメカニズムについて記していく。

①共感による感動とは、「認識」→「把握」→「共感」の流れで行われる。
つまりはそのシーンを認識し、そこに込められているモノを把握し、それに自らが共感する。
これによって、共感による感動は発生する。
では早速、各項目について詳細を示していこう。

まず一番最初、「認識」である。
これはすなわち、そのシーンを認めると言うことだ。
より詳しく書くならば、「セリフ」や「表情」や「場面(つまりは背景描写)」や「感情(そのシーンに溢れている想い)」を認識すること。
これがまず最初に行われ、次の「把握」へと繋がっていく。
逆に言うならば、シーンによる感動を得ることが難しい人間と言うのはまず最初にこの部分で躓いている事が多い。
つまりは「感動できるシーン」なのに、その「感動」に繋がる部分を正しく認識できていないわけだ。
それはすなわち、感受性が乏しいと言えるのかもしれない。
話がそれたが、とにかくこの「認識」をきちんと一番最初に行わせる事で、共感による感動を相手に与える第一歩とすることができるのだ。

次に来るのが、「把握」である。
この「把握」とはすなわち、シーンの「理解」である。
人はこの「理解」を行う際、まずは自らの体験と結びつける。
つまりは今までの経験から、現状つまりはそのシーンにもっとも近い比較対象を選択する。
そしてシーンと体験とで比較を行うことで、そのシーンが自分にとってどんな感情な感覚や想いを「把握」する。
これにより次の行程である「共感」に繋がるのだ。
もし友人が感動(例えば号泣)しているシーンであなたが泣けなかったのなら、それはあなたがそのシーンのような体験をしていない(もしくは重要としていない)と言うことなのかもしれない。
例を出すなら、友人同士の仲直りのシーンがあったとして、そのシーンで泣ける存在と言うのは、そのまま似たような体験をして、泣いたことがあると言うことなのである。

続いて最後に「共感」である。
これはつまり、そのまま比較として思い出したシーンで感じた感情を、そのままシーンを見た時の感情として反応する事である。
つまりは助けの存在の消失と言うシーンを見たとして、そのシーンに似た体験(例えば両親や親戚やペットなどの死など)を思い出し、それに対して悲しいと感じたなら、そのシーンを見て悲しみで涙するわけだ。

以上が共感による感動のメカニズムである。
世の中に王道と呼ばれる物語の流れが存在するのは、恐らくその王道と言う流れ(つまりはシーンの連続)に共感(つまりは似た体験による感動)を覚える人が多いからなのだと思われる。
そして、同じシーンで全員が同じではなく別の感情を表すのは、そのままたどってきた人生が違っている事の証明に他ならないのだ。
今回はここまで。
是非とも自分の作品に転用してみてほしい。



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