【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

74話: 再会

 ララティーナ・ゼンリルの居場所がわかった。

 その一報は、衝撃と快哉を持って迎えられることとなった。

「スミレ・テルシーのもっと詳しい捜査は母さんの方の人達に任せて、ララティーナ・ゼンリルの方に全員移動……あぁいや、一人引き継ぎで残せ。俺達で調べるぞ。ゼンリル子爵領に出入りした商人に接触して、ララティーナ・ゼンリルらしき人物を見たか裏を取れ。潜入班は今すぐ現地に向かえ。俺は今から屋敷に帰るから、質問等があれば今言ってくれ」

「ございません。必ずや、ヴィンセント様がお望みの結果を出してみせましょう」

「ははっ、頼りにしてるからな! ───アイカさん、歩きながら話しましょう」

 私はそれに頷いて、足早に進むヴィンセントに並んだ。

「陛下と両王妃殿下には、さっきの使者が同じ内容を伝えているはずなので報告は省くんですけど、いいっすか?」

『大丈夫。ユークライには私から伝えておくね』

「ありがたいっす。けど一応、身代わりにも報告のフリだけ必要なんで、俺が後で行きますね」

『ありがとう。よろしくね』

 今ユークライは精霊界にいるが、そのことを悟られないように信頼できる彼の部下に変装して身代わりを務めてもらっている。

「じゃあ俺はこっちに行くんで」

『また後でね』

 簡単な挨拶だけして、ラインハルトの私室へ向かう。
 歩きながら、自分の身体がいつもより軽く、足が軽快に動くことを感じた。まだ解決したわけではなく、今始まったばかり。頭が痛くなる問題が増えたことも理解している。
 それでも、見えた糸口に気分が上向きになるのは当然のことだった。

『アイカ様、何か良いことでも?』

 それはナツミにもわかったらしく、部屋に入るとすぐにそう声をかけられた。
 ライルに淹れてもらった紅茶に口をつけながら、私は頷く。

『ララティーナ・ゼンリルの居場所がわかった。今ヴィンセントのとこの人達が動いて、押さえようとしてくれてる』

『わたくし達はどう致します?』

『後ろに悪魔がいる可能性があるけど……でも、悪魔は基本的に人間に危害を加えないし、下手に刺激するのもまずいから』

『そうですわね』

 プライドが笑ってしまうくらい高い悪魔は、人間を舐めてかかっている。自分達で手を下す手間をかけるほど、重要視していないのだ。
 確証はない。だって彼らの横には色情の精霊がいるのだ。それでも、おそらくララティーナ・ゼンリルが追っ手を始末するなんてことはないだろうし、有り得るとすれば転移魔法で遠くに逃げられてしまうというケースだけだろう。

 そうなった場合は申し訳ないが、私達には他に割く人員がない。ヴェルスと揉めている今、彼に頼っていたところを全部自分でやらなくてはいけないのだ。
 こっちにいるアスクとナツミも、アスクに関しては半分療養のようなものだが、ナツミは霊属性を使えるアマリリスの護衛として滞在してもらっている。

『そういえばアイカ様。先程カイルから少し気になる連絡が』

『アマリリスに何かあったの?』

『なんと言いますか……。アマリリス様の魔力が、少々不自然な動きをしているそうですわ。なんでも、複数の意思があるとしか思えないような流れ方らしいですわ』

『……確かに気になるね。行ってみよっか』

 コップをソーサーの上に置く。かちゃりと軽い音が響く中、いきなり魔力の塊が飛んできた。

『アイカさま、アイカさま! たいへんだ、アマリリスが!』

 扉へ向きかけていた足を後ろに引き、部屋の奥にある窓へと走り寄る。
 鍵のかかっているそれを開け、身体を丸ごと乗り出した。

『アイカ様!?』

『ナツミはここで待機。私だけ行く』

 庭に囲まれた東棟から、カイルの森へは少し距離がある。本当は転移魔法で飛んでしまいたいが、魔力が不安定なアマリリスの近くで大きめの魔法を使う事は避けたいし、敵がいる可能性もあるのだ。加速魔法を使って、木や壁面を蹴りながら最短距離を進む。
 焦りが湧いてくるのを抑え、歯を食いしばった。
 身体の軸がぶれてバランスが崩れるのを、手で壁を押すことでどうにか回避する。

『アマリリス…!』

 やっと森が見えてきて、加速魔法を解除した。
 カイルの権威の一部である森の唯一の入口を潜り、最奥へと歩いて行く。あまりにも静まり返っていて、耳が痛くなる。
 最奥に踏み込むと、微かに声が聞こえてきた。

『……』

 扉越しだから、なんと言っているかはわからない。
 まだ怒号が飛び交っていないという事は襲撃ではないのか、と少し安心しながらドアノブに手をかけた。
 その瞬間、考えてもいなかった光景が目に飛び込んで来る。

『アイカ、久しぶり』

『…………リリエル。なんで』

 目を閉じたままのアマリリスが横たわる寝台に寄りかかるように座る、笑みを浮かべた精霊。
 身体が半透明なことが、彼女は普通の精霊ではないことを物語っている。

『アイカがアマリリスから私の記憶を封印した影響で、分離しちゃったのよ。あの子、自分の魔力を制御できてないみたいだから、一部を借り受けたらこうなったわ』

 私の記憶の片隅に残るのと同じ、夕陽を写したような赤橙色の髪に、宵の空のような藍色の瞳。
 見間違えるはずのない、私の仲間であり友人であり弟子であり、そして生まれ変わりであるリリエルだ。

『私の権威、アイカが持ってるみたいだけど……可哀想に。天災になっちゃったのね。知ってたけど、実際見ると悲しいわ』

『……大書庫にいたの?』

『そうよ。大書庫の番人とお喋りしたり外を見たりして時間潰してたけど、気付いてなかったの?』

『知ってるでしょ?全部"忘却"してたから、気付くも何もないでしょ』

 溜め息をつきたくなるのを抑えて、不安げな顔をしているカイルとその近くの精霊達に声をかける。

『安心して。敵じゃない。……ただちょっと、しばらく外してくれない?』

『……行くわよ、あなた達』

 カイルが渋る精霊達を部屋の外へと連れて行く。
 彼らの姿が小さくなっていくのを見送って、私はドアを閉めた。

『……リリエル』

 どんな言葉をかけていいのかわからず、思わず顔を背ける。
 今まで押し込めていた感情が暴れ出そうとする自分をどこか遠くで見ている私に、リリエルがふっと息を漏らした。

『とりあえず座ったら?』

『……そう、だね』

 混乱しながらも情報を整理しながら、手近な椅子に腰を下ろす。

 リリエルは嘘をついていない。つく意味がない。だから彼女の言った事は、本当なんだろう。
 とすれば、アマリリスはまだリリエルの記憶を取り戻していない。彼女がここにいるという事は、そういう事だ。

 このリリエルは、本物の彼女ではない。
 アマリリスの奥底に眠っていた───私が眠らせていた記憶から作られた、レプリカ。しかし、生前のリリエルと同じ記憶を保持しているわけだから、その考え方や話し方は全く一緒だ。

『アイカ、自分を責めてるの?』

 何に対して、という指示語が欠如しながらも、その短い問いかけは私の柔らかくて脆いところを簡単に貫いた。

『……責めてないと思う?』

 我ながら嫌な返し方だ。大抵の人であれば、この私の返答に顔をしかめたり悪態をついたりするんだろう。
 けれど、リリエルは平然と落ち着いたまま言葉を発した。

『思わないわ。あのアイカが、私の死に対して責任感を勝手に感じないなんて有り得ないもの』

『勝手にって…!』

『私を惜しんでくれた、守ろうとしてくれたその気持ちは嬉しい。当たり前よ。でも、私の落ち度に勝手に自分のものにしないで。あの失敗も、あの死も、あの悔しさも辛さも痛みも怒りも、全部私のものよ』

『……リリエル』

 私が口を開こうとした瞬間、リリエルがそれを遮った。

『それでアイカ、なんでアマリリスを騙したの? あんな嘘をつく必要、あった?』

『…………アマリリスに、リリエルの記憶を取り戻させるわけにはいかなかった。それに付随する私の記憶も』

『うーん』

 一人掛けのソファに座ったリリエルは、頬杖をつきながら足を組み換えた。

『わかんないのよ。私の記憶とアイカの記憶って、別にアマリリスの中にあってもいいんじゃない?害があるとは思えないけど』

『アマリリスは黒持ちなの。この国において、迫害の目印となる黒を持っていた。そんなアマリリスに悪魔に関する知識があったら、守りきれなくなる。そうでなくても、数百年分の記憶なんてものを人間が持っていたら、きっと歪んでしまう』

『それってアイカのわがままでしょ?』

 相変わらずリリエルは、的確で耳の痛いことを言う。
 それを否定することはできないが、無理矢理言葉をこねくり回して肯定的にする事はできる。

『そうね。でもそれで誰かを守れるなら、自分のわがままを押し通したいと思う。それがおかしい事なの?』

『少なくともアマリリスは、全てを知ることを望んだわ。あの子は強い。アイカが思ってる何十倍も』

 そうだった。
 リリエルはこんな私の性格を熟知している。彼女相手に言葉勝負をやるのは、時間の無駄だ。

『……どうせもう、全てを話したんでしょ。だったら今ここで何を話しても生産性はない。こんな無駄なことだけをしに来たのなら、帰って』

『違うわ。今のは私個人の用件。本当はもっと話したいけど、後で怒られちゃうから先に大事な事話すわね』

 リリエルは表情を固くしたまま、低い声で尋ねた。

『精霊の中に裏切り者がいるわよね?』

『……わかる?』

『アマリリスの感情を操ってた精霊がいるってことだけではあるけどね。アイカの愛し子にそんなことをするなんて、うっかりじゃ済まされないわ。明らかに、精霊に対して悪意を持っている者の仕業だもの』

 大書庫から一歩も出てない彼女でも気付くとことを全然わからなかったなんて、と自嘲気味になっていると、それを見透かしたようにリリエルが告げた。

『過去の記憶を全部思い出せないようにしてるから、こんなことになるのよ』

『……かもね。で、聞きたいのはこれだけ?』

『まだあるわ。聞きたい、っていうよりお願いなんだけど』

 嫌な予感がする。リリエルがするお願いには、ろくなものがなかったのだ。

『精巧に作られた等身大の人形を用意して欲しいの。二体。私とリコ用に』

『……自分が何言ってるかわかってるの、っていうお説教したいんだけど、とりあえずリコって誰?』

『記憶の精霊。心当たりあるはずなの、って伝えるように言われてるわ。……アイカ?』

 リコという名前に、聞き覚えは一切ない。
 けれど、自らを記憶の精霊と名乗るその存在に心当たりならある。

 封印した記憶。記憶の精霊の権威。そして、失ったいくばくかの魔力。

 苛立ちをぶつけるように───いや、実際ぶつけたのだ。どうしようもないほどの無力感と己への怒りを、自分の半身にぶつけた。
 大書庫の奥、何もない空間に閉じ込めた。私と同じように負の感情に囚われていた彼女を、全ての知識と記憶を奪った状態で。あの時、机と手帳と二つの椅子だけ残したのは、嫌がらせだった。
 感情以外の全部を失った彼女は、それにより肉体も退化したようで、まだ幼い頃に姿に戻っていた。

 彼女がどうやって言葉を話せるようになったかはわからないが、おそらくこの様子では記憶も取り戻したのだろう。権威も彼女に移っている可能性がある。

『……リコ、ね。で、あんたと彼女になんで人形を用意しなきゃいけないの?』

 嫌な予感が形を型取りはじめ、考えたくもない予想が頭をよぎるのを振り払いリリエルの返答を待つと、彼女は私の心内に気付いたようにいたずらっぽい笑みを浮かべた。

『私とリコが、その人形に入るからよ。だから、できたら魔力への親和性が高い材料で作って欲しいのよね。よろしく、アイカ』

『まだ了承してないけど』

『アイカと思考を共有しやすい優秀な助手が二人増えるのよ。いいじゃない』

『よくない。そもそも、そんな人形を作ってる暇がないの』

 対悪魔戦が迫っていることを知っているようだし、こう言えば引き下がるだろう。
 そう思って言ったが、すぐに後悔することになった。目を伏せて考え込む風にしているリリエルの口元が、わずかに緩んでいる。

『そう。……だったら、材料さえ用意してくれたら私が自分で作るわ』

 最初からこれを要求するつもりだったのか、と小さく舌打ちした。
 ハードルの高いものを先に提示し、その後に本命の提案を出す。昔私が教えたことがある交渉術にまんまと引っ掛かった。
 そもそも、私はリリエルには弱いのだ。否定する理由も存在しなかった。すぐに頷かなかったのは、ひとえに気持ちが向かなかっただけで。

『……わかった。必要な材料と、あとは道具の一覧を書いておいて。用意するから』

『ありがと、アイカ!』

 嬉しそうに笑うリリエルに、一瞬胸を突く痛みが走るが、それを誤魔化して曖昧に微笑んだ。



 自分で仕事を増やした私は、あの後カイルにリリエルのことを"私の友人"とだけ紹介しておいて、森を出た。
 すっかり暗くなった王城の庭園には、人っ子一人いない。

『はぁ……』

 リリエルに頼まれた材料は全部持ってはいるが、全部精霊界にある。
 ちょうど人間界に用がある者に頼んで持ってきてもらうが、それはもう少し後だ。

 すぐに王城内に戻る気にもなれず、当てもなくぶらぶらしていると、不意に声をかけられた。

「あら、アイカ姉様」

 振り向くと、そこにいたのはイリスティア。
 いつもと違って、少し緩めに髪を結んで落ち着いたデザインのドレスの上にショールを羽織っている彼女は、ガゼボの中から私に手招きする。

『久しぶり……ってわけでもないけど、最近顔を合わせてなかったね』

「お互い忙しい身ですから」

 ふわりと笑うと、温かい紅茶を勧めてくれる。
 この国の人は本当に紅茶が好きだなぁ、なんて思いながらそれに口をつけていると、イリスティアが溜め息をついた。

『……疲れてる?』

「えぇ、それはもう。国内からの疑念の声も多く上がっていまして、それを宥める面倒さと言ったら……。それに王室は今、いくつもの問題を抱えていますもの」

『問題?』

「サーストンの反逆行為、アマーリエの帰省、ティアーラの婚約……」

『アマーリエ……えっと、ファゼル帝国に嫁いだ王女で、ティアーラがまだ幼い王女だよね』

「左様ですわ。それに、もう一つありますの」

 イリスティアは言葉を切って、私の方をちらりと見た。

「ユークライの婚約ですわ」

 何か爆弾を落とすだろうと身構えていたからむせるなんて事はなかったが、表情が若干強張ってしまったのを感じた。

「今のところ、陛下はまだまだ現役ですから次期国王の指名はしておりません。しかし、隣国のメイスト王国のこともあり、不安定な情勢だから早く選べ、という圧がありますのよ。ティアーラはまだ幼く王になる気もないため、ユークライとラインハルトの争いになりますわ。その場合、クリスト公爵家の後ろ盾があるラインハルトの方が有利なのではという見方がありますの」

『へぇ』

 努めて冷静な声を出す。

「ラインハルトはユークライを王に、と望んでいます。しかし周りの貴族はそれを許さない。実態はどうであれ、八百長のように見えてしまいますから」

『長子を王太子にしないのは、真に能力のある者を王とするため、だっけ』

「えぇ。大抵は、三人ほどが成人を迎えた頃に指名を致します。ですが今代は、長女のアマーリエが他国に嫁ぎ、候補の一人であったサーストンが王位継承権を剥奪されましたわ。下手な前例を作らないためにも、公平な判断でユークライが選ばれた、とする必要がありますの」

『それは大変だね』

 なんでこんな話題を持ち出すんだ、内心首を傾げながら相槌を打つ。
 それに気付いてか、イリスティアは笑みを深くした。

「どうか聞いて下さいませ。───わたくしは、アイカ姉様がユークライの婚約者にと、そう思っておりますの」

『……』

 脳天を特大のハンマーで殴られて、空中で三百六十度振り回され、猛スピードの船に繋がれ海底を引きずられて、成層圏から落っことされたくらいの衝撃を受けて、一瞬全ての動きが止まる。

『……え?』

「元々ユークライは、各派閥の均衡を保つために婚約者を作らず、上手く婚約を仄かしながら社交界を渡っていましたわ。なかなかに貴族の社会というのは面倒なものでしてよ、アイカ姉様。最有力候補のユークライが誰かと婚約すれば、簡単に全てがひっくり返ってしまうほどに」

『……へぇ』

「ですから、できればどこの貴族家とも繋がりの薄い令嬢を婚約者に、とわたくしは望んでいますの」

『……なるほど』

「たとえ出自が怪しくとも、陛下の妹君が御当主であるファンデル大公家に一度引き取ってもらった上で婚約をすれば、文句を言う者は出ませんわ。ただ、王妃となるに相応しい知識と交渉術、品格、度胸、胆力、そして施政者として人を惹きつける力を持つ女性が、なかなか見つからないのです。ただ一人、あなたを除いて」

 イリスティアの双眸が真っ直ぐ私を射抜く。

「あなたしかいないのです。あの子の隣に立ち、あの子と支え合い、あの子とこの国を守れる人は」

 ふと、昔の───はるか昔、まだリリエルもハルトナイツも、そしてユークライも生きていた時のことを思い出した。


 確かあの時は、ヴェルスやミュービ、ルトワールと一緒に、人間から献上された酒を飲んでいた。
 精霊界の秩序を守る重責を共有する仲間である彼らに対して、ついつい本音を溢してしまったことがあったのだ。私はユークライの一番近くにいていいのか、と。精霊王である彼の側にいるのが、私なんかでいいのか、と。
 感情の精霊の私からすれば問題なんてないわ、と言い切ったミュービに、普段は寡黙な闘いの精霊であるルトワールが付け足したのだ。

 ───お前しかいない。あの方の隣に立ち、あの方と支え合い、あの方とこの精霊界を守れる者は。

『…………ごめん、私には、多分無理だよ。ううん、多分じゃない。絶対無理だ』

「……アイカ姉様?」

『私には、彼の隣にいる資格なんて……』

 無意識の内に描いていた魔法陣が光を放ち、気付けばそこはラインハルトの私室だった。

『アイカ様』

 近くのソファに崩れ落ちた私に、ナツミが駆け寄ってくる。その後ろで気遣わしげな表情を浮かべるアスクが、ナツミの肩を掴んだ。

『……ごめん。ちょっと、そっとしておいてくれない?』

『そうしたいのは山々だが、先に情報共有だけしてくれ。あのお嬢さんに何があった』

 厳しい口調は、それでいて早くに私を休ませようとしてくれている優しさがあった。
 けれど、今はその優しさが苦しい。

『……あぁ、アマリリスは平気。リリエルがいただけ』

『は? ……いやまぁ、あんたに限ってリリエルを見間違えるはずないよな。で、なんか材料頼んだらしいけど』

『スノールが届けに来る。ごめんけど、アスクは受け取ったらリリエルに渡しに行って』

 かつて死んだ仲間に届け物をしろ、なんて突拍子もない指示にも、アスクは頷いてくれた。

『……わかった。ライル、仮眠室みたいなとこあるか?』

「アイカ様用の部屋は別に用意させて頂いています。ご案内しましょうか?」

『場所だけ教えて。自分で行く』

「畏まりました。この部屋を出て右、進んで曲がったところでもう一度右に曲がったすぐの部屋でございます」

『ありがと』

 短くそう告げて、私は重い身体を起こした。
 私を心配してくれている彼らに背を向けて、再び部屋を出る。


 用意されていた部屋は、私の性格を慮ってくれたんだろう。どれも質はいいし広くはあるものの、かなりシンプルだった。
 ベッドに倒れ込んでゴロリと寝返りを打つ。まだまだ人も精霊も寝ない時間だが、何をする気も起きてくれない。

 頭に浮かんでくるのは、私にとって負の象徴のようなものである彼女───リコ、そしてユークライの事。
 過去に折り合いをつけれていない私には、彼らの存在は少々厄介すぎる。アマリリスがこれらのことを知ったともなれば、尚更。

『はぁ……』

 グッと身体を丸めて、毛布を引っ張る。
 そういえば、約束の一週間が今日で終わりだ。あの時は色々考え事が多すぎてスルーしていたが、"予定の日数"がかかるのであったら、もう帰って来ていてもおかしくない。
 いや、ひょっとしたら今日いっぱいまで使って、ということだったのかもしれない。

 いずれにせよ、考えても詮ないことだ。そもそも、彼の怪我の原因の一端がある私には、合わせる顔なんてないし。

『……はぁ』

「大丈夫、アイカ。疲れてるみたいだけど」

『っ!?』

 突如響いた声に身体を起こすと、窓の前に一人の青年が腰掛けていた。

『……ユークライ』

「ただいま、アイカ」

『お、おかえり』

 どうにかそれだけ絞り出した私の方に、ユークライが一歩踏み出す。
 その瞬間、無意識の内に身体が後ずさった。

『あ……』

「……そうだよね。ごめん。今まで俺は、自分が君にどんな影響を与えているのか、わかっていなかった」

『え…?』

 月の光しかない室内では、彼の表情は窺い知れない。けれどその声は、いつものように穏やかではあったが、同時に深い悲しみに縁取られていた。

「俺の前世のこと、聞いたんだ」

『……っ』

 まただ。
 また私が隠していたことが、自分の知らないところで暴かれていた。

「正直、自分がかつて精霊だったなんて信じ難いよ。さっきまで半信半疑だった。……でも、アイカの様子から見ると、本当なんだろうね」

 まさか、聞いたのだろうか。
 己の前世が精霊王だったこと。悪魔と戦っていたこと。そして、殺されたこと。

「アイカ。だから俺を、守ろうとしてくれてるの?」

『……わた、し、は』

「うん」

 あくまで優しく、ユークライは相槌を打ってくれる。

『もう、死なせたくない。失いたく、ない』

「……アイカ。それは俺も同じだよ」

 ポツリと呟かれたそれは、どこか苛立ちを孕んでいるように思えた。

「俺は確かに、君より弱い。この身分も邪魔して、戦場ではきっと足手まといになる。でもそれは、俺がアイカに死んで欲しくないと思う気持ちを妨げられない」

『……どういう、意味』

「聞いたよ。自分の記憶を捨てたって。つまりそれは、昔の自分を殺したということだ」

『……』

「そして君に自分を殺させたのは、かつての俺だ」

『ち、違う』

 私が自分の記憶を消したのは、忘却したのは、封印したのは、全部自分の弱さから来た、逃げ。
 弱い自分を認めたくなくて、それを無理矢理追いやった。

『私は、私が弱かったから、だから』

「俺は多分、弱い君も強い君も助けたかった。支えたかった。でもできなかったんだ」

 何か反論しようと口を開いても、出てくるのは掠れた息だけだ。
 焦燥感と歯痒さに拳をぎゅっと握り締めると、それを上から包む手があった。

「アイカ。どうか俺に、君を守らせて」

『……私の方が、強い』

「戦闘であれば、確かに君の方が強い。だから、他の痛みから君を守りたい。言葉で君を傷つける者達から、側にいて君を守りたい。どんなことでも相談して欲しいし、どんな辛さも分かち合って欲しい」

『私には、そんなしてもらう、資格は、ない』

「要らないよ、資格なんて。俺がしたいからする。君はそれを受け入れてくれればいい」

『……王族と、精霊なんて、結ばれない』

 つい口をついで出たその言葉は、さっきイリスティアと話した時にもあった思いだった。
 私とユークライは、遠すぎる。そしていくら近付いても、高くて硬くて分厚い壁に阻まれる。

「じゃあ俺が王族を辞めるよ」

『……えっ、ちょ、ユークライ!?』

「ラインハルトは良い王になると思うよ」

『たくさんの人が、ユークライが王になることを望んでるんだよ!?』

「そういった人達には申し訳ないけれど、俺は君と一緒にいることを望んでいるんだ」

 ユークライの目はどこまでも真っ直ぐで、声はどこまでも誠実だった。

「光の王から聞いた。精霊が悪魔との戦いをずっと続けていること、アイカがその前線に立ち続けていること、ラインハルトとアマリリス嬢がそれに巻き込まれていること、アイカがそんな二人を守ろうとしていること。……俺は自分をなじったよ。君が重い責務に苦しんでいることに気付かずに、ただ自分の気持ちを押し付けるだけだった数週間前の俺自身が、すごく愚かに思えた」

『……』

「そして、君を置いて死んでしまったかつての自分のことも、すごく愚かしいと思った」

『っ、それは』

 今の彼が前世の彼を責めていることが、すごく辛い。
 耳を塞ぎたくなる衝動に襲われる私に、「でも」とユークライが続けた。

「同時に、お疲れ様、っていう気持ちになるんだ。前世の俺は、大切な仲間を守るために死んだ。その生き方は尊敬に値すると思うよ。最善は、自分も生きて皆も生きることだけど」

 自分も生きて皆も生きる、と小さく口の中で繰り返した。

「前にアイカ、俺が自分が死んだ後の話をした時、怒っただろ? あれから考えたんだ。俺は王族として生まれ、王族だから今まで生活に困らずに生きてこれた。だから俺には、自分の命を投げ打ってでもこの国を守る義務があるんだ」

『……うん』

「けれど俺には、俺を惜しんでくれる人がいる。俺が生きていることを望んでくれる人がいる。……だから俺は生きて、この国を守らなくてはいけない。君と結ばれるために王族でなくなったとしても、俺はこの国と君のために生きる」

『うん』

「そしてそれは、きっとアイカもなんだ」

 私に差し向けられた言葉は、春の風のような柔らかさを持っていた。

『……そう、だね。私も。精霊界や皆を守るためなら、死んだって構わない。でも、私が死んだら悲しむ人がいる。だから、私が死なずに全部を助ける方法を、考えなくちゃいけない』

「俺達で考えるんだ。二人で色々な案を出そう。それでも駄目なら、周りに聞いてみよう」

『昔の出来事を参考にしてもいい』

「そうだね。たくさん調べて、話して、考えて、共に最善を探そう。……もう俺達は絶対に、一緒に生きることを諦めたりしない」

『……うん』

「一緒に生きよう、アイカ」

 不意に零れた涙は、撫でるように頬を伝って、繋がれた手へと落ちて行った。

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