【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む
68話: 原因解明
 久しぶりの王城は、襲撃なんかなかったように落ち着きを取り戻していた。かすかに匂う灰が痛々しいだけだ。
『ちゃんと姿隠してる?』
『当たり前ですよ』
『当然ですわ』
 精霊であるという利点を最大限に活かし、誰にも見られずにアマリリスがいる部屋へ向かって行く。身体から漏れ出る魔力も抑えているため、見つかる心配はない。
 気楽に会話をしながら、歩いていた。
『夕方だからか、人が少ないですね』
『そうだね。もうちょっと後の時間だったら、退勤とかで増えると思うんだけど』
 ラインハルトの私室やアマリリスが眠っている部屋がある東棟へは、渡り廊下を使う。
 本当は直接そこまで転移しても良かったのだが、ナツミがあそこを知らないので技術的に無理だったのと、ある程度王城の構造を把握して欲しかったから、ゆっくりと歩を進めていた。
 最近忙しかったので、のんびりしたかった、というのもある。
 しばらく他愛もない話をして、そろそろアマリリスがいる部屋へ着くという時だった。
「……あれ、アイカさん? それに……アスクさんと、ナツミさんですよね?」
 その声に振り向くと、予想通りそこにいたのはヴィンセント。
 今日は公爵家の跡取りらしく、緻密な刺繍が施された紺色のジャケットを羽織る彼は、後ろに護衛を連れている。
 護衛の人が怪訝な顔をしているから、私達の姿はヴィンセントにしか視認できていないのだろう。
『久しぶり』
 アスクとナツミに合図をして、私だけ姿を見せる。
『アマリリスの様子を見に行きたいんだけど、いい?』
「もちろん大丈夫っすよ。案内しましょうか? ちょうど俺も顔見に行くところだったので」
『じゃあお願いしようかな』
 私がそう告げると、ヴィンセントは頷いて護衛に下がるように言う。渋っていたものの、ヴィンセントが杖を見せると了承して離れて行った。
「いやぁ、前にあんなことがあったから、一人でふらふらすんなって言われてるんすよね。仮にも公爵家の嫡男だから」
『仮にも、って自分で言う?』
「あはは、場を和ます会話術っすよ。……それで、ユークライは大丈夫なんすか?」
 喉に詰まったものを飲み下して、どうにか言葉を絞り出す。
『多分大丈夫。信頼できる友人に任せてるから』
「アイカさんがそう言うなら安心っすね。……それで御二方は、俺の記憶が正しければ地震の精霊殿と津波の精霊殿と見受けられるんですが」
 姿を隠していても、ある程度力のある精霊術師には通じない。
 ヴィンセントのことは話してあったので、アスクもナツミも落ち着いて対応する。
『あぁ。俺はアスクだ。地震を司っている』
『わたくしはナツミ。司るのは津波の権威。……前、大地の神殿でお会いしたわよね?』
「えぇ。あの時は自己紹介する余裕がなくて、申し訳なかったっす」
『構わないわ。謝るのはわたくし達の方よ』
「ありがとうございます。……あの、失礼ですが、アスク様はお身体の方は大丈夫なんですか? 精霊に身体って概念あるかはわかんないんすけど」
『正直、予断を許さない状況ではあるけど、この通り平気だ。あぁ、あと、様は要らないよ。主が様付けではないからな』
「あ、わかりました」
『わたくしも、様はなしでお願いするわね』
「了解っす。アスクさんとナツミさん、よろしくお願いしますね」
  程よく話を切り上げると、ヴィンセントはゆっくり歩き始める。
「今俺達が向かっているのは東棟です。東棟には、第二王子のラインハルト殿下、第二王女のティアーラ殿下が住んでいて、西棟と比べると少し小さいっすね。中規模の厨房と小さな訓練所、そんで医者が最低一名は常駐している医務室があります。
 景観的な話をすると、東棟は比較的黒とかの落ち着いた色を多く用いてるんすよね。というのも、昔の皇太后様が使われてたからなんです。で、西棟は王妃様が建築されたらしいので、落ち着きというよりは高貴さを重視してますね」
『へぇ。ところどころ修復しているのは?』
「あー、実はちょっと前に賊の襲撃があったんす。それの修復が追いついてないんすよね、色々あって」
『そうなのか。お疲れ様』
「あはは、ありがとうございます」
 アスクはヴィンセントとすっかり打ち解けたようで、隣り合って会話していた。
 一応、他に人が歩く時は私に話しかけている体を取るが、それ以外はアスクに話しかけている。
 ナツミはといえば、興味深そうに内部の装飾を見ていた。
『気に入ったの?』
『えぇ。静の美ですわ。あの彫刻、一見浮いているように見えますが、棟全体の雰囲気を引き締める役割を担っていますの。……素晴らしいですわね』
「聞いたところによると、六十年ほど前の彫刻師が作った作品だそうです」
「あ、殿下。いたんすか」
 間の抜ける声でヴィンセントが言うのに、いつもと変わらない無表情で頷いたのは、ラインハルトだった。
 紺色のシャツに黒いズボンというラフな格好をした彼は、護衛を連れずに一人で向かってくる。
「護衛はいないんすか?」
「いませんが、問題はないでしょう」
「ライルの気苦労が伺える……」
 まるでそのセリフが聞こえたように、後ろからライルが駆けて来た。
 駆ける、は間違いかもしれないが、早歩きで詰め寄ってくる彼は、心なしか疲れているように見える。
「ラインハルト様、また執務放り出して! これで怒られるのは、私なんで───これはアイカ様。いらしていたんですか」
 途中で私に気付いたライルが、綺麗に礼をする。慌ててやったことを感じさせない、流麗な所作だ。
「わかっただろ? アイカが来ているから、東棟で最も身分が高い僕が出迎えるのは当然だ。何も問題はない」
「……せめて部屋を出る前に、そのことを言って下さいよね」
 はぁ、と溜め息をつくライルをヴィンセントが慰め、さらに爆弾を投下した。
「お疲れ、ライル。……非公式ではあるけど、地震の精霊と津波の精霊もいらしている。何か不具合が起きないように、起きても殿下の所為ということにするためだ。諦めろ」
「なっ…………知りませんよ。弁護もしませんからね」
 小さくそう呟いたライルは、ラインハルトの後ろに控える。
「アマリリスを見に行くのか?」
『うん。いいかな?』
「あぁ。夕食まで時間があるし、大丈夫だ」
 そうしてかなりの大所帯となった私達がアマリリスのいる部屋に着いたのはすぐのことだったが、もうすでに沈む太陽が空を橙に染めていた。
 コンコン、と乾いた音が廊下に響く。
 ノックをしたラインハルトは、返事を待たずに扉を開けた。
 その瞬間、ほのかに花が香る。
『あら、カイル。久しぶりね』
『ま、ナツミ! 久しぶり、あなた人間界に来てたのね!』
 そこにいたのは、森の精霊であるカイル。
 ここの王城の庭に自分の領域を持っている精霊で、今日の会議には欠席の連絡を出していた。
 面識はあるものの、会うのは私も久方ぶりだ。
『アイカもいるのね。……あとアスクも』
『悪かったな、俺もいて。……なんだここ。どうして精霊界でも屈指の偏屈者がいるんだ?』
『失礼ね。あたしは、正・直・者。偏屈なんかじゃないわ』
『あっそう。……おい、あの時も思ったけれど、この少女、おかしくないですか』
 カイルをスルーして、アスクはアマリリスの上に手をかざした。
 突然アマリリスの方を注視した私達を、ライルとエミーが怪訝そうに伺う。アスクが見えていないからだ。
『やっぱり……。天災の最上級の加護、森の上質な加護、三つの第四位精霊からの加護、そして八柱の精霊王の祝福』
「そして、十年以上に渡る魔法の行使」
 ラインハルトが付け加えるのに、アスクは首肯する。
『あぁ。しかもただの魔法じゃない。かなり強力な複合属性だ。……アイカ様、これ原因は明らかじゃないですか』
「なっ!? 本当っすか!?」
『本当だよ、ヴィンセント。……っと、忘れてたな』
 そこで思い出したように、アスクが姿を見せる。ナツミも同様に姿を現し、カツカツとヒールを鳴らした。
 アスクの隣に並んだナツミは、じっとアマリリスを見つめる。
『……肉体も魔力も安定しているわね。なぜ意識が戻らないのかしら』
『もっとしっかり視ろ、ナツミ。今の彼女には、何がない?』
 あ、と声が漏れる。
 灯台もと暗し、とでもいうのだろうか。
 記憶の片隅に追いやられていた知識が、アマリリスが眠り続ける理由を確かに説明するのに、そこまで考えが至らなかった。
『…………わかりませんわ。お手上げよ』
『あらナツミ、あなたが匙を投げるなんてなかなかね。あたしもわからなかったけど』
『俺は一度、似たような状況に遭ったことがあるから、まぁ経験の差だな』
 一通りアマリリスの状態を確認したらしいアスクは、くるりと向き直ると淡々と告げた。
『霊体が一時的に抜けていて、傷ついた肉体に戻れない。これだけだ』
 しん、と沈黙が降りる。
 戸惑いと驚愕と納得が入り交じった空気の中、最初に静寂を破ったのはヴィンセントだった。
「霊、体…?」
『あぁ、人間は知らないのか。……霊体は、簡単に言えば肉体と対になる概念的なものだ。肉体はあくまで肉塊。それに意思を持たせているのが、霊体というわけだ』
「……なるほど。だったら、アマリリスの霊体はどこに?」
『治療の時に使った"魂の回廊"の奥だろう。物理的ではない距離があるから、俺達が呼びかけても届く可能性は低い。───まぁそんんな状況だからだから、今もこの少女は息をするし、食べ物を摂取したら消化する。でも意識は戻らない。霊体がここにないからだ。そして面倒なことに、おそらく霊体にも魔力的な負荷がかかっていたはずだ。肉体と霊体の間には、密接な関係があるからな』
 そこまで言い終わったアスクは、近くにある椅子に腰を下ろす。
『解決策は……そうだな。まずは肉体の負荷を取り除くことと、後は霊体の回復を待つことか。……最悪だな』
『最悪? 原因と解決策が見つかったじゃない』
 カイルの返答に、アスクは首を振った。
『俺が言っているのは、時間に任せようっていう消極的な案だ。それが成功する保証もないのに』
 確かに、霊体を直接回復させる方法はない。特に肉体も疲弊しているこんな状況では、再びアマリリスが目覚めるのはいつになるかわからない。
『……ねぇカイル』
 アマリリスの顔にかかった前髪を払っていたナツミは、カイルの方へ向き直る。
『あなたの森、あるのよね?』
『えぇ、あるわよ。……まさか』
『そのまさか、よ。───アイカ様、この少女をカイルの森で療養させることは可能でしょうか?』
 その提案の意図に合点がいき、思わず了承する。
 そうだ、その方法があった。
『いいね。なんで思いつかなかったんだろう。……ラインハルト、ヴィンセント』
 どっちに聞けばいいかわからなかったから、とりあえず二人に尋ねる。
『カイルの領域である森は、ここら辺よりも魔力の濃度が高くて空気も澄んでる。肉体の負荷と疲労を取り除けるし、周りに人が少ないから霊体が戻ってくることも容易になるはず。アマリリスの回復を優先するなら、森に行くべきだと思う』
「……もし森に行くとしたら、何か危険とかってあるんすか?」
『危険はないけど、ラインハルトがすぐに駆けつけられなく……あ、ならないか』
『えぇ。愛し子特権ね。あたしがものすごぉく疲れるけど』
 首を傾げるヴィンセントに、アスクが簡単に説明する。
『力の強い精霊であれば、愛し子をいつでも自分の元に転移させることができるんだ。カイルの言った通り、魔力は自分にかける時より消費するけど』
『あたしは魔力量が少ないから、大変なのよねぇ』
 そう言って笑うカイルは、確かに魔力量は平均より下だと言わざるを得ない。
 カイルは魔力量が少なく、同時に魔力の質もそこまでいいわけではないのだ。あまり恵まれてないわけだが、それを自分の領域で生活することでカバーしている。
 能力も戦闘向きではなく、前々回の対悪魔戦から生き残ってはいるものの、一度も戦いに参加したことはない。後方で回復やバフをかける役割を担っていただけだ。
『魔力量は鍛えれば増えるぞ』
『少ししか増えないじゃないの! 鍛錬も面倒だし、やりたくないのよ……』
「だからカイルはあまり魔法を使おうとしないのか」
 納得したように頷くラインハルトの隣で、ヴィンセントは苦笑している。
「じゃあ、アマリリスは森の精霊の領域である"駆け落ちの森"にいくってことでいいんすか?」
『"駆け落ちの森"……ダサくないか?』
『失礼ね! 情熱的と言って頂戴!』
『まぁまぁ。……ヴィンセント、そこら辺は任せてもいい?』
「いいっすよ。エミーにもついていってもらいますか?」
『そうだね。エミー、いい?』
 周りが、精霊とやんごとなき身分の面々ばかりだからだろう。
 壁際で静かに佇んでいたエミーは、私の問いかけに一歩踏み出して恭しく礼をする。
「異論はございません」
『ありがと。アレックスとエスにも伝えておいて』
「畏まりました」
『だったら、あたしは先に森に行って小屋を掃除しておくわ。昔王族が使っていたところだから、綺麗にしたら十分使えるはずよ』
「頼んだ、カイル。……アイカ、他に確認することはあるか?」
 ラインハルトの問いかけに首を横に振る。
 後で、アマリリスにつけている護衛の部下に声をかけておきたいが、それはアスクかナツミに頼んでも大丈夫だ。
「だったら話したいことがある」
 息が詰まる。
 そういえば、あの時、大地の神殿で言われたんだった。「後で話したいことがある」、と。
 すっかり忘れていたが、ラインハルトはそうではなかったようだ。
 適当な言い訳をして逃げようかと思ったが、彼の真剣な目を見ていると、それをするのははばかられた。
『……わかった』
「僕の部屋に行こう。ライルはここにいて、状況の説明などをしていてくれ」
「承知しました」
 何を話そうか、あるいは何を言われるのかを考えながら、私はラインハルトの部屋に向かった。
『ちゃんと姿隠してる?』
『当たり前ですよ』
『当然ですわ』
 精霊であるという利点を最大限に活かし、誰にも見られずにアマリリスがいる部屋へ向かって行く。身体から漏れ出る魔力も抑えているため、見つかる心配はない。
 気楽に会話をしながら、歩いていた。
『夕方だからか、人が少ないですね』
『そうだね。もうちょっと後の時間だったら、退勤とかで増えると思うんだけど』
 ラインハルトの私室やアマリリスが眠っている部屋がある東棟へは、渡り廊下を使う。
 本当は直接そこまで転移しても良かったのだが、ナツミがあそこを知らないので技術的に無理だったのと、ある程度王城の構造を把握して欲しかったから、ゆっくりと歩を進めていた。
 最近忙しかったので、のんびりしたかった、というのもある。
 しばらく他愛もない話をして、そろそろアマリリスがいる部屋へ着くという時だった。
「……あれ、アイカさん? それに……アスクさんと、ナツミさんですよね?」
 その声に振り向くと、予想通りそこにいたのはヴィンセント。
 今日は公爵家の跡取りらしく、緻密な刺繍が施された紺色のジャケットを羽織る彼は、後ろに護衛を連れている。
 護衛の人が怪訝な顔をしているから、私達の姿はヴィンセントにしか視認できていないのだろう。
『久しぶり』
 アスクとナツミに合図をして、私だけ姿を見せる。
『アマリリスの様子を見に行きたいんだけど、いい?』
「もちろん大丈夫っすよ。案内しましょうか? ちょうど俺も顔見に行くところだったので」
『じゃあお願いしようかな』
 私がそう告げると、ヴィンセントは頷いて護衛に下がるように言う。渋っていたものの、ヴィンセントが杖を見せると了承して離れて行った。
「いやぁ、前にあんなことがあったから、一人でふらふらすんなって言われてるんすよね。仮にも公爵家の嫡男だから」
『仮にも、って自分で言う?』
「あはは、場を和ます会話術っすよ。……それで、ユークライは大丈夫なんすか?」
 喉に詰まったものを飲み下して、どうにか言葉を絞り出す。
『多分大丈夫。信頼できる友人に任せてるから』
「アイカさんがそう言うなら安心っすね。……それで御二方は、俺の記憶が正しければ地震の精霊殿と津波の精霊殿と見受けられるんですが」
 姿を隠していても、ある程度力のある精霊術師には通じない。
 ヴィンセントのことは話してあったので、アスクもナツミも落ち着いて対応する。
『あぁ。俺はアスクだ。地震を司っている』
『わたくしはナツミ。司るのは津波の権威。……前、大地の神殿でお会いしたわよね?』
「えぇ。あの時は自己紹介する余裕がなくて、申し訳なかったっす」
『構わないわ。謝るのはわたくし達の方よ』
「ありがとうございます。……あの、失礼ですが、アスク様はお身体の方は大丈夫なんですか? 精霊に身体って概念あるかはわかんないんすけど」
『正直、予断を許さない状況ではあるけど、この通り平気だ。あぁ、あと、様は要らないよ。主が様付けではないからな』
「あ、わかりました」
『わたくしも、様はなしでお願いするわね』
「了解っす。アスクさんとナツミさん、よろしくお願いしますね」
  程よく話を切り上げると、ヴィンセントはゆっくり歩き始める。
「今俺達が向かっているのは東棟です。東棟には、第二王子のラインハルト殿下、第二王女のティアーラ殿下が住んでいて、西棟と比べると少し小さいっすね。中規模の厨房と小さな訓練所、そんで医者が最低一名は常駐している医務室があります。
 景観的な話をすると、東棟は比較的黒とかの落ち着いた色を多く用いてるんすよね。というのも、昔の皇太后様が使われてたからなんです。で、西棟は王妃様が建築されたらしいので、落ち着きというよりは高貴さを重視してますね」
『へぇ。ところどころ修復しているのは?』
「あー、実はちょっと前に賊の襲撃があったんす。それの修復が追いついてないんすよね、色々あって」
『そうなのか。お疲れ様』
「あはは、ありがとうございます」
 アスクはヴィンセントとすっかり打ち解けたようで、隣り合って会話していた。
 一応、他に人が歩く時は私に話しかけている体を取るが、それ以外はアスクに話しかけている。
 ナツミはといえば、興味深そうに内部の装飾を見ていた。
『気に入ったの?』
『えぇ。静の美ですわ。あの彫刻、一見浮いているように見えますが、棟全体の雰囲気を引き締める役割を担っていますの。……素晴らしいですわね』
「聞いたところによると、六十年ほど前の彫刻師が作った作品だそうです」
「あ、殿下。いたんすか」
 間の抜ける声でヴィンセントが言うのに、いつもと変わらない無表情で頷いたのは、ラインハルトだった。
 紺色のシャツに黒いズボンというラフな格好をした彼は、護衛を連れずに一人で向かってくる。
「護衛はいないんすか?」
「いませんが、問題はないでしょう」
「ライルの気苦労が伺える……」
 まるでそのセリフが聞こえたように、後ろからライルが駆けて来た。
 駆ける、は間違いかもしれないが、早歩きで詰め寄ってくる彼は、心なしか疲れているように見える。
「ラインハルト様、また執務放り出して! これで怒られるのは、私なんで───これはアイカ様。いらしていたんですか」
 途中で私に気付いたライルが、綺麗に礼をする。慌ててやったことを感じさせない、流麗な所作だ。
「わかっただろ? アイカが来ているから、東棟で最も身分が高い僕が出迎えるのは当然だ。何も問題はない」
「……せめて部屋を出る前に、そのことを言って下さいよね」
 はぁ、と溜め息をつくライルをヴィンセントが慰め、さらに爆弾を投下した。
「お疲れ、ライル。……非公式ではあるけど、地震の精霊と津波の精霊もいらしている。何か不具合が起きないように、起きても殿下の所為ということにするためだ。諦めろ」
「なっ…………知りませんよ。弁護もしませんからね」
 小さくそう呟いたライルは、ラインハルトの後ろに控える。
「アマリリスを見に行くのか?」
『うん。いいかな?』
「あぁ。夕食まで時間があるし、大丈夫だ」
 そうしてかなりの大所帯となった私達がアマリリスのいる部屋に着いたのはすぐのことだったが、もうすでに沈む太陽が空を橙に染めていた。
 コンコン、と乾いた音が廊下に響く。
 ノックをしたラインハルトは、返事を待たずに扉を開けた。
 その瞬間、ほのかに花が香る。
『あら、カイル。久しぶりね』
『ま、ナツミ! 久しぶり、あなた人間界に来てたのね!』
 そこにいたのは、森の精霊であるカイル。
 ここの王城の庭に自分の領域を持っている精霊で、今日の会議には欠席の連絡を出していた。
 面識はあるものの、会うのは私も久方ぶりだ。
『アイカもいるのね。……あとアスクも』
『悪かったな、俺もいて。……なんだここ。どうして精霊界でも屈指の偏屈者がいるんだ?』
『失礼ね。あたしは、正・直・者。偏屈なんかじゃないわ』
『あっそう。……おい、あの時も思ったけれど、この少女、おかしくないですか』
 カイルをスルーして、アスクはアマリリスの上に手をかざした。
 突然アマリリスの方を注視した私達を、ライルとエミーが怪訝そうに伺う。アスクが見えていないからだ。
『やっぱり……。天災の最上級の加護、森の上質な加護、三つの第四位精霊からの加護、そして八柱の精霊王の祝福』
「そして、十年以上に渡る魔法の行使」
 ラインハルトが付け加えるのに、アスクは首肯する。
『あぁ。しかもただの魔法じゃない。かなり強力な複合属性だ。……アイカ様、これ原因は明らかじゃないですか』
「なっ!? 本当っすか!?」
『本当だよ、ヴィンセント。……っと、忘れてたな』
 そこで思い出したように、アスクが姿を見せる。ナツミも同様に姿を現し、カツカツとヒールを鳴らした。
 アスクの隣に並んだナツミは、じっとアマリリスを見つめる。
『……肉体も魔力も安定しているわね。なぜ意識が戻らないのかしら』
『もっとしっかり視ろ、ナツミ。今の彼女には、何がない?』
 あ、と声が漏れる。
 灯台もと暗し、とでもいうのだろうか。
 記憶の片隅に追いやられていた知識が、アマリリスが眠り続ける理由を確かに説明するのに、そこまで考えが至らなかった。
『…………わかりませんわ。お手上げよ』
『あらナツミ、あなたが匙を投げるなんてなかなかね。あたしもわからなかったけど』
『俺は一度、似たような状況に遭ったことがあるから、まぁ経験の差だな』
 一通りアマリリスの状態を確認したらしいアスクは、くるりと向き直ると淡々と告げた。
『霊体が一時的に抜けていて、傷ついた肉体に戻れない。これだけだ』
 しん、と沈黙が降りる。
 戸惑いと驚愕と納得が入り交じった空気の中、最初に静寂を破ったのはヴィンセントだった。
「霊、体…?」
『あぁ、人間は知らないのか。……霊体は、簡単に言えば肉体と対になる概念的なものだ。肉体はあくまで肉塊。それに意思を持たせているのが、霊体というわけだ』
「……なるほど。だったら、アマリリスの霊体はどこに?」
『治療の時に使った"魂の回廊"の奥だろう。物理的ではない距離があるから、俺達が呼びかけても届く可能性は低い。───まぁそんんな状況だからだから、今もこの少女は息をするし、食べ物を摂取したら消化する。でも意識は戻らない。霊体がここにないからだ。そして面倒なことに、おそらく霊体にも魔力的な負荷がかかっていたはずだ。肉体と霊体の間には、密接な関係があるからな』
 そこまで言い終わったアスクは、近くにある椅子に腰を下ろす。
『解決策は……そうだな。まずは肉体の負荷を取り除くことと、後は霊体の回復を待つことか。……最悪だな』
『最悪? 原因と解決策が見つかったじゃない』
 カイルの返答に、アスクは首を振った。
『俺が言っているのは、時間に任せようっていう消極的な案だ。それが成功する保証もないのに』
 確かに、霊体を直接回復させる方法はない。特に肉体も疲弊しているこんな状況では、再びアマリリスが目覚めるのはいつになるかわからない。
『……ねぇカイル』
 アマリリスの顔にかかった前髪を払っていたナツミは、カイルの方へ向き直る。
『あなたの森、あるのよね?』
『えぇ、あるわよ。……まさか』
『そのまさか、よ。───アイカ様、この少女をカイルの森で療養させることは可能でしょうか?』
 その提案の意図に合点がいき、思わず了承する。
 そうだ、その方法があった。
『いいね。なんで思いつかなかったんだろう。……ラインハルト、ヴィンセント』
 どっちに聞けばいいかわからなかったから、とりあえず二人に尋ねる。
『カイルの領域である森は、ここら辺よりも魔力の濃度が高くて空気も澄んでる。肉体の負荷と疲労を取り除けるし、周りに人が少ないから霊体が戻ってくることも容易になるはず。アマリリスの回復を優先するなら、森に行くべきだと思う』
「……もし森に行くとしたら、何か危険とかってあるんすか?」
『危険はないけど、ラインハルトがすぐに駆けつけられなく……あ、ならないか』
『えぇ。愛し子特権ね。あたしがものすごぉく疲れるけど』
 首を傾げるヴィンセントに、アスクが簡単に説明する。
『力の強い精霊であれば、愛し子をいつでも自分の元に転移させることができるんだ。カイルの言った通り、魔力は自分にかける時より消費するけど』
『あたしは魔力量が少ないから、大変なのよねぇ』
 そう言って笑うカイルは、確かに魔力量は平均より下だと言わざるを得ない。
 カイルは魔力量が少なく、同時に魔力の質もそこまでいいわけではないのだ。あまり恵まれてないわけだが、それを自分の領域で生活することでカバーしている。
 能力も戦闘向きではなく、前々回の対悪魔戦から生き残ってはいるものの、一度も戦いに参加したことはない。後方で回復やバフをかける役割を担っていただけだ。
『魔力量は鍛えれば増えるぞ』
『少ししか増えないじゃないの! 鍛錬も面倒だし、やりたくないのよ……』
「だからカイルはあまり魔法を使おうとしないのか」
 納得したように頷くラインハルトの隣で、ヴィンセントは苦笑している。
「じゃあ、アマリリスは森の精霊の領域である"駆け落ちの森"にいくってことでいいんすか?」
『"駆け落ちの森"……ダサくないか?』
『失礼ね! 情熱的と言って頂戴!』
『まぁまぁ。……ヴィンセント、そこら辺は任せてもいい?』
「いいっすよ。エミーにもついていってもらいますか?」
『そうだね。エミー、いい?』
 周りが、精霊とやんごとなき身分の面々ばかりだからだろう。
 壁際で静かに佇んでいたエミーは、私の問いかけに一歩踏み出して恭しく礼をする。
「異論はございません」
『ありがと。アレックスとエスにも伝えておいて』
「畏まりました」
『だったら、あたしは先に森に行って小屋を掃除しておくわ。昔王族が使っていたところだから、綺麗にしたら十分使えるはずよ』
「頼んだ、カイル。……アイカ、他に確認することはあるか?」
 ラインハルトの問いかけに首を横に振る。
 後で、アマリリスにつけている護衛の部下に声をかけておきたいが、それはアスクかナツミに頼んでも大丈夫だ。
「だったら話したいことがある」
 息が詰まる。
 そういえば、あの時、大地の神殿で言われたんだった。「後で話したいことがある」、と。
 すっかり忘れていたが、ラインハルトはそうではなかったようだ。
 適当な言い訳をして逃げようかと思ったが、彼の真剣な目を見ていると、それをするのははばかられた。
『……わかった』
「僕の部屋に行こう。ライルはここにいて、状況の説明などをしていてくれ」
「承知しました」
 何を話そうか、あるいは何を言われるのかを考えながら、私はラインハルトの部屋に向かった。
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