【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

67話: 革命派の若き精霊

 閑散とした会議場。
 後片付けに歩き回る一部の精霊を除けば、剥き出しの石造りの座席に時折風が吹くだけだ。

『はぁ』

 腕を回して、疲れた肩をほぐす。その動作だけでもやけに疲れてくるのに、さっき言われた"ご老体"という言葉を思い出した。

『……ねぇアスク』

『はい』

 近くにナツミがいるからか、慇懃な態度で返事をするアスクは、冷たい水を飲んでいた。
 他にも部下や他の精霊達がいる手前、深々とは無理だったが、頭を下げる。

『見世物みたいにしちゃって、ごめん』

『あぁ、別にいいですよ。俺が好きでやったことですから。……千年以上前からずっと仕えているあんたを馬鹿にされたんだ。少しくらい反撃してもいいだろ』

『……それって喜んでいいのかな?』

『もちろんですわよ。アイカ様は自己評価が低すぎますの。もっと自分を大切になさって下さいませ』

 話を横から聞いていたナツミが、そう入ってくる。

『わたくし達は、みな貴女様のこと───。あら?』

 私の後ろを見て眉をひそめるナツミに釣られて振り向くと、そこにいたのはどこかで見た青年と少女だった。

 数刻前に終わった臨時会議、それを引っ掻き回したように見えて、その実進行に貢献してくれた二人組は、おずおずとこちらに向かって来る。

『…………アイカ様』

 あの時は"殿"だったのに、と思いながら身体も向き直る。
 ハラトとライラは、少し離れたところで立ち止まった。私と彼らの間に、私を庇うようにアスクとナツミが立つ。

『何の用だ』

『アイカ様はお疲れだわ。帰って頂戴』

 ちょっとナツミ、と言おうとするがアスクが手で押し留めてくる。
 威圧するように扇子を広げる彼女は、眼光に力を込めて彼らを睥睨していた。

『……本当に失礼なことをしたと思っています。その謝罪に来ました』

 かすかに震えながらそう言ったハラトは、その場で膝をつく。同じように跪いたライラと、同時に頭を下げた。

『アイカ様、アスク様。あの場で失礼なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。お二方を侮辱したことは、本当にまた、今まで生意気な活動をしていたこと、反省しています』

 丁寧に誠実に告げられたその言葉に、ナツミが言い返す。

『言葉だけ? 貴方達がしでかしたことは、実害があったのよ。それに対して何の対価も支払わず許して貰おうなんて、甘いとしか言いようがないわ』

『法の改正を求めた暴動を主導したのも、お前らなんだろ? ……というかそれ以上に、俺達としては自分達の主を侮辱されたことが許せないんだが、わかるか?』

 ナツミに援護する形で、アスクが淡々と告げる。
 実際は、アスクがあの場でこの若い二人を無理矢理納得させたことで、会議場にいる精霊全員が共通認識を持てたから、有難かった部分もあったが。

 まぁ、法の改正を求めた暴動などはかなり時間を使わせられたらしいし、彼らの行動が全体的に見ると褒められたものではないことは事実だ。

『この大事な時に、面倒なことをしでかしてくれたな、ほんとに……』

 実は、この若い精霊と同じような不満を抱える者はゼロではない。

 数百年前───いや、それよりももっと昔から、精霊界における四柱の長は、変化がない。

 北を闘いの精霊、
 南を獣の精霊、
 西を感情の精霊、
 そして東を天災の精霊。

 闘いと感情に関しては割と最近に代替わりもあったけれど、その勢力図が変わっていないことは事実である。
 そして数は少ないが、野心を持つ精霊にとって、私達は煩わしく排除すべき存在なのだ。

 そんな彼らにとっては、この二人組は言いくるめられたとはいえ、若い精霊が古株に真っ向から対立した出来事は自分達を勢いづけるものだった。他の精霊は、悪魔に対する意識を改めたとはいえ、彼らの出世欲がなくなるわけではない。

 これから対悪魔戦に向けた準備と並行して彼らへの対処を行わないと思うと、せっかく出てきたやる気が片っ端から消えていってしまう。

『……はぁ。で、お前らはなんでこんなことをしたんだ』

 容赦なくぶつけられた厳しい言葉に黙ってしまった二人に対し、アスクがそう問いかける。すると、ハラトは傍らのライラを見やった。
 ライラはその視線に頷くと、一度深く頭を下げてから話し始める。

『……あたしは喜悦の精霊、ライラ。アイカ様は知っていると思うけれど、感情一派です。だから、あの時アイカ様が裏切り者として名前をあげた"色情"の姐さんとも面識があります』

 悩んで話し合いを重ねた末、私はあの会議で、結局誰が裏切り者かを公表することにした。
 内通者探しで疑心暗鬼になるよりは、いっその事公開してしまった方がいいだろう、という結論になったからだ。

 そして、それに加え、今のライラのように"色情"についての何か知っている者が私達に情報をくれることを期待して、あのような形になった。

『絶対にそうなのかって言われたら、自信がないし、何より信じられないけど……多分あたしとハラトは、姐さんに感情を操作されたんだと思います』

 黙って続きを促す。

『最後に会ったのは、十年くらい前です。姐さんに呼び出されて、人間界のメイスト? とかいう場所で、あたしら三人だけで色々話しました。最初は、最近どうとか、そういう適当な話だったんだけど、途中から愚痴になって』

『愚痴?』

『はい。なんか、あの……年寄りの精霊はどう、みたいな』

 言いにくそうにするライラに軽く微笑んでみせると、彼女は安心したように続ける。

『正直、ヴェルス様が考えてることがあんまわかんなくて、イラトア様とリューリ様はあんま慣れてないっぽいし、アイカ様は精霊界にいないっぽいから……不安だしちょっとイライラする、って言ったんです。そしたら姐さんが、わかるわかる、って。それからだんだん、感情が強くなっていったんです。本当は古株の精霊達と直接話してみたいな、って思ってただけなのに、今の長達はダメだ、あたし達でどうにかしなきゃいけないんだって、そういうふうになりました。姐さんはそれが目に見えたみたいに、他には頼めない、頑張ってくれ、って』

『それだけ?』

『いや、まだあったんです。……もし本当に不満なら自分と来ないか、って』

 色情は思いっきり勧誘をしていたみたいだ。しかも、そこそこ力のあるまだ若い精霊に対して。

『ただあたしは精霊界が好きだったから、断ったんです。それでも、姐さんの影響は残っていたみたいで、あの時断っちゃったことの負い目がどんどん膨れていって、あんなことをしてしまいました』

『……ちなみに、断った時に"色情"はなんて?』

『えぇっと……。普通に、わかった、って』

 なるほど。
 下手に食い下がって不審がられることを避けたのだろう。ずる賢いやつだ。

『……情報提供ありがとう。それで謝罪に足りるとは思えないけど、もう帰っていいよ』

 素っ気なく言い放つアスクに対し、ハラトとライラは頭を下げると、どこかへ歩いて行った。

 その後ろ姿が消えていくのを見送って、私は水晶板を手に取る。

 持ち場関係の調整やこの場に来ていない精霊への連絡、人間界での対悪魔戦の隠蔽の用意など。

 考えただけで疲れてくる内容が、列挙されていた。
 予想よりも早く、事態の打破となり得るような情報を手に入れられたわけだが、まだ問題は山積みなわけで。

『……まずはアマリリスか』

 二週間以上経った今もなお、彼女に目覚める気配はない。
 その事実が、精神的に私達を削ってくる。

『愛し子様ですか。今は人間界ですよね?』

『うん。ずっと眠ってるから。まだ方法は見つかってないんだけど、いい加減起きてもらわないと』

『……八属性に加えて霊属性を操る、あんたの愛し子』

 ポツリと呟かれたそれに顔を上げると、アスクはニヤッと笑う。

『だったら大丈夫ですよ。愛し子様が起きたら、俺のこれ・・もどうにかなるって、光の王も言ってましたし』

『そうだね。……ちょっと人間界行くかな』

 そう告げると、近くにいたターフが溜め息をついた。

『帰って来て頂いたと思ったのですが、もうですか……』

『ごめんね、ターフ。色々任せて』

『いえ、ご心配には及びませぬ。が、アイカ様の存在が精霊界において一種の"抑止力"となっているのも事実。また新たな問題が出てくるのでは、と思いましてな』

『そっか。こんな時期だしね。……ほんとにごめん』

『構いませぬ。まだ若い彼らを導くのも、儂ら先達の役目ですゆえ。……ただ、後ろを刺されてはかないませぬぞ?』

『わかってるよ。善処する』

 私が頷くと、かすかに微笑んでターフは仕事に戻る。もうじきここを出るから、早く片付けをしなくてはいけない。

『パルエラ、ちょっといい?』

『はい?』

 いくつかの書類を纏めているパルエラに声をかける。

『アスクとナツミを人間界に連れてくから、他の皆へ伝えておいてくれる?』

『え、拒否します。面倒です。それに、またナツミさんを同行させるのですか?』

 ナツミを慕う彼女は、表情で嫌という感情を訴えかけてくる。
 まぁ天災一派には女性陣が少ないから、懐くのも頷ける話だ。私よりも懐いているのは、少々悲しいけれど。

『えー、いいじゃん。ならパルエラが来る?』

『遠慮します』

『じゃあナツミを連れてくよ。っていうかアスクはいいの?』

『アスクさんが不在でも、私に影響はほとんどありません。ですが、ナツミさんがいないと私は寂しさのあまり、何にも集中できなくなります』

『いい加減慣れようよ』

『不可能です』

『……ちょっとエラ、おいでなさい』

 はぁ、とこめかみを押さえながらナツミがパルエラをどこかへ連れて行く。
 それを見ながら、私は傍らのアスクに話しかけた。

『アスクがいなくても平気だってよ』

『俺はナツミと違って、好かれやすい性格じゃないからな。それに……』

『それに?』

『その方が、戦いやすい』

 明日の予定を告げるかのように軽く告げられた彼の返答は、心に重く沈んでくる。
 引き攣る喉から、必死に声を絞り出した。

『……アスクまで失ったら、無理だよ』

『無理じゃない。今は霊宮だけど、ユークライ様がいるだろ。彼がいるなら、あんたは何が起きても大丈夫だ』

 果たしてアスクは、どこまで知っているのか。
 銀縁眼鏡の奥の薄茶色の双眸は、仄暗い光をたたえながら、こちらを真っ直ぐに見ている。

『……なんで、どいつもこいつも』

 自分が死んで悲しむ者がいることを、わかってくれないんだ。

『まぁ一応安心してくれ。俺は簡単に殺されるつもりはないし、あんただって簡単に殺させないだろ? ただ、俺が死んだ後に正常に動くためにも、こういう確認は必要だって話だよ』

『……アスク、それは聞き捨てなりませんわ』

 いつの間に戻ってきたのか、ナツミが唸るような低い声でそう言った。
 肩はわなわなと震え、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 彼女が泣くなんていつぶりだろうか、と思わず後ずさった。

『こうしましょう。もし貴方が死んだら、わたくしも後追いして死にますわよ』

 一歩踏み出しながらそう言い切ったナツミは、アスクに詰め寄った。
 彼女の方が身長は若干低いが、アスクは迫ってくる彼女にたたらを踏むように後ろに下がる。

『はぁ!? ナツミ、何言ってるんだ』

『貴方がいないのでしたら、わたくしに生きる価値はありませんの。ご存じなくて?』

『……お前が死ぬなんて、許さないぞ』

『死んだ貴方がわたくしを止めることはできませんわ』

『いや、できる。アイカ様やターフ、他の誰かに頼めばいい話だ』

『彼らに本気のわたくしを止められるとお思いなの、アスク?』

 かなり難しいな、と心の中で呟く。

 ナツミの権威である津波は、天災だけでなく"大海"という別の権威の影響も受けている。そのため、能力の効果は多岐に渡るのだ。
 中には、自らを水の中に隠すものもあったりする。それを使われてしまえば、彼女の行動を制限するのはほぼ不可能。それは、アスクもわかっている。

 眉にしわを寄せる彼は、溜め息をついて告げた。

『……俺はお前に死んで欲しくない』

『でしたら、そんな辛気臭い話はやめてくださいまし。……わたくしのことが大事だと、言ってくれたでしょう?』

 わずかに頬を染めながら発せられたその言葉に、アスクは一瞬硬直する。

『……』

『……』

 沈黙が降りる中、アスクは頭を掻く。
 しばらく何かを言い出そうとしてやめるというのを繰り返し、ややあって息をついた。

『……わかった。俺は精一杯生きる。だからナツミも生きてくれ』

『っ!! わかりましたわ! 約束ですわよ!』

 パァッと花が咲くように顔を輝かせるナツミ。

『あぁ。約束な。……で、あんたはその気持ち悪い面、やめてくれませんか』

『ん?』

 知らず知らずのうちに頬が緩んでいて、しかも気持ちも穏やかになっていたようだ。
 アスクにちょっと罵倒されたが、全く気にならない。

 元々仲は良かったが、最近それが少し進展したようだ。アスクもナツミも大切な仲間だから、二人が嬉しそうにしているとこっちまで気持ちが明るくなる。

『…………あんたとあの第一王子、上手く行けばいいですね』

 報復のように返されたからかいに、羞恥が一気に駆け上がる。

『ちょっとアスク、締めるよ?』

 せっかくあったかい雰囲気だったのに、それをぶっ壊しに来たアスクに拳を見せると、彼は肩をすくめて笑う。
 そのほんの刹那、彼が痛みに顔を歪めた。

 瞬きほどの短さだったけれど、確かだ。
 彼が今も呪いに蝕ませているという事実が、否応なく私を責め立てる。

 傍らのナツミも、それに気付いたようだ。口には出さないものの、アスクがいつ倒れても支えられる位置に静かに動く。

『……じゃあとりあえず、人間界に行こっか』

 ここで止まっていても事態は好転しない。私に必要とされているのは臆病さではなく、状況を打破する大胆さだ。

『なんか特別に持っていくものとかありますか?』

 私達が痛みに気付いたことを察したのか、いつもよりワントーン高い声でアスクが言う。

『ないかな。あったら取りに来ればいいし』

 もし入用でも、別に現地調達でも間に合うはず。なんてったって、国の中枢に知り合いが居るわけだし。

『わかりました』

『では、わたくしが陣を描きますわね』

 私達の足元に複雑な陣が浮かび上がり、光を帯びる。
 一応、と水晶板を手に取り、ナツミが魔力を込めるのを待った。

 ふと、光の王のところにいるユークライのことを思い出す。
 せっかく王城に行くのに彼に会えないなんて、という笑ってしまいそうなくらい乙女な思考を自嘲した瞬間、視界を真っ白な光が染めた。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品