【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

62話: 思わぬ再会

 まだ若いと思われる精霊が、闘いの精霊であるイラトアからの伝言を携えて私の屋敷に来たのは、件の会議のちょうど一週間前のことだった。

『今から闘いの城に?』

 書類から顔を上げて問いかけると、遣いの精霊は首肯する。

『えぇ。軍師様の方からもどうか、と』

 軍師、とは戦術の精霊であるオコトさんのことだ。
 彼女が呼ぶからには、ただの野暮用ではないのだろう。ただ、私もここでの仕事がいくつか残っている。

『……三十分後に行く。そう伝えて貰える?』

 今日中に終わらせておきたいものを引き継いで、屋敷を空ける準備をするのに必要でろう時間を告げる。
 もう日がそろそろ暮れる、という時間で、あまり長居をすることもないだろうし、多分これくらいで十分だ。

『畏まりました。では、そのように』

 本当に伝言だけを伝える役目だったようで、特に何も言わずに部屋を去った。


 それにしても何の話だろう、と椅子の上で伸びをしながら考える。
 わざわざ私を呼ぶなんて、よく考えると不思議な話だ。私が忙しいことは知っているはずだし、一応精霊の代表の一人のような立場である私が尋ねるということは、部下に心労をかけることにもなる。

 そういえば、戦術の詳しい説明がまだだったなと思い出す。ひょっとしたら、その話をしたいのかもしれない。

『……それでも、こんな時間にするかなぁ』

 精霊は睡眠を必要としないとはいえ、夜は暗いし休憩したくなる。そんな時間に呼ぶなんて、気配りができるオコトさんらしくない。

 まぁ、今考えなくても大丈夫だろう。
 闘い一派が裏切っていて私を罠に嵌めるとは思えないし、仮にそうだとしても逃げるくらいはできる。それくらいの力量はあるつもりだ。





 と、楽観視していたツケが回ってきたのか。

『……え、なんで』

「アイカ……」

 誰が一体予想できただろうか。

 精霊達の住む、精霊界。
 その中でも有力者である闘いの精霊の城に、私がここへ逃げてくる原因だったユークライ本人がいるなんて。

『アイカ、やっと来たか。とりあえず座れ』

 仏頂面で私に席を勧めてくるのは、ヴェルスだった。

『ヴェルスも、なんでここに?』

 ユークライの向かい側に座っている獣の精霊の隣には、梟の精霊がいる。

 私にペコリと頭を下げた彼は、灰色に茅色の混じった髪に淡黄色の目、砂色の肌を持つ、年齢を感じさせないエキゾチックな青年だ。顔にいくつもの入れ墨があり、性別と年齢を不詳にしている。
 職務に真っ直ぐな性格で、ヴェルスによく頼み事をする私もお世話になっている人物だ。

『……こんにちは』

『あ、こんにちは』

 ちょっと不思議な彼に挨拶を返しながらも、私は入り口の辺りで立ち尽くしていた。

 改めて通された部屋を見渡すと、不思議なメンバーが集まっている。

 この部屋の主らしい、武器の精霊であるジンさん。
 獣の精霊であるヴェルスとその部下である梟。
 "軍師"との二つ名を持つ、戦術の精霊であるオコトさん。
 感情一派の代表として来たのであろう、悲哀と見知らぬ精霊。

『……なんでこの面子?』

『まぁいいから座れ』

 と言われても、四角い机を囲む彼らは、派ごとに固まって座っている。
 唯一単独で席に着いているのは、ユークライのみだ。
 ヴェルスが指し示しているのも、その席なわけで。

『…………えっと私、別に立ったままでも───』

『お前が丘を潰した時に負わされた傷、治ってねぇんだ』

『はい、座ります』

 傷を負わされたことをネタに、何か面倒なことをやらされるなんてご免だ。
 私はできるだけユークライと目を合わせないようにしながら、椅子を引いて腰を下ろした。

『っていうか、丘潰してはないはずだけど』

『へぇ、覚えてんのか』

『まさか、そうやって言い触らしたのってヴェルス?』

『"理性は失なわい"って言って俺に怪我させたのは、どこのどいつだ』

『あはは、ちょっと・・・・漏れてる魔力を増やしただけじゃん。……って怖い怖い、睨まないでよ』

 ヴェルスは、冗談抜きで人相が悪いのだ。
 別に慣れているからどうってことないが、睨まれないに越したことはない。

『……まぁいい。で、お前どこまで聞いてるんだ?』

 どうやらこの場を仕切っているのはヴェルスらしい。
 さっきの応酬の間も他の人達は黙っていたから、多分私とヴェルス中心で話していくんだろう。

『何も聞いてない。誰が来ているかさえ聞かされてなかったんだけど』

 暗に情報共有が不十分だったことを責めると、オコトさんが声を上げて笑う。

『もしお伝えしていたら、来て下さらなかったでしょう?』

 そう言って彼女は、私の隣に目配せをする。

 なんで知っているんだ、と私は舌打ちをした。
 私が不機嫌さを隠そうともしないのを見て、ヴェルスとオコトさん、ジンさんが楽しそうに笑い声を響かせる。

「……ジン」

 私の横で、爽やかでありながら無感情な声を出したのは、ユークライだった。

「書き置きを残したとはいえ、王城をあまり長く空けられない。できれば早くしてくれないかな」

『と、我の愛し子が申しておるのでな。場も温まった頃ですし、そろそろ再開しませぬか?』

 ジンさんの言葉に、ヴェルスが頷く。

『そうだな。……じゃあさっきの続きを頼めるか、ユークライ?』

「えぇ。わかりました」

 緊張からか少し硬い声のユークライは、ちらりと私を一瞥する。

 それに、心臓が強く鳴った。

 彼の視線に呼応するように、脈拍が速くなりかけて。顔が紅潮しそうになって。指先が冷たくなりそうになって。
 彼の双眸に自分が映ったと認識した瞬間、得も言われぬ歓喜のような感情が湧き出した。

 それを魔力で抑える。
 人間に比べて身体が魔素に左右されやすい精霊は、魔力で体調などを操作しやすい。拍動を変えることも可能だ。
 そうして身体を落ち着けてしまえば、心も落ち着く。努めて深く息を吸うようにし、平静を装った。

 それでもやはり、わかる者にはわかってしまう。
 ヴェルスは私の方を少し思案げに見た後、すぐに視線を逸らしてユークライに向けた。

『どこまでだったか……。あぁ、魔法学校って施設の話だよな?』

「はい。魔法学校ですね」

 にこやかに説明を始めるユークライは、どうやら私が来る前も話していたようで、慣れているように説明を始める。

「今の名称に変わったのは、大体二十年ほど前のことです。元々は魔法学園という名称で、かなり巨大な施設でした。ですが、研究機関としての役割を担う部分が"魔法大学"として独立したので、今は教育機関としてのみ稼働しています。年齢的には、十二歳から十六歳の子女が通っていますね。基本は全ての者に門戸が開かれているとされていますが、実際は貴族の子女が大半です」

『なぜだ?』

「これは貴族の起源にも少し関係がある話です。そもそも貴族は、他の民を庇護することにより特権が認められた一族の末裔です。庇護する力の中には武力や知力もありますが、それと同等以上に魔力があります」

『なるほどな。だからその血を引く現代の子供も、貴族の方が魔力が強いか多いのか』

「はい。まぁそれだけでなく、平民は平民の学校がありますし、貴族が多いとわかっている中に進んで飛び込む平民の生徒が少ないので」

 貴族と平民には、かなりの差がある。

 下級貴族の、その中でも下の者ならまだしも、大抵の貴族は生まれた時から人を使って、人に傅かれて、人の上に立って生きている。そんな彼らと同じ教室で学ぶなんて、豪商の子息でもない限り辛いだろう。
 住む世界を分けるのは、双方にメリットがあるのだ。

「そんな魔法学校に通う貴族の子女の中にも、格差というものは存在します。親である貴族同士の力関係が影響しているからです。一応平等を謳ってはいますが、理想と現実には差異がありますので」

 にこやかな様子を崩さないまま告げるユークライと対称に、ヴェルスは微苦笑する。

 古株であるヴェルスは、昔の同胞達が残した意志を尊重しようという"理想"を掲げているが、若い精霊達が新たな未来を求めているという"現実"との落差に、いつも悩んで苦しんでいた。
 そんな彼からしてみると、ユークライの言った言葉が親身に感じられるのだろう。

「敷地内には三つの棟に分かれた学舎、二つの屋内競技場、一つの屋外競技場、一つの多目的ホール、一つの舞踏場、一つの職員棟、男女それぞれ一つずつの寮、魔法学校図書館があります。全体は……そうですね、だいたいこの城が八つ入りそうな大きさでしょうか」

『その中に、クソども……悪魔が潜めそうな場所はあるか?』

 さっきとは打って変わって険しい表情で発せられたヴェルスの問いかけに、私はやっとこの奇妙なメンバーが集まった目的を悟った。

 これは、人間界における悪魔の潜伏場所に見当をつけるための情報収集の場。

 きたる対悪魔戦においては、どれだけ相手の動きを予測できるかで犠牲の数も勝敗も変わってくる。前回も前々回も、万全を期すために、人間界に潜入し情報を集めてきた。
 それが今回、直接人間の口から聞くというのは、状況の変化が大きいだろう。手練の精霊達が多く命を落とし、今の精霊界には圧倒的に経験値と危機感が足りていない。それを補うための、ユークライなんだろう。

 王族ということもありそこら辺の人間より余程知識があり、なおかつ精霊に耐性・・がある彼が選ばれたのは、頷ける話だ。

「……先程のお話ですと、悪魔が近くにいると嫌悪感が生まれる、それに例外はない、と」

『ユークライ、お主自身が先日、大地の者の地での戦いの時に感じた、あれのことだ』

 腕を組みながら、大仰にジンさんが告げる。

「なるほど、あれなのか。……ジン、ありがとう」

『うむ!』

「個人差はあるので何とも言えませんが、私や私の部下に尋ねたところ、我々はだいたい数十メートルの距離で、その嫌悪感が生まれ始めました。となると、生徒や職員が立ち入れるところからかなり離れているところになりますよね……」

 考え込むように言葉を切ったユークライは、やがて一つの場所を示した。

「ついさっきは挙げていませんでしたが、魔法学校には敷地内に訓練用の森が存在しています。敷地の大体真ん中ほどに位置しているのですが、その最深部でしたら可能性があります」

『っつーことは、人の出入りがないのか?』

「厳密にはあります。ですが、立ち入る際には事前に申し出て、教員に引率を頼む必要がありますので、普段生徒は滅多に行きません。教師もまた然り、です。二月か三月に一度、大規模な訓練が行われることはありますが、それは事前に知ることが可能かと」

『普段は隠れて、人間が近付く時はどこかへ逃げる、それができるわけか』

「えぇ。もちろん、可能性の話ではありますが」

 考えたくもないが、アマリリスがつい数週間前までずっと生活していた魔法学校に、悪魔が居たと思うと、腸が煮えくり返って視界の端が白くなるような気分になる。

『おいアイカ、落ち着け』

『ものすごく落ち着いていますが何か?』

『どこがだ? 皆怯えているだろ』

 そのヴェルスの言葉に周りを見て、ゆっくりと申し訳ない気持ちが湧く。

 オコトさんとジンさん、梟は平気そうな風を装っているが、至近距離で私の魔力に当てられているからか、少し厳しげな表情だ。
 悲哀とその隣に座る精霊は、明らかに怯えてしまっている。

 無意識の内に、魔力が攻撃的になって漏れ出してしまっていたようだ。

『……あー、ごめん』

 というか、未だに悲哀の隣の精霊から自己紹介をされてないなと思いながら、私は謝罪の言葉を口にした。

『いや、ね、自分の愛し子の生活空間に悪魔が潜んでいたと思うと、ね?』

 言い訳がましいと思いながらも告げた言葉に、ヴェルスが理解を示してくれる。

『それは一応わかるが……。愛し子は、な』

 言葉を濁すヴェルスと同じことを思い出した私は、何とも言えずに曖昧に笑みを浮かべる。


 "愛し子"は精霊にとって、神聖で愛おしくて何にも代えがたい、大切な存在だ。
 それもそのはず、愛し子を持つということは、その精霊にとって最上の加護を与え、自らの権威の一部を貸し渡すということだ。即ち、精霊としての自分の一部を明け渡すということになる。

 愛し子を持つ精霊は、意外と数が少ない。私の身の回りで愛し子がいる精霊は、片手で数えられるほど。ただ加護を与えるのと、愛し子にするのでは、天と地ほどの隔たりがあるのだ。

『……まぁごめん。話を中断させちゃって。続行しようか』

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