【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

61話: 挨拶回り 2

『アイカ殿、久しぶりだ』

 仕切り直すように私に声をかけるのは、対面に座るイラトア。鋼をそのまま人にしたような風貌の彼は、その見た目らしい冷たく低めの声を持っていた。

 がっしりとした体格に切れ長の目。
 気の弱い者であれば、見ただけで震え上がってしまいそうな人相の悪さは、ヴェルスといい勝負だ。

『久しぶり、イラトア。……多忙な時なのに集まってもらって、申し訳ないね』

『ご心配には及びませぬ。東の長である天災の方がお越し下さるとあれば、本来であれば一派総出で迎えるべきでございます。ですのにこの人数ということで、平にご容赦下さいまし』

『ありがと。気にしてないよ』

 そこそこ長い机の片側をすべて埋める人数なのに、高位精霊がまだこれで全員ではないというのが、闘いの一派だ。
 彼らの中には、最も上のイラトアに次ぐ幹部級の精霊、そしてその配下が多い。というのも、武器や武術の精霊の下位存在が数多く存在するからだ。それだけでなく、戦闘に長けた中位精霊も傘下にいるということで、イラトア自身の直属の部下は少ないものの、全体としての数は結構なもの。
 その彼らの大多数が鍛え抜かれた戦士ということもあり、荒事を得意としている。

 ちなみに、この机では私が一人だけ反対側だ。隣にアスクかターフでもいれば良かったのだが、人の少ない天災一派では、それぞれ別行動をしないと間に合わないのが辛い。

『……じゃあ早速本題入るけど、まず戦略はできてるんだっけ?』

『こちらに』

 オコトさんが差し出してくれた羊皮紙には、符号を使って書かれた文章が記されている。パット見では意味の通じない、殴り書きのようなそれを、頭に入れている解読表で変換していく。

『…………まぁ、こうなるか』

 ちょっと時間をかけて読み解いたそれには、オーソドックスな戦略が書かれていた。

 精霊が住む精霊界と悪魔が住む天界は、直接繋がっていない。それぞれの世界が人間界に繋がっているだけだ。
 そのため、終盤に天界まで攻め込んだ、あるいは精霊界まで攻め込まれた事例はあるが、基本的には人間界で戦闘は行われることが多い。

 もちろん人間界には人間がいるわけで、戦闘の余波を受けてしまうこともある。それの後処理も、悪魔がしてくれるわけなんてないので、私達精霊がやることになるのだ。
 私達天災一派はその権威の性質もあり、かなり働かされた。攻撃魔法のせいで山が壊れたら土砂崩れにし、水魔法で街が沈めば津波ということにする。

 まぁそれも生き抜けられたからできるわけで、そう考えると嬉しいことなのかもしれない。


 さて、人間界における私達精霊の戦術は、ざっくり言えば待ち伏せだ。
 普段から人間界で生活しているというアドバンテージを活かし、魔力の感知がしにくい場所や元々自分達が拠点にしているところに、悪魔を誘き出す。誘き出して、大人数で叩き潰す。

 単純明快、気ままな精霊達にも理解して貰うのが容易な作戦だ。

 もっとも、ここに書かれているのは、簡単な人数配分や配置についてだけ。
 オコトさんらしくないなと思えば、彼女は私の次の言葉を待っているようにしている。

『あぁなるほど。もう一枚あるんだ』

『はい。……持ってきて』

 オコトさんは後ろに立っている小間使いらしき者に声をかけると、間を繋ぐためにすぐに口を開いた。

『そちらに関してご意見などは?』

『……専門じゃないし何とも言えないけど、ただ、通信要員が若干多くて、精霊界側で待機している方の戦力が強すぎる気がする。ひょっとして、突破されることを?』

『左様です。正直に申し上げますと、若い世代には危うさがまだ残っております。精霊同士でいざこざを起こすことも、少なくありませぬ。そんな彼らが未知の"悪魔"という存在にきちんと対処できるかと自らに問いかけた時、残念ながら是だと言い切れないのです』

『まぁそれに関しては同意かな。人材が育ち切ってない感じは否めない。悔しいことにね』

 第四次、第五次と相次いで優秀な精霊が命を落とした。
 その中には後進の育成に優れた者が多く、今の精霊界は圧倒的に教師不足な状態だ。

『わたくしも教える側に回れれば良かったのですが……失礼。ありがとう』

 オコトさんに手渡されたのは、長方形の水晶だった。
 盆の上の黒いクッションの上に置かれているそれは、彼女が手を触れるとほんのり光る。よく見ると、彼女は自分の魔力を水晶に流していた。

『へぇ、魔力を識別するんだ』

『流石でございます。仰る通り、予め覚えさせている魔力のみに反応する物でございます。今のところ、覚えさせているのはわたくしめの魔力と、イラトア様のみ。作戦を知っているのも、立案者のわたくしを除けばイラトア様だけにございます。間諜がいたとしても、情報が流出することはありませぬ』

 この口ぶりからすると、裏切った精霊がいることには勘づいているんだろう。
 どうやって知ったのか聞こうとすると、彼女はそれを先回りするように話し始める。

『獣一派の中で緊張感が高まっており、巡回の精霊の装備が強化されていて、さらに貴女様が丘ひとつ潰した、と。元々噂で聞いたのもありますが、これらの情報から結論を導き出すのは容易にございます』

『いや待って、丘は潰してない……はず』

  記憶が曖昧ではっきり言い切れないが、丘丸々ひとつを破壊した記憶はない。そこまでやっていないと自分の理性を信じたかった。

 ……うん、だってそこまで魔力も減ってなかった。丘を壊したなら、もっと魔力を使っていたに違いない。
 だから大丈夫なはずだ。

『左様ですか。……それで、裏切ったのはどこのどいつなのか、お聞かせ願いたいのですが、よろしいでしょうか?』

 わずかに目が細められ、油断のならない視線を向けてくる。
 一気に部屋の空気がピンと張り詰め、息が重苦しくなった。

『……実は、私もまだ特定には至ってないんだよね』

 と嘘をついてみたのは、別にふざけているわけではない。
 この場にも、悪魔側から潜り込んでいるスパイがいる可能性がある。なんなら、オコトさんがそうかもしれないのだ。
 慎重に、今の時点で教えていい情報だけを選びながら、口を開く。

『悪魔の魔力が染み込んだトレーサーが発見されたことから、内通者はいるだろう、ってヴェルスも言ってたし、誰かが悪魔と取り引きをしていることは確実だと思う。ただ、どこの所属かとかはまだ調査中なんだよね。個人の特定にはまだ至れてない。会議までには見つけたいけど』

『なるほど。差し出がましいかもしれませんが、お手伝いできることがありましたら、いつでも申し付け下さいな。わたくしができることでしたら、力を惜しみませぬゆえ』

『ありがとう。なんかあったら頼ませてもらうね』

 私とオコトさんが笑顔で顔を合わせていると、不服そうなイラトアが口を挟む。

『それで、これは見ないのか?』

『いや、いいかな。すぐにオコトさんが見せてくれないってことは、今見せるべきじゃないってことだろうし』

 私の言葉に、イラトアが不思議そうに首を傾げる。
 そういえば実戦の時以外は使い物にならないんだった、と思い出して溜め息をついてしまった。見れば、オコトさんも同じように嘆息している。

『……イラトア様、ここに裏切り者がいるかもしれないのです。それに加えて、この作戦は性質上内容を知る者が少ない方が良いとなれば、ここで話す意味はないでしょう』

『あ、あぁ、そうだな』

『数日前に説明したはずですが……。不十分でしたか?』

『いや、とても十分だった。すごく分かった』

 わかっていない顔で頷くイラトアに説明するだけ時間の無駄なので、話題は次のものへと移る。

『それで今回いらっしゃったのは、何のご用件で?』

『聞いていると思うけど、北の長として会議ではいくつか頼みたいことがある。その内容が書かれた手紙が届いてると思うけど……来てない?』

『あぁ、来ております。会場の警備と戦術の説明でしたか』

『うん。訓練とか色々忙しいだろうから、あんまり頼まない方がいいと思ったんだけど』

『お気遣い痛み入ります』

 ホッとしたようにオコトさんが答える。見れば、他の面々も少し安心したような雰囲気を漂わせていた。

 闘いの精霊一派は、配下以外の精霊にも広く訓練の門戸を開いている。
 闘いに関するものを司る彼らの教えは評判が良く、もちろん自分の命が大事な精霊は、こぞって集う。誰だって死にたくないのだ。

 だから、噂で次の対悪魔戦についての情報を手に入れた者たちが、闘い一派の元に次々と集まっている。学びを乞う同胞を拒否するわけにもいかず、日々の指導とその準備に追われ、なかなかのハードスケジュールをこなしているらしい。

 部屋に閉じこもっていた私の耳までそれが届いたということで、誇張なしに忙しいのだろう。そんな彼らに、必要以上に仕事を割り振るなんて鬼の所業はできない。

 ちなみに、感情一派には会議のための会場設営と関連した庶務、そして当日の受付を。
 獣一派には、今のところの悪魔の動きについての説明と、一番荒れるであろう裏切り者に関する報告をしてもらう。

 私を始めとした天災一派は、全体の進行などの裏方をする予定だ。

『警備のやり方とか配置は任せるし、戦術の説明のやり方も全部任せる。ただ、警備に関しては会場だけでなく、精霊界全体も警戒してほしいかな。まぁ、オコトさんがいるし大丈夫だとは思うけど』

 悪魔側の犬がいるということは、会議があることも筒抜けだと考えていいはず。
 となると、ほぼすべての精霊が一箇所に集まるというチャンスに何もしない方が不自然だ。

 警戒が薄くなる人間界を狙うか、無人となった精霊界の各所を襲うか、あるいはただ罠を仕掛けたり下見をしたりするだけかはわからないが、絶対に動きはあると踏んでいる。

 その私の意図を理解してくれているのだろう。オコトさんはわずかに緊張した面持ちで頷いた。

『お任せ下さい。ご期待に沿えるよう力を尽くす所存でございます』

『オコトさんなら大丈夫だろうってわかってるから』

『もったいないお言葉でございます』

 嬉しそうなオコトさんを見て、イラトアが首を傾げる。

『俺は?』

『え? 俺は、って何が?』

『……俺は頼りないのか?』

 少し寂しそうな顔をして言うイラトアに、私はきっぱりと告げた。

『むしろ頼れると思った理由を教えて』

 部下が吹き出しそうになったことには気付かずに、イラトアはひどく真面目な顔で話し始める。
 言外に込められた『頼れないよ』という言葉には、気付かなかったようだ。

『……俺は、かなり強いと思う。短剣でスガガガガとできるし、素手でゴバッとできる。山もグワッとできる』

 毎度のことではあるが、私達全員の頭の上に疑問符が浮いていることを、一切察する気配がない。自分がとんちんかんな擬音語ばかり使っていることへの自覚は、相変わらずないようだ。

『それに、指だけでドバっと……』

『はいはい。わかったから。……じゃあオコトさん、そろそろ失礼するね』

『畏まりました。お送り致します』

 私が腰を浮かすと、オコトさんも立ち上がろうとする。

『いや、大丈夫。適当に転移魔法使うから』

『左様ですか。ではこちらで』

 オコトさんの目線だけの合図で、一斉に闘い一派の精霊達は立ち上がる。
 それと同じように立ち上がったイラトアは、ほんのわずかだけ遅れていた。多分、他の面々が席を立とうとした瞬間に、自らも立ったのだろう。闘いの長だけあって、反射神経と身体を動かす能力はずば抜けているから。

『じゃあまた。よろしくね』

『お任せ下さいませ。……イラトア様』

 オコトさんに名を呼ばれ、『うむ』と大仰に返事をしたイラトアは口を開いた。

『アイカ殿。またいつでも来てくれ』

 その言葉に空気が緩む。

 まるで友人にまた家へ遊びに来るように告げるかのようなイラトアに、私は思わず笑いかけると、転移魔法を使った。

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