【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

59話: 大書庫の奥 2

「あなたの"記憶"を見せてもらったわ。あなた、なかなか愉快な人生を送っているみたいね」

 身長差があるのにも関わらず、迫ってきた少女に脅威を感じ、アマリリスは一歩後ろへ下がった。

「あら、ひどいのね。同じ"記憶"を持つもの同士、仲良くしましょうよ。ね?」

「……何を言っているのか、さっぱりわからないわ」

「その様子だと、ひょっとしてわざと忘れてる? しかもそれさえ忘れてる、と……。いいわ、思い出させてあげる」

 少女はおもむろにアマリリスの肩をぐいと掴むと、自分の方へ引き寄せる。
 そして笑みを浮かべると、額をくっつけた。

 その瞬間、激痛が脳天から全身へと走る。

「な……くっ、ぐ、あっ!」

「ほらほら、痛いのは私もなんだから」

 痛みに身を捩り逃れようとするアマリリスを、少女はその怪力で押さえ付ける。

 アマリリスの脳裏に浮かんだのは、いくつもの幻燈のような映像。そしてそこから流れ出る音と感情。
 情報の波に翻弄される度に鋭い痛みが走る。反射的にギュッと目を閉じても、真っ暗な瞼の裏に映し出されるだけだった。

 その波が段々と収まっていき、徐々にゆっくりとなって、消える。

 しばらく呻いていたアマリリスは、じきにぐったりとなり、床へ崩れ落ちた。

「……ふぅ。どう? 思い出せた?」

「はぁっ、はっ、はっ……」

 肩で息をするアマリリスを冷ややかに見下ろす少女は、朗らかに笑顔を浮かべると椅子に腰掛ける。

「ほら、座って。床に直接座るなんてはしたない、だっけ?」

「……馬鹿に、しないで欲しいわ。それに、はしたないなんて言ってない。淑女として相応しくないって言ったの」

 アマリリスはゆらゆらと立ち上がる。

「何で忘れていたの……。あの卒業パーティーの後のことが、全部ごっそり抜け落ちていた……」

「さぁ? でもあなた自身かあなたの身近な人がやったのは確実よ。"記憶"を封じ込めるなんて芸当は、直接接触しないと行えないもの」

「さっきあなたが私に思い出させたように?」

「そう。飲み込み早いのね」

「最近、かなり突飛な出来事ばかりだったから

「そ。───ねぇ、座ってよ」

 アマリリスはそれに従うと、少女と小さな机を挟んで座る。
 ティーテーブルのようなそれには、一冊の手帳が置いてあった。それにわずかに視線をやったアマリリスは、目を見開く。

「魔力が込められている…?」

「エンチャントね。保持の効果を持ってる。エンチャントの知識は、あなたの"記憶"の片隅にあったわ。もう失われてしまった技術みたいだけど、私の半身は当然のように使うのね」

 はぁ、と物憂げに溜め息をつく少女に、アマリリスは問いかける。

「半身って……。双子のご兄弟でもいるの?」

「いないわ。ただ、私と私の半身は、家族や兄弟よりも深い、断ち切ることのできない繋がりで結ばれているの。面倒よね。そのせいでここからも出られないし」

「ここ、って……"大書庫"、よね?」

「他に何があるの……って言おうとしても、よく考えると私ってここから出たこと無いのよね。まぁ多分"大書庫"なはず───」

 突然言葉を止めた少女は、アマリリスの目を真っ直ぐ見る。
 唐突なその行動に思わずたじろぐアマリリスにかけられたのは、真剣な声だった。

「ねぇ、私は半身のせいで、ここから出ることが出来ないの」

「……えぇ」

 ひどく緊張した声でそう切り出され、アマリリスも自然と背筋に力を入れてピンと伸ばす。

「お願いがあるの。───ここから出て、何冊か本を取ってきてくれない?」

「私の心構えを返して。てっきり重大なことかと思ったじゃない」

 案外大したことのない要求だとアマリリスは肩透かしを食らった気分になるが、ふとある問いかけが口をついで出る。

「ひょっとしてあなた、誰かにものを頼んだことがない…?」

「そうね。ついでに言うと、誰かと会話したこともない……と思うわ」

 自分の様子が当たったことに、アマリリスはさっきまでの苛立ちを忘れて、その事実に驚いていた。

 貴族令嬢として生まれた因果で、アマリリスの身の回りには常に人がいるのが普通だ。その多くは主を世話する侍女であり、彼女達に何か頼むのは日常茶飯事。むしろ、呼吸や瞬きと同じくらい自然なこと。

 そんなアマリリスからしてみれば、今まで他人と言葉を交わしたことも、何かしてもらうこともなかったというのは衝撃的だった。

「だったら仕方ないわね……。何の本を持ってくればいいの?」

「何でも。とりあえず三冊か四冊くらい持ってきて欲しいわ」

 押し付けるような口調でありながら、少女は断られる不安さを隠しきれていない。
 それを見つけたアマリリスは、艶やかに笑みを浮かべると言った。

「安心して。ちゃんと持ってくるから」








 その言葉に違わず三冊の本を持ってきたアマリリスは、一冊ずつ机に置いていく。

「表紙に書かれている言語がわからなかったから、雰囲気の良さそうなものを持ってきたわ。これでいい?」

 少女は無言でペコリと頭を下げると、一番上の本を手に取る。
 そして手のひらを表紙に当てると、魔力を込め始めた。

「……いい記憶」

 一瞬、仄かに本が光を放つ。

「何を…?」

 アマリリスの問いには答えず、少女は他の二冊にも同じように手を当てて魔力を込めた。
 淡く発光した二冊を、一冊目の上に重ねると、少女は何かを探すように宙を睨みつける。その様子にアマリリスは声をかけるのを思い留まり、黙って見守った。

 数秒ほど経った割とすぐ後、少女は小さく溜め息をつく。

「……終わったの?」

「ん……あぁ。ちょっと口調が……」

 もごもごと口ごもる少女は、少し考え込むようにすると、やがて椅子から立ち上がった。
 綺麗に一礼する。その礼の方法は、アマリリスの知識にあるものとは少し異なっていた。

「改めて。名前は……ない。ここにずっといる者だ。よろしく」

 突然のことに固まるアマリリス。それを見て、おずおずと少女は切り出す。

「アマリリスに持ってきてもらったこれは、かつて生きた者の記憶を本にしたためたものだ。この三冊とお前の記憶を吸収したため、ある程度お前が気持ち悪いと思わない人格形成ができたと思ったが……」

「とりあえず喋り方は変えた方がいいわ。絶対に」

 アマリリスは力強く言い切る。

「小さい女の子なんだから、もっと可愛らしい話し方の方がいいんじゃないかしら?」

「可愛らしい……」

「えぇ。あと、名前が無いのは不便よ。何か適当に考えてみたら?」

「わかった…よ? うん、わかったの。名前はアマリリスに考えて欲しいの」

 "の"を付けたら可愛くなるわけでは……と指摘しようとしたが、さらに拗れたら面倒だと、アマリリスは無言で頷くことにした。

「名前……。好きな物とかはある?」

「好きな物なんてないの。ずっとここで暮らしていたから…の」

「そこに"の"は付けないと思うわ」

 一応軽く注意だけして、アマリリスは少女の名前を考えることにする。


 ふわふわとした赤銅を帯びた髪質に、金色の瞳。
 若干切れ長の目を見て、アマリリスは「あ」と声を上げた。

「思いついたの?」

「リコ、でどう?」

 アマリリスが口にしたその単語に、少女は眉を顰める。

「リコ……クリスト公爵領原産ナナリコ猫の愛称じゃないの」

「可愛らしくていいでしょ? あなた、外見がナナリコに似ているんだもの。赤みを帯びた焦げ茶の長い毛、黄色っぽい瞳。ね?」

「ね、じゃないの……でもまぁ、リコでいいの」

 隠し切れてない緩んだ頬を押さえながら、「じゃあ」と少女───リコは話し始める。
 ぴょんと椅子に座ると、見た目の年齢相応の愛らしさを感じさせるリコは、本を横にずらすと手を組んで机の上に置いた。

「色々すっ飛ばしたけど、お前の状況について説明するの」

「……」

 ついに、とアマリリスは深く息を吐いた。

 さっきまでのじゃれあいで若干緊張は解れたものの、人の"記憶"を操作するような規格外の存在を前にしていることに、微かな緊張感を覚える。
 精霊王に会ったこともあるというのに、なぜか目の前の存在は拭え切れない恐怖を感じさせるのだった。

「ズバッと言うかやんわり言うか、選ぶの」

「……そう、ね。ズバッと言って欲しいかも」

 覚悟をした身だと、アマリリスは決意を表す。

「わかった、お前の意見を尊重するの。───お前は非常に面倒な状況に巻き込まれてるの。一つ一つ説明するけど、特に面倒なのは、お前の友人の精霊、アイカと、お前達が"魔女"と呼ぶ悪魔の長の因縁。お前はそれに深く関わっているの」

 リコはそこで一息つく。

「さっき、番人……"アイカさん"とお前が呼ぶ存在に、アイカがこの世界に呼ばれた際の話は聞いているはずなの。アイカは一人で召喚されたわかではなかった。他に三人いたの。その内の一人、ユナという少女が"魔女"なの」

「え……?」

「そして面倒なことに、お前はアイカとユナ、両方の固有魔力を持っているの。お前の前世、リリエルの影響で」

「……」

「リリエルは天才だったの。たくさんの新たな、特殊な魔法を開発した。その中に、相手の魔力を盗む、というのがあったの。仕組みは、今お前の国に現存するドレインと類似してるの。ただ、リリエルはそれをユナに使ったことで、ユナの固有魔力である"消失"を手に入れたの」

「……そもそも、固有魔力について知らないのだけれど」

「あ、ごめんなの。固有魔力は、その人物のみが保有し得る魔力のこと。普通の人間で持ってる場合はほぼないから、知らなくても不思議じゃないの。ちなみに、召喚された四人は、天使長から直々に固有魔力を受け取ったの」

「……なるほど。わかった、と思うわ」

「じゃあ次の話をするの。───天界大戦が終わった後、アイカは眠りについたの。一番前で戦い続けて、ひどい傷を負ったからなのね。アイカ一人に苦しい役目を押し付けてしまった負い目から、残りの三人はそれぞれ自らを人柱にして、世界の安寧を守ろうとしたの」

 リコが、右の手で二を、左の手で一を示す。

「二人の少年は、精霊界の礎に。ユナは、悪魔を押さえつける封印の媒介となったの。けれど、それが恐ろしいことに繋がったの。───ユナが悪魔に毒されてしまったのよ。元が異世界の出身であるユナは、悪魔の三属性にも馴染んで、力をつけ、いつしか悪魔の長……"魔王"と呼ばれるようになったの。お前の地域では、ソレが女の姿をしていることが広まっていて、"魔女"と呼ばれていたようだけど」

「……え、えぇ。俗称だし伝承上の存在だから、呼び名に関しては本当に地域ごとに異なるわ」

「…………ごめん、なの。顔色が悪い。休んだ方がいいのよ」

「ううん、大丈夫。続けて頂戴」

「でも、お前は無理してるのよ。あまり精神が強いわけでもないのに、ずっと無理してきて……」

「大丈夫だからっ!!」

 はっと、大きな声を出してしまったことに気付いたアマリリスが、すぐに謝る。

「ごめんなさい、大声で言ってしまって。でも、私は本当に大丈夫だから。……私と同じ記憶を持つあなたなら、わかってくれるでしょう?」

 アマリリスのその言葉に、リコの中の"アマリリス"が声を上げる。


 ───ここで引いたりして、ちゃんと出来なかったら、今度こそ嫌われてしまう。あの人はすごく優しいけれど、その理由もわからない。だから私は、自分の存在価値を自分で勝ち取って、証明しないといけないのよ。


 わずかに瞼を伏せたリコは、すぐに視線を上げると、「仕方ないの」と言った。

「ただ、無理そうだったら、すぐ言うの。ここは精神状態が表れやすい場所だから」

「ありがとう。気を付けるわ」

 穏やかに言ったアマリリスは、さり気なくリコに話の続きを促す。
 それに、不満げな様子ながら、リコは話し出した。

「……で、お前は今八つの属性全部に適性を持っていて、それに加えて二つの固有魔力、"忘却"と"消失"を持っているの。お前が自分の記憶を忘れていたのは"忘却"の魔力を使用したことによるものなの。ついでに言えば、結構前……ケイル・ジークスと対峙した時に、魔法を消したアレ。アレは、"消失"の魔力を使ったからなの。今まで存在した固有魔力はいくつかあるけど、この二つは抜きん出て戦闘向け。公爵令嬢が持つには相応しくない固有魔力なの」

「……そう、ね」

 リコは弱々しいアマリリスの返答に、内心驚きを抱いていた。

 リコの中にあるアマリリスの記憶、そこから生み出された擬似的な彼女の人格は、リコの言葉に対してこんな言葉を言っている。

 ───そんなことないと思うけれど。私は復讐を決意したわ。ラインハルトやアイカ、エミー、家族や他の大切な人達を守るためなら、固有魔力でもなんでも、あるに越したことはないでしょ?

 リコがアマリリスから読み取った記憶。それは、寸分違わないもののはずだ。
 人の言動は、その人の記憶と感情から生まれる。そして感情というものは、多くの場合記憶に起因する場合が多い。年を取れば取るほど。
 まだアマリリスが十六歳ということを考慮に入れても、同じ記憶を持つリコの中の"アマリリス"と正反対のことを言うのは、ひどく不自然で。

「……まさか」

 リコは小さく呟いた。

 今、つい数刻前まで空っぽだったその少女には、アマリリス含め四人の人生の"記憶"が注がれている。
 かつてこの"大書庫"を管理していたとある天使、対悪魔戦で命を落とした精霊、まだウィンドール王国が若かった頃に歴史を編纂していた学者、そして、アマリリス・クリストという奇妙な運命を歩んできた公爵令嬢。

 全く立場の異なる彼らの経験を、知識を、失敗や成功を吸収したリコは、直感的にアマリリス・クリストの人生に作為的なものを感じていた。
 それは、彼女を案じるアイカという精霊や、家族のせいでもあるかもしれない。しかしそれ以上に、彼女の心情はまるで何かのシナリオに沿っているかのように、真っ直ぐで短絡的だった。

「…………アマリリス」

 初めて名を呼ばれたことに、アマリリスは自らの不調を押し隠しながら笑顔になる。

「嬉しい、名前で呼んでくれた」

 偽りのない喜びを見せるアマリリスに、対照的にリコは暗い表情を浮かべた。

「…………ねぇ、"感情の精霊"っていう存在に心当たりはない?」

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