【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

57話: 藍佳

 そもそも北川藍佳という人物がこの世界の生まれではないことは、アマリリスさんもご存知の通りです。簡単に言ってしまえば、藍佳は異世界転移者なのです。
 彼女がこの世界が転移したのは五千年前のこと、それを行ったのは当時悪魔と同等の力を持っていた存在───天使でした。

 他の世界ではどうかは知りませんが、この世界での天使と悪魔は対極の事象を司っています。天使は創造、発展、繁栄を。悪魔は破壊、退化、衰微を。
 争いを絶えず繰り返すその二つの存在、わずかばかり天使の方が優位に立っている状態が、この世界の調和と安寧を守っていました。急速に進みすぎた文明は世界を滅ぼし、進化のない社会は緩やかに破滅へ向かうからです。ゆっくり成長していったからこそ、この世界は未だにその姿を保っているのです。

 しかしある時を境に、少しづつ天使が悪魔に押されるようになりました。最初は小競り合いで負けてしまう程度でしたが、徐々に形勢の有利は悪魔側へ。天使はいくつかの要塞を放棄し、防衛戦に持ち込むことでどうにか壊滅を免れましたが、このまま決定打がないままでは敗北が確定、というところまで行ってしまっていました。

 その時に天使が選んだのが、他の世界からの転移者に戦ってもらう、という選択です。
 この世界の魂は、この世界の理に縛られます。例えば、全ての生き物は滅びを齎す悪魔に嫌悪感を抱くことや、生まれつき使える属性は決まっていてそれ以外は使えないことなどです。
 しかし、転移者であればそれらのルールを超越することが可能です。悪魔に接近できたり、鍛えて全属性を使ったり、といったことができるのです。

 天使はそこに目をつけて、日本から四人の少年少女をこの世界に連れてきました。その内の一人が、藍佳です。

 その四人は、天使の助力もあり、全属性に加えて霊属性も操れるようになりました。霊属性というのは、他の属性を超越する唯一の属性です。それを使えるのは、天使側のトップである天使長を除いては、その直属の二柱と、日本からやって来た四人だけでした。

 少し脱線しますが、後々重要になるので先にお話しますね。
 当時、悪魔が天使を認識していた方法は、二つありました。
 一つが、魔力の質を見ること。人間よりもはるかに大量の強い魔力を持っており、その差は一目瞭然だったそうです。ただ、自身の魔力を隠蔽することに長けた天使もいたため、もう一つの方法の場合が多かったそうです。
 それは、翼です。色や形には個人差があったようですが、全ての悪魔が角を持つように、天使は翼を持っていました。それを目印に、悪魔は人間界での遠距離攻撃などを行っていたのです。

 もとは、天界では天使と悪魔が生活していました。双方の生活圏の間に峡谷があり、それが二つを隔てていたのです。ですが、悪勢力を拡大するにつれて悪魔が峡谷を越えてくるようになり、天使は人間界に逃げざるを得ない状況になりました。
 そうして人間界に逃げた天使を、悪魔は主に遠距離攻撃で殺していました。天使も悪魔も、人間に姿を見られてはならないという決まりがあったからです。

 さて、天使は自らの魔力と翼を隠すために魔法を使っていたので、反撃に転じることがなかなかできませんでした。そこで活躍したのが、藍佳達です。

 この世界の人間に紛れながら、天使を狙う悪魔を次々に倒していった四人は、天使内でも一目置かれるようになり、同時に悪魔から警戒されるようになっていきました。
 その頃は、四人の活躍により天使はかつての活動範囲の七割ほどを奪還し、大きな戦いを仕掛けようと画策していました。すでに世界は異常をきたしていて、天使の中にも焦りがあったからでしょう。

 結果から言えば、多くの犠牲を払いながらもその作戦は成功し、悪魔は天界の奥深くに封印されることとなりました。全ての悪魔の命を奪ってはこの世界が壊れてしまうからです。
 しかし、それでもバランスは崩れてしまっていました。天使の数の方が圧倒的に多く、しかも人間界でも戦いを繰り返したため、世界がより天使の影響を受けるようになってしまっていたのです。

 このままでは世界の寿命が短くなってしまうことになります。それを危惧した天使は、自分達の下位存在である"精霊"、そしてその精霊が住む"精霊界"を創り出し、どこかへ去っていきました。

 その時、日本から転移してきた四人の少年少女は、それぞれ異なる状況にいました。

 二人の少年は、精霊界の礎に。
 一人の少女は、悪魔を封印する鍵に。

 そして藍佳は、力を使い果たし無数の傷を負った影響で深い眠りについていました。








 ふぅ、とそこで息をついたアイカさんは、私を見てニコリと笑う。

「どうしました、アマリリスさん。驚き過ぎて何も言えない、みたいな顔をしてますよ」

「……誰も知らないこの世界の歴史を聞いて、驚かない人はいないと思うわ。世界の仕組みとか、天使とか、衝撃的過ぎて受け入れられていないもの」

「そこまでですか?」

「えぇ。……どんな人でも、自分の生まれ育った世界の本質を知るなんて経験、頼まれてもしたくないと思うけれど」

 作り話なのではないか、アイカさんの勝手な空想なのではないかと、そう考えてしまっている自分がいる。いや、そう信じ込みたいだけかもしれない。

 自分が今まで疑問を持たずに接してきた存在が、創られた存在であること。それらを創ったのは、"天使"であること。
 そして、"悪魔"は創作物の中だけの化け物などではなく、かつてこの世界で生きて、"天使"と敵対していたこと。

 ……大陸一と謳われる魔法大学でも学ぶことのできない、世界の起源。

『僕は、あくまで天使によって創られた存在ということかぁ。……面白いね。リリィが聞いていたら、秒で飽きてしまいそうだけど。アマリリスさんは平気そうだね』

「歴史は好きな方ですから。といっても、話を理解しただけで納得はできていませんが」

『仕方ないよ。僕もゆっくり噛み砕いている状態だ。これを平気な顔して話すアイカが、異常なのかもね』

 いたずらっぽく言ったハルトナイツさんを、アイカさんが軽く睨みつける。

「人を異常扱いしないで下さい。……ではそろそろ続けますが、いいですか?」

 私とハルトナイツさんが頷くのを見ると、アイカさんは再び話し始めた。
 その時微かに頭痛を感じたような気がしたが、多分気のせいだろう。








 深い眠りから藍佳が醒めたのは、眠り始めてから大体二千年経った頃。つまり、今から三千年前ほどのことです。
 その頃は、もうすでに精霊界がかなり発展していて、精霊がこの世界の一部となっていました。
 一応精霊の間に"悪魔"の知識はあったけれど、それを使う機会が長い期間なかったため、危険意識が薄れていたと言わざるを得ない状態でした。

 そんな時、突如として天界に封じられていた悪魔が解き放たれ、人間界へ攻め込んで来たのです。
 完全に先手を取られた精霊は、不利な戦いを強いられました。悪魔との戦い方を知らなかったことも原因の一つでしょう。精霊の中には、悪魔に近付くだけでひどい嫌悪感を抱き、戦闘を続行できない者までいました。そんな彼らの多くが、命を奪われていったのです。
 あまりに悲惨な状況に、最初は静観していた藍佳は全面的に参戦することを決意しました。

 しかし、眠りの中で霊属性を喪失し、全ての魔力が回復していなかった藍佳は、かなり苦戦しました。精霊が見ず知らずの藍佳を警戒したこともあり、ほぼ孤立状態だったのもあったからでしょう。
 その中で藍佳は、自分が記憶の精霊であることに気付きました。知らない間に手に入れていた権威の力に、初めこそ戸惑って試行錯誤していましたが、そこからは権威を使うようになり、多少戦況は好転しました。しかし、依然として悪魔は勢いを増すばかりでした。

 それでも途中からは他の精霊の協力もあり、どうにか悪魔を押し返すことに成功したのです。完全な封印は無理だったものの、数百年は保つ結界を張ることで、どうにか平穏を保つことができました。

 この戦いは、後に第一次対悪魔戦と呼ばれるのですが、戦いの後に藍佳は精霊王に霊宮へ招かれることとなりました。
 そこで藍佳が出会ったのが、闇の精霊王であるユークライさんです。

 精霊王が主に担うのは、人間界と精霊界の監視です。全ての精霊の頂点に立つ精霊王は、下位精霊の視覚を通じて世界を見ることが可能です。八柱の精霊王は、それぞれ分担しながら世界を監視していました。そのため、割と自由行動が可能だったのです。

 特徴から"始祖の精霊"という精霊だと認識されることになった藍佳の側に、ユークライさんは護衛という名目で居るようになりました。そんな彼の本当の目的は、強大な力を持つ藍佳から技術を盗むことでした。
 初めはお互いを過剰に警戒していましたが、その目的に気付いてから、藍佳は魔法の手解きをするようになり、次の対悪魔戦に備えるようになりました。他の精霊に教えることもあり、精霊全体の魔法技術の水準がぐっと上がったのです。

 それがどこまで役立ったかは不明ですが、第二次対悪魔戦では、その前に比べて少ない被害で済みました。第一次の被害が多すぎたから比較はできませんが、確実に精霊は力をつけていたことが実証されたのです。

 第三次対悪魔戦は今から約二千四百年前、藍佳が目覚めてから約六百年後にありました。着実に戦略を練って準備を重ねた精霊側は、少なくない同胞を失ったものの、およそ七年で悪魔を再び封じ込めることに成功しました。

 その後です。藍佳が、ここにいるハルトナイツさんとリリエルさんに出会ったのは。

 精霊の中での英雄のような存在だった藍佳とユークライさんに、二人は弟子入りしました。二人の育ての親が、対悪魔戦で命を落としたからだそうで、復讐のために研鑽をしていたのです。
 ただ、日を重ねるにつれて徐々に打ち解けていき、憎しみは"仲間を守りたい"という前向きな感情に変化していきました。

 精霊界全体でも、戦いに関する考え方が変わろうとしていました。ある程度ほとんどの精霊が力をつけたことで、それまであった焦燥感や不安、恐怖といった感情が減っていったのです。中には悪魔との融和を探し始める者が居たほどでした。

 そうして次にやってきた第四次対悪魔戦は…………精霊達の願いとは裏腹に、一言で言えば、まさに地獄でした。

 どこからか、悪魔との親交を望んでいたことが漏れていたのでしょう。悪魔は今までと違って、"親善使節"と嘯く者を送ってきました。
 それは悪魔の中でも階級が高く魔力の強い、特級悪魔である三公の一柱、呪公です。

 そのことを喜んだ友好派の精霊は、呪公との対談を行いました。会談場所は人間界のとある国の近くで、指定したのは悪魔です。『罠ではないか』と警戒する声も上がりましたが、複数の高位精霊を護衛につけて向かうことでどうにかそれを押し込めました。
 しかし、そこで一対一での話し合いを持ちかけられ、友好派の代表である月の精霊アリシュラさんと呪公は、部下や護衛から離れたところで話をすることになりました。そこに同行していたリリエルさんはきな臭いものを感じ、すぐに戦闘に入れるように準備をしていたそうです。

 その悪い予感は当たってしまいました。
 突然、二人の魔力が高ぶり、それを合図にしたかのように悪魔が攻撃を始めたのです。
 非礼に当ってしまうから、と武装を解除していた多くの精霊はすぐに自衛できず、命を落としました。ただ、リリエルさんや他の複数の精霊の奮闘により、アリシュラさんや何名かの精霊は帰還することができました。
 それでも、呪公やその配下による呪いで、アリシュラさんや他の精霊達は数日後に息を引き取りました。唯一生き残ったのは、リリエルさんだけだったのです。








「……ひどい」

 思わず、そんな言葉が口をついて出た。

 良心を悪用して、命や大切なものを奪う。

 歴史書などにはよくある話ではあり、社交界でも存在しないとは言い切れないことではある。実際にそれで破滅させられた人を、この目で見たこともあった。それでもその話を実際に聞けば、やり場のない怒りがふつふつと湧いてくる。

 悪魔は、自分達に歩み寄ろうした精霊の勇気を、誠意を、決心を踏みにじった。
 踏みにじるどころか、それを嘲笑い、更にズタズタにしたのだ。

 一度も会ったことのない"悪魔"という存在に募るのは、ただただ嫌悪感だけ。
 いつの間にかぶり返してきた頭痛を隠しながら、私はハルトナイツさんの方を見た。

『あの時のことは覚えているよ。全員ひどい顔で帰ってきた。いつも笑顔なリリィも、ずっと沈んだ表情をしていた』

 淡々と話すハルトナイツさんは、拳をきつく握りしめている。顔を伏せているので表情は分からない。

『それでも次の戦いに備えると言って、リリィは少しずつ元に戻っていった。……戻っていったように見えたんだ。でも、身体は確実に蝕まれていた』

「……まさ、か」

『リリィには、呪いがかけられていた。遅効性のものだったようで、気付いた時にはもう救う手立てはないと言われた』

 喉奥がギュッとなり、息が苦しくなる。
 なんて言えばいいかわからずに、思わず視線を下に向けた。

 仄かに輝く凹凸のない床は、ぼんやりと私の顔を写している。色素の薄い、光の加減によっては白にも見える髪に、白い肌、そして黒い双眸。
 見慣れたはずの自分の姿に、頭痛のせいか違和感を覚えた。

『……あぁ、別にアマリリスさんを落ち込ませようと思ったわけではないんだよ』

 ハルトナイツさんの言葉に顔を上げると、彼は少し困ったように笑みを浮かべている。

『僕の馬鹿な行動を、教訓にして欲しいんだ』

「馬鹿な行動、ですか…?」

『うん。実はリリィが呪いに侵されていることを知った僕は、かなり愚かなことをしたんだ。───本当に馬鹿だよ。たった独りで悪魔の陣地に飛び込んで、呪公の息の根を止めようとしたんだ。笑っちゃうよね。学者肌の第二位精霊が単独で、呪公とその配下を殺せるわけがない。それなのに、僕はそれを試みたんだ』

 違う、と無性に告げたくなるのをぐっと堪えて、私は次の言葉に耳を傾けた。

『結果は惨敗。惨敗というか───命からがら辛うじて逃げることはできたものの、利き腕を失って、数え切れないほどの呪いをかけられて、瘴気に当てられたせいでまともに歩くことすらできない状態だった。生きていたのが不思議なほどだよ』

「……そうして、どうなったのですか?」

『もう死という道しか見えなかった僕は、一世一代の博打に出たんだ。……僕とリリィの魂の回廊を繋ぐように、アイカに頼んだんだよ』

 そこで言葉を切ると、ハルトナイツさんはアイカさんに軽く視線を向ける。
 それに釣られてアイカさんを見ると、彼女はわずかに顔を歪ませながら、彼を見つめていた。その表情から滲み出るのは、後悔か怒りか、はたまた別の感情か。

『魂の回廊を繋ぎお互いの魔力を交換することで、魔力及び魂の活動を活性化させ、生命活動をある程度まで回復させようと思っていたんだ。リリィの魔力には霊属性が僅かに混ざっていたから、上手く行くと思ったけれど……残念ながら失敗した。しばらくして、僕もリリィも命を落とした』

 告げられた事実に何と言えば良いかわからず、口を真一文字に結ぶ。

 慰めも同情も、多分お門違いだ。
 遥か昔に起きた出来事に、今しか生きていない私が口を挟むなんて、ある意味その時の彼らへの冒涜になる。

 あぁ、それよりも、頭痛がまたひどくなり始めた。
 頭蓋骨の中で何かが悲鳴を上げているように、軋むような痛みが連続的に襲ってくる。

『すごく後悔したよ。呪いに蝕まれて苦しげな表情で、大好きだった夕日のような髪も色が抜け落ちて、海を閉じ込めたような瞳も黒く染まっていて……変わり果てた状態で、リリィは事切れた。僕のせいでね。魂の回廊を繋いだりしなければ、あそこまでひどい状態にはきっとならなかっただろうに……』

 すっかり揺れが収まった大書庫に、ハルトナイツさんの声だけが響く。

『……でも、今回は成功したみたいだけどね。ラインハルトも君も生きている』

 その優しい声色も、痛みのせいでくぐもったようにしか聞こえない。

『正直、かなり危ない状態ではあった。元々強すぎる魔力を自分で制御できていなかったから、ただでさえラインハルトの魂は安定とはいえない状態だったんだ。呪いの後遺症が無さそうなのは、奇跡と言っていいほどだと思うよ』

 安堵からか、その言葉に一瞬痛みが引いたような気がしたが、またすぐにガンガンと耳鳴りが始まる。

『今ラインハルトの魂は、僕の記憶を流したせいで多少不安定になっているけれど───』

「たしょう、ふあんてい…? 記憶を流す、ってどういうことですか?」

 頭が何か考える前に、口が勝手に動いていた。耳に入ってきた自分の声の冷たさと攻撃性に、我ながら驚いてしまう。

「ラインハルトに、危害を加えているんですか…?」

『違うよ。落ち着いて』

「落ち着いています。……落ち着いて、います」

 頭痛がひどい。

 声がする。
 何も信じられない、って。信じるな、って語りかけてくる。

「…………記憶を流すって、なんですか…。そういえば、さっき言ってた『前世が精霊』とか…何か、隠してるんでしょ、二人して…!」

 アイカさんもハルトナイツさんも、信用できる人達だと思っていたのに。

「違います。これから話すところでした。今はただ順を追って話しているだけです」

『そうだよ。一気に話したら、アマリリスさんも混乱してしまうから───』

「っぐ……どうせ、嘘をついているんでしょう…! 昔からそう。私の周りには、嘘つきしかいなかったもの!」

 どうせ私は"黒持ち"。
 忌み嫌われる"魔女"と似ている存在なんだ。

『っ!! また揺れ始めた!』

「アマリリスさん、落ち着いて下さい! 私達はあなたの味方です!」

「……っ、うるさい、うるさいっ!!」

 滅茶苦茶に手を払うと、何かに当たった感触がした。
 パキン、と耳障りな音がする。

「どうして……さっきまで落ち着いていたのに……」

『まさか、記憶を封じ込めていることの副作用…? あるいは魂の回廊を繋いだ影響か……』

 世界が揺れて、座っていられなく・・・・・・・・なる。

 目の前は、絶えず光が点滅していて見えない。辛うじて、目の前にあるいくつかの人影が見えるだけだ。

「消えてよ、どっか行ってよ!!」

 ここ・・に他人がいることが、すごく不快で気持ち悪い。
 早く出て行って欲しい。一人にして欲しい。

「大書庫の管理者権限が、アマリリスさんに移ってしまっているから、私達は異物だと思われています!」

『くっ、リリィが目を覚ましても無理か…!?』

「おそらく無理です! 今のアマリリスさんの方が、記憶の権威との親和性が高くなっているので、番人でしかない私にも、"天候"の精霊だったリリエルさんにも、もう大書庫は制御できません!」

 まだいるの?

『床が、崩れ始めてる…!』

「アマリリスさん、聞いてください! 私は、私達はあなたの味方です!」

 ぐっと、誰かに左腕を掴まれた。
 そこに鈍い痛みを感じたのは、なんでだろう。なんだっけ、何か大切なものをそこに付けていた気がする。

 そう思った途端、膨れ上がった脱力感が全身を襲った。
 分厚い膜に阻まれて、五感がぼんやりと歪んでいく。

「ここに、あなたの───を───」

 なんて言っているのか、全然聞こえない。
 聞こえないのか、聞こうとしていないのか、それさえも曖昧になってくる。

「───番人で───の奥に───」

 あまりにも聞こえなさ過ぎて、聞き返そうとして、やめた。

 すごく眠たい。
 何をする気力もない。

 気力だけで保っていた力を抜くと、ふわっと飛び上がる気がした。

 何か大事なことがあったような気がする。
 しなくてはならないことが終わっていない気がする。
 誓ったことを忘れたような気がする。
 大切なことをずっと覚えていた気がする。

 起きているのか、寝ているのか。
 目を開けているのか、閉じているのか。
 生きているのか、死んでいるのか。

 頭がぐちゃぐちゃになって、視界もたくさんの色で塗りつぶされて、そして最後に一つだけポツリと呟いた。

「さびしいよ」

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