【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

47話: 何が利益に転ぶのか

 馬車に揺られること数時間、王城へ帰ってきた私はユークライやヴィンセントとは別に賓客用の部屋に通されている。
 それだけだったらまだいいんだけど、なぜか私はスパに通されマッサージされたりして、磨き上げられていた。

 精霊である私は、身体が特殊だ。汗をかいたり、むくんだり、筋肉痛になったりもしない。ついでにいうと、精霊としての能力である自己回復で小さな怪我まで治せる。
 要するに、こういったスパやマッサージなどのような類のものは不必要なのだ。
 しかしそれでも身体を解されるのは気持ちいいのだなぁ、とぼんやりと思う私。
 やっぱり精神的なものなのか。
 人間の間では、"精霊"という存在はすごく神秘的なように思われているけど、かなり俗っぽい。娯楽として食事は楽しむし、ダラダラと怠惰に日々を過ごす精霊だっている。最近は流行が停滞しているらしいから、いつかセラピー系のものが流行るかもしれない。

 このことを、今も高位精霊の機嫌を伺うようにしている王城の人々に言ったらどうなるのかと、一瞬変な考えが頭を過る。案外、精霊向けの娯楽施設とかが誕生するのかもしれない。
 人間が運営するテーマパークに精霊が楽しそうに訪れる想像を一蹴し、私は目の前の鏡に目を向けた。そこには、十数人の黒い細身のドレスの上に白いエプロンを着けた侍女さん達と、無表情な私が映っている。

「お加減はいかがでしょうか?」

 芳醇なアロマと薔薇の香りが匂い立つ部屋で、化粧をされ髪を結われているこの状況。
 いや、まぁなんとなく誰がどうしてこれをやっているかは予想はできるけれど、どうやって反応すればいいのかがわからない。

 とりあえず、微笑みながらも緊張と不安が入り混じった視線を送ってくる侍女さんに、感想だけ手短に告げる。

『……良い』

「アイカ様にそう言って頂き、光栄に存じます」

 私の言葉をサラサラと書き留める音が後ろからする。

「御髪が本当に艷やかでいらっしゃるのですね……。どのような髪型に致しましょう?」

『……任せる』

「畏まりました。化粧も致しますわね。腕によりをかけ、命を賭してでも美しく仕上げますわ」

 命は賭けないでほしい。切実に。
 けれど今この国が置かれている状況と私の影響力を考えると下手なことは言えなくて、心の中で溜め息をつくしかなかった。



 国の中枢である王城に、賊が侵入。王城内への攻撃までゆるし、第二王子ラインハルトが怪我をした。それだけでなく、賊は未だに捕まっていない。
 この醜聞は、国内外に瞬く間に広がったそうだ。そして、王城に王太子が滞在しているメイスト王国を筆頭にウィンドール王国へ非難が集中した。今、外務大臣であるウェッズルが必死に対応しているらしいが、さすがの彼でも分が悪い。
 さらに、王家へのバッシングもある。王城では貴族の子女も多く働いており、自分の子供が危なかったという家が、徒党を組んで非難の声を上げ始めたのだ。これは宰相のミレイルが宥めようとしている。もっとも、五公爵の一人、シャル公爵がバックにいるらしく、やりにくそうにしていたが。
 今この国は、汚名返上をするきっかけが欲しい。その一つとして、私の存在がある。

 さっき私の言葉を書き留めていたのは、それを以て評判を回復するためだろう。第二位精霊が認めた、とでもいえば精霊信仰が根深いメイスト王国は勢いを削がれるはずだ。それに他の国からしても、天災を司る私に楯突くのは避けたいはずだと予想している。大地の精霊や海の精霊を除けば、一番国力に影響を与えるのは天災の精霊だから。
 実はそういったこともあり、本来はここまで人間界に関わってはいけないのだけれど、悪魔のことがある。悪魔がこの国に関わっているのであったら、私も干渉して悪魔の侵攻を防がなくてはいけない。

「……終わりました。ご確認下さい」

 その言葉に思考を止めて鏡を見ると、いつもより多少綺麗な自分の姿が目に入った。
 ……いや、多少っていうかかなり綺麗だ。化粧の力と侍女さん達の腕には恐れ入る。いや、髪型も関係しているのかもしれない。いつもは適当に下ろすかポニーテールにするかの二択で、気分が向けばハーフアップをするくらいなのだが、今は精密に編み込まれたサイドアップだ。
 普段はつけないネックレスやイヤーカフが、いい感じにドレスや髪型と調和している。ちなみにドレスは、ナツミにデザインしてもらった緑から青へのグラデーションが特徴的なものだ。天災の精霊っぽい色、とお願いしたら自然の色であるこの二つを組み合わせたものになった。アクセサリー類は、このドレスに合わせるように侍女さん達には頼んである。
 でも、本当にすごい。もはや別人レベルで、綺麗になっていた。

『……良い腕だ』

「……っ! お褒めに預かり、至極光栄でございます…!」

 フランクに話すわけにもいかず、堅い言葉遣いになってしまうが、それでも喜んでくれているようで良かった。自分の対応が間違っていなかったことに胸をなでおろす。
 これ以上彼女達の手をわずらわせることはないだろう。私が下がるように合図すると、侍女さん達は礼をして去っていく。

 そうして誰もいなくなりやっと一人になれたと思った途端、扉をノックされた。

『入れ』

 一人の時間というものは不可欠だと思っている私は、本当は面倒だと思いながらもそう声をかける。追い返すのも可哀想だし。
 てっきりやってくるのは別の侍女さんか文官かと思えば、なんとそこにいたのはイリスティアだった。

「失礼致します、アイカ様。僭越ながら、わたくしが貴女様の話し相手を務めさせて頂きますわ」

 後ろにたった二人の侍女しか連れていないのがこの国の王妃としては異様ではあったが、その二人が漂わせる玄人の気配に納得する。貴人の前にぞろぞろと使用人を連れていくわけにもいかないのだろう。
 豪奢な紫のドレスを身に纏うイリスティアは、気品溢れるカーテシーをした後、部屋の中央にあるソファへ私を案内した。そして私が腰をかけるのを見ると、自身もその対面に座る。

「後ろの二人は、わたくしの忠実な部下でしてよ」

『そ。じゃあいっか』

 遠回しに砕けた話し方で良いと言われ、顔馴染み・・・・のイリスティアと普通の会話ができることに安堵する。

『久しぶり───って言っても、同じ王都内にはずっと居たんだよね』

「えぇ。ただ、王城にこもりきりだったアイカ姉様とは違い、わたくしはサロン中心に動いていたので、顔を合わせる機会はありませんでしたわね」

 まさに才色兼備なイリスティアは、数多くのサロンを主催している。彼女のサロンは、表向きは貴族夫人達が知識交換をする場ではあるが、実際は王妃である彼女の意見を国中に発信する重要な場の一つ。しかし逆に、彼女に夫人達が自分の派閥の意見を突きつける場でもある。
 あの事件の後、イリスティアがたくさんの悪意に晒されたことは、容易に想像できることだ。

『王家への批判とか、大丈夫なの?』

「ふふっ、アイカ姉様はお優しいままなのですわね。わたくしは平気ですわ。むしろ、水面下で嫌がらせを事前に防いでくれた彼女達こそ、辛かったはずですわ」

 イリスティアの賛辞に、そんなことはないと言いたげに首を振る二人。
 そこに確かな信頼関係が垣間見えて、私は思わず笑みを浮かべた。

『あんまり無理はしないでね』

「わかっていますわ、アイカ姉様。……そういえば、今も姉様と呼んで宜しくて?」

『公の場ではなければ、大丈夫…かな?』

「あら、宜しいのですね! 嬉しいですわ、本当に」

 もう四十を超えているはずなのに、頬を赤らめる姿はうら若い少女と何ら変わりない。むしろ、危うい色気があって余計にたちが悪いまである。

「姉様と昔のようにまたお話できるなんて……。けれど、あの頃の姉様はもういないのですわね」

『ん? どういう意味?』

「いえ。わたくしもアイカ姉様も、ハーマイル様や他の皆様も、昔とは違いますわ。あの頃と同じわたくしも姉様も、どこにもいませんから」

『……そう、だね』

「変なことを言いましたわね。……そういえば、そちらのドレスは姉様ご自身でお作りになられたのですか?」

『いや、これは私の部下が考えてくれたやつだよ。作ったのは私だけど。すごいでしょ?』

「とても綺麗なドレスで、不思議な色ですが魅惑的ですわ。すごく似合っていますわね。ドレスだけでなく、アイカ姉様自身がお美しいですわ」

『ありがと。イリスティアも綺麗だよ』

「ふふっ、ありがとうございます」

 ふと会話が途切れる。
 遠くからわずかな話し声が聞こえる中、私は改めてイリスティアの王妃としての品格に感心していた。

 眩いばかりの緩やかに波打つ金髪は結い上げられ、叡智を宿す蒼色の瞳は見ている人を引き込んで離さない。
 歳を取ったというのに衰えることのない美貌は、年月を重ねるごとに彼女が積み重ねていった経験と知識によって更に洗練されている印象だ。

「……そんなに見つめられても困りわすわよ?」

『あぁ、ごめんごめん。イリスティアがなんか危険なくらい美人になってるから、つい』

「アイカ姉様にそう言って頂けるとは、毎日努力している価値がありますわ。ただ面倒なこともありまして、良いこと尽くめではないのが悲しいところですわね」

『面倒なこと?』

「外交のために、単独で隣のヴァザック帝国を訪問した際のことですわ。彼の国の第二皇子に求婚されましたの」

『……は?』

「皇太子殿下の即位を前にして、もう三十にもなる第二皇子殿下に結婚を求める声が多いらしく、その相談に乗っていたらいきなり……。わたくしに運命の人だと迫ってきた時は、反射的に扇子を投げつけたい衝動を必死で抑えましたわ。わたくしはハーマイル様一筋だというのに、本当に無礼ですわ」

 形の良い眉を顰め溜め息をつく。

「幸い、同じ場にいらっしゃった第一皇女殿下がとりなして下さったお陰で大事には至りませんでしたが、そのせいで気まずくなりましたの。もっとも、その負い目があったからか、我が国に有利な条約を結べたのは嬉しい限りですわ」

 一転してカラコロと笑うイリスティアを見て、思わず私も笑ってしまう。全然笑い話ではない気がするのだけれど、当事者の彼女が笑っているなら大丈夫なんだろう。

「外交においては、何が利益に転ぶかだなんて神……霊王様にもわかりませんわ。それが厄介なところで、愉快なことですわよね」

『否定はしないよ。どんな交渉でもそうだから』

「本当に、そうですわ」

 そのどこか含みを持たせた言い方に、嫌な予感がして私は思わず話を強引に逸らした。

『そういえば、ハーマイルは元気?ミレイルとかにこってり絞られてそうだけど』

「ふふっ。あまり元気とは言い難いですわ。だからこそ、アイカ姉様のお力を借りたいのですが……構いません?」

『内容によるけど……いや、そんなキラキラした目を向けないで!?』

 やってしまった。これだったら、了承しているようなものではないか。

「アイカ姉様に頼みたいことなのですが……レイスト殿下にアイカ姉様との対話の場を設けて欲しいとの申し出がありましたの。国家としてではなく、殿下ご自身からの"お願い"として」

『へ、へぇ』

「殿下の"お願い"を叶えれば、わたくし達はメイスト王国王太子のレイスト・フェンダースに貸しを作れる、ということになりますわ。それはつまり、隣国の次期国王に国家間ではない"お願い"をわたくし達ができる、ということですの」

 現国王のシュヴァルツ・ヴェル・フェンダースは、確か今五十六歳だったはず。魔力と魔法の恩恵により、特に上流階級の人間は平均寿命が六十後半あるとはいえ、そろそろ退位してもおかしくない年齢だ。
 彼が退位すれば、次に玉座に座るのはレイストになる。

『……んー、事の重要性は理解したよ。けど、私にメリットはあるの?』

「アイカ姉様は先日の件に関して、メイスト王国とブラックダガー、そして悪魔の共謀を疑っておられるのでしょう?ウィンドール王国が外交において優位に立つことができれば、調査も容易になりますわ」

 精霊だから不法侵入はしたい放題だが、それで得られる情報だけでは不十分だということをわかって、イリスティアは言ったのだろう。特に聞き込みなどに関しては、どうしても人の手がいる。

『でも、本当にこれを叶えたら貸しが作れるかなんてわからないよ?確か、精霊に関する条約が大陸全体で結ばれていて、勝手に国家が精霊を縛ってはいけない、っていう文言があるんでしょ?』

「ただし、愛し子がいる場合はその限りではありませんわ。平民ならともかく、アイカ様の愛し子であるアマリリス嬢は、我が国の名門貴族の娘ですもの」

 貴族は国との結びつきが強いから、天災の精霊が国と結びついても不思議じゃない、ってことか。

「そして貸しが作れるか、ですが……」

 イリスティアは言葉を切って、ふっと蠱惑的な笑みを浮かべた。それに合わせて揺れる輝くような金髪から、上品な薔薇の香りが舞う。
 その芳香が部屋に漂うものと似ていて、やっぱりこれはイリスティアが用意したものなのだと少し嬉しくなる。彼女が薔薇を送るのは、彼女が信用している人に対してだけだから。

「"交渉においては、何が利益に転ぶかは誰にもわからない"。アイカ姉様が、昔教えて下さったことですわよ。そして、先程もそう仰ってくれましたわ」

『……あはは、これは勝てないね』

「でしたら、引き受けて下さりますの?」

『うん、いいよ。ただ、セッティングはそっちでやってね』

「ふふっ、アイカ姉様なら了承して下さると思っていましたわ」

『断る気はなかったからね。一応高位精霊だから、簡単に頼み事を聞けないってだけで』

 特定の人間に肩入れするのは、愛し子を除いてタブーとされている。
 もうすでにイレギュラーな事態ばかりだから仕方ないが、あまり私が相応しくない行動を取っていると、精霊界全体が無秩序になりかねない。

『で、レイストの用件は?』

「それが、アイカ姉様にしか話せないとのことで、わたくし達も知りませんの」

『そっか。まぁ、変な話ではないと思うけど』

「わたくしもそう思いますわ。……アイカ姉様、よろしければ今からでも?レイスト殿下からは、できるだけ早くしてほしいと言われておりますの」

『わかった。少しだけ準備をさせて』

「構いませんわ。では、わたくしはこれで」

 イリスティアは立ち上がると、二人の侍女を連れて先に部屋を出て行った。

 扉を閉じるカタンという音が響く。
 再び一人になった部屋で、私は精霊界へ連絡を取った。

『ターフ、今からメイスト王国の王太子に接触する。あの"シェインズ"君ね』

『御意。こちらは変わりありませぬぞ』

『了解。何かあったらすぐ伝えて。じゃあ』

 変わりないというのは、後退も前進もないということだ。良くも悪くも停滞している。
 どうにか流れをこちら側に引き寄せなかればいけない。その鍵の一つが、多分レイストだ。


 メイスト王国、ブラックダガー、ララティーナ・ゼンリル、シュヴァルツ・ヴェル・フェンダース、スミレ・テルシー、色情の精霊、禁術の魔道具。

 懸念事項はごまんとある。
 それらを一つでも多く確実に潰すのを、今回の目的にしよう。

 アマリリスが目覚めた時に、少しでも彼女が心休まるように。

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