【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

幕間: 届かない言葉

「本当なら、君が起きている時に言うべきなのだろう。けれど、これは僕の醜い自己満足に過ぎないから……」

 馬の嘶きも馬車の軋む音も遮断された空間で、青年の声だけが響く。
 彼の視線は、眠る一人の少女に真っ直ぐと注がれていた。
 少女の髪や睫毛は透き通るように白く、肌は病的なほど青白い。簡素だが幾重にもレースが重なったワンピースを纏う姿は、その生気の無さも相まってまるで一つの無機質な芸術品かのようだった。唇でさえも色素が抜けきっている彼女が生きていることを、規則的に上下する胸だけが告げている。
 馬車の中に備え付けられたソファに座る彼女は、儚さと美しさだけでできていると、目にする百人中百人は言うだろう。貴族令嬢として磨き上げられてきた少女は、眠っている姿だけでも───いや、生命の気配が感じられない姿だからこそ、見ている人を魅了する力を持っていた。

 少女に触れもせずただ見つめる青年は、まるで声だけでも壊れてしまうとも言いたげなほどに、ゆっくりと静かに話し始める。

「初めて君を見た時、すごく綺麗だと思った。容姿ももちろんだが、その心持ちが綺麗だと思ったんだ。誰か守りたいとはこういう気持ちなのだとわかった。……なのに僕は、無力だった。今も無力だ。君を襲う全てを排除したいという気持ちばかりで、力が追いついていない」

 そこで深く息を吸うと、絞り出すように告げた。

「僕は、君の役に立てなかった。君を守れなかった」

 言葉を切るが、それには何も返ってこない。非難も、容赦も、困惑も、微笑も、何も。
 青年はグッと奥歯をきつく噛む。

「今も、君のために何もできていない。僕達にはどうしようもないのだとアイカは言っていたが、そもそも僕が呪いに侵されていなかったら、もっと穏便な方法で君を助けられたかもしれないのに……僕は君の助けになるばかりか、君を更に傷つけている。どうして僕は、こんなにも…!」

 抑えきれていない感情が滲み出ている声は、行き場を失って消えていく。

「あの後……僕が倒れた後、君はその力を使ったのか?あの頃・・・でさえ負荷が大きすぎて切り札として温存していたというのに、今の君では危険すぎる。精霊王の祝福やアイカからの加護があってもだ。君が死んだら僕は……」

 ガタン、と大きく馬車が揺れた。その揺れに身を任せ、青年はぐらつく。
 眠り続ける少女は、ふわりと彼女を受け止めるソファのおかげか、全く動かない。

「……これがひどく独善的で、傲慢で、自分本位だということはわかっている。それでも、僕は君には死んでほしくない。ずっと、隣に居て笑っていてほしいんだ」

 その言葉で少女を包もうとするように、丁寧に叮嚀に言葉を紡ぐ。

「本当なら、君が目覚めている時に言うべきだ。だが、僕は臆病すぎる。君に拒絶されるのが怖い。だから、卑怯ではあるが今ここで言う」

 青年が声を発さなければ、少女のかすかな呼吸の音しか聞こえない、痛いほどの沈黙だ。
 何かを探すようにしばらく息さえも止めていた青年は、ふっと笑うと微笑を見せた。

「君が好きだ。色々言葉を探したが、多分これだ。守りたいだとか、ずっと見ていたいだとか色々ある。が、結局はこれなんだろう。……僕は、君が好きだ」

 目を閉じたままの少女に、青年は語りかける。

「本当は、婚約した時に言わなくてはいけなかった。けれど、僕は君に拒絶されるのが怖かった。言葉なんて、信用に値するものではないと思っているから。心では別のことを考えていても、言葉で誤魔化すことなんて容易だ。だから、下手に想いを告げて、優しい偽りの言葉で傷つけられるのを恐れたんだ」

 青年は淡々と事実だけを告げるように、胸の内を吐き出していく。

「君が好きだったから、君に傷つけられたくなかった。僕以外の男が好きだなんて、言ってほしくなかった。女々しいが、これが僕の本心なんだ」

 「それに」、と青年は続ける。

「君がまだ・・僕のことを好きでいてくれる保証がなかった。ライルに頼んで君のことを調べた時は、サーストンに執心だという結果だった。幼い頃から婚約を結んでいたから、自然と恋心が芽生えたのかもしれないと、仕方のないことだと納得しようとしたが、無理だった。……だから、あの卒業パーティーの時は少し嬉しくなったんだ。自分を殺そうとする男を好きになるなんてことは、有り得ないから」

 青年は深く俯く。

「僕は……最低だ。君が命の危機に陥ってた時に、自分のことばかり考えて喜んでいた。……このことを君に言ったら、きっと僕のことを軽蔑するだろうな。いや、嫌うだろうか」

 自嘲気味な笑みを含ませながら、青年は少女の反応を考える。

 酷い外道だと叫ぶのか。
 裏切られたと涙を流すのか。
 可哀想な人だと憐れむのか。
 心を押し殺して微笑むのか。

「……目を、覚ましてくれないか。罵られてもいい。嘲笑われてもいい。突き放されてもいい。ただただ、君と話したいんだ。───こんなに近くにいるのに、君はとても遠くにいる。声も手も、気持ちさえも届かない」

 向かい合うソファはすぐに詰められる距離にあるというのに、青年は決して近づこうとせずに俯いたまま言葉をかける。

 そして、しばらく黙り込んでいた青年は、顔を上げると少女を真っ直ぐに見つめた。その双眸にあったのは、つい先刻までは無かった確固たる意志の光だ。

「この身体を使おう。この名前に付随する全てのものも使おう。この知識も使おう。この魔力も使おう。この命も使おう。……来世の命でさえも使おう。だから、どうか目を開けてくれ…!」

 青年の魔力が渦を巻き、いくつもの魔法を同時に少女に施していく。
 火、水、風、土、雷、無、光、闇……全ての属性とそれの組み合わせを順々にを少女に試していくが、どれ一つでさえ彼女の瞼を震わせることはできていない。

 焦りを飲み下すように大きく深呼吸をし、青年はもう一度魔力を集中させる。魔力は今までと段違いに高ぶり、空気を震わせるようだった。
 かつて彼が文献で読んだ、どんな難病でもたちまちに治すという魔法。火で病魔を焼き、水でそれを洗い流し、無で身体に働きかけ、光で全てを癒やすという、四属性の複合魔法。
 複合魔法は、属性の数が一つ増えると指数的に難易度が上がる。それぞれの属性を別々に使った結果として複合的な魔法になるものとは、まず仕組みからして根本的に異なる。
 複合魔法とは、一つの結果に対して複数の属性ではたらきかける魔法だ。とある国において"三本の矢の教え"とあるように、一属性だけでは不十分な場合にそれを互いに補強し合うことが、複合魔法の特徴であり長所である。したがって強制力は他の魔法とは段違いに高く、それゆえに難しい。
 四属性ともなると、国に一人か二人使い手がいれば国力の増加に繋がるほどだ。
 青年でさえ、一度も四属性の魔法を成功させたことはない。しかし、彼はなら絶対に成功させられる自信があった。

 少女を覆うように、両腕と両足、胴体、そして頭上に、魔法陣が合計六つ現れる。そのどれもに、尋常でない量の魔力が込められていた。
 それらを自身の制御下に置きながら、青年はひとつずつ魔法の工程を消化していく。

「頼む……頼むから……」

 誰へ向けて告げているのか、誰に乞うているのか、あるいはそれを言っている本人でさえわからないのだろうか。
 無意識のうちに口にする言葉は、集中している青年自身の耳にも届かない。

「……頼む、頼む…………」

 額から一滴のしずくが落ちるが、それにさえ気付かずに青年は魔法を続けた。

 少女の体内から彼女を蝕むものを排除し、彼女の身体自体の抗力を上げる。言葉にしてしまえばたったこれだけだが、実際は何百もの緻密に計算された工程が必要で、それは魔力だけでなく青年の精神力をも削っていく。
 役割を終えた魔法陣がその輝きを失っていき、最後は少女の頭の上にあるものだけになった。

「頼むから……頼む……頼む…!」

 青年は、確かな手応えを感じていた。残る悪魔の呪いの残滓を、確かに消したのを感じたのだ。

「頼むから、目を開けてくれ……」

 魔法陣が弾けるように光の粒に変わり、その粉が祝福のように少女へ降り落ちた。小さくもそれが最終工程であり、度重なる魔力の干渉により疲弊した対象の身体を回復させる重要な役割を果たしている。
 高難易度な魔法の成功を喜ぶ素振りも見せず、青年はじっと少女を見つめた。

 燃える夕日を閉じ込めたような瞳は、少女の全てを見逃さないとでも言いたげで、熱烈でありながらそれを理性で抑えている危うさを孕んでいる。

 ずっと自分を殺し続けてきた青年が、ここまで感情を露わにするのは珍しかった。青年を深く知るものがいれば、きっと驚いたことだろう。
 その変化が果たして良い方に傾くのかそうでないのか、それを決める大きな欠片ピースである少女は、依然として完成された美術品のように眠り続けている。

「……目を、開けてくれ、アマリリス……」

 祈るように告げた青年の声は、誰にも届かずに消えていった。

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