【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

44話: 覚醒と目覚め未満

 精霊の眠りというものは、人間のそれとは少し異なる。
 高密度の魔素とそれに宿る魔力の塊である精霊は、基本的に休息を必要としない。その気になれば、二十四時間三百六十五日、ずっと働き続けることだってできる。どんなブラック会社だ、って感じだけどね。
 そんな精霊でも、眠る時はある。ただ、人間が眠る時は意識を喪失し心身を休ませて回復させるのに対し、精霊は意識を保ったまま低活動になる。それを私達精霊は、"眠り"と呼んでいるのだ。
 外界からの刺激はちゃんと受け取っているが、深い休眠だとそれにすぐ反応できなくなる。そのため、本当ならこんな戦いの真っ最中に寝たりはしない。しないのだが───

『くっ、あいつは化け物か!?あんな強力な魔法を立て続けに放っているのに、集中力も魔力も切れる様子がない!!』

『恐ろしく魔力の変換効率が良い……。くそっ、悪魔でもあんなやついねぇぞ!!』

 きっと、あの天才ラインハルトのことだろう。
 魔力感知を最低限にしているからぼんやりとしか把握できていないが、かなり魔法を連発しているのは肌で感じた。そのどれもが、精密なコントロール下で猛威を振るっている。
 彼の才能は、ひょっとしたらこの冷静さにあるのかもしれない。使っているのが、詠唱や魔法陣を一切使わない思念魔法なのか、あるいは魔法陣を使う描陣びょうじん魔法なのかは分からないが、どれも長時間使い続けるのは精神的にも魔力的にも辛いのだ。特に、攻撃と防御を両方こなしながらと思うと…考えただけでドッと疲れる。

「ラインハルト、右に五、正面に七。ヴィンセント、左に五」

 ユークライの声だ。
 数字は多分、敵の数なんだろう。やっぱり悪魔は、数で押す作戦をとっているようだ。

「了解。ヴィンセントさん、そっち側に二人流れます」

「わかった。……っくそ、ユークライ、これ終わったら有給くれよ」

「考えておこう」

「確約してくれたっていいじゃんか!」

「事後処理が面倒そうだから、優秀な参謀には抜けて欲しくないんだよ」

 楽しそうで何よりだ……なんて場違いなことをふわふわする頭で考える。
 長い間睡眠をとっていないから、久しぶりのこの感覚が本当に愛おしい。精霊には休息は必要ないけれど、この眠りの快楽は必要な気がする。頑張れば頑張るほどこの瞬間は心地よくなる、というのが私の持論だ。さっき全力でカレンと戦ったし、少しくらい休んでも大丈だよね、と誰にともなく言い訳しながらも、私は周りに耳を傾けていた。

『申し訳ございません!あの三人の精霊を分断する作戦ですが、失敗しこちらへの被害も大きく……』

 ジンさんとナツミ、そんでターフのことかな。
 悔しそうに報告するその悪魔に、私はほんの少し同情した。キレてるナツミの相手は、私でもごめんだ。そもそも彼女は独特の価値観を持っていて、それに基づいた戦法をとるから次の手が予測できない。そんな彼女が平静さを欠くと、本当に何をしてくるか全くわからないのだ。
 そこら辺の悪魔にどうにかできるようだったら、私やアスクが苦労していない。

 あぁ、そうだアスク。
 呪いをかけられているはずだけど、大丈夫だろうか。まだ黒い痣はそこまで広がっていないし魔力の流れも正常なようだったが、油断はできない。可能な限り早急に対処をしなければならないだろう。対処の術はまだ見つかっていないから、本当に急がなくてはいけないのだ。

 って、呪いのせいで消耗している私は言える立場ではないかもしれない。

 "カレン"という言葉をトリガーにして発動されたあの呪いは、対象の魔力を使って対象自身を攻撃するものだ。対象の魔力が強ければ強いほど、多ければ多いほど、呪いが強力になる。すぐにカレンに返した・・・ものの、かなりのダメージを負ってしまった。
 "攻撃"の内容は結構えげつない。臓器に侵食して機能不全に陥らせたり、魔力に干渉して暴走させたり、毒のように体に回ってあちこちを攻撃したりと、私が気付けた分だけでもこれだ。おそらく、もっと時間が経過したら更にひどいことになっていただろう。
 ラインハルトやアスクにかけられていたものと違い、即効性と即死性があるもののようだった。
 多分あの呪いは、カレンの魔力のほとんどを使っている。高位精霊相当に魔力を持つカレンの、だ。
 あれは本当に辛かった。短い時間だが、数百年分の地獄を一気に味わった気分。久しぶりに死の危機を感じたほどだ。

 そのカレンはというと、私が作った風牢獄に今も閉じ込められている。救出しようと頑張っている人影もあるみたいだけど、彼らには無理だ。
 あれは、カレンくらいの魔力と腕前の持ち主が二三人集まってやっと壊せるくらいの代物だからね。私でも、自分の風牢獄は簡単に破壊できない。解除はできるけど。

 まぁそんなこんなで、戦いが続行している今でも私は魔力の回復に集中しているわけだ。
 今も頑張ってくれている精霊側の皆には申し訳ないが、カレンとの戦いで消耗してしまった分をどうにかしない限り、私が参戦しても意味がない。むしろ、無抵抗な的が増えるだけで逆に邪魔だろう。

 いつでも起きれるように、けれどできるだけ早く回復するように、睡眠と覚醒の狭間くらいのところでうつらうつらする。この極上のお布団に包まれているような感覚に、ずっとしがみついていたい、といけないとはわかっていても考えてしまう。いや、そうじゃない。いけないとわかっているからこそ、スリルのある背徳感も相まって余計に最高なのだ。
 っていうか、ユークライのローブからちょっといい匂いがするのはなんでだろう。この世界には柔軟剤とかあるんだろうか。こくりこくりとしていると、顔が近づいた瞬間にふわっと優しく香る。なんというか、女子力という点で負けている気がして悔しい。

 起きているのか自分でもよくわからない頭で取り留めのないことを考えてぼんやりとしていると、不意に言葉をかけられて意識が引き上げられる。

「……アイカさん、起きてます?」

 この声は、ヴィンセントか。
 唐突で驚くが、生命活動が最低限に留められている私の身体は、規則的に呼吸をするだけだ。もし起きていたら、ピクッと肩を動かしていた。
 そんな私の心中を読めるはずはないけれど、ヴィンセントは「すいません」と小さく謝る。

「別に、寝てるフリをしていることを責めてるわけとかじゃなくてですね」

 あぁなんだ、そのことか…と胸を撫で下ろして、ふと思った。私が起きてることに、どうやって気付いたんだろう。
 相当の魔力感知のスキルがあれば、私の魔力の揺れでわかるかもしれない。けれど、ヴィンセントにそんな技量を窺わせる素振りはなかった。
 こう言ってはなんだが、ヴィンセントは器用貧乏という言葉が似合う。何をやらせても大丈夫だが、逆に言うと得意なことがない。
 魔力感知も、人間にしてはまぁまぁくらいだったと思うんだけど。

「首筋がちりちりしません?」

 小声でそう言いながら、私がもたれ掛かる台座の方に近付いてくる。
 何かを警戒し、それからアマリリスを守るように。

 私は魔力感知を少し上げると、口を閉じたままヴィンセントの言葉に耳を傾けた。
 ここから数十メートル以内にはいない。となると、包囲網の外側しかないのだが、悪魔にそこまで人員の余裕はなかった気がする。それに、神殿はアスクの張った障壁魔法により周りから隔絶されているはずだ。増援が来ることは有り得ない。
 あの障壁魔法には、術者に何があっても持続する効果が付いている。そのせいで少し魔法式が弱く・・なってしまったものの、簡単には破れないのに。
 まさかとは思う。杞憂だと信じたい。しかし、何かを訴えてくるような第六感が、それを許してくれなkった。

「俺じゃ、こいつを守るには力不足です」

 何かをはっきり感じる。目を開けて立ち上がりたい衝動を抑え、それの正体を探った。
 誰か、害意を持っている人物の意識が、こちらに注がれている。しかし、それに気付いているのは私とヴィンセントのたった二人だけだ。

「アマリリスの身体に入れるんですよね?」

 誤魔化されているが隠し切れていない視線が、私達の方───アマリリスに向いていた。
 他の仲間に伝えようにも、伝えた瞬間に何かアクションを起こされてしまうだろう。私達二人だけで、アマリリスを守らなくてはいけない。

「これだけでも、避けてくれませんか」

 台座に密着したヴィンセントの声が、上から降ってくる。
 "これ"というのが何を指すのかはぼんやりとしかわからなかったが、次に自分が何をしなければいけないのかはわかった。

「俺、待ってる人がいるんで、盾になって死ねないんすよ」

 自分に対する嘲笑のようなのに嬉しそうな笑いを漏らした彼に、鋭い声が飛んでくる。
 それは、戦場で笑っている彼に対する叱責ではなく、彼の命を守るための叫びだった。

「ヴィンセント、避けろ!」

 ユークライの声にヴィンセントが反応してしゃがみこむ。
 そうして遮蔽するものが何もなくなったアマリリスに、禍々しい黒色の三本の矢が飛んできた。無防備に、今も眠り続ける彼女に。

 それを見て、ユークライが驚きと後悔が入り混じった表情を浮かべる。
 今まで誰も狙わなかったことが、私達の油断を招いていた。きっと敵は諦めているのだろうと思ってしまったこと、それが命取りだ。ひょっとしたら、私があの邪竜を簡単に倒してしまったことも原因なのかもしれない。
 今はまだ反省会する時間ではないのだけど、こうすればよかったと悔やまれることがたくさんある。

『だめ…!!』

 予めエメラルドが台座を囲むように張っていた結界が、粉々に壊される。それと同時に、一本の矢が砂のようになって崩れた。

「アマリリス…!!」

 ラインハルトが叫び、障壁魔法を展開するが、加速する矢は止まらない。が、残り二本の内、片方の矢を砕いた。

 しかし、その時点でもう、矢はアマリリスの眼前に迫っている。
 意識のないアマリリスが、それを防げるはずもなく、矢は彼女の胸元に吸い込まれて行った。

 しかし、それを間近で見ているヴィンセントの目に、絶望や嘆きの光はない。

「すいません……ありがとうございます」

 だって、今起き上がったアマリリス・・・・・・・・・・・・の手が矢を握っているもの。
 ゆっくりと身体を起こすと、少し申し訳なさそうにしているヴィンセントの姿が目に入った。

「『人使いが荒いよ、お兄ちゃん?』」

 そう言ってウィンクしてみせる。

「アマリリスは俺のこと、お兄様って呼んでるんですが」

「『あー、そういえばそうだったね』」

 凝り固まった身体の節々は、背伸びをするとコキコキと音を鳴らした。少し倦怠感を感じるが、長い間ずっと寝ていたのだから仕方ない。魔力を通してみると、魔力の通る道である魔力回路がズタズタになっているのがわかった。強すぎて毒となったあの魔力のせいなのだろう。
 軽く伸びをしながら台座を降りると、バランスが取れなくて倒れそうになった。平衡感覚はしっかりしているものの、弱ってしまった足腰の筋肉が身体を支えられなかったのだ。
 やばい転ぶ、と思った瞬間、ヴィンセントがまるで繊細な割れ物に触るかのように丁寧に肩を支えてくれる。それに小さく感謝の言葉を告げて、ゆるゆると顔を上げた。

『なん、だ、あれ。人間なのに、精霊…?』

 そう呟いたのは、悪魔側の一人だった。
 目ではなく魔力感知で私を見ていたら、そんなふうに思うのも仕方ない。

 私の霊体は今、アマリリスの身体に入っているのだから。

 精霊が人間に憑依するのは、昔はあったそうだ。その多くは、いわゆる巫女のような役割を持つ少女の身体に精霊を降ろし精霊から言葉を得るという、私からすればかなり宗教チックな儀式だ。
 しかし、それはかなりのリスクがある。依り代となった巫女は、ほとんどのケースで精神が崩壊したらしい。自分とは違う霊体が身体に入れば拒絶反応を起こすものなのだが、当時は精霊も人間もそのことは知らなかった。
 精霊にも一応道徳的な心はあるので、そんな儀式も廃れ、樹木や道具、死んだ獣の亡骸などに宿るようになり、今に至る。
 そのため、精霊が人間に憑依するというケースはほとんど存在しない。悪魔が知らないのも当たり前だ。というか、人間でも知ってる人はあまりいないだろう。

 一応これは切り札みたいなものだったが、アマリリスを守るためには切るしかないカードだ。

「『さて。私の愛し子を傷つけようとしたのはだーれだ?』」

 私は、夜の帳のような深い黒の右目と琥珀の金の左目で、矢の飛来してきた方向を睨む。

 自分に危険が迫っても自衛できない、意識のないアマリリスを狙った卑劣な悪魔。高位精霊である私の前で、愛し子のアマリリスの命を奪おうとするなんて、本当に浅ましい。
 怒りのボルテージが上がっていくのを感じながら、私は見よう見まねの淑女の笑みを浮かべた。

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