【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

38話: 暗闇の中の女子会 1

 誰かの声が聞こえた気がした。






 どこか暗いところを漂っていた意識が浮上した時、最初に感じたのは得も言われぬ不安と息苦しさだった。

「……っは!はっ、はぁ、はっ!」

 水から出てきたばかりのように息が続かない。
 何度かゆっくり深呼吸をしようとするが、勝手に動く喉と肺がそうさせてはくれない。

「はっ!はぁ、っは、ケホッ」

 何かに急かされるように必死に息を吸おうとしたからか、咳き込んでしまう。
 なぜか無性に苦しくて、ジワリと涙で視界が滲んだ。

「ケホッ、ケホッ、っはぁ、はぁ、はぁ」

 何度か咳をすると落ち着いて、やっと息が整う。ちゃんと吸えた息は、スっと冷たい空気を運んで私を冷静にさせてくれた。
 といってもまだ喉に苦しさと痛みは残っていて、思わず顔を顰める。


 まぁとりあえず大丈夫だろうと私は立ち上がり───自分が床に座り込んでいたことを今初めて気付いた───そしてそこでやっと、私は自分を見ていた二対の瞳と目が合った。


 数メートル先でさえ全く見えない暗闇の中の二人は、そこだけ光が当たっているようですぐに視界に飛び込んでくる。

 私は戸惑ったものの、長年の社交界で染み付いた淑女の礼をとった。
 いつの間にか、前に精霊王達と会った時に着ていたのと同じ黒いドレスを身に纏っている。艷やかな生地のスカートはふんわりと広がっていて、幾重にも重ねられたオーガンジーが可憐さを演出していた。
 そのドレスの裾を軽く摘み、カーテシーをするというのは私にとってはひどく自然なことだったのだが、慣れていなさそうな二人はそれぞれ真逆の反応をする。

『え、こ、これ、どう反応すればいいの!?』

 そう言って慌てて、パタパタと効果音がつきそうな動作で隣に立っているもう一人を振り返るのは、赤みの強い橙色の髪に藍色の瞳を持つ少女だ。
 ぱっちりとした強く輝く目。少し上向いた鼻は、他の人なら嫌な感じに見えるかもしれないが、どうしてかどこか愛嬌を感じさせる。わずかに色付いた頬に、控えめでいながら印象に残る桃色の唇。
 何も手を施されてない状態で無造作に後ろへ流されているウェーブのかかった髪は、暗い中だというのに光を放っているように見えた。
 身に纏っている淡い橙色のワンピースは、ほとんど白い胸元の辺りから鮮やかな橙の裾に向かってグラデーションがあって、どこか品のよい、それでいて軽やかな雰囲気を醸し出している。
 どこかあどけないような、けれど確実に大人へと成長していっている、いわばほころぶ前の蕾のような美しさを持っていた。

 全体的に目立つ容姿をしている彼女は、同じように目立つ容姿をしているララティーナヒロインなんかとは全然違って親しみを感じさせられるし、守ってあげたいと思う。
 そしてどこか、彼女には既視感のようなものを感じた。会ったことなんて、ないはずなのに。

 そんな彼女とは対照的に、もう一人は落ち着き払って佇んでいる。

「大丈夫?無理してない?」

 そう言って優しく笑いかけてくれたのは、私のよく見知った人物だった。

「え……アイ、カ?」

 いつかの学校の制服を着ているアイカは、普段のように軽口を叩いたり皮肉げな表情を浮かべたりせず、静かに笑みを浮かべている。
 そして不思議なことに、彼女の瞳はニホンで一般的な焦げ茶色ではなく、輝く金色になっていた。

「どうしたの、そんな他人行儀に……」

『ちょっと、大丈夫なの、この人?急に咳き込んだと思ったら、藍佳をアイカと間違えてるけど』

 その発言に失礼だとか思う前に、初対面の人に『大丈夫なの?』なんて聞いてしまうのにちょっぴり驚く。少なくとも、この子は貴族ではないみたいだ。もはや揚げ足取りが習性みたいな貴族が、こんな迂闊な発言をするわけないから。
 それに着ているワンピースも、洗練されたデザインだがよく見ると古い型のようだ。現代に通用しない訳では無いけれど、今時のご令嬢が着るものではない。

 そんな取り留めのないことを考えていると、アイカの「はぁ…」という溜め息に意識を戻される。

「リリエル、その言い方は失礼でしょ?」

『あ、う…………け、けど、あんな様子見たら、大丈夫か心配になっちゃうでしょ!?』

 あら、と内心声を上げる。
 てっきり嫌味なのかと思ったら、本気で心配してくれていたらしい。

「仕方ないよ。この子は…アマリリスさんは、記憶を思い出してないから」

 アイカはそう少女に───リリエルさんに告げると、私に向き直る。

 今まで見たことがないくらい真剣な面持ちのアイカは、深く息を吸うと言葉を発した。

初めまして・・・・・、アマリリス・クリストさん。私は北川藍佳。天災の精霊のアイカのもうひとつの人格で、記憶の精霊でもあります」

 そう自己紹介をした後、アイカは……アイカさんは、「よろしくお願いしますね」と腰を折って頭を下げた。

 ついさっきとは立場が逆転している。私が動転している側だ。いや、この方は落ち着いていたかな…?

 そして私は、驚きのあまり「どちら様でしょうか…?」と言ってしまった。
 仕方ないと思う。だって、アイカと同じ外見なのに全く違う性格なんだもの……







 その後、どこからか現れた淡い光でできた席に勧められ、私達三人は丸くなって座ることにした。

「改めまして、北川藍佳です。藍佳でも北川でも、呼びやすいようにどうぞ。そしてこの子が…」

『リリエルよ。精霊だから家名はないわ。これでも高位精霊だったから、あまり低く見ないことね』

 ちょっと高飛車な喋り方だけれど、やっぱりなんだか親しみを感じてしまう。

 私もまだ名乗ってないことを思い出して、もう名前を知られているみたいだから無駄な気もしたが、挨拶をする。
 こういうのは挨拶をしたという事実が大事なんだ、というようなことを昔社交の先生が仰っていた。

「申し遅れました。クリスト公爵家長女、アマリリス・クリストでございます。国王陛下より、伯爵位を頂いております。以後、お見知り置きを」

 座っているから、上体だけをゆっくり傾ける。

『え、えぇ。よ、よろしく頼むわね!……ねぇ藍佳、これでいいの?』

「さぁ。私に貴族のあれこれを聞いても意味ないと思うけど」

 アイカさんがそう言うのを聞いてやっと気付く。つい癖で、社交界用の挨拶をしてしまっていた。
 確かにこれは、自分で言っておいてなんだけれど堅苦しい。もっとも、今大陸全体で堅苦しいのが美徳とされている風潮があるから、それに乗っかっているというのが事実。
 しかし、リリエルさんはそのことを知らないようだ。着ている服が上等なものだから、てっきり上流、あるいは中流の身分だと思ったのだが。
 だったら、余計な貴族言葉は要らないだろう。

「ごめんなさい。普通の話し方でいいかしら?」

『えぇ!むしろ、その話し方でいて欲しいわ。お高くとまってる人と会話なんて、息が詰まるもの』

 リリエルさんが、ホッとしたような表情を見せる。

「それにしても、アマリリスさんって意外と豪胆なんですね。アイカとそっくりの私を見ても取り乱さないし、高位精霊のリリエルを見ても平然としてらっしゃるなんて」

「……高位精霊?」

「しかも、こんな変な場所に来たというのにここがどこかなんて気になさらないし、目が覚めた後すごく咳き込んでいたのに今はすごく自然体で───」

「ちょ、ちょっと待って下さい!リリエルさんが、高位精霊?」

『そう。さっきも言ったでしょ?』

 リリエルさんは立ち上がると、私の前で仁王立ちをする。
 それを見て、私は「仕方ないなぁ」と言って頭を撫でたくなるような衝動に襲われた。

 妹がいたらこんな感じなんだろうか。一応、戸籍上は義理の妹となるティアーラ姫とは何度か茶会で会ったことがあるけれど、あの頃は第三王子に気に入られようするばかりでちゃんと姫自身を見てはいなかった。謝罪したいな、と頭の冷えた今では思う。
 兄と弟はいるけれど、お兄様はいつも奔放だし弟達はそれぞれすごい才能を発揮していて、尊敬したり誇りに思ったりしたことはあるけれど、こんな自分が世話を焼きたいと感じたことはない。

 そうだ。そろそろ魔法学校は春休みに入るから、上の弟が領地に帰ってくる。ひょっとしたらタウンハウスで過ごすかもしれないけれど、それでもきっと会えるはずだ。下の弟も、家族全員が集まるならきっとやってくる。
 そしたら、ちょっと弟達を甘やかしてみよう。私よりも優秀な彼らだけど、先に生まれたのは私だ。甘やかす権利は私にあるもの……


 なんて、現実逃避をしていてもリリエルさんがそれを知る由なんてなくて、流暢に言葉を紡ぎ出す。

『私は元天災の精霊、リリエル。精霊界最強の女剣士と呼ばれてたわ!今はこんなだけど、かつては人界解放戦線の副将軍として悪魔を薙ぎ倒して、敵から恐れられてたのよ!』

 そう言って胸を張るリリエルに、嘘をついている様子なんて微塵もない。
 本当、なんだろうなぁ。

「……アマリリスさん。ひょっとしてあなた、どこか抜けてるってよく言われません?あるいは、貴族に向いてない、とか」

「あはは、言われないですよー。……家族とか親しい人にしか」

 というか、あなたと同じ顔をした人からよくそう言いたげな視線を向けられます。


 自覚はしている。けれど私だって、こんなふうに生まれたかったわけじゃない。
 昔から、他人の言いたいことを汲み取るのが苦手だった。それだけではなく、物事の飲み込みが遅かった。
 だというのにあがり症で頑固で、しかも思い込みが激しく、その性格のせいで損ばかりしてきた。
 幸い幼少期から受けてきた英才教育のお陰でどうにか今まで生きていたけれど、貴族同士の足の引っ張り合いなどを見ると、どうしても辟易してしまう。

「……貶している訳では無いんですよ。ただ、あなたなみたいな心優しくて猪突猛進な方に、嘘と策謀が入り交じる世界は向いていないのでは、と」

 そう仰ってくれるアイカさんの方が、よっぽど優しい気がするんだけど……

 ちょ、ちょっと待って。

「猪突猛進って、ひどくないですか?」

「そうでしょうか?今までのアマリリスさんの行動は、まさに即決即断、そして即行動。よく言えば迅速な対応ですが、悪く言うと考えなしと言いますか……」

「あ、あんまりの評価ではありませんか?」

『そうでもないわ。私からしても、アマリリスは危なっかしいもの。あ、アマリリスって呼んでいいわよね?』

「えぇ、構いませんが」

 私の返答に満足そうに笑うリリエルさんを見て、そこで私は浮上してきた疑問に首を傾げる。
 待って、さっきから話が逸れまくっていて聞きたいことを聞けていない。

「リリエルさんは、天災の精霊なんですよね?」

『そうよ』

 つまり彼女は、今はもう天災の精霊ではない、ということ。
 となると、私のよく知ってる"天災の精霊"は一体何者なんだろう?

「アイカは、リリエルさんの後継者なんですか?」

『うーん、そういう訳ではないわ』

 リリエルさんは言葉を切ると、アイカさんの方へ向き直る。
 アイカさんは、橙色の髪が全て振り向く前に、苦笑しながら告げた。

「権威は受け継がれるんです。受け継ぐ方の希望も、受け継がれる方の意思も関係無しに」

『ちょっ、私が言いたかったのに…言っていいか確認しようとしてたのに……』

「リリエルに喋らせるとこっちがヒヤヒヤするの。我慢して」

『うぅ……』

 肩を落とすリリエルさんに構わず、アイカさんは言葉を続けた。

「権威、というのは精霊が司るもののことです。高位精霊はそれぞれ別のものを司っているため、数に限りがあるんです。ご存じですか?」

「限りがある、とは初めて聞きました」

「そうですか。ちなみに、中位精霊や下位精霊は数に限りがないんです。ただ、下位精霊は実体があやふやなので簡単に消えたり、他の精霊と一つになったりするのですけれどね」

「なるほど……」

 頭に浮かぶのは、よく私に話しかけてくれる精霊達の姿。
 彼らは下位精霊だったはずだけど、アイカさんが言ったように簡単に消えてしまうのだろうか。
 でも、もしそうだとしたら少し悲しい。昔からずっと側にいてくれたのに……なんて思うのは人間である私の独善的な考えに過ぎないのかもしれないけど、私は彼らとずっと友達でいられるように祈った。

「話を戻しますと、リリエルが死んだ後、権威がアイカに受け継がれたのです。二人の意思関係なく」

「…………精霊も、大変そうですね」

「そうでもないみたいですよ?」

 アイカさんは、そう言って薄く笑った。
 それがどことなく、アイカと似ている気がした。

 ……アイカとアイカさんの関係は、どのようなものなのだろう。
 もうひとつの人格、と言っていたけれど、そもそもどうして同じ人の人格が分裂して別々に存在しているのか。

 それだけではない。

 ここはどこか。
 どうしてここにいるのか。
 なんで二人は私のことを知っているのか。
 二人はどこまで知っているのか。

 ひとつの疑問を皮切りに、どんどん疑問が溢れてくる。
 もっとも、中にはなぜすぐに聞かなかったのか自分でも不思議なものもあるけれど。
 まぁ、一気に色々な情報を得たせいで混乱していたから、というもの事実。
 そう誰かに言い訳をして、私は軽く咳払いした。

「んんっ……失礼ですが、幾つか質問をしても?」

「私は構いませんよ。リリエルも、いいよね?」

『えぇ。といっても、答えるのはほとんど藍佳でしょ?』

 拗ねたようにリリエルさんが答えるが、アイカさんは頓着しない。

「そうね」

 アイカさんはろくに聞いていないだろうけど鷹揚に頷くと、微笑んで軽く身を乗り出した。

「何から聞きます?まだまだ時間はあります。ゆっくり心ゆくまで、お喋りしましょう?」

 そう告げたアイカさんの瞳からはなぜかどこか冷淡なものを感じてしまい、けれどその違和感はすぐに掻き消された。

「恋バナでも大丈夫ですよ。キスはもうしたんですか?」

「な……!?ま、まだに決まってるじゃないですか!!」

















最近よく、タイトル付けるの下手だなぁ、って思います。
 区切りがちょっと悪いですね。続きます。

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