【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む
21話: 開かれた心
「ふぅ……」
 部屋に戻ると、一気に体の力が抜けてしまった。緊張から開放されたとはいえ、少しはしたないかも、と心配になる。
 だが、居間のソファーに座ると体が沈みこんでしまう感じがして、さらに力が抜けていく。
 そんな私を見て、すかさずエミーがお茶を入れてくれた。
「大丈夫ですか、お嬢様?」
『大丈夫?』『ムリしてる〜』『休憩しようよー』
 エミーの後に続くように、精霊達が気遣いの言葉を投げかけてくれる。
「ありがとう。大丈夫よ。」
 頑張って笑みを作る。私は一応、ここにいる皆の主だ。私が弱々しくては、皆も力を発揮できないだろう。
 けれども、すごく疲れた。しばらくは動きたくない。そう思い、クッションを抱き寄せて顔を埋めた。
 エミーがくすりと笑う。
「お疲れでしょう。休んだ方が────」
「すいません。皆さん、お静かに。」
 いきなりエストレイが呟く。そして帯刀していた刀を構えると、扉の方へ一本踏み出した。日本刀だろう。わずかに刃が反っているけれど、これはなんというのだったか。
 刀を持っている事に驚いたが、今はそれどころではない。
「……何があったの、エストレイ?」
「襲撃だと思われます。あと、エスで構いません。」
 では遠慮なく、と心の中で呟く。
 エスはアレックスに視線を送る。アレックスは頷いて、剣を抜いた。
 二人は扉に向かって剣を構えている。
 ただならぬ事態だという事を判断して、私は立ち上がった。
「エミー、こっちに。」
「は、はい……」
 エミーの体は震えていて、怯えているのがよくわかる。
 私は彼女を引っ張ってソファーの後ろに隠れると、手を握った。
「大丈夫。エスとアレックスがいるわ。私もいるし。」
 私の言葉に、エミーは頷いた。まだ体は少し震えているようだが、その目にはいつもの強さが戻っている。
 私は笑みを作った。エミーの心配を払拭するために、私は笑っていなくはいけない。
「…アマリリス様。俺とエストレイで賊を迎え撃ちます。アマリリス様は、そこを動かないでください。」
 見えないとわかっているが、私は頷いた。そして、アイカに念を飛ばす。
 長距離だから届くかわからないが、やってみるに越した事は無いはずだ。
(アイカ、また襲撃されたわ。場所は、使わせてもらっている部屋。今部屋にいるのは────)
 バン、と扉が破壊される音がする。エミーの手を強く握ると、彼女が私を見て頷く。
 大丈夫、大丈夫、と心の中で唱える。
「出ていけ!ここは、お前らのような賊の入っていい場所じゃない!」
「けっ、うるせぇガキだぜ。」
 賊の声は、少しくぐもっている。何か布でも口に当てているのだろうか。
 見てみたい衝動に駆られるが、事態が事態なので自制した。
「ガキは静かにおねんねしてろ!」
 その言葉を聞いた瞬間、あの日の事を思い出した。
 まだ私が十歳の頃。初めての王城でのお茶会で、襲撃された記憶。
 見ると、部屋の床近くには、もうすでに煙が広がっている。
「吸っちゃ駄目…!」
 目を閉じて、風で煙を飛ばそうとする。すると、適性がすごく低いはずなのに強い風が起きた。
 本当なら、そよ風程度の風しか生み出せないはずなのだけれど。
「嘘、でしょ……」
 風は止まらない。自分の魔力が、大きな力の奔流となって流れていく。
 風がどんどん強くなり、部屋の物が倒れる音がした。
「うわぁ!」「ぐっ…!」「迎え撃て!!」
 賊が叫んでいる声が聞こえる。どうやら、アレックスとエスは大丈夫そう。というか、混乱に乗じて攻撃をしているようだ。
 安心して気が緩んだ瞬間、一気に魔力が持っていかれた感覚がした。
「っ!!」
 大して運動をしていないのに、息が切れる。目眩もして、ソファーに背を預けた。
 自分の奥底に眠る魔力が、渦巻いて私を攻撃しようとしているような感覚を覚える。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「う、うん。」
 深呼吸を繰り返すと、だんだん落ち着いてくる。相変わらず目眩はするが、さっきよりは幾分マシだ。
「ふぅ……」
 深く息を吐いてから、次は魔法に意識を向ける。
 暴れるような魔力の流れは、消えてはいないけれど大分大人しくなっていた。
 流れを切るのでは無く、だんだん細くしていく感じで魔法を終了させる。
「はぁ……」
 風はようやく収まったようだ。私から流れでる魔力も無くなった。
 脱力して、ずるずると体が滑っていく。
「お嬢様、流石でございます。賊も撃退されたようですよ。」
 エミーの言葉に立ち上がる。部屋中を見渡すが、あまり傷は付いていない。扉の近くにある花瓶が倒れているだけだ。
 そして、縛られた賊とその隣で目を光らせるアレックスとエスがいる。
「……あ、アマリリス様。」
 エスが私に気付き、片膝をつく。
「賊は倒しました。御身を危険に晒してしまい、まことに申し訳ございません。」
「いいえ。あなたは私を守ってくれたわ。あなたが謝る必要は無いはずよ。アレックスも、私達を守ってくれてありがとう。」
 微笑むと、二人も笑顔を浮かべてくれた。
 エスは立ち上がり、刀を仕舞う。アレックスも剣を仕舞った。
 アレックスの剣が血で濡れていた事に、遅れて嫌悪感を覚える。彼は悪くないけれど、血を見るのが苦手なのだ。
「さて、衛兵は?」
「すぐそこで待機してますよ。俺達の戦いには入れなかったみたいで。」
 あぁ、と内心納得する。二人とも、まだ大人では無いのに大人顔負けの技術を持っているはずだ。アレックスは剣の、そしてエスは…
「エス、これはあなたが?」
 そう言いながら私が指差したのは、倒れる賊の一人だ。
 服は、もはや綺麗に思えるほど美しい氷の結晶で覆われている。けれど、彼の首から上はそうでは無かった。
「……仰る通りにございます。」
 ポツリと彼女が言う。すると、アレックスが急に話し出した。
「違うんです!これは、仕方なくて…!」
「あなたが何を勘違いしているのかは、あまり良くわからないのだけれど────」
  一歩踏み出して、エスの前に立つ。彼女はビクリと肩を震わせる。
 それを見て、不意に胸に痛みを覚える。彼女は悪くないのに、どうして他人に怯えるのだろう。
「エス。今回の働き、見事でした。」
「…………えっ。」
「特にこの魔法。相手の自由を奪い、かつ後遺症などを残さないというのは素晴らしい…と思うわ。私には、そういう知識が無いから詳しい事は言えないのだけれど。」
 私が言い終えると、エスは両膝を床についた。
 見ると、彼女は涙を流している。
「わたしが、気味悪く無いのですか?」
「無いわ。思う理由が無いもの。感謝はいっぱいあるけれど。」
「ありがとう、ございま、す…う、うぅ、うわぁぁん…」
 エスが泣きじゃくる。それを、アレックスが抱きしめた。
「もうチビじゃないんだから、泣くなよ。」
「うぅ、アル、嬉しい、嬉しい、よぉ。」
「うん、俺も嬉しい。」
 しばらく部屋の中には、エスとアレックスの声だけが響いた。
「こいつ、捨て子なんですよ。」
 眠っているエスをソファーに寝かせると、唐突にアレックスがそう切り出した。
「それを拾ったのが、実はレシア様なんです。」
「えっ!」
 ちなみに、アレックスが今「レシア様」とわざわざ言ったのには訳があった。
 我が国では、一夫多妻制、そしてこの大陸では珍しい一妻多夫制を導入している。
 そして、国の代表である王は、二人の正妃と四人の側室を持てる。
 今の王は二人の正妻を持っていらっしゃるはずだ。
 あら、と自分の記憶の齟齬に気付く。
 ゲーム内で登場していた王妃は、レシア様ではないもう一人の王妃のイリスティア様だ。
 と、今は関係無い話だ。
「レシア様に拾われたエスは、将来レシア様の跡継ぎの護衛になるために、三歳から訓練を受けたそうです。」
「なるほどね。」
 だから、あの強さなんだろう。
 時間と経験は、他では培えない大切な力になるから。
「その訓練の中でこいつは一回、間違えて組手の相手を殺しかけたんです。その時に、目が赤くなってて。魔法も暴走したんです」
 言いながらエスの髪を触るアレックスの手は、すごく優しげだ。
 二人の親密さが伺えた気がして、心がほっこりする。もっとも、聞いている話はほっこりとは程遠いけれど。
「しかも、暴走して色んな人に怪我させちゃって…それから、こいつは剣とかを使わなくなって、勉強と毒物とかの訓練に、のめり込んだんです。」
「ど、毒物……」
「それでも、こいつの事をとやかく言うやつはいた。」
 アレックスの声は、ひどく苦しげだ。
 見ると、彼は拳を強く握りしめている。私にはそれが、怒りを必死に耐えている姿に見えた。
「こいつは悪魔だって言うやつもいた。ただの、一人の女の子なのに。」
「……ひどいわ。」
 昔、似たような仕打ちを受けた事があるからわかる。
 悪魔とか、魔女とか。そう言われる度に、言われた側の中で何かが壊れていく。それは時に、言った側だけでなく言われた側も気付かない。
 けれど、それは確実に私達の心を蝕むのだ。
「そういう事があって、こいつは心を閉ざした。仲が良い俺にも、笑顔や涙を見せてくれなくなった。実戦訓練もしなくなって、食事の量も減った。」
 アレックスは、努めて冷静に言おうとしているようだった。けれど、抑えられていない激情が滲み出ている。
「魔法は、ラインハルト様に出会って使うようになった。あの方も、エスと似たような事があったらしいから。」
「そう、なのね。」
「だけど、エスは笑わなかった。感情を見せる事も無かった。」
 思い浮かぶのは、さっき初めて出会った時の事。
 感情の全く読めない瞳で、少し怖かった。
「それが、そ、れが……」
 アレックスが俯く。しばらくして、涙が膝の上に置いていた自身の拳に落ちた。
「こいつが、嬉しいって。そして、笑っていたんです。あなたの、おかげです。」
 そう言ったアレックスは、立ち上がって私の方へ片膝をつく。
「あなた様に、感謝を。エスを笑顔にしてくれて、認めてくれてありがとうございます。」
「……どういたしまして。これからもよろしくね、アレックス。」
「わ、わたしからも。」
 エスだった。
 いつの間に起きたのか、彼女はソファーから下りるとアレックスの隣に膝をつく。
「貴女様に気味悪く無いと言っていただき、本当に嬉しかったです。アル以外には初めてで、本当に嬉しかったです。」
 そして二人は顔を見合わせると、深く頭を下げた。
「「貴女に忠誠を。我らの剣は貴女に捧げます。」」
「ありがとう。わたくしは、あなた達の忠誠に必ず報いましょう。」
 手を差し出す。
 アレックスが、そしてエストレイが私の手を取って額につけた。これは、この国の主従関係を結ぶ時の所作だ。
 正式なものではないが、破られる事は無いだろう。
 夕日に見守られた中で、私は新たな仲間と絆を結んだ。
『……ラインハルト。いいの、行かなくて?』
「あぁ。接触禁止だからな。」
『ふーん。しっかりしてるんじゃん?』
「問題行動は起こしたくないからな。それで目を付けられるのが面倒だ。」
『ははっ、盗み見は問題行動じゃないの?』
「婚約者だ。別にいいだろう?」
『こわいこわい。────さて、私は部屋に戻って、美しい愛し子と可愛い弟子に話を聞くとしますか。』
「お前も盗み見してただろ。盗み聞きもな。」
『共犯者じゃん。人の事言えないよ、ラインハルト。……そういや、明後日の警備は?』
「わざと穴を作っている。やつらが、うまくかかってくれると良いが。」
『だね。』
「アマリリスの事は頼んだ。」
『お母さんの仇だっけ?』
「あぁ。……頼む、と言ったが?」
『どうやら、私の昔の宿敵もいるみたいなんだよね。』
「そう、か。ライルもアマリリスに付けよう。これで充分だと思うか?」
『グーストだよね?じゃあ、私の知り合いがいる。あいつに任せていいよ。』
「了解だ。じゃあ。」
『まったねー。』
 王子と精霊が話し込んでいた部屋の机には、薄い氷が張ってある。そこには、二つの部屋の様子が映されていた。
 一つは、話に何度も登場したある令嬢の部屋。
 もう一つは、その令嬢の命を奪おうとしていた組織の本拠地の一室だった。
 
それを見て、アイカがポツリと呟く。
『ごめんね。アマリリス、ラインハルト。グーストには行けないかも。
 …………リリエル、ハルトナイツ、ユークライ。残されるって、やっぱり辛いよ…』
 部屋に戻ると、一気に体の力が抜けてしまった。緊張から開放されたとはいえ、少しはしたないかも、と心配になる。
 だが、居間のソファーに座ると体が沈みこんでしまう感じがして、さらに力が抜けていく。
 そんな私を見て、すかさずエミーがお茶を入れてくれた。
「大丈夫ですか、お嬢様?」
『大丈夫?』『ムリしてる〜』『休憩しようよー』
 エミーの後に続くように、精霊達が気遣いの言葉を投げかけてくれる。
「ありがとう。大丈夫よ。」
 頑張って笑みを作る。私は一応、ここにいる皆の主だ。私が弱々しくては、皆も力を発揮できないだろう。
 けれども、すごく疲れた。しばらくは動きたくない。そう思い、クッションを抱き寄せて顔を埋めた。
 エミーがくすりと笑う。
「お疲れでしょう。休んだ方が────」
「すいません。皆さん、お静かに。」
 いきなりエストレイが呟く。そして帯刀していた刀を構えると、扉の方へ一本踏み出した。日本刀だろう。わずかに刃が反っているけれど、これはなんというのだったか。
 刀を持っている事に驚いたが、今はそれどころではない。
「……何があったの、エストレイ?」
「襲撃だと思われます。あと、エスで構いません。」
 では遠慮なく、と心の中で呟く。
 エスはアレックスに視線を送る。アレックスは頷いて、剣を抜いた。
 二人は扉に向かって剣を構えている。
 ただならぬ事態だという事を判断して、私は立ち上がった。
「エミー、こっちに。」
「は、はい……」
 エミーの体は震えていて、怯えているのがよくわかる。
 私は彼女を引っ張ってソファーの後ろに隠れると、手を握った。
「大丈夫。エスとアレックスがいるわ。私もいるし。」
 私の言葉に、エミーは頷いた。まだ体は少し震えているようだが、その目にはいつもの強さが戻っている。
 私は笑みを作った。エミーの心配を払拭するために、私は笑っていなくはいけない。
「…アマリリス様。俺とエストレイで賊を迎え撃ちます。アマリリス様は、そこを動かないでください。」
 見えないとわかっているが、私は頷いた。そして、アイカに念を飛ばす。
 長距離だから届くかわからないが、やってみるに越した事は無いはずだ。
(アイカ、また襲撃されたわ。場所は、使わせてもらっている部屋。今部屋にいるのは────)
 バン、と扉が破壊される音がする。エミーの手を強く握ると、彼女が私を見て頷く。
 大丈夫、大丈夫、と心の中で唱える。
「出ていけ!ここは、お前らのような賊の入っていい場所じゃない!」
「けっ、うるせぇガキだぜ。」
 賊の声は、少しくぐもっている。何か布でも口に当てているのだろうか。
 見てみたい衝動に駆られるが、事態が事態なので自制した。
「ガキは静かにおねんねしてろ!」
 その言葉を聞いた瞬間、あの日の事を思い出した。
 まだ私が十歳の頃。初めての王城でのお茶会で、襲撃された記憶。
 見ると、部屋の床近くには、もうすでに煙が広がっている。
「吸っちゃ駄目…!」
 目を閉じて、風で煙を飛ばそうとする。すると、適性がすごく低いはずなのに強い風が起きた。
 本当なら、そよ風程度の風しか生み出せないはずなのだけれど。
「嘘、でしょ……」
 風は止まらない。自分の魔力が、大きな力の奔流となって流れていく。
 風がどんどん強くなり、部屋の物が倒れる音がした。
「うわぁ!」「ぐっ…!」「迎え撃て!!」
 賊が叫んでいる声が聞こえる。どうやら、アレックスとエスは大丈夫そう。というか、混乱に乗じて攻撃をしているようだ。
 安心して気が緩んだ瞬間、一気に魔力が持っていかれた感覚がした。
「っ!!」
 大して運動をしていないのに、息が切れる。目眩もして、ソファーに背を預けた。
 自分の奥底に眠る魔力が、渦巻いて私を攻撃しようとしているような感覚を覚える。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「う、うん。」
 深呼吸を繰り返すと、だんだん落ち着いてくる。相変わらず目眩はするが、さっきよりは幾分マシだ。
「ふぅ……」
 深く息を吐いてから、次は魔法に意識を向ける。
 暴れるような魔力の流れは、消えてはいないけれど大分大人しくなっていた。
 流れを切るのでは無く、だんだん細くしていく感じで魔法を終了させる。
「はぁ……」
 風はようやく収まったようだ。私から流れでる魔力も無くなった。
 脱力して、ずるずると体が滑っていく。
「お嬢様、流石でございます。賊も撃退されたようですよ。」
 エミーの言葉に立ち上がる。部屋中を見渡すが、あまり傷は付いていない。扉の近くにある花瓶が倒れているだけだ。
 そして、縛られた賊とその隣で目を光らせるアレックスとエスがいる。
「……あ、アマリリス様。」
 エスが私に気付き、片膝をつく。
「賊は倒しました。御身を危険に晒してしまい、まことに申し訳ございません。」
「いいえ。あなたは私を守ってくれたわ。あなたが謝る必要は無いはずよ。アレックスも、私達を守ってくれてありがとう。」
 微笑むと、二人も笑顔を浮かべてくれた。
 エスは立ち上がり、刀を仕舞う。アレックスも剣を仕舞った。
 アレックスの剣が血で濡れていた事に、遅れて嫌悪感を覚える。彼は悪くないけれど、血を見るのが苦手なのだ。
「さて、衛兵は?」
「すぐそこで待機してますよ。俺達の戦いには入れなかったみたいで。」
 あぁ、と内心納得する。二人とも、まだ大人では無いのに大人顔負けの技術を持っているはずだ。アレックスは剣の、そしてエスは…
「エス、これはあなたが?」
 そう言いながら私が指差したのは、倒れる賊の一人だ。
 服は、もはや綺麗に思えるほど美しい氷の結晶で覆われている。けれど、彼の首から上はそうでは無かった。
「……仰る通りにございます。」
 ポツリと彼女が言う。すると、アレックスが急に話し出した。
「違うんです!これは、仕方なくて…!」
「あなたが何を勘違いしているのかは、あまり良くわからないのだけれど────」
  一歩踏み出して、エスの前に立つ。彼女はビクリと肩を震わせる。
 それを見て、不意に胸に痛みを覚える。彼女は悪くないのに、どうして他人に怯えるのだろう。
「エス。今回の働き、見事でした。」
「…………えっ。」
「特にこの魔法。相手の自由を奪い、かつ後遺症などを残さないというのは素晴らしい…と思うわ。私には、そういう知識が無いから詳しい事は言えないのだけれど。」
 私が言い終えると、エスは両膝を床についた。
 見ると、彼女は涙を流している。
「わたしが、気味悪く無いのですか?」
「無いわ。思う理由が無いもの。感謝はいっぱいあるけれど。」
「ありがとう、ございま、す…う、うぅ、うわぁぁん…」
 エスが泣きじゃくる。それを、アレックスが抱きしめた。
「もうチビじゃないんだから、泣くなよ。」
「うぅ、アル、嬉しい、嬉しい、よぉ。」
「うん、俺も嬉しい。」
 しばらく部屋の中には、エスとアレックスの声だけが響いた。
「こいつ、捨て子なんですよ。」
 眠っているエスをソファーに寝かせると、唐突にアレックスがそう切り出した。
「それを拾ったのが、実はレシア様なんです。」
「えっ!」
 ちなみに、アレックスが今「レシア様」とわざわざ言ったのには訳があった。
 我が国では、一夫多妻制、そしてこの大陸では珍しい一妻多夫制を導入している。
 そして、国の代表である王は、二人の正妃と四人の側室を持てる。
 今の王は二人の正妻を持っていらっしゃるはずだ。
 あら、と自分の記憶の齟齬に気付く。
 ゲーム内で登場していた王妃は、レシア様ではないもう一人の王妃のイリスティア様だ。
 と、今は関係無い話だ。
「レシア様に拾われたエスは、将来レシア様の跡継ぎの護衛になるために、三歳から訓練を受けたそうです。」
「なるほどね。」
 だから、あの強さなんだろう。
 時間と経験は、他では培えない大切な力になるから。
「その訓練の中でこいつは一回、間違えて組手の相手を殺しかけたんです。その時に、目が赤くなってて。魔法も暴走したんです」
 言いながらエスの髪を触るアレックスの手は、すごく優しげだ。
 二人の親密さが伺えた気がして、心がほっこりする。もっとも、聞いている話はほっこりとは程遠いけれど。
「しかも、暴走して色んな人に怪我させちゃって…それから、こいつは剣とかを使わなくなって、勉強と毒物とかの訓練に、のめり込んだんです。」
「ど、毒物……」
「それでも、こいつの事をとやかく言うやつはいた。」
 アレックスの声は、ひどく苦しげだ。
 見ると、彼は拳を強く握りしめている。私にはそれが、怒りを必死に耐えている姿に見えた。
「こいつは悪魔だって言うやつもいた。ただの、一人の女の子なのに。」
「……ひどいわ。」
 昔、似たような仕打ちを受けた事があるからわかる。
 悪魔とか、魔女とか。そう言われる度に、言われた側の中で何かが壊れていく。それは時に、言った側だけでなく言われた側も気付かない。
 けれど、それは確実に私達の心を蝕むのだ。
「そういう事があって、こいつは心を閉ざした。仲が良い俺にも、笑顔や涙を見せてくれなくなった。実戦訓練もしなくなって、食事の量も減った。」
 アレックスは、努めて冷静に言おうとしているようだった。けれど、抑えられていない激情が滲み出ている。
「魔法は、ラインハルト様に出会って使うようになった。あの方も、エスと似たような事があったらしいから。」
「そう、なのね。」
「だけど、エスは笑わなかった。感情を見せる事も無かった。」
 思い浮かぶのは、さっき初めて出会った時の事。
 感情の全く読めない瞳で、少し怖かった。
「それが、そ、れが……」
 アレックスが俯く。しばらくして、涙が膝の上に置いていた自身の拳に落ちた。
「こいつが、嬉しいって。そして、笑っていたんです。あなたの、おかげです。」
 そう言ったアレックスは、立ち上がって私の方へ片膝をつく。
「あなた様に、感謝を。エスを笑顔にしてくれて、認めてくれてありがとうございます。」
「……どういたしまして。これからもよろしくね、アレックス。」
「わ、わたしからも。」
 エスだった。
 いつの間に起きたのか、彼女はソファーから下りるとアレックスの隣に膝をつく。
「貴女様に気味悪く無いと言っていただき、本当に嬉しかったです。アル以外には初めてで、本当に嬉しかったです。」
 そして二人は顔を見合わせると、深く頭を下げた。
「「貴女に忠誠を。我らの剣は貴女に捧げます。」」
「ありがとう。わたくしは、あなた達の忠誠に必ず報いましょう。」
 手を差し出す。
 アレックスが、そしてエストレイが私の手を取って額につけた。これは、この国の主従関係を結ぶ時の所作だ。
 正式なものではないが、破られる事は無いだろう。
 夕日に見守られた中で、私は新たな仲間と絆を結んだ。
『……ラインハルト。いいの、行かなくて?』
「あぁ。接触禁止だからな。」
『ふーん。しっかりしてるんじゃん?』
「問題行動は起こしたくないからな。それで目を付けられるのが面倒だ。」
『ははっ、盗み見は問題行動じゃないの?』
「婚約者だ。別にいいだろう?」
『こわいこわい。────さて、私は部屋に戻って、美しい愛し子と可愛い弟子に話を聞くとしますか。』
「お前も盗み見してただろ。盗み聞きもな。」
『共犯者じゃん。人の事言えないよ、ラインハルト。……そういや、明後日の警備は?』
「わざと穴を作っている。やつらが、うまくかかってくれると良いが。」
『だね。』
「アマリリスの事は頼んだ。」
『お母さんの仇だっけ?』
「あぁ。……頼む、と言ったが?」
『どうやら、私の昔の宿敵もいるみたいなんだよね。』
「そう、か。ライルもアマリリスに付けよう。これで充分だと思うか?」
『グーストだよね?じゃあ、私の知り合いがいる。あいつに任せていいよ。』
「了解だ。じゃあ。」
『まったねー。』
 王子と精霊が話し込んでいた部屋の机には、薄い氷が張ってある。そこには、二つの部屋の様子が映されていた。
 一つは、話に何度も登場したある令嬢の部屋。
 もう一つは、その令嬢の命を奪おうとしていた組織の本拠地の一室だった。
 
それを見て、アイカがポツリと呟く。
『ごめんね。アマリリス、ラインハルト。グーストには行けないかも。
 …………リリエル、ハルトナイツ、ユークライ。残されるって、やっぱり辛いよ…』
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