劣等眼の転生魔術師 ~ 虐げられた元勇者は未来の世界を余裕で生き抜く  ~

柑橘ゆすら

テッドの怪我



「アベル! 隙ありだーっ!」


 まずは声に出してから動くその癖をどうにかしろよ。
 と、思いつつ、本の背表紙で軽く腕を弾いて見せる。

 ん。ちょっと待てよ。


「テッド。今、俺の名前を?」

「ハッハー! 何日も一緒に遊んでいたら流石のオレでも覚えるぜ!」


 何か小さな成長が微笑ましいな、子供は。

 などと感傷に浸りそうになったが、冷静に考えると、別に驚くようなことではないのか

 名前くらい普通の子供はすぐ覚えるだろ。

 単にボンボン貴族(弟)の記憶力が底抜けて酷いだけである。


「未来の舎弟なんだから、ちゃんと憶えておかないとな!」


 そんな未来が訪れるなら是非に俺の名前を忘れてくれて良い。

 さて。
 ここ数日の間にテッドの様子を観察していて分かったことがある。

 火属性魔術を得意とする《灼眼》を持つテッドであるが、本命の属性魔法の才能はというと残念ながら『いまひとつ』のようである。

 もともと属性魔術は、複雑な魔術構文を瞬時に理解して、応用、拡張していく地頭の良さが肝心になってくるからな。

 テッドのような単純な人間には少し荷が重かったみたいである。

 だが、代わりにテッドには身体強化魔術が『それなり』にあった。

 こちらの魔術は属性魔法とは違ってロジカルな思考を必要とせずに『感覚的な野生の勘』が求められてくるのである。

 良くも悪くも単純な思考回路をしたテッドにとっては、性に合っていたのかもしれない。


「とりゃぁっ!」


 テッドの拳が真っ直ぐ来た。

 なるほど。
 ここ数日の間に多少は腕を上げたみたいだな。

 ただ、俺のいた200年前の世界では、この程度の動きは年齢にかかわらず誰でもできた。

 あくまで『全く話にならない』が『多少はマシ』になったレベルである。

 ぺしっと片手で腕を受け止め、そのまま、足を払う。


「遅い。そんな攻撃ではハエが止まってしまうぞ」

「うべぁっ」


 ヒキガエルみたいな悲鳴をあげてテッドが数メートル先に転がった。


「どうした、もう諦めるか?」


 挑発的にハッパをかけてやると、テッドは「くそーっ!」と間延びした声を上げて起き上がる。

 異変が起きたのはその直後だった。


「うぉっとぁっ!」

「おいおい……」


 勢いよく起き上がったのが災いした。 
 テッドは屋根の上に積もった雪で足を滑らせて、裏口側に落ちて行く。

 あーあー、あー。
 最悪だ、石畳に落ちやがった。

 まぁ、打たれ強さだけが取り得のテッドのことである。
 流石にこれくらいのことでは死にはしないだろう。


「いっ、ぁっ……っ! 痛ぇっ……!」


 声にならない声を上げているテッド。
 目からは大粒の涙があふれ続けている。

 なるほど。
 どうやら着地の瞬間に足の骨を折ったらしい。

 なんだ。
 骨折程度で済んで良かったではないか。

 前の世界じゃ骨折なんて日常茶飯事だ。
 臓器に受けたダメージは何かと修復が面倒になる傾向があるのだが、骨を繋ぎ合わせる程度の魔術であれば比較的簡単だ。


「喚くんじゃない。男だろ」


 とはいえ、テッドも子供か。
 骨折の痛みに耐えろというのが無理な話なのだろう。

 今回のテッドのケガの責任の一端は俺にあることも否定できない。

 仕方ない。
 回復魔法はあまり得意ではないが、この程度の傷であれば俺が治療して──


「テッド! 大丈夫か!」


 慌てた様子でバースが走って来た。


「待っていろ! 今、回復魔術をかけてやるからな!」


 ほうほう。
 こいつ《灰眼》の魔術師でもないのに回復魔術が使えるのか。

 バースは回復魔術の初歩、治癒(ヒール)を発動した。

 これは、少し、俺が侮っていたやもしれんな。
 魔術の内容次第ではバースの実力を評価して……って。


「お、お前は一体……。何をやっているんだ?」

「回復魔術がそんなに珍しいか? 集中できないから少し静かにしていてくれ!」


 これはまずいことになった。

 回復魔術は、イメージ的には積み木に近い。
 高度な回復魔術になればなるほど、積む木の板が小さくなると考えてみればわかりやすい。それくらい繊細な魔術なんだ。
 
 そして、普通、積み木を積む時、大きい物を下に敷いて、崩れないように積んでいく。
 
 だが、コイツの魔術は言うなれば、無理矢理小さい木の上に大きい木を置いて、接着剤で補強したような、突貫工事甚だしい魔術だ。
 
 うわぁ……。
 もう見てられないぞ……。

 こいつ、本当は弟のこと嫌いなんじゃないか?

 あんなふうに繋げたら、神経と神経が擦れて大変なことになるぞ。


「うぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁ!」

「大丈夫か!? 少し痛いが、我慢するのだぞ!」

 
 流石の俺も同情してしまう。
 血の繋がった兄からの粗悪な回復魔術を受けたテッドは、白目を剥いたまま気絶してしまうことになった。


「なぁ。治療は良いから早く医務室に運んで行った方がいいんじゃないか」


 ボンボン貴族(兄)のせいで治療のハードルが少し上がったが、今からでも適切な処置をすれば十分にリカバリーすることができるだろう。


「ちょっと待ってくれ。その前に、キミ」

「なんだよ」


 テッドを早く医務室に運ばないと。
 お前の粗悪な回復魔術が、体を破壊する攻撃魔術になっちまうだろうが。


「このケガ、どうしたんだ?」

「遊んでいて落ちたんだよ」

「落としたの間違いじゃないのかい?」

「んん?」

「見ていたよ。さっき、キミがテッドの足を払ったところ」

「見ていたのならその先も知っているだろ。その後、テッドが起き上がろうとして──」

「テッド様だろう!」


 やれやれ。このボンボン貴族(兄)は……先程から何を言っているのだろうか。

 この状況でそんな細かいところに拘っている場合かよ。
 

「キミは平民。テッドは貴族だ。どんなに幼かろうが、我がランゴバルト家の正当な次男だ」

「えーっと……。だから?」

「なんだその態度は」

「平民だろうが貴族だろうが、今はどうでもいいだろう。さっさとテッドを落ち着ける場所に運ばないと」

「どうでもいいだと?」


 バースが静かに拳を握った。
 明らかに俺に向けて敵意を放っている。


「田舎者の『劣等眼』! 貴族に対して無礼を働いたことを後悔させてやろう!」


 バースが俺に何かを投げつけた。
 その行為には少しだけ見慣れていた。昔からある古い古いやり方だ。


「決闘だ! キミは貴族の名誉を傷つけた。悪いがボクは、無礼者には容赦しない!」


 うん。
 なんとなく途中から、そういう流れになるんじゃないかという気はしていたのだが。

 空気を読まないボンボン貴族(兄)の介入によって、事態は益々とややこしいものになっていくのだった。

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