怠惰の主

足立韋護

弱気な暴力

 唐突なその発言はまさに突拍子もない内容であった。

「いったい、何の話だ。敵に、なる?」

「……あと二分後、時間は動き始める。それでお前もここから抜け出せるだろう」

「もしかして、その力を使いこなせるのか。ならどうして俺の前にわざわざ」

 踵を返した二号の表情は窺えなかったが、一言だけ、置いていくようにぽつりと呟く。

「同情、かもしれん」

 二号の目の前の空間が歪み始めたと思えば、臆することなく中と入っていってしまった。まだまだ聞き足りないことだらけだ。質問もほとんどが答えてはもらえなかった。だが、その存在が一つの答えなことに間違いはない。この呪いを使いこなし、幾度も異なる世界に干渉しようとしている。

『────すなわち、神を敵に回すことと同義』

 デルの言葉が脳裏をよぎった。恐らく、異世界リースの秘宝シュトルグスを奪い去ったのも俺で間違いはない。学園都市アルバヒルの絶対記録媒体イニチウムレコードもそうだ。異世界に何か恨みを持ったのだろうか。その復讐のつもりなのか。俺は、俺自身でそれを確かめねばなるまい。身内以上の身内が、世界規模でご迷惑をおかけしている。
 この異世界放浪記にも、少しばかりの意義が出てきた。

 次の瞬間、まるでコンサート会場の扉を開けたように、様々な音が俺の耳に入ってきた。人々のどよめく声、物の落下音。バカげた話だが、ノイズのように鼓膜を揺らすそれらですら、今は心地よく感じられた。振り返ると、黒装束だった者達は自らのインナー姿に驚嘆し、パンツ一丁であった大和田は醜く顔を歪ませた。それもそうだ、瞬きをする間もないうちに皆の衣服がなくなっているのだから。意味が分からないだろう。
 それを見ていた側の式谷や郡山、フォルクスらも暫し呆然とその光景を眺めていた。式谷は俺へ視線を移すと、この世界で初めてと言っていいくらいの、思い切りの良い笑い声をあげた。

「そんなことまでできるんですか! うふふふははははは!」

「大和田、お前達の衣服や武器は隠させてもらった。見事な手品だろう」

 顔を鬼のように真っ赤に染めた大和田は、茹ダコのように頭から湯気を出しながら、じりじりとにじり寄ってきた。体格差はあれど、あれほどの奇術を見せたのだ。少しは物怖じしても良いと思うのだが……。視界の端で式谷が動き出そうとしたところで、黒い影が突如として眼前を覆った。決して広くはないその背中は、黒装束の男たちの一人、山田と呼ばれた男のものであった。

「大和田さん……これ以上は立場を悪くするだけ。お、お願いです、引き下がって下さい」

「黙れぇ!」

 大和田の振りかぶった拳が、山田の顔面を貫いた────と錯覚してしまうほど、山田は素早く身を屈め拳を避けていた。山田は深く深く息を吐くと、頭上を素通りした剛腕の手首を右手で即座に掴み、左手の掌底で肘を打ち付けた。まるで弾丸が撃ち込まれたような音が室内に鳴り響く。大和田の剛腕は肘関節が逆に捻り曲がっていた。

「ぐぎぇぁあああだだあだだああ」

「あぁ……だ、大丈夫ですか、すみません」

 山田は眉一つ動かさず、痛みのあまり転げ回る大和田を気遣った。
 大丈夫ですかじゃない、お前がやったんだ。まるで他人事である。

 それにしても気弱そうな見た目からは想像もつかない動きを目の当たりにした。式谷と手合わせをしたらどちらが勝つのか、想像できないほどだ。
 黒装束側の面々の表情は……怪訝、呆気、驚愕といった様相だ。今までこの身体能力をひけらかしていなかったということ。下手をすれば、大和田より厄介な人物となる可能性がある。一応、気にかける必要はありそうだ。

 すっかり混乱しきってしまった大和田は、何か喚きながら部屋から走り去ってしまった。

「お騒がせして、すみません」

「別段お前達を責め立てるつもりはない。大和田の女とかいうのがいるなら解放し、皆で協力体制を作りたい」

────それから人間を集め、全員で情報交換に努めた。

 得られた情報を整理する。

 トウテツは、一日、二日前あたりから都市部を中心に発生し始めた食人病に冒された人々であり、接触感染でのみ他者に感染する。外見だけでは人間と大差ないため、感染拡大が加速。わずか数日でこの状況にまでなったとのこと。複数の都市部が壊滅したことにより、国防機能が壊滅状態となり無法地帯と化したのだという。
 トウテツ自体は、見慣れてしまえば知能と理性と言えるものがほぼないために、その鈍い動きから容易にトウテツか否かを判断できる。口をだらんと開けているのがよい目印だ。視界はあるが、音に敏感に反応する傾向にあるらしい。
 最近では、トウテツの中でも飛行するものや壁に貼り付けるもの、知能のある個体が見られ始めている。彼らの目的は不明だが、トウテツの増殖が目的のようである。

 黒装束の集団はそんな中で命からがら、偶然にも壊滅寸前の自衛隊基地に侵入し、装備を整えたようである。このビルを居城にしたあたりから、リーダー的存在だった大和田の暴走が始まったのだという。

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