怠惰の主

足立韋護

有刺鉄線とバケツと手足

 人からどうして生きているのか、と聞かれたことはあるだろうか。そんなことを問われた日には、悲しくて泣いてしまいそうになるだろう。共感してくれる者がいれば、今の俺の心境がわかるはずだ。
 だが式谷の言うことが本当なのであれば、確かに悲しきかな生きていることのほうが怪奇なのだ。

 しかしながら……一つだけ心当たりがないこともない。

 俺はすぐに立ち上がり、台所にあった包丁を手に取った。笑みを浮かべていた式谷は怪訝な顔でこちらを見上げている。
 席に戻り、式谷にも見えるよう手のひらを差し出し、包丁を軽くそこに押し当て、そのまま一センチほど引いた。強烈な熱さが手のひらに走ると同時に、一本線の傷が開いた。ぷくりと血が滲み出る。

────ウソだろう。

 十秒もしないうちに傷が疼き出したかと思えば、傷口がまるでタコのようにうねり出し、チャックを閉めるようにして塞がっていった。俺は口をあんぐりさせながらにやけ面の式谷と顔を見合わせた。

「人間の手のひらって、実はこんな再生力でしたなんてこと、あったっけか……」

「ぷ、くく……アハハハハハハハ! ヒーヒー! どうしたんですこれぇ!」

 なにを大笑いしている。どうしたはこっちのセリフだ、と言いたい。おそらく全宇宙で俺が今一番そう思っているに違いない。しかしどうしたんだこれ。

「でもこれで、私の望みは叶えることができそうです」

「なに?」

 突如、目の前が真っ暗になった。

────気がつけば、先程までいた部屋から移動し、広い建屋へと移動していた。イメージで言えば、麻薬の売買に使われそうな、いかにもな倉庫だ。

 体は動かなかった。手足を椅子に縛られている。それも厄介なのは、ただの縄ではなく有刺鉄線で縛られているあたりだ。

「おや、気がつきましたね。野菜炒めに入れた睡眠薬、効果が遅くて焦りましたよ」

「どういうつもりだ。手足、すごくチクチクする」

 先程とまったく同じ格好で暗闇から出てきた式谷は、変わらない端正な笑顔を俺に向けた。

「こんな状況でも、冷静ですね。不死ゆえの余裕でしょうか」

「傷が回復しただけだ。不死と決まったわけじゃあない」

「いーえ、あなたは不死です。これがその証明」

 式谷はプラスティック製のバケツを物陰から取り出した。バケツには『三年三組しきたにてん』と書かれてあった。物持ち良いな。やはり良いお嫁さんになるに違いない。
 しかし問題なのは、そのバケツからはみ出ている肌色の物体だ。想像したくはない、だが、それしか可能性がないのだ。

「これは、あなたの手足です」

「狂ってやがる……」

 バケツから生えているのは、見覚えしかない俺の大事な手足だった。しかも一本や二本ではない。見える限り、手が四本、足が三本も生えているではないか。何をしてくれているのだ。
 最初に確認したが、俺は今手足を拘束されている。有刺鉄線のせいでチクチクしている。つまりは、意識喪失している間に、切断されては生え、切断されては生えを繰り返していたらしい。

「お前これ、あれだぞ、犯罪になっちゃうぞ」

「私の望みを叶えてほしいのです」

 こちとら会話のキャッチボールがしたいのであって、会話のドッジボールなぞしたくはない。どうやらその望みとやらを聞かなければ、今度はこのまま意識があるまま切断されてしまいかねない。


「はあ。聞いてやろう……。お前の望みはなんだ」

「私の望み。それは強い刺激と飽きない事象です」

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