紅月の夜王
一章 第3話 吸血鬼。
「…………開かない」
門が開いたのは風が吹いたから、だとか言い訳のしようがあるが、流石に屋敷の両開きの扉が勝手に開くのはポルターガイストとしか言い様がない。
木製の扉は固く閉ざされ、鍵がかけられている。
だが、ここまで来たらアーゼルトがどんな行動を取るかはお分かりだろう。
「そい」
扉の中心を軽く小突く。その瞬間に木製の扉が弾け、砂の様に細かくなって風に飛ばされて行った。
………別に異能を使わなくても蹴り飛ばせば良かったかもしれない。
そう思いながらも堂々と城に入る。ここまで来て、恐れるものなどない。………というかアーゼルトが恐れるものなど女性以外にはない。
「……あれ」
城の中に入ってから外を見れば、これでもかと言うくらい荊の生い茂っていた門は中心に薔薇の紋章があり、鉄錆一つ浮いていない。
森の方を見れば、アーゼルトがここまで付けてきた目印が沢山見えた。
人気が無いのは勿論、古ぼけて蔦が這い回り外壁の一部が崩壊していた古城が王都のにある城に劣らぬ美しい城になっている。
しかし、アーゼルトが驚いたのはそこではない。この城は外壁の殆どが黒く、漆黒の夜空よりも濃い闇色。白い星の無い空には血で染めた様な大きな紅の三日月が輝くのみ。
「…………。」
その光景に圧倒され、マイペースを貫いていたアーゼルトが初めて動揺する。
そして、銀色の髪を掻き上げ……。
「こんな面白そうな場所があって、入らない訳ないだろ」
アーゼルトが振り返る。そこには黒いローブを纏う異質な雰囲気の五人組が城の奥には通さぬ、という様に立ちはだかっていた。
この城ではよく目立つ白いコートの襟を正し、彼らを迎える様に腕を広げた。
「僕は退屈は嫌いだ。せいぜい楽しませてくれると嬉しいが……」
お前達に、それができるか?と言う挑発の言葉に異形の者は。
「 ————!」
苛烈な咆哮を響き渡らせ、獣の様に鋭く尖る爪で白いコートの男を引き裂いた。
———鈴の音が。
その場に居た全員の耳に届いた。全員がその爪に青年が命を散らしたと錯覚した。
そうでなかったと最初から分かっていたのはそれを行った《唯一》だけ。
「興醒めだ」
白いコートのポケットに手を突っ込んだアーゼルトは彼らの《後ろ》に立っており、長い廊下の奥、その闇に消えようとしていた。
そして………。
最初に青年に飛びかかった者の爪にはヒビが入り、それは指から手へ、肩へ、胸へ、胴へと広がって行く。それから……。
指から滑り落ちた陶器が割れる様に、肉体が崩壊し、その中から水が零れ出る様に、赤い液体が廊下に敷かれた絨毯を染めて行く。
そんな凄惨な仲間の死に様を見て尚、のんびりと歩いて行くアーゼルトの背中を追いかける者達に、追われる張本人は振り返りもせず。
「忠犬は好きだが駄犬を躾ける趣味は無い」
その言葉に、彼らは静止する。彼らに爪を収めさせたのは言葉ではない。
強さへの畏怖。人でありながら人外にも勝る力を見せ付けた青年の冷酷さと血の香りにも眉一つ動かさなかった異様さが恐怖へと形を変え、鎖となって動きを止めた。
「駄犬は駄犬らしく、だ。忠犬のフリをするのはお前達には無理がある」
その言葉に従う様に、彼らは絨毯に広がる血液を啜り、割れた体の中に残る血を掻き出す。
そんな光景にアーゼルトは。
「うわ、きもちわるっ」
と、場違いな発言をした。
「………人が居ない?」
最初のお出迎えの駄犬五人組だけが居て他には誰も居ません、は無いと思うのだが……。
片っ端から扉を開けても誰も居ない。廊下がどの程度続いているのかは分からないが、誰かと遭遇する期待は薄い。
壁に蝋燭が一定の間隔で設置されているが、火は付いていない。夜目は効くものの、廊下の向こうまでは見えないし……。
「およ……?」
その瞬間、入り口に一番近い蝋燭から順に火が灯って行く。それは薄暗さと暗闇の嫌な雰囲気を完全に払拭するに至らないが、視界は確保できた。
そして。
「調子に乗るなよ人間風情が………ッ!」
牙を剥き出し、碧眼を敵意に染めた少年は白い雲に溶けそうな色のサラサラとした髪を揺らした。
尖る歯をカチカチと鳴らし、苛立ちを一度収める様に腕を組んだ少年はアーゼルトを睨み付けている。
「君がここの……王様みたいな?」
「そんな訳ないだろ」
「僕も思った」
少年はあからさまに十八歳のアーゼルトよりも若い。
それ以下の若い王も他国には居るらしい上にここでは人間を見ていないのでひょっとすれば外見よりも年齢が有り得ないくらいに高いかも知れないと思ったからだ。無いとは思ったけど。
「何しに来たんだよ」
「暇潰し」
「暇潰し!?お前嘘ついたら犯罪者の始まりとか外の世界で言うんだろ!?何堂々と嘘付いてんだよ!」
顔を歪めて聞いた少年。当然、アーゼルトには嘘を付く理由などないので素直に答えたのだが、何故疑われたのか。
嘘付きは犯罪者の始まりと言ったが、違う。嘘付きは泥棒の始まりだ。確かに泥棒は犯罪者だけど。そしてアーゼルトは白昼堂々と不法侵入した上に殺人犯なのだが。
「それに……駒達を壊したのはお前らか?」
「駒……?それって入り口に居た駄け……番犬の事?」
「言い直しても結局犬扱いしてんじゃねぇよ」
アーゼルトを相手にするだけ無駄だと判断したのか、少年は一度ため息を付いて………。
夜空の様に暗い色の青が瞳に映る。瞳の中に星の光は無い。加速度を増して冷めていく眼の中には白いコートの青年の姿が閉じ込められている。
右手が天に向けて掲げられる。その腕が裂け、血の雫が揺らめき、紅い輝きが膨張していく。
「お、ぅ………?」
目を見開くアーゼルトの想像を覆す、超常なる力。頭蓋から揺るがす様な異形の少年は……。
「お前は、何……?」
濃度そのままに量が増えた血液が少年を取り巻き、徐々に回転速度を増してその体を覆い隠す。
アーゼルトの問いに嘲笑う声が答える。
「俺は影………夜の王を支える存在……。そして王と同じ………《吸血鬼》だ」
それは、少年の成熟し切れていない声とは違い、心地良いテノールの、どこか妖しく艶めいた音だった。
血液の帳が裂け、形を崩して絨毯に、壁に、天井に飛び散る。
なのにも関わらず、染み一つない衣服。
《駒》の纏うローブよりも丁寧な作りで装飾華美。何となく素材も上質に見える。
右手の袖は肘まで折られているが左の袖は手が指先しか出ない程度に長い。裾は踝まであり、足は右が革靴、左が裸足と何となく左右で肌の露出が揃っている。
幼さの残っていた顔立ちはそっち系の趣味がない同性でも惚れそうな甘いマスクに変化し、青い瞳を縁取る睫毛は長くて目つきは鋭い。
黒いローブと相反する様な雪より白い儚き白髪は誰の手にも汚される事を許さない。
それから、背中に生えているのは、象徴的な赤黒い翼。
「理解したかニンゲン、偉大なる夜王の城に入り込んだ己の迂闊さを呪え」
「……驚いた、チビの姿は何?」
腕を組み、圧倒的な存在感でアーゼルトのマイペースさに奪われていたその場の支配権を塗り替える男。
「ニンゲン共は寝て休むだろ、それと同じ様に俺も寝てただけだ」
と、答える男の仕草には隙が無く、威圧感が溢れ出ている。まるで、触る物全てを傷付ける様な。
「………僕を迎えたのは全部、夜王サマとやらの指示?」
門が開いた事、駒の出迎え。所々力押しで突破しているが、誰かの意図が無いとは思えない。
何度か出てきている《夜王》という単語。それが駒やこの人を纏める主ならばそれに会うのもアリだ。
———退屈凌ぎに、丁度いい。
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