童話集2

増田朋美

砂絵

「あの人を許してください。代わりに私を、殺ってくれればよかった。どうして世の中はこんなにも真逆なのでしょうか。」
私は、夜空に向かってこう叫んだ。なぜなら、私は殺人者だ。何の罪もない人を、殺してしまったんだもの。
「君は、本当に殺してしまったのか?」
突然、ある男性の声がした。私が振り向くと、後ろに、ちゃらちゃらした若者たちがたむろしていた。その一人が、テレビドラマの真似をして、私に話しかけてきたのだった。
「真面目にいっているのよ。余計なことはいわないで!」
「へー、おばさんが殺人者なんて、この世の中、おかしくなってるよな。」
と、若者たちは、私の回りにむらがった。
「おばさん、黙っていてあげるから、お金をください。」
若者たちは、私の体を蹴る。私は痛みさえ感じなかった。
「おばさん、銀行のATMの番号おしえてくれませんか?」
「おっぱいがみたいな、おばさんの。」
「よせよせ、こんなおばさんなんて、綺麗じゃないぞ。」
若者たちは、下劣な言葉をいいながら、私をなぐりつけた。私が、まったく反応しないでいると、彼らは、諦めたらしく、唾をはきかけて立ち去っていった。
「おばさん」
細い声が聞こえた。若い女性のこえだ。
「大丈夫ですか?私につかまってください。」
ジャージ姿の、高校生くらいの少女だ。顔立ちは、今風の女の子とは少し違い、和服の似合いそうな、日本的な美少女であった。私は、街路樹につかまってなんとか立ち上がった。
「もし、よければ、私の部屋にきませんか?一人暮らしだし、わたし、看護科にかよってるんです。」
私は、すこしムッとしたが、足が激痛で、自宅まで帰るのはできそうにない。
「しかたないわね。貴女にあまえるわ。」
「じゃあ、私の背にのってください。」
私が彼女の背に手をかけると、彼女はがっしりと私を掴み、速歩きで歩き始めた。その体格にあわず力持ちだ。女相撲でもでたのだろうか。
五分ほどあるき、彼女は小さなアパートにはいった。狭いワンルームであるが、小綺麗に整頓されている。と、いうことは、今時の女性とは違うのだろうか。
「座ってください。」
彼女は、小さな椅子をもってきた。私は、とりあえずそこへ座った。 
「ああ、これは打撲ですね。ちょっと、整形外科にいったほうがいいかなあ。」
私は、足首を見たら、真っ黒に腫れていた。 
「相当、やられたんですね。あんまり動かさない方がいいですよ。お宅まで、歩くのは、無理だと思うから、ここへ泊まりませんか?」
「あの、あなたはどんな境遇なのかしら。馴れ馴れしく泊まっていけなんて。」
「普通の看護学生ですよ。来月、実習にいくんですよ。」
「どこに?」
「高本病院ですよ。あの、心臓で有名なところ。」 
私は、堪忍袋のおが切れたのだろうか。それとも、別の理由があるのかもしれないが、あれよあれよと涙が溢れてしまった。
「どうしたんですか?」
「そこで、一番大切な人を殺したのよ。」
「大切な人を?つまり、、、旦那様、ということですか?」
図星だ。
「本当に、殺人なんですか?」
そうだ、といいかけたが、いうことはできなかった。 この女性は、親切であるのか、偽善であるのか、よくわからない。 もしかしたら、サスペンスがおもしろく、単に、興味本意というか、面白がっているだけかもしれない。
「あなた、名前は?」
私はきいた。
「川崎あゆ子です。おばさんは?」
「町田法子。」 
「法子さん、もし、よければでいいですから、お話を、きかせてもらえませんか?面白半分じゃありません。よかったらです。」
あゆ子は、そういった。私は彼女の目をよくみた。決して面白半分という顔ではない。
「じゃあ、お話しするわ。」
私は言った。
「でも、他言しないでね。」
「わかりました。」 
私は、顔をハンカチで吹いて、一呼吸して、話始めた。

私は、まだ世間知らずの大学生である。小学生から大学まで、全て同じ名前の学校でそだった。家族は喜ぶが、他の人間からは、嫉妬の目をむけられていることを ウスウス知っていた。小学生の時は、他の子供と、正反対の方向へいくことで、わんぱく坊主にからかわれることもよくあったが、知らないうちに平気になっていた。
今日は、担当教授の補講だった。ただ、時間潰しとしか、私は認識しなかった。単に、出れば単位をもらえるから、という、甘い言葉にのせられて、つまらない時間を眠気と共にすごす。
私は、研究室に入った。そこには先客がいた。この補講で、先客がいるとは珍しい。彼は、ノートに向かってなにか書いていた。数分後に、法子と同じような傾向の学生たちが、何人かやってきた。 
「あ、野村遜だわ。」
学生がそういうため、彼の名前は野村遜だとわかった。
「聴講生なんでしょう?こんなつまらない講義うけて何になるのかしら。」
「それに見てよ、あの紙みたいに白い顔してさあ。なんか、気持ち悪いよね。」
学生たちは、いつも通りの後ろの席に座った。友達のない私と、遜は、自動的に一番前になってしまった。 
まもなく、小杉教授がやってきて、講義がはじまった。 遜は、鞄をあけて、教科書を取り出した。私、は初めて、彼の顔をみた。彼の右手首あたりに、刺青があった。
多分、和彫りというものか。肌が、紙より白かったから、刺青はより露骨で、ある意味怖かった。 
そうこうしている内に、講義は終わった。
他の学生は、我先に帰っていく。遜も立ち上がったが、すぐあるこうとはしなかった。私は声をかけようかともおもったが、顔を見ると、ひどく苦しそうなので、それはできなかった。しかし、五分ほどして、彼は、鞄を持ち、なにも言わずに帰ってしまった。私はその一部始終をみた。 
翌日、私は、小杉教授の部屋にいった。すると、遜がきていた。法子は、むかっときて、 
「あら、聴講生なのになぜ?」
と、きいた。
「ちょっとわからない問題がありまして。」
と、彼は、答えた。
「まあ、頭良さそうなのに。」
「いいじゃないか、聴講生であっても。立派な学生だよ。」
太った小杉教授は、そういってにこにこしている。この気持ちわるい顔の、教授の隣にいる遜は、天と地の落差があるほど、
美しい男だった。 
「まあ、お茶でものもう。」
「あ、僕、淹れますよ。」
「よろしく頼む。」
遜は、冷蔵庫をあけたが、低い唸り声をあげて座り込んでしまった。
「体でも、わるいの?」
私は、恐る恐るきいてみた。 
「たまに立ちくらみすることが、あるんですよ。」
遜はさらりと答える。
「無理はしない方が」
「いいんですよ、大したことじゃありません。」
強く言うが、声には力がなかった。 そうして、立ち上がり、お茶をいれ、テーブルまでもってきた。
「うまいなあ。」
小杉教授は、酒を飲むような飲み方でお茶をのんだ。私も呑んでみたが、やたら苦かった。
「どれ、二人とも、補習をはじめようか。わからない問題はどこかな?」
「問四です。」
遜はハキハキといった。
「ああ、これか。これはね、この単語がなんという意味なのかを考えると、うまくやくせるよ。」
「でも、この歌詞、どこか違うんですよ。僕はどうしても、答えにのっている訳では腑に落ちないのです。」
「ああ、君はよく気がつくね。素晴らしい感性だ。こんな面白い学生さんは、初めてだよ。答えの丸写しをしないなんて。」
教授はお茶をずるりとすすった。
「全てすてよう、ですよね?答えではこれでいいの、になってますが、この歌詞の前後からみて、かこを捨てよう、と歌われているわけですから、これでいいのでは、何がいいのか、わからなくなりませんか?」
「ははは、君はすごいね。まあ、ペーパーテストがあれば、不正解になるが、その答えは間違いではないよ。大学のルールには、違反するが、ここでは、それもありにしよう。」 
「教授!どうしてそんな依怙贔屓を!私の訳では、解答欄を丸写ししたから、点数をとれなかったのに、なぜこの男は、正解にするんです?」
「いやいや、もう試験はおわったじゃないか。終わったんだから、後で談義してもいいじゃないか。」
教授は頭をかく。
「法子さん、答えを出すだけが勉強じゃないんだよ。」
「だったら、私にも教えてください。」
「君はそもそも、丸写しだけだ。そこを改めないと、遜くんの気持ちにはなれないぞ。」
気持ちわるい顔をした教授は、人間というより、机に生えたお化けきのこみたいだった。私は、嫌で嫌で仕方なく、質問もわすれて、外へ出てしまった。
嫌なことは、連鎖するものだ。今度は、歴史を教えている、若い男性教授、志村教授に遭遇した。私は、この教授にたいし、ある感情を持っていた。それは、多くの女子学生が持っているのと同じものであった。
「志村教授、こんにちは。」
「ああ、いいところに来てくれたね。」
テノールも顔負けのよい声だった。
「ちょっといま、話せないかな。」
「いいですわ。教授。私、なんでも聞きます。」
「ここだと恥ずかしいから、談話室に。」
と、志村教授は言った。私は、この教授の前へ出ると、必ず頭がカッとなり、むねがドキドキしてしまうのだ。友人のない私は、キャーキャーと騒ぐことができないので、よりつよく感じてしまうのだった。
「はい、いきます。」
の、一言だった。私たちは、談話室にいった。そのとき、私は、ただ嬉しいだけで、なにをしゃべったか記憶していなかった。
席にすわると、 
「法子さん。」
と、志村教授はいった。
「は、はい、なんでしょう?」
「お願い、遜くんの力になってくれないかな。」
「は!」
私は、それしか言えなかった。
「な、なんであの人の!」 
「いやいや、介護をしてくれという訳じゃない。彼が休んだときにノートを貸すとか、手伝ってあげて欲しいんだ。 彼は、すこしばかり体か不自由なんだよ。」
私は、不謹慎なことに、自分をよく見せようとしか、考えていなかったんだと思うが、次のような答えを言ってしまった。
「はい、なんとかやります。」
志村教授は、その甘い笑顔で、 
「ありがとう!君はいつも一人でいるから、遜くんの友達になれば、すこしは大学も楽しくなるだろうから。」
と言い、私の肩をたたいた。私は、その感触がどしっと重かった。
でも、言う通りにしなければならない。私は、授業の度に遜の隣になり、彼が苦しそうにしていたら背中を撫でてやる。それだけでよい。煙草の臭いがするわけでもないから、と思ったが、彼の背はあまり暖かくはなかった。なぜなのだろうか?
休み時間には、私は彼から離れたかった。でも、そうしたら志村教授が怒る、辛抱辛抱。休み時間には、遜は例の立ちくらみはしなかった。いつも、壁ばかりむいて、手製の弁当を食べていた。学食などは、一切使わなかった。
理由はすぐわかる。意地汚い、他の学生が、彼の容姿やらなんやらを、馬鹿にするからだ。
「おい、野村遜だぞ。」
ある、学生がいった。
「あいつ、相変わらずガリガリだな。骸骨か。」
といい、昼食をたべている遜に唾をはきかける者もいて、私はじれったくて堪らない。やめて、といってもいいじゃないか。それすらせず、黙って、唾をかけられた弁当も口にしていた。
「ねえ、遜君。」
私は、帰り道で彼に話しかけた。
「聞こえてるんだったら、男らしく怒ったらどうなの?」
「怒ってどうするの?」
という答えが帰ってきた。
「そうすれば、ご飯に唾をかけられることもなくなるでしょ。喧嘩をしたっていいんじゃないの?」
「時間がないんだ。」
また、すっとんきょうな答え。
「ないんだよ。時間が。」
「あなた、テレビドラマみたいな台詞をいうけど、そんなこと、絶対ありえないのよ。もっと、強くなって、やれるがままにされないで、立ち向かっていくべきじゃない?」
「仕方ないよ。ここまできたら、もう、おしまいなんだから。」
「どういうこと?大学でおしまい、なんてないわ。これから、あたしたちは、世の中へ出る訳なんだから。」
「できない人もいるんだよ。」
どうして、こんなに情けなくて、役にたたない人間を、補助しなければならないのだろう。教授も頭が悪いものだ。例えば、保育園の下配のように、専門的な知識があり、いつもそばにいるのを職業としている人物を雇うという考えはなかったのだろうか。
「あーあ、全く、人生はいやだなあ。」
私は、ぼつりといった。
「それは言わないで。」
遜は細い声でそういった。
「あんたといると、ろくなことがない。ほんと、最悪!」
「いくらでもいっていいよ。」
その顔は、私をからかっているのか、いないのか、よくわからない顔だった。
「もう仕方ないから。」
遜は再び歩き出した。
「ちょっと!」
と、私は言ったが、遜は振り向かなかった。
もう、ほんとに!私の頭は、いやだの三文字が、いつまでも聞こえてきた。なんだか、大学にはいったのに、これでは楽しくもなんともない。
本来、私は友達というものが嫌いだった。小学生から高校生まで、友達はいなかった。必要としなかった。受験競争でどうせ敵になるだろうし、試験の順位で、教師からお叱りを受けてきたから、もし、仲良くなるとなれば、仲が良いという感情のせいで、あいつより上にならなければならないのに、なかがよいために苦しい、邪魔される。
先生には、よく誉められたから、私はそれで十分。それに、先生のいうことは、同級生より真実である。大人に従え、という言葉が象徴する通りだ。
しかし、いま、頼りない男の下女をしている。これが本当にあるのだから、夢見ていた大学生活より、遥かに違いすぎる。私は次第に、朝起きると、頭痛がするようになっていった。ま、単位を取れればいい、赤点にならなければいい。私はそう考え、学校に行くのをやめた。

数日後。
私は、気晴らしに公園にいった。私は、一人でアパート暮らしだし、家族にばれる心配もない。学校にいかない代わりに、ピンサロで働いて大金を得て、ルイヴィトンなどの高価なものを次々手に入れた。池に映った私は、大学生というより、遊女になりつつあった。
どこかで、犬の声がする。誰かが散歩させているのだろうか。喧嘩しているのだろうか。いや、こんな声ではない。もっと逼迫した、誰かを思うような、そんな鳴きかただ。
「おい!みろ、人が倒れているぞ!」
すぐ近くを、中年の男性が走ってきて、
「どいてどいてどいて!早く救急車よばなきゃ!」
目の前に人垣があった。女性たちは噂話をしている。
「ほら、あの子よ、苦学して大学にいった。」
「あら、また倒れたの。これで何回目?まったく、かわいそうなこね。いじめれて辛い思いをしたでしょうに。それが、大学入れたとおもったら、今度は病気になっちゃうなんて。」
「野村さんも、大変ね。まもなく、逆さ鏡になるだろうから。」
野村、ときいて、私はぴんときた。倒れたのはもしかしたら、野村、、、遜?
人垣をかきわけて、やっと患者の足が担架にのって、救急車に収監されていくのを確認できた。犬は必死に主人の名を呼んでいる。黒い雌のグレーハウンドだ。私は彼の首輪についている迷子札をみた。そこには、間違いなく、野村遜とかいてあった。
「このワンちゃんどうしたら、、、。」
誰かが呟いた。
「私が預かります!」
私はそういった。
「大丈夫かい?犬の飼育の経験は?」
また、間延びした声がする。
「ないわ。でも、私は、大の犬好きですし、野村遜さんは、私の友達ですから。」
友達?何故?何故?何故そんなことを私の口はいったのか、よくわからなかった。

「これが、すべてよ。」
私はいった。川崎あゆ子は泣いていた。
「そんなに、悲しいところなんですか、学校って。」
「私は、いま思うんだけど、彼は学校から逃げなかったのね。それはすごいと感じてるけど、、、。いまは、逃げた人の方がよい人生を送れるんじゃないかしら。」
「学校からですか?」
あゆ子は聞いてくる。
「そうよ。辛かったらにげればいい。野村さんは、できなかったから亡くなったの。
そう思うのよ。 それしかないのよ。」
「でも、おばさん。」
あゆ子は言った。
「野村さんを誉めてはあげられないんですか?」
「え、、、。」
「私はそう思います。野村さんは、亡くなるまえに、音楽がしたかったからではないでしょうか?」
「そうね、、、。」
私はがっくりした。と、同時に逃げ場所がなくなったことも知った。
彼を忘れるのではない。
彼は教訓だったのだから。
そう、忘れろと言われる事項はよけい、鮮明になる。

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