砂の国

柳 一

現在を知る

里佳子のリハビリはどんどんと進んでいく。辛い時も里佳子はヘラヘラと笑い、理学療養士にくだらない話をするほどだ。

「3年間寝てたわりには動けるようになったよね」
「そうですね」
「私が寝てる間、ミツがマッサージをしててくれたの?」
「マッサージというか…動かしていました。あなたの身体が固まってしまわないように」
「そっか」

里佳子はありがとうと言いながらゼリーを食べる。まだ腕や足は細いままだったが、それぐらいのことはできるようになった。

「私に情報は規制されてる?」
「……はい。余計な混乱を防ぐために、と」
「じゃあ…新聞を持ってきてもらうのもできなければ、テレビつけてもニュースが観られないのはそういうことなのね」
「……はい」
「ミツの端末は?」
「自分の端末は検索履歴が自動で対策本部に記録されます」
「なーるほどねー」

里佳子は変わっている。ふざけているのかと思えば、物凄い勢いで何かを考えている。
そして必ず、あの顔をする。

「じゃあさ、ミツにお願いがあるんだけど」
「はい」
「1日何時間か外に出てるでしょ?」
「はい」
「その時尾行はされてる?」
「いえ」
「何してるの?」
「トレーニングを。それから風呂に入ったり着替えたりもしています」
「その時にこの3年間にマスコミが出した報道を、覚えてきてほしいの」
「…なるほど」
「ミツが私に聞かれたことを答えてる、という形が整えばいい」
「…了解しました」

光也はその命令を忠実に守った。
この病気に関することを、読み、覚えて里佳子と話す。
日を追うごとに、それはだんだんと里佳子の表情を曇らせていった。

「…これが、昨日までの報道になります」
「ありがとう」
「それから、田城園から3キロ離れた山の中に家が建ちました。あと3日もすれば入居が可能だそうです」
「早かったね」
「業者が何社も入ったようです。防弾ガラスや耐震の造りで、地下にはシェルターもあると」
「……檻の完成か」

彼女は今日届いた資料に目を通している。
候補者の顔写真付きリストだ。
身長体重はもちろん、学歴、職業、既往症、家族構成にペニスのサイズまで詳細に記されている。
見れば政治家や大企業の重役の息子ばかりだった。
付属の資料には外国の男性のリストがついていた。

「まるでパンダね」
「パンダ…?」
「国内で繁殖させて、成果が得られなかったら外交手段として外国とトレードするつもりなんじゃない?」
「そんな…」
「金を出されたら石油王に買われたりする女性も出てくるかもしれないね」

笑い話のように話しているが、それは現実みを帯びていた。実際、里佳子とは別の女性に外国からコンタクトがあったと聞いている。

「ミツ、私はそれほど嫌じゃないよ」
「……」
「だってさ、こんなにイケメン揃いで、みんな私を欲しがってくれるんだよ?お姫様気分じゃない」
「……」
「せいぜい楽しませてもらうから」

軽口か本心かはもちろん里佳子でないとわからない。理解はできなくて当然だ。
目覚めたら父親は死んでいて、女がほとんどいない世界で、政府監視の元で子作りをしろと言われる。
そんな里佳子を軽はずみにも、気持ちはわかるなどと決して言ってはいけない。
光也はただ黙って傍にいるだけだった。


その日、光也が外に出ている時だった。
病室のドアがそっと開くと、理学療法士の1人が入ってきた。
前から彼が熱のこもった瞳で里佳子を見ていたことはわかっていた。しかし今日の様子はさらにおかしいように見える。

「…どうしました?」
「あの…あ…」

彼は早足でベッドに近づこうとしてくる。明らかに我を忘れているような顔だ。
里佳子が近くにあったものを握ろうとした瞬間、光也が病室に駆け込んできて、取り押さえた。
男性を引き倒すとそのまま腕をひねりあげて、自分が跨がる。

「……そこまでだ。川久保!いないのか!」
「すみません、田城さん!トイレに行ってて…」
「トイレなど行くな。任務中だぞ」
「申し訳ありません」
「この男を連行しろ」
「はいっ」

理学療法士を後輩のSPに渡すと、光也は頭を下げた。
「いいって。何もなかったから」
「私は室内での警護なのでトイレもこちらで済ませますが、外の警備の場合はトイレを我慢するのが基本です。それを守れないとは…」
「……あんな風に『女』を見ておかしくなっちゃう人がいるんだね…」
「…否定はしません」
「……うん」

元から女というものがいなければ、ここまではおかしくならない。
誰しもが恋人や、母親や、姉や、妹や、娘を
様々な人を恋しがる。
それがおかしくするのだ。

「自分には、家族というものがいませんでしたから。だから貴女の警護に選ばれたのだと思います。勿論、志願もしましたが…」
「志願…」
「田城先生に志願してほしいと頭を下げられました」
「………」

どうしようもなく、父に会いたかった。
会って、他愛もない会話をして
笑っていたかった。

里佳子はぼんやりとそんなことを思い、すぐに打ち消した。
できもしないことを考えるのは、やめにしようと。


数日後、里佳子と光也は完成した家に移り住んだ。
ドクターが1人、家の外に小さな宿舎をもらい住んでいる。
病院にいるときから、里佳子がカタログを見て希望した家具が配置されている。
家中に設置された監視カメラはすでに動き始めていた。

「ミツ、ソファまで歩きたい」
「はい」
光也が身体を支えると、里佳子はゆっくりと足を踏み出した。最近こうして歩けるようにもなった。
よろける里佳子に身体を密着させると、そっと口を動かさないように里佳子が囁く。
「私の唇、読める?」
「はい」
里佳子はソファに座ると、カメラから見えないように両頬に髪の毛がかかるように少し俯いた。
正面に立つ光也には唇が見える。

『これからは、こうして話そう』

光也が小さく頷く。
それは、光也と里佳子の秘密の会話の始まりだった。


続く

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