天下界の無信仰者(イレギュラー)
ある女性が言っていました
「…………」
「…………」
それからこの場は再び無言になった。二人とも口を閉ざし遠めに見える町を俯瞰する。
言わなくてはならないことがあるはずなのに口は重く、舌は痺れたように動かない。それを言うには一押しが足りない。
そこで、ミルフィアが動いた。
「……それでは、私はこれで」
お礼は言った。謝罪も伝えた。言わなければならないことは全部伝えた。
用件はなくなりミルフィアは会釈すると背を向け歩き出した。表情は笑っているがどこか寂しい。
他に言わなくてはいけないことがある。そう思うけれど、一歩の勇気が出ない。
胸に秘めた思いは言わなくてもいい。そう自分を納得させた。わざわざ言う必要もない。なぜなら自分はちゃんと分かっている。この六十年、彼が進んできた道が正しかったのだと。
他の誰が知らなくても、自分だけは。
だから、なにも言わずこの場を去ろうとした。
「シルフィア」
「!」
その足が止まった。胸に衝撃が走り目が見開かれる。
全身が緊張した。その名前で呼ばれ懐かしさが沸くのと、なにを言われるのかと身構えてしまう。
エノクはミルフィアを見ていなかった。ここから去ろうする背中に和やかに声を送る。
「なにも言わなくていい。きっと事情があるんだろう。このまま黙って去っていって構わない。ただ」
エノクはなにも求めない。そんなことをしなくてももう十分に満たされていた。
なぜなら。
「君に、出会えてよかった。元気そうでよかった。安心したよ」
こうして出会えたのだから。なぜ消えたのか、なぜ名前を変えて現れたのか。今までなにをしていたのか。神愛とは何者なのか。
まだまだ謎はある。けれどもうどうでもいい。
再会できた。それだけで良かった。
「……ほんとうに良かった」
心が、満たされていく。
「…………これは」
「?」
エノクは振り返りミルフィアを見た。彼女の後ろ姿が見える。彼女は背中越しに話していた。
「これは、意味のない独り言なのですが」
慎重に、言葉を選ぶように。彼女の声には大きな思いを感じる。言ってはならないことをあえて言う。それほど彼女の思いは強く、真摯だ。
「ある女性が言っていました」
それは六十年越しの伝言。タイムカプセルのように時間を超えた言葉。
ミルフィアは振り向いた。
その横顔は、シルフィアにそっくりだった。
「ありがとう。兄さんの、遺志をついでくれて」
「…………」
その言葉に、時間さえ止まった気がした。
六十年という時間がこの一瞬に圧縮されていく。そこにあった思いまでも一緒に。
六十年すべての思いが、蘇っては胸を駆け抜けていった。
ミルフィアは小さく笑うと頭を下げ、今度こそ出て行ってしまった。再びバルコニーにはエノク一人だけとなる。
昼過ぎの太陽の下、エノクは一人沸き上がった思いにふけていた。
「ありがとう、か」
エノクは目を閉じ、顔を大空へと向ける。
心の中で、喜びが広がっていく。
報われたのだ、この六十年のすべてが。
兄は裏切り者と罵られ、妹は突然姿を消した。
一人残され、孤独になって、それでも兄と交わした約束を果たすため、その生涯を生きてきた。その孤独な旅が、今、終わる。
約束は果たされた。六十年という月日を経てもなお。
聖騎士エノクの道は今日、報われたのだ。
「…………」
それからこの場は再び無言になった。二人とも口を閉ざし遠めに見える町を俯瞰する。
言わなくてはならないことがあるはずなのに口は重く、舌は痺れたように動かない。それを言うには一押しが足りない。
そこで、ミルフィアが動いた。
「……それでは、私はこれで」
お礼は言った。謝罪も伝えた。言わなければならないことは全部伝えた。
用件はなくなりミルフィアは会釈すると背を向け歩き出した。表情は笑っているがどこか寂しい。
他に言わなくてはいけないことがある。そう思うけれど、一歩の勇気が出ない。
胸に秘めた思いは言わなくてもいい。そう自分を納得させた。わざわざ言う必要もない。なぜなら自分はちゃんと分かっている。この六十年、彼が進んできた道が正しかったのだと。
他の誰が知らなくても、自分だけは。
だから、なにも言わずこの場を去ろうとした。
「シルフィア」
「!」
その足が止まった。胸に衝撃が走り目が見開かれる。
全身が緊張した。その名前で呼ばれ懐かしさが沸くのと、なにを言われるのかと身構えてしまう。
エノクはミルフィアを見ていなかった。ここから去ろうする背中に和やかに声を送る。
「なにも言わなくていい。きっと事情があるんだろう。このまま黙って去っていって構わない。ただ」
エノクはなにも求めない。そんなことをしなくてももう十分に満たされていた。
なぜなら。
「君に、出会えてよかった。元気そうでよかった。安心したよ」
こうして出会えたのだから。なぜ消えたのか、なぜ名前を変えて現れたのか。今までなにをしていたのか。神愛とは何者なのか。
まだまだ謎はある。けれどもうどうでもいい。
再会できた。それだけで良かった。
「……ほんとうに良かった」
心が、満たされていく。
「…………これは」
「?」
エノクは振り返りミルフィアを見た。彼女の後ろ姿が見える。彼女は背中越しに話していた。
「これは、意味のない独り言なのですが」
慎重に、言葉を選ぶように。彼女の声には大きな思いを感じる。言ってはならないことをあえて言う。それほど彼女の思いは強く、真摯だ。
「ある女性が言っていました」
それは六十年越しの伝言。タイムカプセルのように時間を超えた言葉。
ミルフィアは振り向いた。
その横顔は、シルフィアにそっくりだった。
「ありがとう。兄さんの、遺志をついでくれて」
「…………」
その言葉に、時間さえ止まった気がした。
六十年という時間がこの一瞬に圧縮されていく。そこにあった思いまでも一緒に。
六十年すべての思いが、蘇っては胸を駆け抜けていった。
ミルフィアは小さく笑うと頭を下げ、今度こそ出て行ってしまった。再びバルコニーにはエノク一人だけとなる。
昼過ぎの太陽の下、エノクは一人沸き上がった思いにふけていた。
「ありがとう、か」
エノクは目を閉じ、顔を大空へと向ける。
心の中で、喜びが広がっていく。
報われたのだ、この六十年のすべてが。
兄は裏切り者と罵られ、妹は突然姿を消した。
一人残され、孤独になって、それでも兄と交わした約束を果たすため、その生涯を生きてきた。その孤独な旅が、今、終わる。
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聖騎士エノクの道は今日、報われたのだ。
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