天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

困っている者を助ける。そこに、理由が必要かね?

 あれはダメだ、違いすぎる。最初はいけるかもと思ったが最後の最後ですべてが一転してしまった。そもそもこれ以上にないという攻撃を片手で止められ、触るような攻撃でここまで吹き飛ばされたのだ。もう勝負にもならない。

「くそが。最後に覚醒するとか漫画の主人公かよ……」

 あまりの反則に愚痴も出る。
 けれど、神愛の表情は清々しかった。痛みにひきつるもののその顔は満足そうに笑っている。

「よかったんですか?」

 その笑みにミルフィアも安心したような声で話しかける。

「まあ、仕方がねえだろ」

 負けた。負けてしまった。
 けれどこれでいい。
 これでいいんだ。

「神愛くーん!」

 そこで遠くから声が聞こえてきた。恵瑠だ。加豪と天和と一緒に走ってくる。

「神愛君、大丈夫ですか?」

 神愛の隣に膝をつき顔をのぞき込んでくる。彼女の心配そうな瞳とツインテールの白い髪が神愛の頬をくすぐった。

「悪いな、負けちまったわ」

 恵瑠を前にして神愛の顔も申し訳なくなる。かっこいいところを見せてやると言っておいてこのざまだ、こればかりは恥ずかしい。

「ダセえよな、かっこつかないわ」

 神愛は恵瑠から顔を背けた。あれだけかっこつけてぼろ負けなんて。ダサ過ぎる。

「ううん!」

 そんな神愛の胸に、恵瑠が抱きついてきた。

「え、恵瑠? おい」

 いきなりのことに驚くがすぐに口をつぐんだ。

「かっこよくなくたっていい。ださくたっていいよ。そんなことよりも、どこかに行っちゃう方が、よっぽど嫌だよ!」
「恵瑠……」

 顔を神愛の胸に押しつけて、恵瑠は泣いていた。不安や心配、そんな感情が一気に溢れて。彼女の思いが暴れるように言葉になって出てくる。

「ずっと一緒だよ。絶対、絶対だよ!」

 よっぽど心配だったんだろう。
 何度も何度も、別れを経験してきた彼女だったから。また別れてしまうのかと、自分のせいで消えてしまうのかと不安だった。
 そんな思いはもうしたくない。これ以上大切な人を失いたくない。
 恵瑠は泣いていた。ださくたっていい。だから、かっこつけてどこかに行かないで欲しい。
 もう、大切な人がいなくなるのはこりごりだ。
 彼女の涙と言葉に、神愛は痛む腕を動かし恵瑠の頭に手を置いてやった。

「おう……。分かったよ。ずっと一緒にいる」

 恵瑠の気持ちを抱きしめるように。神愛は優しく話しかける。
 恵瑠が顔を上げ神愛を見る。青くて大きな瞳は濡れていて、小さな顔はくしゃくしゃだった。

「本当に?」

 まるで雨に濡れた子犬みたいだ。そんな愛らしい彼女に神愛はふっと笑った。

「ああ。絶対の絶対だ」

 彼女の頭を撫でる。さらさらとしていて柔らかい髪だった。
 髪を撫でられたことで恵瑠が目を嬉しそうに細める。

「だから安心しな。お前は、笑ってる方がかわいいからよ」

 その目が少しだけ驚いたように見開かれた。

「…………」

 神愛をじっと見つめてくる。その後ごしごしと涙を拭いて、とびっきりの笑顔を見せてくれた。

「うん! えへへ」

 涙の跡がまだ頬に残っていたけれど、彼女の笑顔はやはり可愛かった。小動物のような愛くるしさだ。
 そんな彼女を見て思う。
 恵瑠に涙なんて似合わない。明るくて、元気、それでいて無邪気に笑ってる。
 そんな彼女が大好きで自分は今まで頑張ってきたんだなと。それを発見できた。
 ほんとうによかった。胸の中にいる彼女に、神愛は安堵していった。

「動くな!」

 だがそこに荒々しい音が聞こえてくる。
 見ればぐるりと周囲を騎士たちに囲まれている。全員が武器を向けていた。
 勝負はついた。しかしそれですべてが終わったわけではない。
 保留にされていたが神愛が教皇誕生祭のパレードを襲撃したことは解決していないし、ヘブンズ・ゲートの鍵であるウリエルの危険性も消えたわけではない。
 ここにいるのは危険人物の集団だ、騎士たちも険しい表情で神愛たちを見る。
 加豪は神託物を出しミルフィアも立ち上がり騎士たちと対峙する。にらみ合いが続き緊迫した雰囲気だ。

「やめるんだ」

 そこへ掛けられた声に全員の視線が動いた。

「しかし教皇様」

 それはエノクだった。ボロボロだった法衣は傷一つない新品へと変わっており淀みない歩調で近づいてくる。背後にはペトロとヤコブもいた。
 エノクの言葉にはこの場にいた騎士だけでなくヤコブも反対の声を挙げていた。
 しかし周囲の反応を無視してエノクは続ける。

「彼女たちを解放しろ。これまでの行動はすべて不問とする」
「エノク様!」
「いいんだ」

 エノクの声は穏やかだった。重罪人であり敵対関係にもなった相手を前にしているとは思えない。騎士たちは戸惑った様子で辺りを見渡している。
 それはヤコブも同じでありそうは簡単に納得できない。

「ですが、さすがにそれは問題では? やつらのしたことは重罪ですぞ。それを不問に付すというのはあまりにもメチャクチャかと」

 そもそもそうしたことは本来司法庁の管轄で総教会庁の長とはいえ決められることではない。明らかな越権行為でありヤコブの意見が正しい。

「メチャクチャ、か」

 部下から言われた一言が胸に響く。めちゃくちゃなんて言葉思えば一度も言われたことがなかった。
 そういう評判は、いつも兄エリヤだったから。

「ふ、はっはっはっは!」

 エノクは笑った。それも微笑むなんて控え目なものじゃない、青空を仰ぐほどの大笑だった。全員がなにごとかとエノクを見つめている。こんな風に笑う教皇は見たことがない。

「そうだな、メチャクチャだ。確かにそうだ。だが、ここは私のワガママを通させてもらうぞ」

 エノクはヤコブを見る。不満そうな彼に向かって微笑んだ。

「困っている者を助ける。そこに、理由が必要かね?」
「う、ううむ」

 そう言われては、なにも言い返せない。
 この場の誰しもが困惑しながらも最高権力者であるエノクの言うとおりにした。剣を向けていた騎士たちは鞘に納め後ろに下がっていく。聖騎士であるペトロとヤコブも腑に落ちないところはあるものの従った。
 神愛、並びにミルフィアたちは無罪放免となり自由の身となった。
 エノクは踵を返し、背中越しに話した。

「宮司神愛。君がその少女を守らんとする思いは受け取った。素晴らしいものだったよ」

 それだけを言うとこの場を去っていく。掛ける言葉はそれだけで十分だった。大切なことは理解した。あの時の約束はちゃんと果たせたのだ。
 エノクはサン・ジアイ大聖堂に向かい歩き始めていた。
 その時だった。

「待てよ」

 エノクの足が止まる。そして背後に振り向いた。
 そこにはミルフィアに支えられ立っている神愛がいた。傷が目立つ姿だった。それでも神愛は不敵に笑い、エノクに話しかけた。
 ずっと待ち望んでいた、その言葉を。

「最後のは利いた。大したやつだよ」

 その言葉が、胸に突き刺さった。
 彼からの賛辞。それが胸にじわりと広がっていく。今まで行ってきた努力や行動、困難な道のり。そこにあった苦労がすべて解けていく。
 嬉しさが、胸にこみ上げてくる。

「…………」

 そっと、エノクの口元が持ち上がる。そして、止まっていた足を再開させた。
 二人の決着はエノクの勝利で幕を閉じた。人類と天羽。その長い戦いが終わった。ゴルゴダ共和国の負った被害は小さなものではなかったが手に入れたのもまた大きいものだった。
 二千年前の使命と名誉。
 六十年前の約束。
 それぞれの思いが交錯した戦いは、こうして終わりを告げた。
 世界に、平和が訪れた。

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