天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

来い、従順に死ぬ必要なんてねえよ。逃げればいいって

「おーい」

 自分とは無関係だろうとウリエルは無視したが声はまだ聞こえてくる。

「おい! 無視するんじゃねえよ引きこもりオラ!」

 伸びた声がだんだんと荒い口調に変わっていく。

「居留守なんかしても無駄だぞ、確かな筋から得た情報だ、素直にお縄にかかれ!」

 いや、ここはすでに司法庁管轄の建物なのだからすでにお縄にかかっているのでは? と思ったがなんとか黙っておいた。
 というか、さっきからかなり騒々しい。声は窓の外から聞こえてくるというのも怪しい。だがここは三階だ。それにしては窓のすぐ外から聞こえる気もする。
 たまらずウリエルは立ち上がった。電気のついていない暗がりの部屋を歩き窓際に近づく。そしてカーテンを開けてみた。

「な」

 そこから、まばゆい光が入り込んできた。
 暗がりの部屋が一瞬で照らされる。
 窓の向こう。光の中には、エリヤがいた。

「よう」

 彼はなんでもないように小さく手を上げた。
 ウリエルの部屋は裏庭に面しており、そこには木々が一列に並んでいる。エリヤは木を上り窓の近くまで伸びていた枝に座っていた。
 ウリエルは呆けたようにエリヤを見つめていたが、すぐに窓を開けると顔を外に出した。

「なぜここにいる!?」
「助けに来たんだよ」
「は!?」

 開いた口が再び閉まらない。こいつはなにを言っているんだ? いや、エリヤとはもとからこういう男だ。だが、だとしても来るか普通?
 ウリエルの頭では一瞬のうちにいくつもの疑問と回答が連鎖しショートフリーズ状態だった。

「だから、なぜ助けに来たんだ!?」

 そのやりとりは巡り巡って最初に戻ってきた。なぜ来たのか。そのリスクが分からないはずがないのに。

「私を助ける? そんなことをすればお前はどうなる? お前だけじゃない、お前の家族だってどうなる? 分かっているのか!?」

 ウリエルは言っていただんだん腹が立ってきた。こいつは自分の身勝手な正義感でまた周りに迷惑をかけようとしている。それが無性に許せなくて、悔しくて、その根底にあるのが自分のせいなのだというのも分かっているからなおさら苦しい。
 エリヤに迷惑をかけたくなかった。その家族にだって迷惑をかけたくなかった。だから自分は潔く連行されたというのに、なぜそれが分からない。
 なぜ、自分はエリヤを追い込んでしまうのか。
 それが、無性に許せなかった。

「私はそんなこと望んでいない。頼んでもいない! そんなことをすればお前が!」

 言えば言うほど、声が大きくなっていく。だけど目線は反対に下がっていった。

「お前だって、ただじゃ済まないんだぞ!」
「じゃあ、お前を見捨てろって? お前、そう言うのかよ」

 エリヤの真剣な声に、ウリエルは言葉を止めていた。
 下がっていた顔を上げる。そこには、彼女を真っ直ぐに見つめるエリヤの顔があった。

「自分の行いを反省して、世界を良くしようとずっとがんばってきた。そんなやつが死のうとしてるのに、お前は見捨てるのかよ」

 声自体は静かだ。ウリエルの大声と比べればおとなしいくらい。けれど彼の強い眼差しと芯のある声は、押さえ込まれた思いを感じさせた。

「出来るかよ、そうだろ?」

 エリヤはウリエルに向け手を伸ばした。エリヤから窓際まではまだ距離があるが、ウリエルが手を出せばなんとか届く位置だ。

「来い、従順に死ぬ必要なんてねえよ。逃げればいいって」

 優しい声で言われた言葉は、ウリエルの背中を押すようだった。

「駄目だ、エリヤ……。駄目なんだよ」

 けれど、ウリエルは手を伸ばさなかった。

「私は……!」

 両手は胸の前で固く合わさっている。エリヤから差し出された手を羨ましそうに見つめるがすぐに表情を暗くしてしまう。
 胸の奥底で消えない後ろ暗い思い。それが彼女から救済を遠ざけていく。

「私はな、エリヤ。かつて、大勢の人を……」

 自分に、救われる価値なんてない。なにも知らない人なら手を伸ばすこともあるだろう。でも、真実を知れば別だ。
 それを言わなくてはならない。

「…………」

 ウリエルが言わんとする重苦しい雰囲気にエリヤはなにも言わず、彼女が言うのをじっと待っていた。

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