天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

……雨、か

 人が寄りつかなくなっ教会は本日も貸し切り状態だ。自然に残されたこの場所は静寂に包まれている。壁にはツルが走り壊れた屋根には鳥の巣がある。自然の一部となった教会はここの住民に気に入られているようだ。
 その中で、がちゃがちゃと音が立っていた。騒がしい音を出しているのはエリヤだ。教会の真ん中にある参拝用の椅子に座り弁当を頬張っている。ここに来ることに多少の抵抗はあったがここしか思いつかなかった。
 悩んでいても腹は減る。腹が減っている時に食べるご飯はおいしい。広い教会で一人の食事は物寂しい感じはあるが、エリヤの食事にそんな気配はない。食べ方まで豪快だ。すぐに一箱目を完食し二つ目の箱を開けた。

「ああ、やっぱそうだわ。これぐらいないと食った感じしねえよなぁ。いつも食い足りなかったんだよ」

 最近は昼食で満足することはなかったなと食べながら考える。一人分はちゃんと収まっている弁当だがエリヤにとっては物足りない。しょせんは子供が作ったレディース用みたいな量だ。二つ揃ってようやく腹が満たされていく。しばらくなかった満足感に感慨がこみ上げる。
 それもこれも、ウリエルが隣にいたからだ。

「あいつがいなくなって得したよな。そもそも? 俺は最初から一人だったんだから元に戻っただけだし? なにも損なんかしてないんだから思い悩むこともないわけだ。いやー、一人って気軽でいいわ~」

 一人万歳。ビバ一人。自由気ままな生活ライフをあなたに。

「この秘密基地も一人占めだしな。贅沢だわ~。一人って最高だぜ~」

 弁当を食べ終わりエリヤは両腕を椅子の背もたれに乗せる。さらに背を反ってリラックスモードだ。自由を享受きょうじゅするすばらしさに表情も緩む。

「…………」

 けれど、長くは続かなかった。
 目を開ける。口元はもう持ち上がっていない。どれだけ賛美を口にしたところでなにも変わらない。教会は静寂で空虚で、笑顔なんて長続きしない。
 当然だ。思えば自分が言ったことだ。
 一人じゃ幸せは実感できないと。どれだけ楽しいことがあって、それを話したところで誰もいなければ独り言だ。楽しいわけがない。
 エリヤの額に水滴が当たった。屋根に開いた穴から少しずつ、小雨程度の雨滴が教会内に降り注ぐ。

「……雨、か」

 曇天から弱々しい滴が降りエリヤを叩く。エリヤは片手で顔を隠し、指の間から空を見上げ続けた。見上げる雨は線のようで、自分を突き刺す針のようだ。この雲は町を覆い、雨はみなを貫いていく。
 その中にいる、一人のことをふと思う。

「あいつ、今ごろなにしてるんだろうな……」

 あれから十日。一度も会っていない。どこにいて、なにをしているのか、彼女の話はなにも聞いたことがない。
 安否すら、エリヤは知らなかった。
 せめて無事でいて欲しい。そう祈るだけだ。
 その時、備えの悪い扉が開いた。
 その音を聞いてエリヤはすぐさに反応した。まさか? 慌てて扉に振り返る。ここを知っている人間は少ない。足を運ぶ者は自分くらいだ。
 もしくは。
 エリヤは期待しながら見るが、しかし、扉の前に立つ人は思い浮かべた者とは別だった。

「ラグエル?」

 監査委員会委員長、ラグエルだった。白のロングコートに黒い髪、法律が服を着て歩いているような精悍な表情。久しく会っていなかったが彼を見間違うことはない。
 そんな彼がなぜここを知っているのか? そもそもなぜ来たのか? いろいろ疑問は浮かぶが、一番の疑問は、

「よう、どうしたんだよ?」

 鉄のような彼の顔が、葬式のように暗かったことだ。
 傘を差さずここまで来たのだろう、髪や服は濡れている。しかし本人はそんなこと気にしておらず暗い瞳を前に向けているだけだ。
 そんな彼は、見たことがない。常に他人と自分を厳しく律し、そのために気を張っていた男だ。そんな男がどうだ、まるで道に迷った子供のように立ち尽くしている。
 ここに来た理由よりも、その異常さの方が心配だった。
 ラグエルはエリヤから視線を切ると中央道を歩き始めた。エリヤのいる真ん中付近で立ち止まり、正面に見えるステンドグラスを見上げた。

「お前がここに頻繁に来ていることは知っていた。ここで、ウリエルを匿っていたこともな」
「……そうかい」

 そうとしか言いようがない。だからなんなのか分からない。エリヤは穴の開いている天井から少し離れ、ラグエルを慎重に見つめる。

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