天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

あ、あの! 兄さんこれ!

「これはそれとは無関係だ。君が否定的な立場なのは知っているがもっとスマートになってくれないか? それはない」
「…………分かりました」

 ラグエルは静かに頷いた。

「でも、ラグエルの言うとおり、まだ始まってもない戦いのために彼女を処刑するというのは……」
「ラファエル。君も物わかりが悪いね。そもそも彼女は裏切り者の堕天羽だ、処刑する理由なんてもともと要らないんだよ。遺体は保管でもして必要な時にでも出せばいい」

 それではまるで物のようだ。ラグエルの顔がさらに固くなっていく。

「……なにか言いたいことでもあるかね、ラグエル?」
「……いえ、なにもありません」

 言いたいことが、ないと言えば嘘になる。けれどあるとは言えなかった。それはとても個人的なことだ。私的な感情だったからだ。これは今後の方針を決める重要な会議。一個人の事情など挟むべきではない。
 そう思っている。それは分かっている。
 ラグエルは瞳を瞑り、眉間に大きなしわが寄る。
 分かっている。分かっているのだ。理性で理解しようとしても胸にあるものが納得してくれない。
 自分はあくまでも一介の過ぎない。天羽長はじめ他の四大天羽が決めたことには従わなくてはならない。
 けれど。
 けれど。
 けれど――。
(ウリエル様)
 あの人の愛を知っている。あの人の怒りを知っている。
 あの人の、なによりも悲しげな顔を知っている。
 ウリエルの罪と罰。それは、これほどまでに残酷なものなのだろうか。彼女は、救われることすら許されないほどに、罪深いのだろうか。
 愛する人間による処刑。
 それほどまでに、人を愛し、怒り、悲しみ、それでもなお愛することは罪深いのか。
 ラグエルは、解決できない苦悩に胸を痛めていた。そして、その疑問は晴れぬまま会議は終わりとなった。



 朝の空気に小鳥のさえずりが聞こえてくる。天気は曇り模様なので洗濯をどうするか迷っているのはシルフィアだ。昨日やろうと思っていたままの衣類が貯まっているので降らないのならしておきたい。
 が、そんな心配よりも気がかりなのが兄のことだった。今もリビングがどんよりとした空気になっているのは天気のせいだけではない。
 エリヤはリビングのソファに座っていた。エノクはすでに仕事に出かけていったのでここには二人だけだ。最近はいつも町に出かけていたがその行動もぴたりと止んだ。今はシルフィアに背を向ける形で座りなにをするでもなく座っている。
 その後ろ姿が、やけに寂しい。朝食を食べている時も元気はなかった。いつもの覇気がなく抜け殻のようだ。
 彼になにかがあった。誰かと出会い、その誰かと会わなくなったらしいがそのことについて兄は話してくれない。一人で抱え込みふさぎ込んでいる。
 そんな背中を心配に見るが、なにかできるわけでもなくシルフィアは台所で朝食の食器を洗っていた。
 すると、エリヤが立ち上がった。

「出かけてくるわ」
「は、はい……」

 そう言うとそのまま玄関へと向かっていく。あまりにもふらっとした仕草に流されそうになるがシルフィアは慌てて思い出した。

「あ、あの! 兄さんこれ!」

 台所に用意しておいた袋を手にシルフィアはエリヤの元まで駆ける。それを手渡した。エリヤは中を確認するとそこには弁当が入っていた。しかも二つだ。

「弁当はもう二つもいらねえよ」

 笑い気味に言う。もう誰とも会うことはないと伝えていたはずだが忘れてしまったのだろうか。

「いえ」

 そんなエリヤにシルフィアも笑って答えてきた。

「兄さんは大食いですから」
「ふ。ありがとな」

 エリヤは二つの弁当が入った袋を受け取った。なんとも用意のいい妹に感謝し、気を遣わせていることに申し訳なくなった。

「行ってくるわ」
「はい。お気をつけて」

 二人は笑顔であいさつを交わし、今度こそエリヤは孤児院を出ていった。

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