天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

それどころか、戦意すら消えていた

 唖然とするミカエルを余所にルシフェルは歩き出した。警戒を強める敵に向かい単身乗り込んでいく。

「ルシフェル!?」

 ミカエルから心配の声がかけられるがルシフェルは止まらなかった。

 距離が縮まっていく。互いの間合いが残り三分の一にまで近づいた時、ついに人間たちは動き出した。

「うおおおお!」

 敵将が一人近づいてくるのだ、この好機を逃す手はない。恐怖に怯えていた心が目の前のチャンスに弾けた。剣を振り上げ一斉にルシフェルへと襲いかかる。

 対して、ルシフェルは剣を握ってもいなかった。

 それどころか、戦意すら消えていた。

 背後からはミカエルの叫び声が聞こえる。ルシフェルの行動は自殺行為にしか見えない。武器も戦う気も見せず敵に向かっていくルシフェル。敵は止まらず殺意と剣を向けてくる。

「これは!?」

 その時、進軍が止まっていた。

 次々と兵士たちが立ち止まる。見れば、自分が握る剣から花が生えていたのだ。柄からツルが伸びていく。

「なんだこれは!?」

 ツルはとてつもない勢いで生えていき兵士の手に巻き付いてくる。まるで手錠だ。兵士たちは急いでむしり取るが追いつかない。

 剣を投げ捨てるが、気づけば本当に手錠のように両手を固定されてしまった。いくつものきれいな花弁が咲き、手に巻き付いた輪はフラワーアートのようだった。

 兵士たちは怒りを吐きながら必死に解こうと抵抗している。そんな中変わらない足取りでルシフェルは近づき兵士たちはにらみつけた。

「近寄るな!」

 容赦のない敵意がぶつけられた。

 そんな彼らに、ルシフェルは悲しい瞳を浮かべた。

「止めろ」

「ふざけるな! 貴様等がふっかけおいて止めろだと!?」

「…………」

「これを解け! 殺してやる!」

「…………」

「クソ、これを解け!」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 ルシフェルは目の前で苦戦する兵士を見つめた。

「止めろ」

 まるで燃え尽きた灰のような意思で、静かに声をかけた。

「…………」

 兵士は黙っていた。戦意が下がっていく。それはまか不思議な技で武器を封じられたこともあるだろう。彼我の差に存在する圧倒的な力を見せつけられれば戦意も喪失する。

 でも、それ以上に、ルシフェルの辛そうな雰囲気が大きかった。

 なぜなら、彼は今にも泣きそうな顔をしていたのだ。そのあまりの悲しみに、一人、また一人と剣先を下ろしていった。

 彼らが剣を下げたのを確認し、ルシフェルは踵を返した。自陣に戻り小さな声で告げる。

「連行しろ」

 指示は届いた。委細承知するも、しかし、天羽長への返事は誰も言えなかった。了解しましたの一言でさえ、掛けるのを躊躇うほどに、今の彼は憔悴していた。

(ルシフェル……)

 そんな彼を、ミカエルは心配そうに見つめる。

「ミカエル様?」

 天羽の一人がミカエルに尋ねてくる。ミカエルは離れ一人きりとなるルシフェルを見つめていたが声をかけてきた天羽に振り返る。

「彼らを拘束。連行してください。……手荒な真似は控えるように」

「はい、分かりました」

 ミカエルからの再度の指示に控えていた天羽たちは動き出した。人間たちに近づき収容所まで連れて行く。人間たちに目立った抵抗はなかった。

 始まる前まではあれほど濃密な戦意で充満していた、誰しもが血と悲鳴を幻想しただろう。

 しかし終わってみれば無血解決。誰一人怪我をすることなくこの戦いは終わっていた。それは慈愛溢れる素晴らしい決着だった。

 けれど、この光景にミカエルはむしろ心配を増していた。

 敵を攻撃しなかったこと。それは立派だが、逆に攻撃する覚悟がまだ決まっていないということではないか。迷いがまだ消えていない。

 それを、ミカエルは尊敬の気持ちとともに抱えていた。

「なんだこの子供は!?」

 不安に意識が離れていたミカエルだが大声にすぐさに反応した。

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