天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

人類との、戦争が始まった

 そして、その日はやってきた。あれから数日後の今日。

 宣戦布告はすでにした。降伏を勧めたが多くの国は断った。戦う力のない小国でさえ、大国の意向に合わせ反旗をかかげた。

 それは分かり切ったことだった。戦うこともせずむざむざ降伏などすれば大国から襲われる。よって、ほとんどの国は握手ではなく武器を取った。

 人類との、戦争が始まった。

 晴れた日だった。まだ建築技術が発達していないこの時代、並ぶ建物は土を固めたブロックを重ね泥で固めたものだ。

 土地柄もあり黄土色をした家々が広がってる。とある大国の一つ。昼間のこの時間、今日のような晴れ模様なら町人たちの活気ある声が街道には溢れるはずだが、しかし現在それはなかった。

 町の一角、大通りに立つのは鎧を被った兵士の列。全身を鉄の鎧で覆いかぶとも被っている軍団だった。

 対して距離を空けて対面する天羽の一軍。こちらは空を飛ぶためにも軽装な防具で銅と腕だけに装備している。互いに千にも及ぶ数の両者がにらみ合っていた。

 一発触発の緊張が漂う。戦意はこの場に充満し、この場で立っているだけで心の弱い者は吐きそうだ。それほどの重圧がこの場に圧しかかっていた。

 天羽軍の一番前にはルシフェルとミカエルが立っている。互いに銅と小手の鎧を付け腰には剣を下げている。

 正面には数百という敵陣が並び、自国の大きな旗がいくつも風に吹かれて泳いでいた。

 状況は動かない。始まりの時を躊躇うように両者じっとにらみ合い、開始の時を待っていた。

「ルシフェル」

 その時、隣にいるミカエルから声をかけられた。青さの抜けないミカエルに兵装姿は似合っていない。

「相手からしてみればこの戦いは防衛戦。攻めるのであれば」

 ミカエルはそれ以上は言わなかった。続きはルシフェルも分かっている。

 攻めるならこちらからだ。この戦いは経緯はどうあれ天羽がしかけたのだから。

「分かっている」

 固い声で返事をする。正面にいる敵から目を逸らさないまま。ここで立ち尽くして無駄に時間を過ごしていてもなんにもならない。

 自分で決断し、攻めなくてはならない。

(そうだ、その覚悟はしたはずだ)

 誰に言う出もなく、自分に言い聞かせた。こうなることは分かっていたはず。

(こちらから攻める。それで、彼らを殺めることになろうと)

 理想のための犠牲だ。無駄な死ではない、必要悪の、仕方のない行為だ。

 戦うと決意した。逃げる気もない。神の使命、果たすことこそ最大の名誉。

(人を、殺める……)

 けれど、どこかで、思ってしまうのだ。

(彼らは、自分を、もしくは誰かを守るために戦っているだけだ。悪でもなく、罪でもない。むしろ、人間の善い面ではないのか……)

 戦意に満ちた表情の裏側で、心に引っかかりを感じてしまう。

 迷いとは捨てるものではない。解決しなくては雑草のように生えてくる。

「くっ」

 ルシフェルは小さく顔を振った。いけない、迷いが生まれている。頭から不審を払い落とす。天羽の長である自分が迷っていては他の者の志気を下げかねない。使命感が自分を正した。

 示さねばならない。まず自分こそが、天主の意向を見せるべきだ。

 こうしてはいられない。責任感からルシフェルは自身の腰に差した剣に手を伸ばした。

 瞬間、敵も勢いよく剣を引き抜いた。即座に構える。不安と恐怖に急かされるように。

 敵の動きを注視する中で、ルシフェルは見てしまった。

 かぶとの奥から、怯えた瞳が一斉にルシフェルを見つめてきていた。

「…………」

 それを受け止める。視線から伝播する彼ら一人一人の思いが胸を貫いてくる。それは冷たいナイフのように彼の心に突き刺さった。

 柄に伸ばした手が止まっていた。剣を掴む直前で動きは止まり、手は震えている。

「ルシフェル……?」

 不審に思ったミカエルが声をかけてくる。けれどルシフェルに応える余裕はなかった。

 それどころではない。それどころではなかったのだ。

 しまったと思うのも遅すぎた。

 ルシフェルほどの実力者ならば人の心を見抜くなど造作もないことだ。呼吸をするほど自然に行える。むしろ戦場というこの状況、防衛本能ゆえか意図せず相手の意思を読み取ってしまった。

 無意識に、相手の心が流れ込んでくる。

『死にたくない……死にたくない……』『殺される……! ここから逃げたい』『怖い!』

「…………」

 頭の中に入り込んでくる数百という負のオーラ。たとえるなら自殺志願者か鬱患者で充満した密室に入れられた気分だろうか。自分の方までおかしくなりそうだ。感情がダイレクトに入ってくる分それ以上に精神が汚染されていく。

 死の恐怖。怯え。不安。この場に満ちているのは勇猛果敢な戦意などではない。恐怖。それだけだ。

 ルシフェルの表情が、だんだんと退いていく。額を一筋の汗が流れ落ちていく。

 ルシフェルは、剣に伸ばした手を下ろした。

「……ここで待っていろ」

「え?」

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