天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

お別れ2

 けれど、ウリエルはすぐにはしなかった。

 のみならず、右手の長剣を消した。

 ウリエルは屈み神愛を抱き上げる。両腕の上には目を瞑った神愛がいる。その横顔を見つめ、初めてウリエルの表情に変化が生まれた。

 執行官のような険しい顔から、捨てられた子犬のような顔になったのだ。それは断じて敵を見る目じゃない。審判の天羽、ウリエルが浮かべる表情ではない。

 あるのだ、心が。思い出が。彼女、恵瑠として過ごしてきたすべてが。それがウリエルの胸を圧し潰そうとしている。

 重い。なんと重いのだろう。ウリエルは抱き上げる神愛の重みに崩れそうだった。それは拭い去ることの出来ない大切な宝物だから。

 ウリエルは両手で神愛を持ち上げると羽を広げ、空間転移で場所を移動した。

 転移先は教皇宮殿の外。以前二人で止まった宿の部屋だった。ウリエルはベッドの上に神愛を寝かせる。起きる気配はない。自分が意識を奪った罪悪感にウリエルは顔を強張らせた。

 壁に衝突した時にぶつけたのか額に傷がある。その傷にそっと触れる。自分が作った傷。自分が与えた痛み。それを間近に見て思う。

 変わらない。まるで変わらない。いつもそう。昔も、今も。

「私は……」

 悔しさに声が震える。胸の奥が暴れる。

 今も昔も、守りたい人を傷つけるだけだ。

 ウリエルは手を離し握り締めた。悔しさを握り潰すように、強く強く握り締めた。

「……ん!」

 溢れる思いを堪える。湧き上がる衝動に耐えた。

 平和?

 笑顔?

 くだらない。

 目の前の現実を見ろ。自分はなにをした? 大切な人を守るためだった。あのままならサリエルか、そうでなくても誰かが殺していた。

 こうするしかなかった。思い出を切り離し、感情を殺し、天羽に徹するしかあの場はどうすることも出来なかった。使命に自我を預け、なにも考えないようにしていた。

 だけど、救うためだったとしても、けっきょく自分がしたのは傷つけることだけだ。

 滑稽だった。笑みすら浮かびそうになる。馬鹿は死んでも治らないらしい。これでは二千年前と同じ。

 理想のために、真逆の道を突き進んでいた自分と。

 自分は愚か者だ。理想を叶える手段も、大切な者を守る方法も、傷つけることでしか達成できない。これで平和なんて笑わせる。

 自分はただの、人殺しだ。殺すことしか出来ない。

 だから心を閉じた。迷わないように。傷つけることになっても殺されるよりはマシだと。そう思って思考を凍らせた。

 だけど、そんな自分に声が届いてくるのだ。

 彼の叫びが。

「神愛君……」

 何度も、何度も。閉ざした心の扉を叩くように。何度だって諦めず、最後まで呼び続けていた。傷つけることしか出来ないこんな自分に。いつまでも。

 それを聞くのが辛くて、それを無視するのが心苦しくて、ウリエルは終わらせるために出力を上げて神愛を倒した。

 そうしなければ崩れそうだった。せっかく抑え込んでいた感情が爆発しそうだった。心のままに、言いそうだった。

 今だって。

(会えてよかった!)

 もう、会えないかと思った。

(また会えた!)

 自分は死んだ。殺された。最高の瞬間は直後に終わり、もう会えないはずだった。

 だけど、こうして出会えている。それはある筈のない再会だ、死んだにも関わらず自分はこうして出会えている。高望みを超えた願いが、こうして。

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