天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

ごめんなさい

「これ以上迷惑かけるわけにもいかないしな」

「そうか」

 親父は納得するとミルフィアたちに目を向けた。

「元気でね、みんな」

「はい」

「お世話になりました」

「ん」

 親父に三人とも答え俺たちは出て行った。

 玄関から庭を歩いていく。

「お母さんにはあいさつ出来なかったわね」

「いいんだよ」

 加豪かごうがつぶやく。けれど否定した。昨日あんなことがあったばっかりで。

 それに、会ったところでなにを話せっていうんだ。あるわけがない。実際出来なかった。なにも言えなかった。

 これ以上、会わない方がいい。

 俺たちが庭の真ん中あたりを歩いていた。

 その時だった。

「待って」

 背後から声を掛けられたのだ。

「母さん」

 振り返るとそこには母さんがいた。玄関前に立っており、白のワンピースにカーディガン。母さんはスリッパのまま俺に近づいてきた。

 対面する。さっきのは不可抗力だとしても、今まで面と向かい合うことはなかった。いつもより近い母親の姿に俺は顔を背けた。

「……心配しなくても、もうここには来ねえよ」

 わざわざ呼び止められて、なにを言われるかと思うと嫌な気分になる。

「違うの、神愛かみあ

「じゃあなんだよ……」

 罵声ばせいか、怒声か、取り乱して叫ぶ母さんの姿は見たくない。早く終わって欲しかった。

「ごめんなさい」

 その時、聞こえてきた言葉に俺は耳を疑った。

「…………え」

 ゆっくりと顔を正面に戻す。そこには、母さんが小さく頭を下げていた。

 これはいったい、どういうことだろう。

「ごめんなさい、神愛かみあ。あなたに辛い思いをさせて」

 あの母さんが、俺に謝っている。

「あなたはなにもしていない。なのに私は勝手に決めつけて、酷いことをした。そのせいでいつも辛い思いをして。一人でずっと苦しんでた。あなたこそ、私が救わなければならなかったのにッ」

 信じられなかった。目の前の光景が。 

「ごめんなさい、神愛かみあ。私のせいでッ」

 母さんは、泣いていた。涙を拭き取ろうともせず、両手は胸の前で握られて。

 泣いていたんだ、俺のために。

「あなたは、決して私を許さないでしょう。母だと思うのも嫌でしょう。それでもいい。だけど、あなたの母として言わせて欲しい」

 母さんは顔を上げた。涙で濡れた目で俺を見てくる。

 そして、言うんだ。

 次の言葉を。

「おかえりなさい」

 その言葉を聞いた時、胸から熱い感情が湧き上がってきた。

「……ん」

 それを必死に抑えた。瞼の奥から溢れる熱を我慢して。声が漏れないように口を閉じた。

「んんん」

 でも、限界だった。

 全身から溢れる感情は、俺の理性をふきとばした。

「うああああああ!」

 泣いた。外聞がいぶんもなにも投げ捨てて。

「あああああ! うわああああああ!」

 泣いた。今までの苦しみや悲しみを清算するように。

 嬉しかったことや、優しくされたことなんて一度もなかった。

 でも、どこかで求めていたんだ。母親に優しくされること。母親に認めてもらえること。 

 いつか、こんな日がくることを。

 辛かった、今までずっと。

 苦しかった、今までずっと。

 悲しかった、これからもずっとそうだと思ってた。

 でも。

 認められたんだ、ようやく。

 本当は、優しくされたかった。

 笑顔を向けて欲しかったし、楽しく話しだってしたかった。

 認めて欲しかったんだ、一人の息子として。

「うああああああ!」

 我慢なんてできない。喜びとも嬉しさとも呼べないこの感情を。

「ああああああ!」

 どうにかなりそうなほど、嬉しかったんだ。

 今までの苦しみが報われたこの一瞬が。

 俺は泣いた。そんな俺を母さんは抱き締めてくれていた。

 幸せだ。想像も出来ないくらいに。

 俺は幸せだったんだ。

 歓喜かんきの泣き声は、止まらない。

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