天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

美術館

「ん?」

 その時、なにやら物陰から声がした気がするがきっと気のせいだろう。

「分かったって、引っ張るなよ!」

 俺は恵瑠えるに引っ張られながら美術館への階段を上がっていく。大きな入口を開いて中へと入った。

 外から見た通り室内は広い。内装は白く床は赤茶色だ。美術館特有の静けさに包まれている。まずは通路が続き中央で十字の通路に分かれている。

 俺たちは歩いていくが、その中央に置いてある巨大な像に自然と引き寄せられていた。

 俺たちだけでなく、ここにいるほとんどの人たちがこの像に集まり見上げている。

 それは柱にはりつけにされている男の像だった。髪の長い青年だ。腰に布を巻いただけの青年は両手を後ろに縛られており両足なんか杭で打ち抜かれている。

 しかし痛がるどころか穏やかな顔をしていた。

「なんだこいつ」

「失礼ですよ神愛君、この人がイヤス様ですッ」

「こいつが?」

 隣で恵瑠えるが教えてくれる。それで改めて見上げてみるがなんだかイマイチぴんとこない。
 三柱みはしらの神、イヤス。

 神様っていうからもっとすごいのを想像していたが、こんなの威厳どころかボロボロじゃねえか。

「怪我してんじゃん、誰か下ろしてやれよ」

「そうじゃないんですよ」

「にしてもきっついプレイだなぁ」

「だから違うんです!」

 二つ目は冗談だが恵瑠えるから怒られてしまった。

「いいですか、これは移民の罪を代わりにイヤス様が受けている有名な場面を作った像なんです。この像自体かなり有名なんですからね!」

「へえ~」

 俺にはよく分からないがそうとう重要なものらしい。

「このゴルゴダ美術館は見学コースがあって、慈愛連立じあいれんりつの歴史を見れる仕組みになっているんですよ。その一番最初がこの像というわけです。ここから慈愛連立じあいれんりつが始まったんです」

 恵瑠えるはえっへんと平らな胸を突き出して腕を組んでいる。それから腕を解くと表情を戻した。

 そして、この像を見上げると恵瑠えるは話し出したんだ。

「かつて、まだ神のいない時代。そこにイヤスという人がいました。彼は旅をしながら多くの人々を助けていたそうです。そんな時、乱暴な皇帝のいる国にいたイヤスは苦しんでいる移民の人たちをまとめあげ自立できるよう行動したそうです。しかしそれが皇帝に嫌われ全員国外追放にされたんです。ですが追い出されては生活ができないとしてイヤス様は交渉し、自ら死刑に臨んだそうです」

「それがこの像か」

「はい。そして刑が行なわれ移民は救われたんです」

「ふーん」

 俺は慈愛連立じあいれんりつの信仰者じゃないけど、この像が彼らにとってどれだけ神聖なものかは伝わってきた。

「自分の身を省みることなく、すべての人を救い、助ける。立派な人なんです」

 恵瑠えるは像を見上げてそう言っていた。澄んだ表情から本当にイヤスのことを尊敬しているんだなと思う。

 俺も像を見上げて言ってみた。

「イヤスが癒す」

「…………」

「…………」

「…………」

「ごめん」

 無視された。

「それじゃ神愛君、次いきましょうか」 

 歩き出す恵瑠えるの後に続く。

 ここは十字の通路の中央でありけっこう広い。それで恵瑠えるは壁に寄っていた。そこにはいくつも絵画が並んでいる。

「さっき見学コースになっているって言いましたよね。ここから歩いて作品を見ていくと時代の流れが分かるんですよ」

「なるほど」

「イヤス様が亡くなってあとのことです。実はイヤス様が生きている、いや、神になっていたことが分かる出来事が起こるんです」

「なんだ、絵はがきでも送られてきたのか」

「違いますよ!」 

 恵瑠えるはプンっと怒ってから絵に目を向ける。その表情は真剣で、ただ、どこか寂しそうな雰囲気をしていた。

 俺も絵に目を向けてみる。

 油絵だった。そしてそこに描かれているもの。俺は初めて知る。
 
 思えば、これが二千年前の使命と名誉。ここから、これから起こる戦いは決まっていたのかもしれない。
 
 恵瑠えるが、思い詰めたような声で言う。

「天から降りてきた羽を持つ者、天羽てんはが現れたんです」

 俺たちが見る一枚の絵。そこには背中に白い翼を生やしたいくつもの人が、雲の割れ目から日差しと共に地上に降りてくる場面が描かれていた。

「ちょっと待て! こんなのが降りてきたのか!?」

 マジで? だって背中に白い羽があるぞ!? 人間じゃねえ!

「そうですよ神愛君、なに今更なこと言ってるんですか」

「へえ~~~~!」

 知らんかった。ビックリしたわ。

 でも、神様とか神理しんりとかあるんだもんな。天羽てんはと呼ばれる存在が実際に登場してもおかしくないか。

「でもよ恵瑠える天羽てんはっていったいなんなんだ?」

「天羽とはイヤス様によって創られた御使いですよ。彼らがイヤス様の意思を地上に伝えにきたんです」

「な、なるほど」

 俺の反応に「もう」と言ってから恵瑠えるは説明してくれた。

「まだ神理しんりがない時代、天羽てんはの降臨は初めての奇跡と言ってもいい出来事でした。天羽てんはの登場こそが神理しんりの前触れだったんですね」

 恵瑠えるは説明してくれるが寂しそうな雰囲気はなく、すでに元の明るい様子に戻っている。
「さっきも言いましたけど天羽てんはは天主イヤス様の意思を伝えるために地上に降り立ちました。そこでイヤス様が神になったことと、争いを止めることを人々に伝えたんです」

「そんなことがあったのか」

 当時の人の衝撃はすさまじかっただろうな。なにせ見た目は同じ人間なのにその背には巨大な翼があるんだ。それに空を浮いている。明らかに自分たちとは違う、神聖な存在に思えただろう。

天羽てんはによるいわば布教は続きます。ただ、ここで予期せぬことが起こるんです」

「予期せぬこと?」

 いったいなんだろうか。俺は振り返ると恵瑠えるは真剣な声で答えてくれた。

天羽てんはの反乱、天界紛争です」

 俺たちは歩いていく。そこには二つの陣営に分かれた天羽てんはが剣や弓で争っている姿が描かれていた。

「突然天羽てんはの中から裏切り者が現れたんです。それがルシファー。かつての天羽てんはちょうでした。ルシファーはイヤス様の意思に反旗を掲げ、天羽てんはの三分の一を率いて戦いを挑みます。戦いは激しく長い間続きましたが、結果的にイヤス様が勝ち、ルシファーは破れました」

「どうしてこのルシファーってやつは裏切ったんだ?」

「…………」

「恵瑠える?」

 どうしたんだ?

 俺は絵から隣にいる恵瑠えるを見つめた。

 恵瑠えるは、この絵をじっと見つめていた。

 それで俺に気付いたようで、慌てて説明してくれた。

「それはえっと、有力な説では、彼は自分がイヤス様よりも優れていると思い込んだからだと言われていますね。彼は誰よりも美しい天羽てんはだったけど、そのためにおごってしまったみたいです」

「ふーん」

 そういうこともあるのか。天羽てんはっていうのはよく知らないが、人間みたいな側面もあるのかもしれない。

 次の絵に移る。そこには黒い髪をした天羽てんはが金髪の天羽てんはに破れている絵が描いてあった。

天羽てんは軍はルシファーに勝ちました。ただしそういうことがあったので天羽てんはは地上から立ち去り、彼らによる布教はなくなったんです」

「なんだ、これで終わりか?」

「ううん。むしろここからです。ここからようやく登場するんですよ」

 俺の質問にスキップでもしそうなほど興奮して恵瑠えるが答えてくれる。なんだかテンションの移り変わりが激しいようだが大丈夫か?

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品