天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

疑問

「ヨハネ先生……」

「先生、私から説明を」

 ちょうどいいタイミングで現れたヨハネに気が抜ける。反対に加豪かごうはしっかりしていて、経緯けいいを掻い摘んで話し始めた。それで何が起こったのか把握したヨハネが頷く。

「ふむ、それで一人の生徒が狂信化きょうしんかを。たいした怪我人が出なかったのは不幸中の幸いですね。狂信化きょうしんかした生徒については、改信施設移送への手続きをしておきます。それにしても」

 改信施設。これも聞いたことがなかったが、おそらく狂信化きょうしんかした者を更正こうせいさせる施設だろう。それよりも二人の話で気になるのは別にあった。

狂信化きょうしんかした生徒を、あなただけではなく、ミルフィアさんが?」

「はい」

 ヨハネの疑問に対して直に目にした加豪かごうが力強く首肯しゅこうする。それでも腑に落ちないのか、ヨハネは顎に手を当てた。

「ふーん。狂信化きょうしんかした者は理性が無くなる変わりに信仰心が増長ぞうちょうし、その分神化しんかの度合いも高まります。それを倒したとなると、ミルフィアさんの神化しんかは相当なものだ。しかし、神化しんかとは神の恩恵おんけいの一つ」

 言われて俺はミルフィアに目を向けてみた。彼女は目を瞑り俺の背後に控えている。自称奴隷らしい控え目な態度だが、思い出しても先ほどミルフィアが行った行動は壮烈そうれつだった。

 狂信化きょうしんかしたとはいえ神託物しんたくぶつを出した銀二ぎんじと互角以上に戦ったんだ。超人的とも言える力は神化しんかの影響としか考えられないが、そうなると新たな疑問が生まれる。

「ミルフィアさんは、どの神から恩恵おんけいを……?」

 ミルフィアを見つめる。俺を主と呼び接してくる少女。以前から不思議な存在だったが、今回のことで謎が深まった形だ。

「まあいいでしょう。後はまかせてください」

 ミルフィアのことはとりあえず保留ほりゅうとなった。それよりも狂信化きょうしんかした銀二ぎんじの方だ。ヨハネはいつもの笑顔を浮かべると、そのまま人だかりに近づいていった。どうやら銀二ぎんじを運ぶ手伝いをつのっているようだ。

 だが、慈愛連立じあいれんりつを含めて返事がない。気づけば皆が俺をちらちらと見てくる。無信仰者が起こした事件には関わりたくない、か。

「まったく……。あなたたち、それでも慈愛連立じあいれんりつの者ですか。慈愛じあいの精神というのはですね、分け隔へだてなくするからこそ意味があってでして」

 ヨハネが高説こうせつをするが反応は変わらない。ヨハネの表情はかげり肩を落としてしまった。

「分かりました。この話はまたの機会にしましょう」

 それで嘆息たんそくし、仕方がないと自分で倒れている銀二ぎんじを背負った。細い体であの巨体を運ぶのは大変だろう。

「ヨハネ先生、手伝うよ」

「いえいえ、大丈夫ですよ。これ以上宮司みやじさんにご迷惑をかけるわけにはいきませんからね。そういえばもうすぐ授業が始まる頃ですし、私次休みですから。それに、私こう見えて力持ちなんですよ?」

「まあ、そう言うならいいけどさ……、悪いな先生、頼むよ」

 仕事が増えて気の毒だと思うが、ヨハネ先生は気にしておらず、それどころか申し訳なさそうだった。

「いえいえ。宮司みやじさん、あなたには嫌な思いをさせてしまいましたね。申し訳ない。私もまだまだです」

「何言ってんだよ、先生には十分感謝してるさ」

 励ますための嘘とかじゃない。本当の気持ちだ。

 俺の言葉にヨハネ先生は「ありがとうございます」と嬉しそうに笑うが、笑顔の下にあるうれいまでは隠しきれていなかった。なんというか、いつもの笑顔なんだが寂しそうで。

「なあヨハネ先生、大丈夫か? 顔色悪いぜ? 言っておくけど俺は気にしてないからあんま気にすんなよ」

「はははは、大丈夫ですよ。大丈夫ですから……」

 そう言って、ヨハネは銀二ぎんじを担ぎ直し行ってしまった。ただ、どうしても心配は拭えない。そういえば昨日も席を立つ時ふらついていたが、もしかして体調でも悪いんじゃないだろうか。俺は杞憂きゆうであることを願いつつ先生の背中を見送った。

「心配ね」

「ああ」

 隣にいる加豪かごうにもそう見えたらしい。まあ気さくでお気楽なヨハネ先生のことだ。明日にでもなればまたいつもの笑顔で笑っているさ。

 そう思っているとミルフィアが近づいてきた。

「では主、私もここで」

 事態が解決したことでミルフィアも消えようとする。しかし消えるにはまだ納得出来ていない。
「ミルフィアすまなかった! 俺を殴ってくれ!」

「え?」

 動揺する声が聞こえる。それでもお構いなしに俺は頭を下げた。それだけじゃ駄目だと思い、自分で自分が許せなくて、気づけば殴ってくれとまで言っていた。

「どうしたのですか主、突然」

「だって、当然だろ。俺のせいでお前、あんな目に……」

 ミルフィアは強い。それは見ていれば分かる。なのに俺を庇ってミルフィアは傷ついた。する必要のない痛みを受けて。俺のせいだ。

「ですが、それは私の務めですので」

「いいわけないだろ! いつもいつもお前ばっかり戦って、お前ばかりが傷ついて。嫌なんだよ、俺のせいでお前が傷つくのが」

 このままだとお前、いつか俺のために死んじまいそうで、嫌なんだよ……。

 奴隷のミルフィア。俺のためにお前はこうして傷つく。お前が俺の奴隷である限り、お前はこれからもずっと傷ついていくんだ。

 そんなの、認められない。受け入れられない。もしそれでもいいなんて奴がいるなら俺が殴ってやる。

「優しい主。聞いてください」

 声を掛けられ、顔を上げた。ミルフィアはそう言ってくれるが、俺はそんなんじゃない。聞こえてくるミルフィアの声の方が、よっぽど優しい響きを持っていた。

「大丈夫です。大丈夫ですから。主に傷ついて欲しくない。それは私も同じです。主を守れたなら、それだけで。私は生まれてきて良かったのだと思えるのです」

 温かく、穏やかな声が俺を包み込む。それは美しいくらいで、俺は言い返したいのに、この美しさまで否定するようで出来なかった。

「分かったよ、そこまで言うならもういい。今はここまでだ」

 ぶっきらぼうにそう言って、俺は自分で自分を納得させた。それでもこれだけは言っておこうと、ミルフィアを見つめた。

「ミルフィア、ありがとな。マジで助かったよ」

 真っ直ぐに見つめて感謝の気持ちを伝える。するとミルフィアは頬を赤くし、恥ずかしそうに俯いてしまった。

「……返す言葉もありません、我が主。私は、その、この時を永遠に忘れません」

「いや、大袈裟だろ」

 そんな大事ではないはずだが。しかしミルフィアにとってはそうなのか、絞り出すように発する声からは嬉しさがありありと伝わってきた。

「それでは失礼します、主」

 そう言ってミルフィアは幻影だったかのように消えていった。本当に不思議な奴だ。

 野次馬たちも教室へ戻っていき、俺は加豪(かごう)と顔を見合わせる。

「それじゃ、俺たちも教室に戻るか」

「そうね」

 ここにいる理由はないので自然とそうなる。二人並んで教室へと向かった。

「なあ加豪かごう、一応確認しておくが」

「忘れてないわよ、案外心配性なのね」

「うるせえよ」

 渡り廊下を一緒に歩く。無信仰者と信仰者とは思えないほど、自然な距離感だった。

「それで、その誕生会っていつやるのよ?」

「明日」

「……早くない?」

「ああ、分かってる。俺もビックリだよ」

「分かった、反故ほごにするつもりはないわよ。それじゃ楽しみにしてるわ」

「おう、ありがとうな」

「どういたしまして」

 話は済んだ。誕生会の参加者は出揃い、あとは当日を迎えるだけ。こうして参加者が増えていく様に期待が膨れ上がっていく。

「あ! そういえばもう授業中じゃない! もう、先生に何か言われたらあんたが責任取りなさいよ!」

「なんで!?」

 けれど走り出す加豪かごうを追いかけ、そんな思いは慌ただしさの中に埋もれていく。しかし胸の奥底では、いつまでも期待の熱は冷めることなく灯っていた。

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