秋の魔法 さよならの魔法

ノベルバユーザー194439

秋の魔法 さよならの魔法

 ――ご主人様は、どこから来たんですか?

 ――異世界、こことずっと遠くて、普通じゃ行けない所だよ

 ――ご主人様は、そこが好きですか?

 ――ああ、好きだよ。大好きさ。

 ――ご主人様は、そこの世界に好きな人はいましたか?

 ――ああ、いるよ。ずっと、ずっと好きなんだ。今だって――

 そんな話をしたのは、いつのことだったでしょうか。一年前?数か月前?ひょっとすると、もっともっと最近だったかもしれません。

 いつだったのかは忘れてしまいましたが、その日は赤く色づいた落ち葉がたくさん舞っていました。ああ、だとするとちょうど一年前ですね。何せ、今も落ち葉が舞っているのですから。

 窓の外にたくさんの木の葉が舞っているのが見えます。赤、茶色、黄色……こうしてみると、綺麗なものです。見とれてしまいます。

「……あ!いけない!」

 こんなことをしている場合では無いのでした。私はあわてて飛び起きると、クローゼットを引っ掻き回します。

 かきわけかきわけ、取り出したるはメイド服!きっちりとアイロンにのりがほどこされ、いつも通りパリッとしています。これならご主人様に見せても問題ありません。

 手早く着て、ほこりを軽くパンパンと落とします。部屋のはしに置いてある水瓶を覗き込み、顔に目やになどがついてないことを確認します。

 ご主人様は鏡を買ってくれると言ってくれましたが、ただでさえ家計は火の車。私ごときのために大金を支払うのはバカらしすぎます。

 それに、私はご主人様にかわいいって言ってもらえればそれだけで――

「……うふ、うふふふふ!」

 おっと。しまりの無い顔をしてしまいました。ご主人様のことを考えるとどうしてもこうなってしまいます。反省反省。

 ばぱっと確認。服装、よし!髪形よし!目やに、よし!今日もバッチリ!ご主人様も私にメロメロなこと請け合いです!

「……あっ、いけないいけない!」

 大変なものを忘れていました。私は急いでベットに戻ると、脇の小机からネックレスを取り上げます。

 これは、ご主人間がプレゼントにくれたもの。安物だそうですが、私にとっては何よりの宝物です。

 さて、今度こそオッケー!急いで、かつしずしずと、小走りで廊下に出ます。

 ……と、

 ドアを開くと、そこには見慣れた人の顔が。

「――ご主人様!」

「……もう何度目かはわからないけどさ、僕はもうお屋敷の主じゃないんだ。ただのケンジ。だからクレアもケンジで構わないんだよ?」

 ご主人様の言葉に、しかし私は首を横に振ります。ご主人様はいつまでも私のご主人様。お屋敷が有ろうがなかろうが、私には関係ありません。

 ご主人様は諦めたようにため息をつくと、私の頭をなでなでしてくれます。それだけで胸がキューンとします。何度目かはわかりませんが、この感覚はいつ味わっても心地良いです。

 おっと。ご主人様のなでなーでも大事ですが、朝のご飯を作らないとご主人様が倒れてしまいます。メイドたるもの、仕事に私情は挟まない。当然のことです。

 ひょっとしたらご飯のあとになでなでしてもらえるかもしれませんし。

「ご主人様ご主人様?今日の朝ご飯はどうしましょう?パンとご飯、麺でもいいですよ!」

「じゃあご飯で……待って、クレアってご飯炊けるの?僕クレアがご飯炊いてるの見たこと無い……」

「失敬な!ご飯くらい私にも炊けますよ!今まではちょっとパンが多かっただけですっ!」

 ぷくぅ、と頬を膨らませて反論します。すると、ご主人様はクスッと笑って「ごめんごめん」とまたしても頭をなでてくれました。全く、私を犬かなにかと勘違いしているのでしょうか?

 まあ、まんざらでもないですけどっ!





 驚いた、こんなに朝早くクレアが起きるなんて。いつもはもう一時間くらい寝ているのに。

 あ、あれかな?僕が昨日米を食べたいっていったから、ご飯を炊く時間も考えてくれたのかもしれない。そんなこと、しなくていいのに……でも、すごく嬉しい。

 そう言おうと思ったけど、クレアはすべてわかったような顔でニコニコしている。だから、そのかわりに頭をなでてあげた。クレアはこうすると喜ぶのだ。まるで犬みたいだな。

 ほら、笑顔で、みるみるうちに顔が真っ赤に……

「…………ごっ、ご主人様はダメな人です!」

「だ、ダメな人?」

 それは、かなり傷つくかな……

「だめですだめです!私はペットじゃ無いんです!頭をなでなでしてもらっても、ちっとも嬉しくないんでひゅっ!」

 あ、そーいう意味か。

 僕は嬉しがっていると思ったのだけれど……クレアの方は意外とそうでもなかったみたいだ。それは悪いことをしてしまった。

「……そっか。ごめんねクレア、もう二度と……クレア?」

 頭から離そうとした手を、クレアが両手でしっかりと握っている。そしてその手を無理矢理頭に持っていくと、自分でワシワシと動かし始めた。

「……あの、クレアさん?」

「……ちっとも嬉しくないですけど……ちょっとだけ……ほんのちょっとだけなら……いいです……」

 うつむいているので、表情はよくわからない。けど、心なしか頭から湯気が出ているように見える。たぶん顔も真っ赤だ。その顔を想像すると、胸がじんわりと暖かくなる。

(かわいいなぁ……って、いかんいかん!僕には秋口先輩という人が!)

 最近になってますます強くなってきた思いを無理矢理押さえつける。

 思えば、もうこれでクレアとは何年の付き合いになるのだろう。

 僕は、転生者だ。厳密に言えば違うのかもしれないが、大まかにはそれで間違いない。

 現実世界……つまりは日本に、普段は住んでいる。でも、眠るとこっちの世界に来る。そして、こっちで寝ると日本に帰る。夢と現実を行ったり来たりしているようなものだ。

 この場合、日本が夢の世界だとも限らないのだけれど。

 ……日本には、秋口先輩という人がいる。活発で、いつも周りに笑顔を振りまいて。周りの人間を引っ張って歩いていけるリーダーで、いつも僕にくっついてくるクレアとは正反対の人。

 そして、僕は彼女が好きだ。

 秋口先輩といると、胸がつつかれたように跳び跳ねる。それはとても刺激的で、でも嫌いじゃない。どころかいい気分だ。

 これが恋だと気づいた。はじめての経験だったけど、恋以外の感情であるはずがない。憧れとか、尊敬とかじゃないことくらいは僕にもわかる。

 憧れも尊敬もしている。だけどそれ以上に、先輩と同じところにいたい、隣に寄り添いたい、そんな気持ちになってしまう。

「……?どうしました?そんなに見つめて……ちょっと、恥ずかしいです……」

「……いや、なんでもないんだ」

 ……だけど。だけど、最近僕の気持ちは困ったことになってきている。

 クレアとも、寄り添いたいと思うようになってしまったのだ。

 クレアといると、心がほぐされるようになる。暖かい気持ちになる。秋口先輩に抱き締められたいと思うのとは異なり、クレアを抱き締めたいと、そう思うようになってしまったのだ。

 そう、秋口先輩と恋人になりたいと思うのなら、クレアとは家族になりたい。秋口先輩と楽しく生きていきたいと思うのとは裏腹に、クレアと穏やかに暮らしていきたい。

 間違いなく、二股だ。いや、どちらとも付き合っているわけではないのだが。でも、僕の気分的にはそんな感じ。罪悪感に押し潰されそうになる。

 一度そんな話を友人にぼかして聞いてみたら、両方と付き合えばいいと言われた。世界が違えばばれるはずもないのだから、どちらも幸せにしたらいいと。

 でも、情けない僕はそんなことできない。結局どちらも幸せにできずに終わると、確信を持って言える。

 だから、選ばなければならない。いや、選ばなければならなかった。二人が大切な存在になる前に、僕の心に感情の根を張る前に。

 ……だけど、情けないことに。

 僕は、この状態がずっと続けばいいと、そう思ってしまっているのだ。







 小さなテーブルにお皿をいくつか乗せます。昔は大豪邸に数えきれないほどのお皿が乗ったものですが、今はおかずがニ、三品あれば良い方です。

 でも、私はこの生活が嫌いじゃありません。むしろ、こっちの方がよっぽど好きです。

「いただきまーす!」

「いただきます」

 ――だって、ご主人様と二人っきりなのですから!

 とりあえずお箸を口に運ぶのを待って、ご主人様の感想を待ちます。自分では良くできたと思うのですが、ご主人様は喜んでくれるでしょうか。どきどき。

 緊張の一瞬。

「……うん、美味しい。美味しいよ、クレア」

「ほんとですか!?」

 うわーい、と飛び上がりたい気持ちです。実際にはやりませんが。それでも、顔が緩むのはどうしようもありません。長年のお料理特訓のかいがあったと言うものです。うふふふふ!

「ご主人様、あーんしてあげます、あーん!」

「え、いや、僕はそんな……いいよほんとに」

「だめです!メイドはご主人様へのご奉仕が仕事、つまりはご主人様へのあーんも仕事ですっ!はい、あーん!」

「……クレアってたまに強情だよね。まるで……ま、いっか」

 素直に口を開けてくれるご主人様。そこに小さく切り分けたシャケの切り身を入れてあげます。こうしていると、何だか本当に恋人みたい……きゃーっ、私ったらなんてこと考えて!?

「……うん、美味しい。本当に美味しいよ。毎日ありが……」

 口を大きく開けて待ちます。あー。スタンバイOKですよ!

 そんな私の気持ちを感じ取ったのでしょうか、ご主人様は苦笑すると、お箸を私の口のなかに入れてくれました。

 ぱくっと食べます。ご主人様が口のなかに入れてくれたそれは、私が作ったなかでもわりと自信作のお漬け物でした。決して美味しいとは言えなかったけど、ご主人様があーんしてくれた、それだけでしあわせぇ~!

(……は!そそそ、そーいえばこれ、かっ、かんせつ、きしゅ!?)

 ……私、とんでもないことに気づいてしまいました。私とご主人様は一つのお箸を使いあったわけで、つまりそれには当然ご主人様の唾がついていたわけで、つまりつまり私のなかにご主人様が入ってきたというわけで……!

「……?どうしたのクレア?顔が真っ赤だけど。具合でも悪いの?」

「いっ、いいいいえそそそそんなことは全然全くこれっぽっちも!」

「そう?ならいいけど」

 くそー、こんなときばかりは平然としているご主人様が憎らしいです……ちょっとくらい動揺してくれても良いんじゃないですかー?年頃の乙女として傷つきます……

 とはいえ、ご主人様はこんな人でした。でなければ一年もの間同居しているメイドを襲わずに放っておくはずありませんものね!もしかしたら気づいてないのかも知れませんし!

「あ、元気になった」

 そう言って、ご主人様は私ににっこり笑いかけてくれます。それだけで、私は今日も一日ガンバロー!ってなるわけです。

「私はいつでも元気ですよご主人様!」

 そして、元気の源はあなたですよご主人様!なーんて、そんなことは今はまだ口が裂けても言えませんが。

 いつか、口に出して言ってやります。それがいつかはわからないけど。

 それが、ご主人様と結ばれた時なら。それは……とってもとっても、素敵だなぁ……





 間接キスしてしまった。

 ……言い訳しよう。完全に無意識だった。言われるがままにあーんして、あーんさせた。それが、どういう意味を持つかを全く考えずに。

 僕は、何度過ちを犯せば気がすむのか。これでは、ますますクレアを切り捨てるのが辛くなる。ましてや、そんなに幸せそうな顔をされてしまっては。

 ……どうしようもなく、愛しくなってしまう。

 感情があまり顔に出ないのが幸いした。クレアには僕の感情はばれていないようだ。もしも感情が顔に出たら、今頃僕の大荒れに荒れてすっちゃかめっちゃかになった僕の感情を写し出して大変なことになっているだろう。

 こんなところを秋口先輩に見られたら、バカにされるに決まってる。「男なら、間接キスの一つや二つくらいでおたおたしちゃダメだよ!据え膳があるならむさぼり食べるんだよ!」とか言われそうだ。ごめんなさい先輩、僕は情けない人間なんです!

「ご主人様ご主人様!私、一生懸命におにぎり握ったんですよ!ほら、食べてみてください!」

 ほめてほめて、と言わんばかりにクレアが不格好なおにぎりを差し出してくる。決して、見た目は綺麗じゃない。一人の紳士として味についてどうこう言うのも止めておこう。

 でも、頑張ったんだろう事が伝わってくる。手のあちこちについた絆創膏と、なぜそんなところにあるのかわからない所にたくさんついたご飯粒がその証拠だ。

 受け取って、一口食べる。それを、クレアが何かを期待したような目で見つめてくる。

「……ん、美味しい。本当に上手になったね、クレア」

「ほんとにほんとに!?うわぁ、がんばってよかったです!わざわざお店で高い塩を買ってきたかいがありました!」

 ……甘かった。間違いなく、塩と砂糖を間違えている。

 でも、言わなかった。クレアには落ち込んでほしくない、笑っていてほしい。そう思ったから。

 満面の笑みのクレアを見ていると、僕も自然と笑ってしまう。クレアが喜ぶと、僕も嬉しい。クレアが悲しむと、僕も悲しい。

 ああ、好きだなぁって思う。

 日本で、父親と母親、弟たちと一緒にいる、そこにいるのが当たり前の感覚とは違う。そこにいることが異常なのに、妙にしっくりくる感覚。完全に完成したと思った作品にほんの少し手を加えることで、もっと作品が美しくなったような感じ。

 秋口先輩は、当たり前じゃない。しっくりくることもない。明らかに異常で受け入れられないのに、それが心地いい。

 二人を例えるなら、クレアは癒される温泉で、秋口先輩は楽しむ遊園地って感じ。方向性は違えど、どちらも同じくらい尊くて、同じくらい楽しい。

「……クレア、いつも本当にありがとう。君といられて僕は幸せ者だよ」

「……ふぇ!?いっ、いや私はメイドなわけであって、ご奉仕するのは当然の役目で……でっでも!私も、ご主人様と一緒にいられて幸せですっ!」

「……うん、ありがとう」

 じんわりと。熱が体中に伝わっていく。テレるクレアを見ると胸がホッとする。

 僕は、選択しないといけない。でも、選択することで秋口先輩の、あるいはクレアの笑顔を失いたくない。

 いつかはやらないといけないことだけど。でももう少し。もう少しだけ、このままで……。






 空が青くたかーく澄みわたっているので、今日は絶好のお掃除日和です。家の前に飛ばされてきた落ち葉を、箒で一ヶ所にまとめます。夏のうでるような暑さはとっくにいなくなって、今は夏と冬の間のつかの間の気持ちいい温度です。

 そして、こんな日はお出かけ日和でもあるのです。私は、本当はピクニックに行きたかったのです。でも、どうもご主人様は寒いのが苦手なようでした。

 ……失礼ですが、ご主人様は貧弱です。よわっちい、と言っても良いかもしれません。今でこの状態なら、本当に冬になったらどうするつもりなのでしょう。もしかしたら、私はご主人様を強くするために無理矢理にでも引っ張り出した方が良かったのかもしれません。

 でも、あんな顔で言われてしまっては私にはどうすることも出来ません。「外は寒いから、中でゆっくりしようよー」なんて、追い詰められたハムスターのような顔で言われてしまっては。

 そして、それを思い出すたびに私の胸がキュンキュンするのです。よわっちいご主人様。でも、そんなところも大好きです!

「あら、クレアちゃんは今日も精がでるわねー!」

「あっ、おばさま!こんにちは!」

 お隣のおばさまが通りかかりました。なんでもラブストーリーに目がないそうで、私とご主人様を観察するのがご趣味なんだそうです。

「もうすっかりお嫁さんも板についてきたわねー!初々しいわー、おばさんもそんな頃があったもの。新妻時代ってやつね!」

「に、新妻なんて……うぇへへへ」

 おっと。変な笑い声が出てしまいました。でも、こればっかりは私にはどうすることも出来ません。ぴょんぴょんする心が勝手に笑ってしまうのです。

 そんな私を見て、おばさまは満足そうにうなずいています。このおばさま、どうにも私とご主人様の関係を勘違いしている節があります。

 私とご主人様は、ご主人様とメイド。不本意なことに、今はそれ以上でもそれ以下でもありません。不本意なことに。

 そりゃー、いつかはご主人様をメロメロにさせて見せますし、結婚もできちゃうかもしれません。考えるだけで顔が熱くなってきますが、そんなのはささいなことです。

 なのに、このおばさまは私とご主人様を夫と妻だと思っているようなのです。それも新婚ホヤホヤの。

 もちろんそう思われるのはやぶさかではありませんし、むしろそう思われた方が良いので誤解は解きません。だけど、たまに夜私たちの家を覗き込んでいるみたいなのです。

 ご主人様いわく、「プライバシーの侵害」なのだそうですが、私は別にいっかなって思います。見たい人には見せつけてやれば良いのです。私とご主人様の愛を!

 ……ほんの少しばかり想像が変な方向に進んでしまった私を見て、おばさまはニヤニヤ笑っています。

「そ・れ・で、どこまで行ったの?」

「は?どこまで、とは?」

「んもう、またまたー!いろいろあるじゃないの、AとかBとかZとか!」

 肘をぐいぐい私の脇腹に当てながら聞いてくるおばさまの意図を、最初はよくわかりませんでした。でも、意味を理解するにつれて恥ずかしさでいっぱいになります。カーッてなります。

「う、うえ!?そっ、そそそ、それは……!」

 え、A!?B!?いっ、いやいやそこまでは私もちょっぴりしたいなーって思わなくは無いこともない……というかちょくちょく妄想したりする……ことはありますけど、Z!?

 そもそもZってなんですかっ!?私の知識のはるか先を行ってませんか!?

 すっかりゆでダコになってしまった私を見て、おばさまのニヤニヤは止まりません。

「で、実際のところは?今夜はどうするの?」

「……」

 恥ずかしくてなにも答えられません。わっ、わわわ私がAとかBとか、それもご主人様と!?

 ……それもいっかなーとか、思ってみたり……

 いっ、いやいやでもでもご主人様にその気があるかどうかはわかりませんし!もし嫌われでもしたら、

 ……あ、でもちゅーくらいなら……

 いやいやいやいや、こー言うのは誰かに言われたからやるもんじゃなく、当事者どうしが?気分が高まったときに?するものであって、誰かに言われたからなんて!

 ……でも、ご主人様にぎゅーってされたいなぁ……

 あああああおちついて私ー!?

 ――暴走を始める私と、それを見るおばさまのニヤニヤが頂点に達しようとしたとき。

 救いの神は、現れました。

 玄関のドアが開く、鈍い音がします。

「……おや、おばさん。こんにちは」

「……あらあらいやだケンジ君じゃない、元気そうで何よりねー!」

「お互い様ですよ」

 ……否、私にとっては救いの船ではなかったのかもしれません。

 さっきまであんなことを考えていただけに、頭のなかはオーバーヒート寸前です。ぷしゅー、です。

「……?クレア、どうしたの?」

 あああ話しかけないでくださぃー!何だかご主人様の唇がいつも以上につやつやしてて……あああ考えるな考えるな私ぃー!

「……う、あ、あの、ごっ、ご主人様」

「オホホホホ!じゃあお邪魔なおばさんは退散するとしようかしら!まったねーっ!」

「あ、はい。さよならー」

「――!?待って待っておばさまー!私を一人おいていかないでぇ!」

 必死の叫びもむなしく、おばさまはすごいスピードで行ってしまいます。

 ああ、どうすればいいのでしょう……私、今ご主人様の顔が見れません……

「そんなに急いでたのかな……それで、クレアはなんて言おうとしてたの?」

「……なんでも、ありま、せん……」

「そう?ならいいけど」

 頬がカッカします。今私の顔はどんなふうになっているのでしょう……でもっ!それもこれもご主人様が悪いのです!だって、ご主人様がこんなにもカッコいいから!

 寝ている顔も、朝起きた顔も、ご飯を食べて「美味しい」って言ってくれる顔も、私との他愛ないおしゃべりで笑ってくれる顔も、お風呂に乱入したときの慌てふためいた顔も、ぜんぶぜーんぶ大好きなんですから!

 そう、私はケンジご主人様が大好きなのです。ご主人様のためならたとえ火の中水の中、ポイズンスライムの中にだって飛び込んじゃいます!

「……?どうしたのクレア、僕の顔に何かついてる?」

「……いえ?なにも?ふふっ」

 ――惚れた弱味、ってやつですか。結局、ご主人様を好きになってしまった私が一番悪いのですね。私は悪い子です。

「……あ、そうだ。昨日サツマイモが安かったから買ってきたんだけど、焼きいもでもしてみる?」

「焼きいも、ですか?私、作り方知りません……」

「大丈夫、僕が知ってるから」

 本当に、ご主人様はどこでそんな知識を仕入れたのでしょう。そういうどうでもいい知識はこの人は本当にたくさんあるのです。

 ……なのに、どうして学び舎の成績は悪いのでしょう。

 ご主人様、学校の成績はとっても悪いのです。とっても、というほどではありませんが、下から数えた方が早いほどには。昔は私に泣き付かれて、家庭教師の真似事をよくやったものです。

 そのたびに、私は最初は断って。だけど何度も頼まれて、頼ってくれるのが嬉しくて。最後には嫌々受けるふりをしながら、心の中ではうきうきしていたのでした。ご主人様は気づいていなかったでしょうけど。

 懐かしいあの日々。今はもう戻らないあの日々。だけど、今もとっても素敵なので、戻りたいとは思いません。

 思いでは、思いでだから美しいのです。それで、ご主人様と二人きりでそれを思い出して、一緒に笑い合えたら。

 それは、どんな思い出よりもずーっと素敵になるのです。






「――どれ、そろそろできたかな?」

 拾ってきた木の棒を使って、二つのイモを灰の中から引っ張り出す。皮が焦げる香ばしい香りが漂い、よだれが垂れそうなくらい美味しそうだ。

 じゅるりと音がしたので見ると、クレアが実際に口もとをぬぐっていた。どうやら待ちきれないらしい。その気持ちはわからなくもない。が、せめてハンカチくらい使えばいいのに。

 二つに割ると、中から黄金色の身が出てきた。甘い香りと湯気が辺り一面に漂い、とても旨そうだ。

「……秋って感じがするなぁ」

 二つに割ったうちの一つをクレアに渡す。もう一つは夕飯のおかずにしよう。

「はい、半分こ」

「うわーい!ありがとうございますご主人様!」

 がぶっとかぶりつく。栗のようなねっとりとした甘さが広がり、思わず顔を見合わせた。

 美味しさと、クレアの驚いたような顔がかわいくて自然と笑いが溢れてくる。どうやらそれは向こうも同じだったらしくて、二人してにやにやしながらサツマイモを頬張った。

 ひゅうと吹いてくる風が冷たい。もうそろそろ日が落ちる時間だ。でも、その冷たさに耐えれば今目の前に広がる光景はとても美しい。真っ赤に染まる空、風に乗って舞う色とりどりの落ち葉、くすぶる炎にサツマイモ、そして僕とクレア。

 今この瞬間が、今までの人生の何よりも尊いと、そう思った。

「……そういえば、私とご主人様が初めて出会ったのもこんな秋の日でしたね……」

 不意に、クレアが小さな声で呟く。

「そうだっけ?」

「はい。もう十年以上も前の話ですけど……」

 懐かしいですね、と。そう言ってクレアは微笑んだ。

 そうだっけ?とは言ったものの、その日は僕もよく覚えている。

 幼稚園……といってもこちらの世界のだが、そこに通っていたときのこと。

 僕たちは、山――といっても簡単に登れる裏山のようなもの――に学年全員で遠足に行ったのだ。

 頂上まで登って弁当を食べて、帰り道のこと。クレアは道に迷ってしまったらしい。その事に、先生は山を降りるまで気づかなかったのだ。

 その事件は、クラスが違って山を降りる前だった僕も聞いた。そして思ったのだ。僕が探しだしてみんなのもとに連れていけば、僕はヒーローになれる。

 クラスの列から一人離れて、僕はクレアを探し回った。山の中は障害物でいっぱいだったが、ヒーローになりたい、その一心であちこちを歩いて回った。

 だけど、そうそう見つかるもんじゃない。太陽がどんどん落ちていって、僕は諦めて帰ろうとした。

 その時、僕は聞いたのだ。誰かがすすり泣く、小さな声を。

 声の方向に進むと、女の子がたった一人でうずくまっていた。周りには紅葉がたくさんあって、それがちょうど今みたいに目に入るもの全てを赤く染め上げていたのを覚えている。

 ――おまえがまいごになったやつか?みんなしんぱいしてるぞ、いっしょにかえろう――

 ――あしをひねっちゃって、あるけないの――

 ――しょーがねーなー、おんぶしてやるよ。おれ、ケンジ。おまえ、なまえは?――

 ――クレア。クレアっていうの――

 当時は体格の差なんかほとんどなかったから、子供だった僕にはとんでもない重労働だった。休んでは歩き、歩いては休み、どうにかこうにか皆のもとにたどり着いた頃にはもうとっくに真夜中だった。

 僕はこっぴどく怒られた。どれだけ心配をかけたのだ、とか、お前が行く必要はなかった、とか、よってたかって怒鳴られた。当時の僕はヒーロー扱いされると思っていたから、その事に不満で仕方がなかった。

 クレアは号泣して両親に飛び付いていた。そりゃそうだ、たった一人で迷子、それも何がいるかわからない裏山なんて、怖くない方がおかしい。僕はそんなクレアにあんまり興味はなくて、わかってくれない大人たちへの怒りしか無かったけど。

 ……でも、「ありがとう」って言ってくれたことはハッキリと覚えている

 親につれられたクレアが僕の転生先の親の屋敷にメイド見習いとしてクレアを連れてきたのは、それから三日後のことだった。

「あのときのご主人様はとってもかっこよくて、おんぶしてくれたのが嬉しくて……気づいてましたか?私、あのときご主人様の背中で寝ちゃってたんですよ?」

「え、そうだったの?」

 クレアは答えず、ただ夕焼けを眺めている。その長い髪が風に揺らされて、太陽の光を受けて赤く波打った。

 不意に、彼女の存在がとても希薄なものに感じた。

 手を伸ばせば確かにそこにいるのに、手を伸ばしても届かないんじゃないか、と思わせる。幽霊のような、幻のような、蜃気楼のような――

 そんなことあるはずがない。なのに、そう見えてしまう。きっとこれは、夕焼けの魔法。誰も彼もの存在が薄くなり、他の人との繋がりが薄くなる『さようなら』の魔法。

 だからか、僕は頭に浮かんだ言葉を自然に口に出していた。

「春ははじめましての季節、秋はさようならの季節……」

「……なんですか?それ」

「子供の時ばあちゃんから聞いたんだ。春はこんにちはの季節、草も木も花も動物も、冬の眠りから覚めて『はじめまして』。秋はさようならの季節、皆冬を越えるための眠りに入って、草も木も花も動物も『さようなら』」

 ああ、そうだ……人間もじゃないか。

 秋はさようならの季節、それは僕たちも例外じゃない。

 秋口先輩は、今年受験だ。それも、ニューヨークの大学を受験するらしい。つまり留学だ。

 そして、その準備のために冬にはニューヨークに行ってしまうそうだ。つまり、僕の気持ちがどうあれもうすぐ『さようなら』なのだ。

 タイムリミットは刻一刻と迫っている。

 そして、それはクレアも。

 秋口先輩を選べば、僕はクレアを切り捨てることになる。そうなれば、もう今のままではいられない。この穏やかでも楽しい日々は、もう永遠に『さようなら』だ。

 クレアを選んだとしても、いつかはさようならの日がやってくる。それがいつかはわからない。別れるかもしれないし、死別かもしれない。

 人を別れさせる秋の魔法は、僕たちを永遠に一緒にはいさせてくれない。

「……ねえクレア、僕たちは、いつかさようならなのかな。ずっとずーっと一緒にはいられないのかな……」

 秋口先輩が聞いたら、やっぱり女々しいと笑うだろう。男ならスパッと決めんかいくらいのことは言われそうだ。でも、往生際の悪い僕はやっぱりどちらも切り捨てたくない。そう、思ってしまうのだ……

「……僕は、さようならしたくない。ずっと一緒にいたい。死ぬまで一緒にじゃ嫌だ、死なないで一緒にいたい。でも、それは無理なんだ……」

「一緒にいればいいじゃないですか」

「……いや、そう言う話じゃなくて」

 バシッという高い音と共に、僕の頬に鋭い痛みが走る。目をあげると、クレアが手を振りきった状態で仁王立ちしていた。

「……女々しいです、ご主人様。お別れが来るのは仕方がないこと、どんなにねだっても悩んでも、それは変えられないんです」

 言い返すことばもなく、項垂れる。そんなことはわかってる。これはただのわがままに過ぎない。女々しい僕が作り出した、どうしようもない幻想……

「――だいたい、どうしてお別れで終わりなんですか?生きていれば再開もできるでしょうに。『さようなら』があるなら、『こんにちは』とか、『おひさしぶり』とかあってもいいじゃないですか」

 はっとなってクレアを見つめる。今回ばかりはクレアも恥ずかしがったりしないで、僕の目を見つめ返してきていた。

「『さようなら』で終わりなんて、悲しいです。悲しすぎます。さようならしたら、また『こんにちは』するのは当たり前じゃないんですか?」

「でも……でも!」

「それに、死んだからと言ってお別れなわけないです。もしも死んじゃっても、私はご主人様にまとわりついて生まれ変わっても一緒にいます。それに……」

 クレアは手に残った残りのイモを口の中に放り込み、飲み込む。そして僕の手を引っ張ると、クレアの胸に当てる。



「……思いではいつだって、ここにあります。ずっとずっと残って、色あせることなんか決してない」

 ――そうだ。何を勘違いしていたのか。さようならしても、思いではずっと残る。

「思いでは、繋がり。どんなに遠くても、決して切れることのない絆」

 ――それさえあれば、繋がっていられる。街が違っても、国が違っても。

「――あなたと私がいれば――」

 ――世界が違っても――

「――思いでは、いつだってここに――」



 ……そうだ。僕はなんにもわかっちゃいなかった。

 そもそも、お別れじゃなかったのだ。体が離れても、心は繋がっている。日本の僕がクレアを想うように、ここの僕が秋口先輩を想うように。

 心は、いつだって一緒なのだ。

「……とはいえ?まあお別れしないのが一番ですし、お別れしたくありませんし?私はずーっと一緒に」

「クレア」

「はい?どうしましたご主人さ」

 両手を伸ばして背中に回す。そのまま僕の胸に抱き寄せ、唇を唇で塞いだ。

 ビクッと硬直して押し退けようとするが、強く抱き締めて離さない。暖かく柔らかい感触が伝わる。

 そのうち、クレアの力が抜けた。寄り添ってくる体を受け止め、優しく包み込む。

「……そうだよね、僕が間違ってたんだ。僕たちは別れない。ずっと一緒にいられるんだ。この思いでさえあれば……クレア?」

 何だか力が抜けすぎている気がしてクレアの顔を覗きこむ。その顔は今まで以上に真っ赤に、リンゴのようになっていて――

「……ちょっ、クレア!?大丈夫!?クレアー!?」

 幸せそうに涙を流しながら、気絶していた。







「……ん……むぅ……んん……」

 背中がふかふかします。ベッドに寝かされているみたいです。いつの間に寝てしまったんでしょうか?

 外はもう真っ暗。どうやら頭に濡れた手ぬぐいか何かがのせられているようです。

 なんとか最後の記憶を思い出そうとしてみます。確かご主人様と焼きいもを食べて、そのあとでご主人様が悩んでいるようだったから励ましてあげて、そのあと……

 ……キス、を……

「……あ、起きたね。良かったよなんともなくて」

「ぴゃい!?」

 思わず声が裏返ってしまいました。

「……ご、ごめんなさい!私、夜のお食事どころかなんにもできにゃくて!あ、あんにゃ……!」

「あー、そこは、まあ、うん。僕も悪かったというか……」

 暗くてよく見えませんが、ご主人様が真っ赤になっているのがよくわかります。もちろん私もです。さっきから言葉がカミカミです。

 そういえば、さっき感情に任せてご主人様を叩いてしまったような……触れられるまで、この事は黙っておきましょう……

 ご主人様が頭の布を代えてくれます。ひんやりした水が染み込んだ手拭いが私の顔の熱をゆっくりと冷ましてくれました。

 そのまんま、ご主人様はベッドの脇に腰かけます。

「……クレア、君は僕が好きかい?」

「……ふぇ?い、いや、まあ……大好き、です……」

 最後の方は尻すぼみになってしまいました。いったい今日のご主人様はどうしてしまったのでしょう。何かにあてられてしまったのでしょうか。

 それこそ『秋の魔法』とやらに。

「……僕も、君が好きだ。僕は、クレアが、大好きなんだ……」

 ご主人様の言葉はまるで自分に言い聞かせているようでした。あるいは、覚悟を決めているような……

「でも、僕には他にも好きな人がいるんだ。僕がクレアを好きなのは間違いない。でも、もう一人に対する僕の気持ちも本当なんだ……」

 苦しそうにご主人様が話します。どうりでご主人様が今日一日変な態度だったはずです。生真面目なご主人様のことです。こんなこと隠しておけば良かったのに、話して私に嫌われるとは思わなかったのでしょうか。

「……軽蔑してくれて構わない。僕には君を好きになる資格なんか無いのかもしれない。でも、僕は自分の心に嘘はつけないんだ。だから……」

 うなだれてしまったご主人様の頭を抱き寄せます。さっきご主人様がしてくれたように、でもそれよりもほんの少しだけ優しく。

「……バカな人ですね、そんなこと、私は最初から知ってましたよ」

 ご主人様は自分で思っているよりも嘘をつくのが下手くそです。まあ、そこも愛おしく思ってしまうのですけれど。

「……私はご主人様が大好きです。できれば他の誰にも渡したくない、そう思います。でも、それはご主人様が決めるべきこと。そこに私はどうこう口出しなんか出来ません」

「……私を選べ、とか言わないのかい?だって、もしかしたら僕は、君を……」

 家の前にたった一つ立っている街灯が灯りました。もうじき今日という一日が終わります。さようならの魔法が消え、おやすみなさいの魔法が始まります。

「……私には、何も言えません。だってそれは、ご主人様が決めるべきこと、決めなければならないこと。ご主人様が決めるのです。困ったときは……そうですね、ご自分の心に従うのです」

「僕の、心に……」

 ご主人様のボサボサの頭をなでなでしてあげます。いつも私がしてもらっているように。優しく、でも愛が伝わるように強く。

「……その時までは、私がそばにいます。だって私は、ご主人様のメイドですから!」

「……うん、ありがとう。本当に、本当にありがとう……」










 しばらくなでなでしていると、ご主人様は眠ってしまったようでした。ゆっくりと定期的な呼吸と共に小さな、といっても私にとってはとても大きな体がゆっくりと動きます。

 ご主人様に好きな人がいるのはよく知っています。本人から聞かされていましたし、たまに葛藤するような表情をしていましたから。

 存分に、悩んでほしいと思います。一人のメイドとして、一人の女として。

 ピクッとご主人様が動き、口元に笑みが浮かびました。幸せな夢を見ているのでしょうか、あるいは幸せな現実を。

「……ふふ、かわいいなぁ……あたしも眠くなってきちゃったな……」

 それでは、私も眠るとしましょう。そして夢の世界に旅立ちましょう。

 あるいは、もう一つの現実世界へと。

 このままで寝たら、明日にはとんでもないことになってしまいます。髪の毛はくしゃくしゃになるでしょうし、メイド服の後始末も大変です。でも、そんなことは明日考えればいいのです。

 体感時間では、明後日になるのですが。

「……おやすみなさい、ご主人様。また明後日会いましょう」

 ゆっくりと目をつむります。ご主人様の温もりが伝わってくるようで、睡魔は案外あっさりと訪れました。意識が薄らいでいきます。

 さて、ご主人様は告白してくれるでしょうか。ほんのちょっぴりほわほわした気分になりながら、私は温もりに体をゆだねます。









 窓の外は晴れていた。庭に生えたイチョウの木が風に揺れている。どこからか枯れ葉が飛んできて、空中で踊る。たくさんの木の葉が舞っているのが見える。赤、茶色、黄色。

 もう秋だなぁ、と、しんみり思う。ニューヨーク行きは自分で選んだことだが、それでも寂しさは残る。

「……あ!いっけない!」

 こんなことをしている場合では無いのだった。あたしはあわてて飛び起きると、クローゼットを引っ掻き回す。

 かきわけかきわけ、取り出したるは学生服!きっちりとアイロンにのりがほどこされ、いつも通りパリッとしている。これならあいつに見せても問題ない。

 手早く着て、ほこりを軽くパンパンと落とす。部屋のはしに置いてある鏡を覗き込み、顔に目やになどがついてないことを確認する。

 どうやら、私は人一倍おしゃれに無頓着らしい。素材がいいのにもったいないよーなんて、さすがにそれはお世辞が入っているだろうけど。でも、私は自分のこの顔が一番気に入っている。

 それに、私のこの顔が好きなのはあいつも同じで――

「――えへ、えへへへへ!」

 おっと。不気味な笑いが出てしまった。あいつのことを考えるといつもこうなってしまう。反省反省。

 ばぱっと確認。服装、よし!髪形よし!目やに、よし!今日もバッチリ!あいつもあたしにメロメロなこと請け合いね!

「……あっ、いけないいけない!」

 大変なものを忘れていた。私は急いでベットに戻ると、脇の小机から古びた指輪を取り上げる。

 これは、あいつがプレゼントにくれたもの。安物だそうだが、あたしにとっては何よりの宝物だ。

 さて、今度こそオッケー!学校の道具をぱっぱとバッグにつめこんで、階段を駆け下りる。

暮葉くれはー!ご飯はー?」

「いらなーい!行ってきまーす!」

 このままだと遅刻だが、朝ご飯を抜けばギリギリ間に合うだろう。きっとあいつも遅刻しているだろうから、パンを強奪して食べればお腹もすかない。奪ったときのあいつの困った顔が目に浮かんで、思わず頬が緩んだ。

 家を飛び出して、ダッシュで坂を駆け下りる。いつもだったらあそこで、あたしを律儀にも待っているはず――

 ――ほらいた!

「おーい!健二ー!会いたかったぜー!」

 勢いのままに、健二に飛び付く。ちょっと前は迷惑じゃないかな、とか考えたけど、まんざらでもないことがわかってからは毎日継続中だ。

「うわあっ、秋口先輩!?危ないですよっ!」

「えへへ、いいだろー!?あたしと健二の仲じゃん!」

 首に抱きつく。このままじゃ遅刻かな?ま、いっか!

 顔は見えないけど、健二がガチガチに硬直しているのが分かる。こんにゃろう、男だったらさっさと済ませんかい。告白をよ。

 でも、そんなガチガチさにも胸がキュンキュンきちゃうあたしもなかなかに末期だよなーとか思ったりして。

「……ねえ、健二、なんかあたしに言うことあるでしょ」

「え!?何でそれを!?」

「ふふ、何となくー?」

 ……さて、健二は私とクレア、どっちを取るだろうか。こんにゃろうはなかなかどうして鈍いから、しっかりもののクレアを取るかもしれないな。

 でも、恋人として一緒にいて楽しいのは間違いなく暮葉、このあたしだろう。だからあたしを取るかもしれない。ま、どっちをとってもあたし大勝利なのだけれど。

「……秋口先輩、僕、先輩にどうしても言わなきゃいけないことがあって……」

「その話はあとでにしない?あとで弁当もらいに迎えに行くからさ!屋上でゆっくりと話そうよ!今はほら!学校急ご?」

「じゃあ離してくださいよー!歩きづらいですー!」

 健二の首元に顔をうずめる。ふわっと優しい匂いの中に焼きいもの匂いが混ざっていたような気がして、あたしは思わずふふっと笑ってしまった。

「……愛してるぜ、ご主人様」

「え?なんですか?」

「なんでもなーい!」

 ――そう、今この瞬間もいずれは思い出に変わっていく。楽しかったことも、悲しかったことも。

 ――この青春の日々は、全ては思い出となって僕達の心に蓄積されていく。

 ――いずれ私たちには、決定的な別れが訪れるだろう。それは、人間であるからしょうがないこと。『秋の魔法』は、私たちを永遠に一緒にはいさせてくれない。

 ――でも、だからなんだと言うのだ。

 ――別れが訪れるなら、また出会えばいい。それが今世でも、来世でも構わない。だって、『さようなら』は新しい『こんにちは』の準備でもあるのだ。

 ――私は健二を愛しているし、ケンジを愛している。

 ――僕は暮葉先輩を愛しているし、クレアを愛している。

 ――世界すら、私たちを引き裂くことはできなかったのだ。なら、何を怖がることがあろうか。

 ――何者であっても、僕たちを永遠に切り離すことはできない。

 ――この思い出があれば、この愛があれば、私たちは――

 ――ずっと一緒にいられる。二人で、四人で手を取り合って、一緒に歩いていける――



 ――――そう――――



 ――――未来へと――――

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