異世界帰宅部〜今、生きて帰ります〜

進藤jr和彦

プロローグ クラスで一人は居る、最速で帰宅する奴こと、俺。

 その始まりが何だったかを説明するならば、未だランドセルを背負っていた頃の話になる。家から地区の小学校まで徒歩1時間弱の場所にあり、ピカピカの一年生が踏破する為に、地区間の子供会で入学前の徒歩通学練習が通例となっていたので、俺も足腰を鍛える為に卒園した二日後から入学式まで、雨でなければ小学校までの通学路を歩いた。つい二日前に卒園式を迎えた友人達は、半分も行かずに泣きを入れていたが、俺は徒歩通学の景色が新鮮で疲れなど感じなかった。

 今ではやれ不審者だなんだでスクールバスが出ている事を小耳にはさんだが、時代の流れを無常に感じ、さらには近所の公園もやれガキが煩くて昼寝ができないと、お前も昔はやんちゃに外を走り回っていた時代があろうクソジジイがクレームを入れ、遊具でウチの子が怪我したふじこふじこ、ボールの泥が跳ねてお洋服がザマスザマス、集まって携帯ゲームなんてしてやんややんや、とモンスターママさんが更なるクレームを重ねたが為、遊具撤去、球技禁止、ゲーム禁止、私語禁止のただの広い公園とも呼べぬ広場が続々と出来ていると聞いたが、俺の近所の公園がまだ無事なのには安堵していた。

 さて、話はそれたが……徒歩通学に慣れて、それが夏休み前になると、途中途中談笑を挟んだり、競争をしたりと余裕ができる体力が養われていけば、皆が皆して『近道』を探し始めた。早く帰宅して宿題終了からの遊ぶ時間の確保という、小学生の死活問題故の行動。それは民家の塀の間だったり、田んぼのあぜ道だったり、廃墟を抜けたりと……やがては誰が一番早く帰れるかの近道競争となり、民家の庭を抜ける不法侵入まで行くと、いよいよ先生から怒られて皆がそれを諦めた。

 そこからだ、俺が、俺だけが近道やら抜け道を更に探し続けたのは。どれだけ自分は早く下校できるのか、夏休みの子供会のラジオ体操に無休で参加し続け貰った、景品のストップウォッチを使って、俺は下校時間タイムアタックに興じた。まずは全速力で下校ルートを駆け抜け、ただそのタイムを縮める事に興じた。何度も息切れで立ち止まり普通に帰るより遅くなっていたり、走ってダメならペースを一定にと休日のオトンが駅伝を見ていたので、そのマラソン選手の真似をしてみればタイムが縮み、やがてそのタイムが40分を切った事に思わず家の前で叫んだ嬉しさがあったが、それ以降縮まぬタイムにヤキモキした俺は、学年最速にまで成長した足で図書館に向かった。

 図書館で地元の地図を借り、距離を調べて最短ルートを見つけたが壁があり、引き返す羽目になれば商店街を叫びながら駆け抜けた姿を学校に連絡され、登下校ルートから外れたのを先生に怒鳴られもした。それでも俺は、飽くなき探究心でそれを続けた。

 その頃の俺のアダ名は『早帰りの宅』『近道の早見くん』『絶対最速帰宅マン』と、ランドセルには今日の授業の教科書以外に、折り畳んだ様々な色の線で塗りつぶした地元の地図のコピーが常備され、様々な情報を街を練り歩いて書き記し、最短帰宅時間更新を目指した。そしてこの頃、上級生達に寄り道がばれないルートの情報料として駄菓子やジュースを奢って貰い、自由研究ではその地図を元に地元の街の移り変わりを発表して、先生に褒められつつも一年生が一人で休みに行っていい場所を明らかに超えていたので、両親を呼ばれた。

 ランドセルの肩紐を広げた頃には、民家の塀を登り、走って駆け抜けるバランス感覚を身につけ、冬の学校マラソン大会では校内記録を大幅に更新してぶっちぎりの一位になるスタミナが付き始めた。が……地区の友人は付いていけないと俺をハブにした。上級生も卒業し、皆がテレビゲームに興じても、五時間目、六時間目が増えても、小学生卒業まで俺はひたすらタイム短縮に精を出した。

 やがて……短パンがツータックに、半袖が詰襟に変わる中学生の頃……俺の足は地面では無く民家の瓦屋根に付いていた。集団下校が無くなり、個人での登校が可能になれば、自分の帰宅タイムアタックは『登下校タイムアタック』へと変化していたのだ。屋根から屋根へ、壁から壁へ、校舎四階から一階へのむき出しパイプを用いたショートカット……。様々な無茶を体得していった頃には『リアルニンジャ』『早帰りの使者!ス◯イダーマッ!』『日本のザ・フ◯ッシュ』『屋根上妖怪の早見』『購買部の鬼』と呼ばれ、教師に怒鳴られ反省文を山の様に書かされた時に、俺は動画サイトで始めて『フリーランニング』を目にした。

 俺が今まで自慢して来た領域、そのさらに上を見た時には探究心の炎にニトログリセリンを樽で放り投げた爆発を感じた。爆発に加速された欲求は俺を更なる次元へと高めた。壁蹴りムーンサルト、壁蹴り登り、高所ダイブからの受け身……。無論身体の傷も増え、親も呼ばれ、反省文は不良が喧嘩して一枚で済むのに対して、俺は二山書かされたが、それのおかげか字は達筆になり現代文は90点台をキープすることが出来た。

 そんな現代文の恩師は、次はいつやるのだ、どんな登校するのだと原稿用紙の山を見せながら俺を焚きつけたので、中学の歴代史上最多枚数の反省文を書かされる事になる。

 詰襟がブレザーに変わった高校一年にて、それらの技を体得した頃には仲間もできた、初心たる帰宅タイムアタックの気持ちを忘れない様な、別の意味で帰宅の技を持つ者達、部活から追い出されて登下校中の俺を見た者達と、様々な事情を抱えた俺と仲間達はつるむ事になった。
 
 それこそ、誰かに見つかっては駄目や、裏道以外使用禁止で下校タイムアタックを競い、様々な目的地の最短ルートを教え合えば、高校生なのに公園で全力鬼ごっこをしてアクロバットを披露すれば公園の子供達からスーパー戦隊の様に声を浴び、ノリノリの俺たちは子供達に歴代スーパー戦隊ポーズを披露してみせた。この時五◯戦隊ダ◯レンジャーと、◯拳戦隊ゲ◯レンジャーのポージングと名乗りだけは、テイク5を刻んだ為、改めてスーパー戦隊のスーツアクターは凄まじいと、仲間内で共感する事になる。そして俺達は仲間内でフリーランニングもどきの動画を撮ったり、見知らぬ街に降り立ちその街の高所を己の五体だけで登って制覇したり……。

 そんな事をしていれば、学生のノリという奴にあてられて仲間内で自らを『帰宅部』と呼称する事になっていた。そして高二の春、始業式……俺はそんな帰宅部達に呼びかけて、一つの挑戦をビデオに録画して貰った。

『自宅の屋根から、一度も地面に足を付かずに登校して、校舎の外壁から屋上へ登り校旗へタッチする』

 春休みの課題を皆で集まり1日で終わらせて、始業式まで俺と仲間達は、俺の家からの最短マップを作り出した。曲がりくねった、決められた道では無く、ほぼ真直線に結ばれた最短ルートには、停車する駅の電車のホームを飛び越え、電車の上を飛び歩くルートを作り出し、唯一ホームの上りと下りが重なり、線路が埋まる時間に到達するのが、遅刻ギリギリと重なっていた。

 それでも、それでも熱意が止まるなとブレーキを壊し、そして俺はこの挑戦を敢行し……見事に成功させたのだ。

 ホームの電車の上を駆け抜けてしばらくして、警察のパトカーのサイレンが真下から聞こえれば、それでも屋根を駆け抜け、校舎の外壁に飛びつき、室外機やパイプを駆使して駆け上り、校旗をタッチするどころかそれを外して振ってみせた。

 仲間達もしかとビデオに収めてくれ、教師も全校生徒も何事かと大騒ぎだった。ノリのいい輩は声援を、教師達から怒号が響いて来たが、それでも俺は旗を振り続けた。そこから次なるチャレンジ『先生と警察を振り切り自宅まで帰れるか?』も突貫して実行、見事に警察を振り切ったものの自宅に鬼の形相のおかんと、ゲタゲタ笑うおとん、刑事と風紀指導の鬼教師に待機されていて、こっ酷くお叱りを受けた。

 そして……俺の挑戦の成功の代償は、おかんの往復ビンタと一ヶ月の停学を処断として手打ちにされたのだった。ちなみに……おとんからはキンッキンに冷えたコーラとソーダアイスを、おかんのビンタで口ズッタズタの俺に渡して来た。鉄と爽やかな味、痛みを感じながら……おとんに馬鹿しやがってと笑って背中を叩かれた。

 こうして……次はどんな挑戦をしようかと、春の桜舞う夕暮れを見ながら、春休みの延長たる停学を過ごす事にした俺に、非日常へと引き込んだ事件が起こったのは、停学八日目の朝の事であった。
 


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