名探偵の誤算

ノベルバユーザー192171

名探偵さん、登場ですよ

 なんとも曰くありげなホテルは、なんのために存在しているのであろうか?これまで数多の小説家たちが示してきたように事件が起こるために存在していなければならなかったのは自明の理である。
 そんな曰くありげなホテルに缶詰めになるのは、今まさに推理小説のトリックに頭を悩ませる江戸山先生その人であった。普段はしっかり整えられたヒゲは、今は見る影もない。先生のとなりに控えるは、まだ駆け出しなのか、あまりくたびれていない黒いスーツに身をつつんだ痩身の女性。化粧っ気はないが整った顔立ちはしかし、いまや眼光の鋭さによって霞んでしまっている。
 「こんなにもトリックって思い付かんもんかね、なぁ鳥見くん」
 「先生のおっしゃる、こんなにもがどんなにもなのかは、判りかねます。しかし、早く原稿を仕上げて欲しい気持ちは、こんなにも、であると思いますが」
 鳥見と呼ばれたこの女性はいわゆる担当編集者であるのか、先生への敬意などは朝の支度をするときに部屋に忘れてきたのかもしれない。いっぽう、先生はいつも後ろに撫でつけている髪を、ばさばさと搔きむしりながら頭を悩ませ続けている。
 「そんな、君ね、わしは一応先生なわけだろう。そんなぞんざいな扱いでいいのかね?まったく、まあ一応いまのわしの渾身のトリックアイデアを纏めたこのメモから使えそうなものをリストアップしてくれたまえ」と江戸山から1枚の原稿用紙を渡された鳥見は、しばし用紙に目を落としたあとに、3メートルほどは離れていたであろう豪華にも存在感のあるベッドの横、こじんまりと設えられたゴミ箱のなかにクシャクシャにした先ほどの原稿を、スーツ姿とは思えぬ綺麗なフォームでもって華麗なシュートを決めた。
 その一連の流れるような光景を、半笑いで見ていた江戸山はびっくりした顔をするのを忘れたように真顔に戻り、ぽつり。
 「わしは担当編集者から華麗なゴミ箱シュートをされるために作家になったわけではない」
 「奇遇ですね先生、私もバスケットもしたことないのにこんな華麗なゴミ箱シュートをするために編集者になった覚えはございません」
 「こんな、なんかジメジメした雰囲気だけはあるホテルなんだから、事件の1つや2つ起こらんもんかね?」
 「もし起こったとしても先生ではトリックわからないのでは?」
 冷たい担当編集者の一言に江戸山は、シトシトとこれまた御誂え向きの雨が降り続く、窓の外をみやった。





 まったく事件のあるところに名探偵がいるのか、名探偵がいるから事件が起こるのか。世間の声とはそんな些事をあげ足をとるようにのたまうものであるが、そもそも事件とは起こったときに初めて名探偵を産むのである。失敗は成功の母、事件は名探偵の母である。
 と言うことは、本日このホテルにいらしている金田以下耕助くんは名探偵だからいるのではない。同級生の幼なじみの可愛い、みきちゃんと泊まりがけの旅行の最中というわけだ。I.Qはだいたい180くらいはあるはずだろうけど関係ない。いまその頭はだいたいエロいことを考えるのに忙しいのだから。
 「みきちゃん、ここだよ。いいホテルだろ!」
 「耕助くん、なんか雨も降ってるしいやーな感じのホテルよ。私は旅館とかそういう風情のあるほうが好きなのよ」
 リサーチ不足です。名探偵さん。その頭脳明晰さはなんのためにあるのだろう?しかも幼なじみだろう?それくらいのことは知っとけよと。
 「まあまあ、みきちゃん。そんなこと言わないでさあ。実際に何かあったとしても僕がいれば大丈夫。たちどころに解決さ」
 「何かある時点でもう大丈夫じゃないのよ。ばか。まったくいつもそうなんだから」
 雨は降り続けているのだし、しょうがないとばかりに2人はチェックイン。このとき2人はまだ知らなかった。このホテルであんなことが起こることを、、、

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