連奏恋歌〜愛惜のレクイエム〜
第四話
1年が経ち、僕らの研究チームは新細胞を生み出す以外に目新しい成果はなかった。
その新細胞でなんかの賞をとったらしいが、そんなことには興味がない。
研究所に隣接する寮――マンションと言える規模だが――の1階ど真ん中、そこに僕の借り家があり、夕食後のコーヒーを飲みながら脳の構造に関する論文を読んでいた。
キッチンではセイが立っており、トントントンと野菜を切る音が響き、音楽のように僕の耳を楽しませる。
「それにしても、アキュ〜?」
そこに雑音が入り、僕は論文から目を離してセイの後ろ姿を見た。
この家には僕と彼女しかいない、呼んだのは彼女だ。
「なんだ?」
「この暮らしももう1年になるし、すっかり私たちも夫婦よね〜」
「結婚もしてないのに何を言ってる」
「私が結婚しなきゃアキューに相手できないでしょう? ほんと、仕方ないわね〜」
「別に僕は結婚しなくてもいいんだが――」
ダンッ!!!
強烈な音にコーヒーカップが震え、僕も口を開いたまま固まる。
アイツ……包丁をまな板に叩きつけやがった。
「……アキュー、私と結婚するわよね?」
「……。……事実婚なら」
「えっ!!!?」
大声で驚き、僕のもとまで走ってくるセイ。
その手には包丁と刺さったまな板があった。
落ち着け……。
「アキュー、私と結婚してもいいの!!?」
「別に、僕は結婚に興味はないからな……好きにしてくれ。それに、僕はお前がいないと生活できないしな」
「そう! そうよ! フフフッ、やっと私の偉大さを理解したかしら?」
「…………」
言い方は大変ムカつくが、僕だって全てに対して興味関心が強い以外は普通の思考をしてるからわかる。
家に帰ればご飯が用意してあり、掃除されて清潔な部屋が待っているのは嬉しいことだし、セイは僕にとってもありがたい。
これでもっと前頭が発達して頭が良ければ文句はないがな。
「……よし、式を挙げるわよ」
「いや、僕にそんな時間は――」
「休日まで研究所に篭ってるだけでしょ!? 結婚式するわよ!」
「というかまだ17歳だ。結婚できないからな?」
「そうねぇ、そうねぇ……。でも、私でいいでしょ?」
「この先に僕が一目惚れするようなことがなければな」
「なら、アキューに女を近づかせなければいいのね!」
なんか勝手に興奮しているセイ。
目が軽くイッてるが、面倒だからほっとこう。
「あー、でもアキューが私を好きになってくれないと……ねぇ? 私は満足しないわよ?」
「そんなのセイ次第だろう。僕に聞くな」
「む。なら絶対好きにさせてみせるわ」
そう言って僕の頬にキスをし、キッチンに戻っていく。
浮き足立ちながら、鼻歌交じりで。
……本当に、変な奴だ。
◇
日々勉強と研究を続け、その中でセイの相手もして休む暇がない。
しかしあまり退屈でもなくて、むしろ研究は好きなものだからいくらしてもいいわけだが……
「セイ、邪魔だ。向こうに行け」
「向こうじゃわからないわよ。別にいいじゃない、ここは2人の家なんだから」
「…………」
頭の上に胸を置いて抱きしめてくる彼女はやめる気がないらしい。
論文に目を通しているのに、頭の感触に気を取られて、たまにどこを読んでたかわからなくなってしまう。
いや、むしろ頭に内容が入ってこない。
口約束で結婚すると言ってからというもの、セイはベタベタしてくるようになった。
別にそれ自体は構わんが、胸は乗せるぐらいなら揉ませろ。
あと、何か読んでるときは邪魔するな。
「夜に相手してやるから、テレビでも見てろ」
「あら、もう夜よ?」
「まだ7時だ。しかも朝だから」
リビングには窓が無くて外の様子もわからぬが、きっと陽光が照らし小鳥が鳴いているだろう。
朝食後のコーヒーを飲んで、これから出勤と言いたい所。
コイツは僕を仕事に行かせないつもりか?
「どけ、重い。それと乳は揉ませろ」
「セクハラ言うんじゃないわよ。ま、それは夜のお楽しみとして……」
頭上に乗った重りがなくなり、セイは座った僕と同じ高さになるよう膝立ちし、頬にキスをしてきた。
これもあれからよくされるようになった。
……やれやれ。
「帰ったら相手してやる」
セイの頭をクシャクシャに撫でながら僕はそう言った。
すると、彼女の顔はぱあっと明るくなり、花の咲くような笑顔で笑う。
可愛らしい。
この笑顔をそんな風に思うようになったのは、いつからだったか。
いつの間にやら自分にも、愛情というのが芽生えていたようだ。
心が自由だからとはいえ、僕も人間。
恋もするし、人を愛したいと思うのは道理だろう。
今にも目の前の女に甘えたくなる。
しかし、それでは研究に行けないからと自制する。
…………。
………………。
……僕の中での優先順位は、セイが一番上なのか?
…………。
それからはあまり研究に身が入らなくなった。
思うがままに行動する僕が、ボーッとしていて指摘されるほど。
我武者羅に生き、研究者になって不老不死の実現を目指しているのに、どういうわけか遠回りをしている。
恋というものは厄介だと、初めて実感した。
自分のしたいことがわからなくなるから。
逆に、恋というものはいいものだと思った。
何故なら、胸が暖かくなるのだから。
今日も帰ればセイがいる。
トントントンとリズムよく包丁を下ろして料理を作り、その前には他の家事を終わらせている。
何故だろうか、前までそんな事は当たり前のことだった。
それが今では、嬉しく感じてしまう。
「セイ」
帰ってからスーツのまま、料理を作る彼女に声を掛ける。
セイは笑顔で振り返って手を止めた。
「ん、なに?」
「まだ早いし、何も用意してないが、どうしても今言いたい事がある。いいか?」
「えー……なにかしら?」
いいかと尋ねたのに、それじゃあ返事になってないだろうが。
まぁいい、勝手に言わせてもらおう。
「僕は君が好きだ。事実婚なんかじゃなくていい。僕と結婚してくれ」
「……は?」
彼女の手に持った包丁が落ち、床に刺さる。
何をあんぐり口を開けているんだ、コイツは。
「……あ、あ」
だんだんセイの顔が歪み、その目元から涙がにじみ出た。
……は?
「何故泣く?」
「え……いや、だって……。私……そんな言葉、言ってもらえるなんて……思わなくて……」
「…………」
確かに、今まで恋愛に興味もなく過ごしてきた身だし、僕もこんなことを言うとは思わなかった。
急過ぎて驚かせたか。
ほとんど我慢しないのは僕のタチだからな……って、そのくらい彼女は知ってるか。
「で、どうするんだ?」
「え、ええ……結婚するわ。もちろんするわよ。そのためにずっと、アキューと一緒に居たんだから……」
「……そうか」
それなら僕も嬉しい。
ただ、結婚できる歳になるまではあと半年もある。
それまでは気長に待とう。
妙な言動をしてしまったが、それから僕らは夕食を食べ、彼女が家事を終えると、相変わらず論文を読んで座る僕の頭に胸を乗せてきた。
「どけ、重い」
「あら……嫌かしら?」
「嫌じゃないが重い。それと、何度も言うが、胸は揉ませろ」
「堂々とセクハラ発言しないの。まったく、やっと恋人になれたのに……」
「……は?」
恋人という言葉が引っかかり、思わず聞き返す。
セイは僕の顔を見てクスクス笑いながら説明した。
「だってそうでしょう? 言わなくてもわかると思うけど、私も貴方が好き。それで私たちは結婚する前の男女。……これが恋人じゃなきゃ……ねぇ、なんなのかしら?」
「…………いや、その……」
「……んー?」
「……………………なんでもない」
何を言おうか悩んだが結局言葉にできず、僕は頭を抱えた。
上からクスクス笑う声がしたが、無視する。
「アキューが照れるなんて……フフフッ、変なのっ」
「うるさいっ、もうあっち行けっ」
「私が行ったら寂しいでしょう? フフフッ、アキューはしょうがない人ね〜」
「…………」
調子に乗った発言にムカつく筈なのに、怒ろうとできず、寧ろどんどん顔が熱くなる。
クソ……これが恋というやつか。
頭に胸を押し付けてくる奴が、僕の恋人……。
恋人、その響きが頭の中で反響し、それでも心地よさを感じずにはいられなかった。
この先結婚し、子を成して、家族として生きる。
そんな未来を、思い描いてしまう自分はなんなのだろう。
恋に惑わされてしまった。
どうにもここから抜け出すには難しい。
だがこの後、あんな思いをすることになるとは、この時はまだ夢にも思わなかった。
その新細胞でなんかの賞をとったらしいが、そんなことには興味がない。
研究所に隣接する寮――マンションと言える規模だが――の1階ど真ん中、そこに僕の借り家があり、夕食後のコーヒーを飲みながら脳の構造に関する論文を読んでいた。
キッチンではセイが立っており、トントントンと野菜を切る音が響き、音楽のように僕の耳を楽しませる。
「それにしても、アキュ〜?」
そこに雑音が入り、僕は論文から目を離してセイの後ろ姿を見た。
この家には僕と彼女しかいない、呼んだのは彼女だ。
「なんだ?」
「この暮らしももう1年になるし、すっかり私たちも夫婦よね〜」
「結婚もしてないのに何を言ってる」
「私が結婚しなきゃアキューに相手できないでしょう? ほんと、仕方ないわね〜」
「別に僕は結婚しなくてもいいんだが――」
ダンッ!!!
強烈な音にコーヒーカップが震え、僕も口を開いたまま固まる。
アイツ……包丁をまな板に叩きつけやがった。
「……アキュー、私と結婚するわよね?」
「……。……事実婚なら」
「えっ!!!?」
大声で驚き、僕のもとまで走ってくるセイ。
その手には包丁と刺さったまな板があった。
落ち着け……。
「アキュー、私と結婚してもいいの!!?」
「別に、僕は結婚に興味はないからな……好きにしてくれ。それに、僕はお前がいないと生活できないしな」
「そう! そうよ! フフフッ、やっと私の偉大さを理解したかしら?」
「…………」
言い方は大変ムカつくが、僕だって全てに対して興味関心が強い以外は普通の思考をしてるからわかる。
家に帰ればご飯が用意してあり、掃除されて清潔な部屋が待っているのは嬉しいことだし、セイは僕にとってもありがたい。
これでもっと前頭が発達して頭が良ければ文句はないがな。
「……よし、式を挙げるわよ」
「いや、僕にそんな時間は――」
「休日まで研究所に篭ってるだけでしょ!? 結婚式するわよ!」
「というかまだ17歳だ。結婚できないからな?」
「そうねぇ、そうねぇ……。でも、私でいいでしょ?」
「この先に僕が一目惚れするようなことがなければな」
「なら、アキューに女を近づかせなければいいのね!」
なんか勝手に興奮しているセイ。
目が軽くイッてるが、面倒だからほっとこう。
「あー、でもアキューが私を好きになってくれないと……ねぇ? 私は満足しないわよ?」
「そんなのセイ次第だろう。僕に聞くな」
「む。なら絶対好きにさせてみせるわ」
そう言って僕の頬にキスをし、キッチンに戻っていく。
浮き足立ちながら、鼻歌交じりで。
……本当に、変な奴だ。
◇
日々勉強と研究を続け、その中でセイの相手もして休む暇がない。
しかしあまり退屈でもなくて、むしろ研究は好きなものだからいくらしてもいいわけだが……
「セイ、邪魔だ。向こうに行け」
「向こうじゃわからないわよ。別にいいじゃない、ここは2人の家なんだから」
「…………」
頭の上に胸を置いて抱きしめてくる彼女はやめる気がないらしい。
論文に目を通しているのに、頭の感触に気を取られて、たまにどこを読んでたかわからなくなってしまう。
いや、むしろ頭に内容が入ってこない。
口約束で結婚すると言ってからというもの、セイはベタベタしてくるようになった。
別にそれ自体は構わんが、胸は乗せるぐらいなら揉ませろ。
あと、何か読んでるときは邪魔するな。
「夜に相手してやるから、テレビでも見てろ」
「あら、もう夜よ?」
「まだ7時だ。しかも朝だから」
リビングには窓が無くて外の様子もわからぬが、きっと陽光が照らし小鳥が鳴いているだろう。
朝食後のコーヒーを飲んで、これから出勤と言いたい所。
コイツは僕を仕事に行かせないつもりか?
「どけ、重い。それと乳は揉ませろ」
「セクハラ言うんじゃないわよ。ま、それは夜のお楽しみとして……」
頭上に乗った重りがなくなり、セイは座った僕と同じ高さになるよう膝立ちし、頬にキスをしてきた。
これもあれからよくされるようになった。
……やれやれ。
「帰ったら相手してやる」
セイの頭をクシャクシャに撫でながら僕はそう言った。
すると、彼女の顔はぱあっと明るくなり、花の咲くような笑顔で笑う。
可愛らしい。
この笑顔をそんな風に思うようになったのは、いつからだったか。
いつの間にやら自分にも、愛情というのが芽生えていたようだ。
心が自由だからとはいえ、僕も人間。
恋もするし、人を愛したいと思うのは道理だろう。
今にも目の前の女に甘えたくなる。
しかし、それでは研究に行けないからと自制する。
…………。
………………。
……僕の中での優先順位は、セイが一番上なのか?
…………。
それからはあまり研究に身が入らなくなった。
思うがままに行動する僕が、ボーッとしていて指摘されるほど。
我武者羅に生き、研究者になって不老不死の実現を目指しているのに、どういうわけか遠回りをしている。
恋というものは厄介だと、初めて実感した。
自分のしたいことがわからなくなるから。
逆に、恋というものはいいものだと思った。
何故なら、胸が暖かくなるのだから。
今日も帰ればセイがいる。
トントントンとリズムよく包丁を下ろして料理を作り、その前には他の家事を終わらせている。
何故だろうか、前までそんな事は当たり前のことだった。
それが今では、嬉しく感じてしまう。
「セイ」
帰ってからスーツのまま、料理を作る彼女に声を掛ける。
セイは笑顔で振り返って手を止めた。
「ん、なに?」
「まだ早いし、何も用意してないが、どうしても今言いたい事がある。いいか?」
「えー……なにかしら?」
いいかと尋ねたのに、それじゃあ返事になってないだろうが。
まぁいい、勝手に言わせてもらおう。
「僕は君が好きだ。事実婚なんかじゃなくていい。僕と結婚してくれ」
「……は?」
彼女の手に持った包丁が落ち、床に刺さる。
何をあんぐり口を開けているんだ、コイツは。
「……あ、あ」
だんだんセイの顔が歪み、その目元から涙がにじみ出た。
……は?
「何故泣く?」
「え……いや、だって……。私……そんな言葉、言ってもらえるなんて……思わなくて……」
「…………」
確かに、今まで恋愛に興味もなく過ごしてきた身だし、僕もこんなことを言うとは思わなかった。
急過ぎて驚かせたか。
ほとんど我慢しないのは僕のタチだからな……って、そのくらい彼女は知ってるか。
「で、どうするんだ?」
「え、ええ……結婚するわ。もちろんするわよ。そのためにずっと、アキューと一緒に居たんだから……」
「……そうか」
それなら僕も嬉しい。
ただ、結婚できる歳になるまではあと半年もある。
それまでは気長に待とう。
妙な言動をしてしまったが、それから僕らは夕食を食べ、彼女が家事を終えると、相変わらず論文を読んで座る僕の頭に胸を乗せてきた。
「どけ、重い」
「あら……嫌かしら?」
「嫌じゃないが重い。それと、何度も言うが、胸は揉ませろ」
「堂々とセクハラ発言しないの。まったく、やっと恋人になれたのに……」
「……は?」
恋人という言葉が引っかかり、思わず聞き返す。
セイは僕の顔を見てクスクス笑いながら説明した。
「だってそうでしょう? 言わなくてもわかると思うけど、私も貴方が好き。それで私たちは結婚する前の男女。……これが恋人じゃなきゃ……ねぇ、なんなのかしら?」
「…………いや、その……」
「……んー?」
「……………………なんでもない」
何を言おうか悩んだが結局言葉にできず、僕は頭を抱えた。
上からクスクス笑う声がしたが、無視する。
「アキューが照れるなんて……フフフッ、変なのっ」
「うるさいっ、もうあっち行けっ」
「私が行ったら寂しいでしょう? フフフッ、アキューはしょうがない人ね〜」
「…………」
調子に乗った発言にムカつく筈なのに、怒ろうとできず、寧ろどんどん顔が熱くなる。
クソ……これが恋というやつか。
頭に胸を押し付けてくる奴が、僕の恋人……。
恋人、その響きが頭の中で反響し、それでも心地よさを感じずにはいられなかった。
この先結婚し、子を成して、家族として生きる。
そんな未来を、思い描いてしまう自分はなんなのだろう。
恋に惑わされてしまった。
どうにもここから抜け出すには難しい。
だがこの後、あんな思いをすることになるとは、この時はまだ夢にも思わなかった。
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