連奏恋歌〜愛惜のレクイエム〜

川島晴斗

第六話

「霧代……」

 彼女の名前を呼ぶと手が震えた。
 11年ぶりに見た彼女の容姿は変わりない。
 しかし、目が死んでいた。

 ――怖い。
 彼女の口から僕に対する罵倒の言葉が発せられたら、僕はとても耐えられないだろう。
 久しぶりに会えた愛しい人だというのに、僕は――

「……瑞揶」

 沙羅が僕の名前を呼び、そっと僕の手を握ってきた。
 震える手はそれでもまだ収まらない。
 何をしてるんだ僕は――。
 仲直り、しに来たはずなのに――。

「……瑞揶、くん……」

 ポツリと、霧代が僕の名を呟いた。
 哀愁漂う彼女の口調に僕は怯える。

「……大丈夫。君が言いたいこと、私は全部わかってるから……」
「え……?」

 全部わかっている。
 それがどういうことなのかわからなかった。
 だって、霧代と僕は11年ものあいだ離別していた。
 僕の事を知ってるなんてことはないはずだ。

 しかしその思いは、涙ながらに話す彼女の言葉に否定された――。

「私はね……ずっと瑞揶くんに取り憑いてたんだよ……? フフフッ、気付いて、いなかったでしょ……?」
「――――」

 取り憑いていた。
 それは幽霊がその人の側にずっといるということ。
 なんて事だろう――。
 霧代は、ずっと僕の側にいたのか――。

「……私はね、ずっと瑞揶くんを見ていたよ? 瑞揶くんに傷付いて欲しくなくて……いつも泣いてたんだよ? 私、怒ってなんかいなかったのに……私のせいで瑞揶くんが、自分を傷付けて……! ……ごめんなさい。本当に……私なんかのせいで、傷付いて……」
「霧代……そんな、それは違う……」

 泣きじゃくる彼女の言葉を否定する。
 違う、僕が勝手にやったことなんだ。
 霧代のせいなんかじゃ、断じてない――。

「僕が勝手にやったことなんだ……! 霧代は何も悪くない! 気にしなくていいんだ!」
「……でも、私が居なければ良かったの。私が居なければ、瑞揶くんは幸せだった……そうでしょ?」
「そんな……違う! 霧代が居てくれたから僕は……!」

 前世で僕は、高校で1人だった。
 親の決めた進学校、そこに旧友は1人もなくて、寂しかった。
 そんな僕に声を掛けてくれて、恋人になってくれた。
 彼女が居なくて幸せだったなんてことは、決してない!

「だからねっ、瑞揶くん……この世界ではっ……私のこと、忘れて……幸せになって――!」
「! 霧代!! ――沙羅、ごめんっ!」

 涙ながらに彼女は声を発し、泣き崩れてしまう。
 僕は沙羅の腕を振りほどき、霧代のもとに駆け寄った。
 彼女の肩を掴もうとして一瞬怯む。
 僕が彼女に触れる資格はあるだろうか?
 違う――これは僕にしかできないことだ!

「霧代! 僕は君の事を恨んでなんかいないよ! ずっと、ずっと好きだった! 僕は……霧代を忘れるなんてできないよっ!」
「……嫌だよ、瑞揶くん。私の事を忘れないと……君は、ずっと私の事を気にする。それじゃあ幸せにはなれない……」
「僕はもう十分だよ……! 霧代が僕の事でこんなに悩んでてくれて……もう、十分……!」
「…………」

 霧代の体を優しく抱きしめた。
 覚えのある暖かさ、柔らかさ、これは間違いなく霧代のものだ。
 11年間なくしてた暖かさが、目の前にある。
 この少女に泣いて欲しくなくて――。

「霧代、泣かないで……。僕が悪いんだ。ずっと霧代の事を苦しめてしまった。ごめん……本当に、ごめん……」
「私もごめん……何度謝っても、私……私……っ」
「……僕だって、たくさん謝りたい事があるんだ。ずっと謝りたかった……。霧代……ごめんね。ずっとずっと、迷惑をかけ続けた――」

 泣いて欲しくないと思ってるのに、僕からも涙が溢れてしまう。
 抱きついた2人で泣きあって、どっちの涙だかわからなくなっていた。

「霧代……仲直りしよう。もう、こんなのは終わらせよう……」
「うんっ……。フフッ、変な仲直りだね。私たち、好き合ってるのに――」
「……そうだねっ」

 涙は止まらずとも笑い合う。
 そして2人で手を合わせ、優しく握り合った。

「ごめんなさい」

 霧代が呟く。
 僕もそれに倣って呟いた。

「ごめんなさい」

 僕の言葉を聞いて、彼女は満足そうに笑う。
 儚い笑顔は、もうおしまい――。
 これから先、僕達は……。

「……やり直せる、かな?」

 おそるおそる訊ねてみる。
 僕はまだ、霧代の事が好きだ。
 この恋心は誰に向くでもなく霧代に向いている。
 やり直せるならば、やり直したい――。
 だけど――霧代は首を横に振った。

「……瑞揶くん。私はこの世界に生きていないし、瑞揶くんの力で生き返ろうとも思ってないよ……。前の世界は前の世界、この世界はこの世界。それに――」

 そこで霧代は、僕から視線を外した。
 彼女の向いた先は呆れ顔をしている沙羅だった。

「――嫉妬する子も、いるしね?」
「……誰が嫉妬よ、誰が」
「ウフフ、ごめんなさい」

 まったく、と言って沙羅が悪態つく。
 嫉妬、そんな単語が沙羅には似合わないから変な感じだ。

「……ともかく、私はここに残る。貴方達は帰るべき家に帰って……」
「……そしたら、霧代はどうなるの?」
「一度しっかりと成仏してから、愛ちゃんが転生させてくれるって。心配ないよ。一度成仏したからって記憶は消さないでくれるから。 ……私は私で新しい幸せを掴みに行く。だから瑞揶くんも――この世界で、幸せになって……」
「…………」

 彼女の言葉は断定的で、ずっと前から決めているようだった。
 彼女が居ないのは……すごく寂しい。
 願わくば一緒に居たいけど、彼女を苦しめた僕に、彼女の行動を止める権利なんて無い。
 彼女が別離を望むのなら、僕はそれに従おう。

「…………」
「…………」

 互いに握った手を見つめ合う。
 言葉はいらない、まだ僕達は相思相愛であると、伝わったから――。

 この手を離したら、それは別れの合図になってしまう。
 それが嫌で……離せない。

 手が震えそうだ。
 でも、僕は男の子だから――。
 僕はこの世界に来て、ちっとも男らしくなれなかったけれど――それでも、僕から手を離す。
 少しばかりの意地だったけど、霧代は嬉しそうだった。

「……瑞揶くん、ちょっとそのままでいて?」
「ん?」
「フフッ、えいっ」

 勢いづいて彼女は僕の両肩に手を伸ばし、近付いた唇をそっと重ね合わせた。
 あまりにも急な事に息が詰まるも、優しい口づけは一瞬で離される。

「なっ、なななななっ、なっ……!!」

 少し離れたところで、顔を真っ赤にしながら沙羅が動揺していた。
 不思議と僕に動揺はなく、顔は熱いけど心地いい心音だけが聴こえてくる。

「フフッ、ごめんねっ? でもファーストキスは沙羅ちゃんに奪われちゃったから、セカンドで勘弁してあげる」
「ふぁ、ファースト!? 私、瑞揶にキスなんて……!」
「あれ? ……もう覚えてないのかぁ。私はアレがショックだったから、ちょっと意地はっちゃったんだけど……」

 霧代が悪戯っぽい笑みを浮かべて沙羅を挑発する。
 僕も覚えてなかったからこっそり聞くと、沙羅と出会った日らしい。
 なるほど、確か【魅了】が通じなくてキスをされたなと思い返す。

「……最後の願いも叶った。お別れしよう、瑞揶くん……」
「…………ちょっと待ってね」
「え……?」

 手を振ろうとした彼女を制する。
 僕が最後に彼女にできることはまったくないだろう。
 だったら、今思いつくものをやるしかない。

 だから僕は、超能力を行使した。
 数秒目を閉じてただ祈っただけだけど――きっと、この想いは届くだろう。

「……何をしたの?」
「大したことじゃないよ……。ただね――」

 これから霧代がどんな世界に行くのかわからない。

 だから、いろんな不安や怖い思いがあると思う。

 だから君が生まれ変わったとしても――


 君が幸せであれるように、願ったんだよ――。




「……そっか」

 短い返事が、涙声で返ってくる。
 目の前の霧代は、さっきあれほど泣いたのにまた泣いていた。
 それでも笑みを崩さず、優しい声で僕にお礼の言葉を呟いた。

 ありがとう、と――。





「――さようなら、霧代」
「――うん。さようなら、瑞揶くん」

 こうして僕達は別れを告げた。
 おそらく、これで本当に永遠の別離となるだろう。
 だけど、後悔も戸惑いもない。
 最後に彼女が残したのは、満面の笑みだったのだから――。







 瑞揶くん――。

 11年、常に貴方を見続けてきた――。

 貴方はこの世界に産まれて、いろんな事件を解決させてきた――。

 たくさんの友達を作り――。

 いろんな人の悲しみを抱きとめ――。

 みんなを笑顔にしてきた――。

 やっぱり君は、凄い人だったね――。

 その事が、私は嬉しい――。

 涙を流しながら、空を仰いで笑う――。

 貴方の暗い気持ちは、これで全てなぎ払えた――。

 これで私も、思い残すことはない――。



「貴方を愛せて、よかった――」







 こうして川本霧代は静かに消え去った――。
 最後に残した笑顔は、とても安らかに――。

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