連奏恋歌〜愛惜のレクイエム〜

川島晴斗

第四話

 なぁなぁで付き合い始めて、1ヶ月が経った。
 前は季節を感じなかったけど、今では寒さが肌を刺す冬を感じるようになった。
 とは言えまだまだ年内、温度低下はこれからも激しさを増すだろう。
 季節は変われど、僕と川本さん――霧代きりよとの仲は進展してなかった。
 名前で呼び合うぐらいにはなったけど、やっぱり普通の友達感覚でお互い接しているように思える。
 少なくとも、僕はそうだった。
 距離を縮めていく、その必要性はないのだから。

「ねぇね、瑞揶みずやくん。私も楽器弾いてみたいんだけど、いいかな……?」

 夕暮れの音楽室、霧代はピアノの前まで来て僕に尋ねてきた。
 上着は脱いで、ワイシャツの上からブラウンのセーターを着ていて、冬にはよく見かける女子の格好だった。
 僕は質問に困りながら、曖昧に答える。

「僕に許可を求められてもなぁ……。あまり強く握ったり、強く叩いたりしない限りは使っていいと思うけど……」
「じゃあ、フルート使っていい?」
「うん……壊したりしないようにね」
「大丈夫だよ。実は、ちょっと勉強してきたから」
「へぇ……殊勝な事だなぁ……」

 霧代はピアノの上に置かれたフルートを手に取り、構えを取った。

「……背筋が少し曲がってるよ。真っ直ぐ正面向いてっ」
「え? み、瑞揶先生厳しいよ……」
「だって変な音出されたら嫌だし……最初だから左手は注視しなくていいかな。やってみて」
「う、うん……」

 霧代がリッププレートに口を付ける
 恐る恐るといったように息を吹いた。

 ――ピ〜〜……

 たどたどしい手つきで、精一杯やってるんです!という表情で音が出された。
 続けてまた音が鳴る。
 およそ楽しめる音ではないが、目をグッとつむって頑張ってる姿は微笑ましい。
 と、霧代は息を吐き出しながら楽器を持ったまま腕をダラリと下げ、僕に向き直った。

「……優雅じゃないなぁ」

 それは自身への感想だった。
 僕も苦笑を浮かべざるをえない。

「あはは……可愛かったから、いいんじゃない?」
「……むぅ。そう言われると、何も言えなくなっちゃう……」
「……クスッ。そうやって萎縮してるところも可愛いんだよ?」
「……もうっ……瑞揶くんは表裏無いから……可愛いって本気でその……」
「え?可 愛いと感じるのに本気も何もないんじゃない?」
「……うん、そうね。言われてるこっちは物凄く恥ずかしいのに……」

 フルートを抱えて霧代は顔を伏せた。
 はぁ、可愛い、かぁ……。
 頭ではわかってるけど、僕は反応できないんだよなぁ……。
 霧代が恥ずかしがるのも何故なのかわからないし……外見を褒めるのは良くないのかな?

「……楽器、ここに置いときます……」
「あ、うん」

 フルートはピアノのカバーの上に置き、何か苦しそうに胸を押さえてその場にうずくまった。
 そんなに恥ずかしがる必要もないだろう、とは気安く言えない状況。
 なんだか気まずくなってしまったし、なんとかしたくて話を振ってみる。

「そう言えばさ、霧代は、なんでフルートを吹いてみようとしたの?」
「……一番最初に聴いた、誰かさんが吹いてたのが素敵だったからだけど?」
「え? ……あぁ〜……」

 誰かさんって濁すとき、大概の場合は会話相手を指している。
 そのことを理解すると、また僕は苦笑した。

「でも、僕はヴァイオリン弾いてるときの方が多いよね? 連奏しないの?」
「え? 一緒に演奏するのが連奏じゃないの?」

 驚きからか、勢いよく立ち上がって僕に近付き、顔を見入ってくる霧代さん。
 まぁ、あまり連奏なんて使わないし、意味は知らないよね。

「連奏は同じ楽器で演奏することだけど……別の楽器だとアンサンブル、2人なら二重奏とかデュオとかっていうかな」
「むむ……じゃあ二重奏でいいよ。私はフルートの音が好きだし……。もっともっと練習しなくちゃっ」
「あはは……。じゃあ、一緒に練習して行こうか」
「うんっ! フフッ、瑞揶くんと一緒だと嬉しいな〜♪」

 花の咲いたような笑顔で笑う。
 僕もなんとなく嬉しくて、微笑んだ。

「……あ、と……。私から、瑞揶くんに言いたいことがあるんだ、けど……」
「え?うん、なに?」

 霧代の声は段々としぼんでいって、言いたくないようなことなんじゃないかと感じた。
 なんなんだろうか?

「……えっと……その……」
「うん……」
「……私……瑞揶、くん……が……」

 顔を伏せて、身をよじらせながらほそぼそと言葉が綴られる。
 聞く方も何を言われるのか怖くて心臓の動悸が加速し始めた。
 緊張が伝う。
 霧代は一度口をつぐみ、両手で胸を抑えていた。
 音の響くこの音楽室で、夕陽の指すこの教室で、一体何を――

「――ごめんっ! やっぱり言えないっ!」

 ところが霧代はそう叫んでしゃがみこみ、何故かすすり泣きし始めた。
 用も言われず、急に泣き出す少女に僕は頭が付いて行かなかった。
 えっとえっとと言う前に、とりあえず目の前で女の子が泣いている。
 その事だけ理解できるなら、僕は優しくする以外に手はない。

「……まぁ、言いたいときに言ってくれればいいから。でさ、実は僕も……話じゃないけど、霧代に渡したい物があったんだ」
「……え?」

 目元が赤いのも気にせず僕を見上げる。
 僕は1度微笑んで、付いてきてと言って2人でカバンを置いた机まで移動した。
 僕は自分のカバンの中から紙袋を取り出して、そのまま霧代に手渡す。

「はい、これ」
「……マフラー?」

 紙袋の中は開けばすぐに薄水色のマフラーが見えただろう。
 霧代の疑問に、僕は頷いた。

「うん。この頃寒くなってきたから、作ってみたんだ。色が霧代に合うかわからなかったけど、もし水色が嫌だったら緋色の替えも作ってあるから、緋色を今度持ってくるけど……いらない?」
「……これ、わざわざ作って、くれたの?」
「作ったよ〜。喜んでくれればいいな〜、ってさ……。あ、なんだろ? 暇だったからとか、別に君のために作ったんじゃないとか言うべきだったのかな?」
「…………」

 つまらないことを言ったからか、返事はなかった。
 いや、つまらないことを言ったせいではなかった。
 霧代のマフラーに注がれた視線から、雫が垂れたのが見えた。
 垂直落下した雫はマフラーの繊維に染み込んだことだろう。
 なんでまた泣くのか。
 冷や汗が出そうな思いだった。

「……フフッ。どこのツンデレよ、バカ」

 不意に、霧代が顔を上げる。
 右手の人差し指で閉じた瞳の涙を掬いながら、笑顔を僕に向けてきた。
 目をパチリと開け、マフラーの入った袋は後ろ手に持ち、霧代がニコリと笑う。

「さっき、瑞揶くんに言おうとしたこと、今言うね?」
「え? う、うん……」
「……私、瑞揶くんの事が好きですっ。彼氏彼女もそうだけど、これからは恋人になってくれませんか――?」

 はにかんで、ハッキリとした言葉で紛れも無い告白を少女はした。
 頰を赤らませて、えへへと笑うように。

「――え? 好き?」

 突然の事に僕は呆気に取られ、辛うじて出たのは率直な疑問。

「うん……。私、瑞揶くんの事が好きなんだよ?」
「……え? えええええええええ!?」

 謎の絶叫が音楽室に響いた。
 いや、それも仕方ないだろう。
 一体どうしたら僕を好きになれるというのだろう。
 大した取り柄もないし、話も面白くない。
 なのに、あの川本霧代が好きという。
 なんの冗談?いや、なんていう悪戯?
 そんな風に勘違いしたっておかしくないが、目の前の少女が嘘を吐いてるようには思えない。

「……ど、どこが好きなの?」
「……んー。その質問は困るなぁ……。多分ね、一目惚れだったの。私がね、初めて見た時は瑞揶くんがフルートを演奏してる姿だった。もうそこで惹かれてたんだと思う。初めは好きって気持ちがわからなかったんだけど、最近、自分の行動のおかしさに気付いた。仲が良くていいなら友達付き合いだけで、付き合ってって言わなくても良かったのに、私は何してるんだろうなって」

 つらつらと流れるように言葉を紡ぎ、霧代は独白を続ける。

「そしたらね、私は彼が好きなんだなって。その結論に至ったら、いつのまにかものすごく好きになってた。どこが好きとか、そういうのはないよ」
「……そう、か〜……」

 考えてみれば、放課後だけでも付き合ってと言う霧代は必死に思えた。
 なるほど、自分でも気付かないうちに好きだったと。
 頭が飛びそうな話だ。
 いろんな意味で。

「……それで、恋人?」
「うん……。……ダメ、かな?」
「……うーん……」

 上目遣いで霧代に見られながら、僕は頭を掻いて考えた。
 僕は霧代に好感は抱いててもそれは恋愛感情ではない……と思う。
 だからすぐに恋人にはなれないだろう。
 でも、僕が恋に落とされる日は、そんなに遠くなさそうだ。
 予感とか予言じゃなく、霧代には他人を惹く要素がたくさんあるのだから。

「……今は、なんとも言えない。けれど、僕もそのうち、絶対君のことが好きになるよ。だから、好きになったときに、僕から改めて交際をお願いしたい。……いいかな?」
「……好きに、なってくれるの? 今好きじゃないなら……これから好きになるかも、わからないでしょ?」
「あはは……。確かに確証はないけど、それは霧代の頑張り次第でもあるんじゃないかな?」
「あっ……そうね」

 納得したらしく、胸の前でポンっと両手を叩く。

「じゃあ、頑張って好きにさせるから、覚悟してね?」
「あはは……手加減せず、掛かってきて。とりあえず、これからもよろしくね?」
「うんっ……」

 霧代は元気良く頷いた。
 頑張りがどれほどかはわからないが、僕はきっと1ヶ月経たずで轟沈することだろう。
 だって今この瞬間も、悪い気がしないのだから――。

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