第九話

　夜のことだった――。
　僕の聴力は、回復した。
　死神の契約が不成立になる理由がなにかしらあったのか、はたまた彼女自身が辞めたのか。
　とにかく、僕の耳は良くなった。
　無事に退院して、安堵したような両親の声を聴きながら車で家に帰る。
　家に着いて、もう夜遅くだからってみんな眠った。
　僕も――。



◇



「……熱、かぁ……」

　次の日、クリスマス――。
　僕の命日となるかもしれない日。
　結局僕は学校に行けず、高熱で休んだ。
　38度前後のもので、朝から母さんがつきっきりで見てくれていた。
　昼頃にもなると、昨日一昨日での心配も晴れたのか、母さんはリビングに移動してしまう。
　親の僕への関心はそんなものなんだ。
　退院の時だって大したことは言われなかった。
　あはは、僕に生きている価値はない。
　欺かれ、関心もされず、ヴァイオリンも大した人には聴いてもらえない。
　中学の友達だって、もう、もう信用できない……。
　一番仲良い人に裏切られたんだから――。

　――ビンポーン

　静かな室内にインターホンの音が響いた。
　誰か来た、まぁクリスマスだし、僕の旧友とか母さんの友人か宅配便。
　そんなことを考えて時間を少し潰し、布団の上で寝返りを打った。

「瑞揶〜、貴方にお客さんよ〜」

　また寝返りを打って、部屋の扉に目を向ける。
　半開きのドアから母さんが顔を覗かせていた。
　どうやら、中学の旧友らしい。
　丁度いい、笑い草に僕の近況でも語るとしようか。

「誰？」
「すぐ来るわ。私はお茶でも飲んでるから、仲良くやんなさい」
「？」

　頰を綻ばせて、母さんは去っていった。
　なんなんだか、よくわからない。

　だが、再びドアが開けば、その真意は理解できた。

「……。……こん、にちは……」

　しどろもどろになりながら声を発したのは、霧代だったのだから……。

「…………」

　僕は顔を伏せた。
　何故彼女がここに、とは思わない。
　前も来てたから。
　だから母さんは霧代が僕の彼女だと認識していて、喜んで家に入れたのだろう。

　不快だ――。
　死ぬかもしれないというこの日に、なんで霧代が――。
　熱もあり、フラついてまともに歩けない。
　逃げることもできないのだから、どうしたものか。

「……瑞揶、くん」
「…………」

　霧代は僕が避けようとしているって、気付いているのだろう。
　じゃなければいつもみたいによたよたと近付いてきて枕元に座るから。
　部屋に入っても彼女は立ったままで、僕は彼女を見ないように寝返りを打った。

「……瑞揶くん」
「帰ってよ。もう僕は何も聞きたくないんだ」
「…………」

　人に冷たい態度をとるだなんて、初めてだった。
　結構心にくるものがある。
　でも、でも――あんなことを言っておいて家に来るコイツを、早く追っ払いたい――。

「物が欲しいんだったら何でもあげるよ。それが目的だったんでしょ？」
「っ――。違うのっ、私はっ――！」
「別に、良いんだよ。霧代のしてくれた恋愛ごっこは楽しかった。だから……良いんだよ……」

　自然と涙が流れた。
　本当に楽しかった。
　一緒に歩き、奏で、手を繋ぐだけでもいい。
　楽しかった。
　嬉しかった。
　愛した日々が脳裏にかするだけで涙がとめどなく流れる……。

「ごっこなんかじゃないよっ！！　　遊びなんかじゃないっ！！」
「…………」

　聞こえてくるは力強い叫び。
　ごっこなんかじゃないって、そう信じたいさ。
　信じたいさ……。

「そういう事言って……また僕を騙したいの？そうだよね。人を騙すのは、楽しいんだから……」
「私は！　本当に好きなの！！　信じてっ！！」
「…………」

　僕は、もう自分の耳に入る言葉を信じない。
　その証として耳を聴こえなくしたんだ……！
　だから……。

「私は……あんなことを、言うつもりはなかったの……」
「！」

　それは僕が聞いていたことを知ってるから出てくる言葉。
　そんな、言うつもりがないだなんて言葉、バカバカしい――。

「むしろ、何であんなことを喋ったのかも自分でもわからない。だからっ……その事は、本当にごめんなさい……っ」
「…………」

　僕の聴音は良い。
　さっきから霧代の言う言葉が、本当は――

「愛しています……どうか、側にいさせて……！」

　心から言ってるって、わかっているんだ――。

　本当の声で、本当の筈なんだ。
　ごめんなさい。
　好き。
　愛してる。
　どれもこれも、本当の筈で――。

　僕が間違っていたんだろう。
　あの時の言葉を疑えなかった僕が、間違っていたんだろう。
　そりゃああんなことを言わなければこんなことにもならなかったけど、霧代の心を信じきれていなかった……。

「――あのさ、霧代」

　僕は、よろめきながらも上体を起こした。
　ボロボロと流れた涙は服の袖で隠して、赤く涙の跡が残ってる顔で、彼女を見た。
　似たような顔をしていることだろう。
　僕みたいに涙は拭いてないけど、顔は真っ赤だ。

「なに……かな？」
「さっきからさ、煩うるさいよ。頭に響くでしょ」
「…………」
「だから、もっとこっちに来て？　そしたら別に、大声出さなくても良いでしょ？」
「………え？」

　霧代は目を丸くした。
　小刻みに震えながら、僕を見ている。
　だから僕はあえて、彼女に微笑んだ。

「僕の方こそ、ちょっとした事で塞ぎ込んでごめんなさい。愛しています……」
「――ッ！　瑞揶くぅうん！！　うわぁああああああ！！」
「えっ！？　どわっ！？」

　具合が悪いというのに、霧代は飛びついて来た。
　もちろん僕は受け止めきれずに2人で布団にダイブする形となった。
　しかも、全然上手く抱きとめられなくて……どこ？霧代の胸の下あたりに僕の顔がある？
　そんな態勢で、霧代はずっと僕を抱きしめていた。

「く、苦しいよ……」
「えっ！？　あっ、ご、ごめんなさぃ……」

　霧代の体が離れていき、僕も上体をなんとか起こす。

「うぅ……いたたた……」

　さっきのでおまけに背中も打った。
　痛みはある。
　しかし、嬉しい痛みだ。

「……熱が治ればなぁ」
「えへへへ……りんごでも剥いてあげようか？」
「……是非お願いしたいけど、できれば、暫くは側にいてよ」
「え？うん……。フフッ、瑞揶くんの側に居られるぅ〜っ」
「…………」

　僕が倒れないようにか、後ろから抱きついてくれる。
　優しくて、柔らかくて、暖かい。
　背中から僕のお腹に回された彼女の手に、僕は自分の手を合わせた。

「……もう嫌われるなんて思わない。ずっとずっと信じてるよ」
「……フフッ、ありがとう……」
「というか、僕から逃げようとしたらなんとしても捕まえに行く。今決めた。いいね？」
「逃げません〜っ。まだキスもしてないのにぃ……」
「……治ったらね」
「え？　う、うん……」

　曖昧な返事が返ってくると、抱きしめられる力が増す。
　顔を背中にすりすりと付けられてなんだかむず痒かゆくありながらも、ただ緩やかにこの時間を感じていた――。





「――そろそろいいかしら？」
『！？』

　心臓が飛び出るかと思った。
　急に聞こえた声、断定するのは容易く僕は室内を見上げた。
　黒曜の少女が羽衣をヒラヒラとさせ、天井近くを飛んでいた――。
　そう、今日は約束の日。
　きっと僕の魂を奪いに来たんだろう。
　でも――。

「……君との契約は不履行だった。帰ってくれ」
「あらあら、私はちゃんと役割を果たしたのよ？　その上で願いを上乗せされたから貴方の聴力は元に戻った……それだけのことよ？」
「……上乗せ？」

　死神は3日前に姿を消した。
　その間に新しい契約者を探して――。

「――霧代？」
「あら、ご明察。良かったじゃない、一緒になれるんですもの――」