連奏恋歌〜愛惜のレクイエム〜

川島晴斗

第十一話

「……クッキー? こんなものを、私に食べさせようって?」
「うん。ママに食べて欲しくて、みんなと作ったの」

 このクッキーは昨日の夜に瑞揶くんと沙羅ちゃんに協力してもらって、一緒に作ったもの。
 塩バタークッキーだから甘さも控えめで、お母さんも食べられるはず。

「……ははは。笑っちゃうわ。そんな食べたら呪いに掛かりそうなもの、食べるわけないでしょ!」
「あっ!」

 バシンと、袋を叩かれる。
 冷たいコンクリートの廊下に落ちた袋では、僅かにクッキーの割れる音がした。

「私に食べ物を作らないで! 貴女の作ったものなんて絶対に口に入れたりしないわ!」
「そ、そんな……呪いなんてない! 私はただ、ママに食べて欲しくて……!」
「ふざけないで! こんなもの――!」
「やめてっ!!!」

 ママの足が振り上げられると同時に、私はクッキーの袋を守るべく伏せた。
 クッキーを潰さんとする足は代わりに私を踏み付けた。
 背中に痛みが走る。
 慣れた痛み、それでも辛くて嗚咽が飛び出た。

「理優ッ!!」
「やめなさいよっ!!」

 続けて飛んでくる蹴りはなかった。
 瑞揶くんと沙羅ちゃんが止めてくれたのだろう。
 頭を上げると、2人が私とママを阻むように間に立っていた。

「……なんで? どうして貴方達は私を睨むの? なんで私が悪者みたいにならなくちゃいけないの? それもこれも全部理優のせいよ!」
「ふざけないで! アンタ何でもかんでも不幸を娘になすりつけて、悪者なのは当然じゃない!」
「私は呪われてる! その子に呪われてるのよ!」
「そんな事ないっつってんでしょうが!!!」

 沙羅ちゃんとママが啀み合いを始め、私と瑞揶くんは蚊帳の外になる。
 瑞揶くんは私の体を起こして、安心させるように笑いかけてくれた。

「ねぇ、これ借りていい?」
「え?」

 瑞揶くんが指差したのは、私が必死で守ったクッキーの入った袋。

「別にいいけど……」
「じゃあ、ちょっと貰うね」
「うん……」

 私はクッキーを渡し、ありがとうと微笑んで袋を開ける瑞揶くんを眺める。
 彼は1つクッキーを取り出して、沙羅ちゃんの方を向いた。

「ねぇねぇ、沙羅」
「あんっ!!?」
「えいっ!」
「むぐっ!?」

 彼は怒り狂う沙羅ちゃんの口に、クッキーを1つ突っ込んだ。
 口に入れられたクッキーを沙羅ちゃんは咥えたまま瑞揶くんを睨むも、彼はにこにこ笑っているばかり。
 沙羅ちゃんは観念したのか、クッキーを口内に入れてもぐもぐ食べ出す。

「……甘さが足りないわ。紅茶が欲しい」

 食べた感想を口にする沙羅ちゃんはくるりと身を翻してママに向かい合った。

「ほら、呪いなんてないわ。理優は好意で作ったし、瑞揶も一緒に作ったんだからそんなんあるわけないのよ」

 そもそも呪い入りクッキーって毒入りクッキーと何が違うの?なんて質問を沙羅ちゃんは瑞揶くんにする。
 瑞揶くんは苦笑し、ママは閉口したまま沙羅ちゃんを睨んでいた。

「……呪いでも毒でも、入っていようとなかろうと、その子が作ったものを食べる気はないわ」
「そんな事言わないであげて」

 優しい口調で、瑞揶くんがママに語りかける。
 沙羅ちゃんとは正反対の穏やかな口ぶりに、ママは強く反抗しなかった。

「なんで君は理優の肩を持つの? 理優の事が好きなの?」
「友達ですから、理優のために頑張りますよ」
「無駄なのに。私は理優の事を好きになれないわ。そんな人を不幸にする存在は――」
「葉優さんが嫌いかどうかより。1つだけ聞いて欲しい事があります」
「……なにかしら?」

 ママはここで、初めてまともに耳を貸してくれた。
 瑞揶くんはいつものように微笑みながら、こう言った。

「貴女は理優の事を娘として思ってないかもしれない。

 でも、貴女の考えがどうだろうと、理優にとって貴女は1人しかいない母親で、暴力を受けても貶されても、貴女の事をずっと母親だと思ってる。

 そして仲直りしたいと、ずっと願ってる。

 彼女と過ごしてきて、僕はこう思いますよ」
「――――」

 ママは口を噤んだ。
 瑞揶くんの言う事は、私の心境そのものだった。
 私だって、自分のせいでママが不幸になった事があるのはわかってる。
 だからとても申し訳ないと思ってるし、暴力を受けるのも当然だと思ってる。
 それでも、暴力を受けたからといって――どうしても私は、ママを嫌いにはなれない。

 私にだって、友達がいなかった。
 辛かった。
 小学生の頃までは、ママだけは話を聞いてくれてて、暴力を振るったとしても、ご飯は出してくれて、服だって、普通に買ってもらえてた。
 やっぱり、ママは私にとって、ただ1人のお母さんだもの――。

「葉優さん。貴女にとって、理優はただ1人の娘のはずです。愛してあげて欲しい。そしたら、今貴女の見えてる悲しみは、何もなくなると思いますよっ?」
「…………」

 ママはずっと黙ったまま。
 だけど、視線を私に移した。
 私は笑うか悲しむか反応に困り、不安な表情だけを見せてしまう。

「……この2つは、理優からの贈り物だと思って、とりあえず手元に置いておいてください。これらは呪いなんて悪いものじゃなく、幸せを届ける物です。それに、宣伝になっちゃうけど、僕達も演奏しますからっ。良かったら、来てください」
「……そう」

 ポツリと一言呟いて、ママは瑞揶くんからクッキーの袋と、文化祭の招待状を受け取った。
 ママは疲れたかのようにため息を吐き出し、玄関の戸を閉めようとする。
 だけど、まだ瑞揶くんが話すことがあるとばかりに扉を掴んだ。

「待ってくださいっ! えとね、これ、僕の住所と電話番号。固定電話が嫌だったら、下の方が携帯の番号なので、僕に掛けてください。この前渡し忘れちゃった……」
「……貴方、呪いを解ける超能力があるのよね?」
「えーと……なんでもできます。ほんとだよーっ? だから、相談事があれば全部承りますっ」
「……念のために貰うわ」
「それと、次は遊びに来ますからね?」
「…………」

 ママは何も言わず、そのまま玄関の扉を閉めた。
 後に残された静けさは緊張感を無くし、一気に疲れが押し寄せてくる。
 だというのに、沙羅ちゃんは瑞揶くんの頭をひっぱたいていた。

「いたっ!? なにするの沙羅ーっ!」
「アンタ理優の言う事全部かっさらうんじゃないわよ! 何しに来たのよバカ!」
「むむーっ! だってどうやっても理優と話してくれそうになかったでしょー?沙羅も怒り合って話にならないから、僕がお話したのーっ」
「あー? ……んまぁいいわ。というかさっき、クッキー口に入れさせられ……」

 急に黙りこくり、沙羅ちゃんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いていた。
 瑞揶くんは不思議そうにしてたけど、緊張ほぐれた後の私には可愛い清涼剤だ。

「理優、ごめんね? 僕が全部言っちゃって。間違ったことは言ってないよね?」
「うん、大丈夫……。むしろ、言ってくれてありがとうね……」
「あはは……そう言ってくれるなら良いんだけどね」

 苦笑しながらも、瑞揶くんはさっきと変わらず笑顔でいた。
 私も疲れてるのに、つられて微笑む。
 友達って、いいなぁ……。

「……じゃあ、帰ろっか。もう瑛彦が帰ってるかも。夕飯作らなきゃーっ」
「今の時間からなら出前の方が良いんじゃない?それとも簡単なもの?」
「うん。うどん作るーっ。厚揚げとネギは入れるとして、あとどうしようかなぁ〜」
「……アンタはいつも通りね。ま、もう用は済んだし、帰るとしましょうか」
「うん……」

 そうして、私達は帰ることにした。
 もうすぐ文化祭。
 そう実感を持てずにいるまま、時間だけが過ぎてゆく。
 文化祭――どうなるだろう。
 私はママと、仲直りできるかな――?






 最近、沙羅の僕に対する態度がおかしい気がする。
 顔を赤くして逃げられる事が極端な例だ。
 こんな事は今までなかったから、どうしたものか。
 もしくは、ついに僕を異性と認めてくれたのだろうか。
 そうです、僕も男なのです。
 ふふーん♪

 けど、文化祭は沙羅と一緒に回りたかったからどうしようか悩んでたりする。
 瑛彦と一緒に回るのも良いけど、理優が先約を入れたらしい。
 環奈も生徒会長と回るだろうし、ナエトくんはレリと一緒だろう。
 僕が1人になってしまう……クラスメイトにはもちろん友達がいるから誘っても良いんだけど、うーん……。

「というわけなんだけど、どうしよう?」
「……それは悩むまでもないと思うけどなぁ〜っ」

 目の前にいる愛ちゃんに尋ねるも、ニヤニヤ笑いながら湯呑みを回して遊んでいた。
 なんか含みのある言い方だにゃーっ。

 僕は再び、ハートがプカプカ浮かんだこの世界に来ていた。
 というのも、愛ちゃんが直接僕に用があるわけではないらしく、一度会ったら何度会っても変わらないから呼んだそうな。
 霧代の事は聞いてもにゃーにゃー言われて教えてくれないから聞くのはやめている。

「……瑞揶くんはね、私のせいで異様に“人に愛される”力がある。もちろんそれだけじゃなく、君の在り方から考えれば愛されるのは道理なんだけど、やっぱり愛されやすいの」
「……愛されやすい?」
「うん。必ずと言っても良いほど、人に嫌われない。もちろんね、瑞揶くんのせいで人が死んだりしたらその限りじゃないけどね。だから、誰からも好まれる貴方は文化祭に誰を誘っても良い。だけど、できれば――」

 一つ、僕と愛ちゃんで囲むテーブルの上に、赤い色のハートの風船のようなものが降りてくる。
 片手で掴めそうなサイズのそれを、愛ちゃんはちょんとつついて僕の方に押した。
 そのハートに僕が触れると、途端に消えてしまう。

「今貴方に与えたのは、紛れもない“愛”。その愛を持って、瑞揶くんの一番好きな人を誘ってあげて」
「……一番好きな人?」
「自分じゃわからない?」
「……一番は、あの世界に居ないかなぁ」

 思い浮かべるのは霧代の顔。
 いつもなら暗くなるはずなのに、僕は表情を曇らせることがなかった。
 きっと、愛を貰ったからだろう。

「瑞揶くん、本当にそう思う?」
「え――?」

 顔を顰めて僕に悲しみの顔を見せる愛ちゃん。
 彼女が表情を曇らせているのを見るのは、初めてだ。

「……瑞揶くん、あまりこういう話はしたくないんだけど――愛って、数値に表せるの。それは私達ぐらいすごい存在じゃないとできないけど、間違いなくできる。そして、私は瑞揶くんの前世からずっと貴方の他人に向ける愛の数値を見てきた。だからこそ言える。

 貴方は霧代ちゃんよりも愛してる人が居る。それは恋という意味じゃないかもしれないけど、恋人だから一番好きという事はあり得ないよ」
「……そう、かな?」
「うん、そう。愛って端的に言うと、その人の心全体の中で、いつくしむ存在の割合。まだまだ完全じゃないこの言葉だけど、貴方には十分。瑞揶くんの心を占める存在は、確かに霧代ちゃんが大きい。だけど、10年近く一緒にいた幼馴染み、新しく家族になった少女。貴方の心を傾けるには十分な人は、近くにいるよ」
「…………」

 言われてみれば、確かに僕の中で瑛彦や沙羅の存在は大きい。
 彼らになら何を言われても僕は実行する用意があるし、どんな事でも協力したいと思える。

「あっ! 子供なのに哲学しちゃった……」
「……あはは。凄い子供だね」
「うん。でも、この外見は後付けで、本当の外見は6mぐらいある化け物だからっ。それに、もともとはめちゃくちゃ長生きだもの〜っ」
「……そっか。さすがだね、愛ちゃん」
「ふふふふっ、愛は何よりも凄いのだ〜っ」

 にこやかに笑う愛ちやんを見て僕も笑う。
 子供っぽい側面を持ってるのに、本当はとっても大人っぽい。
 それが目の前にいる少女に対する、僕の印象。

「……まぁ、私から言えるのは1つかな。ありきたりな言葉だけど、大切なものを見失わないようにね」
「……うん。もう、何も失わないよ」
「ならよしっ。今日はこの辺でお別れしようかっ」
「……了解です。またね、愛ちゃん」
「またね〜、瑞揶くんっ」

 2人ではにかんで笑い、この空間が閉じていく。
 僕の意識も、自然と失われていった。

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