連奏恋歌〜愛惜のレクイエム〜

川島晴斗

第六話

「――理優!」

 いきなりぶたれ、倒れる彼女を抱き上げる。
 白い柔肌の頬は赤く腫れて、彼女の目にはうっすらと涙が滲んでいた。

「瑞揶くん……大丈夫だよ。わかってたことだから……」

 強がって大丈夫と言う理優の声は一段と弱々しかった。
 わかってたこと?確かに理優は、起きたら叩かれることを予期していた。
 だけど、

 理優、最近はろくに食事も取ってないのだろう。
 精神の疲労も著しいだろう。
 そんな体を叩かれたら、大丈夫なわけがないのに――。



「――理優、ママを呪ったのね?」

 ぞわりと、体が震えた。
 理優の親が出したとは思えない、途轍もなく冷たい声が耳に伝わったから。

 目の前に立つ女性は鬼のように映った。
 赤黒い瞳は焦点を失っており、両手は無気力に下がってる。
 それでいてどっしりと立っており、黒く禍々しいオーラが背景に見えてしまう。

「この娘は――」

 僕の事など気にもとめず、葉優さんは拳を振り上げた。
 幾ら何でも無遠慮で、何よりも友達が殴られるのが嫌で、

「――やめろっ!!!」

 僕は半ば反射的に叫んでいた。
 葉優さんの拳は上がった状態でピタリと止まり、彼女は僕を見て目を丸くしていた。
 多分、疲弊とストレスで今まで僕が見えていなかったのだろう。
 葉優さんは数歩あとずさって、僕に向けて話し掛ける。

「君は誰? 理優のお友達?」
「そうです。理優の友達の、響川瑞揶です」
「そう。響川くんね。貴方、その子に関わっちゃダメよ。呪われるかもしれないから」
「――――」

 腕に力がこもる。
 本気で怒りを感じたのは実に久しぶりのことで、抑えが効かないかもしれない。
 だけど、理優の体裁を考えて、平成を保つ。

「……理優は好んで人を呪うような、悪い子じゃありません。事実、僕も、他の友達も呪われてなんかいない」
「その保証がどこにあるの?呪いは目に見えない。幼稚園の頃、その子の周りの子は次々倒れて苦しんだ。死にこそしなかったけど、おかげで母親全員が私の敵になったのよ? ――ああ、貴女はあの頃から私を呪ってたのね、理優」

 冷めた口調で淡々と語り継ぐ理優のお母さんは歪んだ瞳で憎々しげに理優を睨んだ。
 これが母親のすることだろうか――?
 話を聞けば、幼稚園の頃の理優なんて物心も付いてない子供じゃないか。
 そんな子供を恨むなんて――。

 だけど、それも仕方ないのかもしれない。
 葉優さんは理優が生まれた頃には夫を失っていて、1人で理優を育てていたんだ。
 それで呪いのような事が起きて、ここまで狂わないでいられるかといわれれば、否だろう。
 情状酌量の余地が十分にあるから、僕は怒りを抑える。

「……葉優さん。たとえ呪われても、理優が嫌と言わない限り、僕は友達をやめるつもりはありません。そしてこの絆を断つ権利は誰にもありませんよ」
「そう。なら勝手に呪われればいい。それはともかく理優。貴女、家に帰ったらまた――」



 ――オセッキョウガヒツヨウネ。

 幽鬼のような彼女の口から、心臓を突き刺すような恐怖の音調で言葉が発せられた。
 初めて相対したというのに、彼女の持つ狂気の念に怖気づいてしまう。
 こんな人間がいるのか、そう思えるほどの邪念が彼女の中にあるようだ。

 腕の中の理優も震えているのがわかる。
 殴られる自分の姿を思い浮かべてるのか、暴力にあった過去からくる恐怖に襲われてるのかは定かではない。

 けど、それだけわかれば十分だ。
 僕は理優を撫でてから寝かせ、そっと立ち上がる。

「葉優さん――貴女は理優と一緒に居たくないんですか?」
「一緒に? 居たいわけがないでしょう。その子は生まれてからママの私を呪っている。許せない。私だけが苦しいのは、許さない」
「なら、僕の家で理優を育てます」
「――――!」

 キッパリと言い放つと、冷たい空気がガラリと変わる。
 葉優さんの動揺が、彼女を人の姿に戻した。

「……正気? その子は呪いの権化よ。甘やかす必要はない」
「甘やかす? 違うよ。僕は友達が痛い目に合うのを黙って見てられないだけ。それとも、理優に何か交換条件を付ける? なら僕はなんでも交渉に応じるよ」
「……そう」

 淡々と言葉を綴る僕に、葉優さんは呆れたように肩を竦めた。

「……勝手にすればいい。あぁ、でも今回の件で勝手に休んでしまった。仕事ができなかったらその子をサンドバッグにさせてちょうだい」
「もし仕事がなかったら僕が紹介するよ。希望する職種も選ばせられるし、収入も貯金ができるぐらい安定したものを保証する。僕の超能力は、なんでもできるから」
「……ふん。口だけはなんとでも言える。まぁ精々後悔することね」

 そう告げると彼女は僕と理優を通り過ぎ、病室を出て行った。
 後に残された静けさはとても後味が悪くて、気持ち悪い。
 さらに後から追い打ちでどっと疲れがやってきて、僕はぺたんとその場に座り込んだ。

「……はぁ〜っ」
「み、瑞揶くんっ……だ、大丈夫?」
「あ、うん……大丈夫だよ」

 金縛りにあったように動けなかった理優が起き上がり、僕の体を支えてくれる。

「……ごめんね、いろいろ勝手に言っちゃって」
「ううん……私こそごめん。大人だからって、言ったのに……」
「あはは……お互い、まだまだ子供だね」
「……うん」

 僕らは思った以上に弱かった。
 恐怖の前に簡単に組み伏せられるほどに弱い。

 僕は男の子だ。
 もっと強い心で大人に立ち向かいたい。
 そうなれたらいいなって、改めて思ったのだ。







「なんでアンタが理優をお持ち帰りしてくるのよ?」

 家に着くや否や、沙羅がため息混じりにそう言った。
 朝に瑛彦がお持ち帰りするって言ってたから、その事と掛けてるんだよね?
 お持ち帰り、すなわちお土産なのです。

「だって理優が可哀想なんだもんーっ」
「それを覚悟して呪いを解いたんでしょうが」
「ぶーっ。みんな沙羅みたいに心がダイヤモンドみたいに硬くないんだよーっ」
「人の心を鉱石扱いしないで欲しいんだけど……ま、持って帰って来たものは仕方ないし、姉さんの代わりというわけじゃないけど、私としても歓迎するわ」

 リビングで僕と沙羅で散々やり取りをした後、やっと沙羅が理優の手を取った。
 握手を交わす理優の表持ちは、緊張したものだった。

「……アンタ、うちに来たら緊張しなくて良いって言ってるでしょうが。瑞揶が家主の家よ? コイツたまに何も考えずにリビングをひよこの楽園にしたりしてるんだから」
「ぴよぴよ聴いてると落ち着くんだよーっ」
「可愛かったから私も嬉しかったけどね」
「……この家、いろんな意味で凄いんだね」

 沙羅が笑顔で話すと理優の硬い表情も砕け、まったりとしたいつもの理優になる。
 もう顔も腫れてないし、嬉しそうに頬を染めているぐらいだ。

「でも、もう一度、理優に聞くわ。本当にうちに居て良いの? そりゃ暴力振るわれるのはどうかと思うけど、親に面と向かって反抗してみるのも一つの手よ?」
「沙羅……僕は話したけど、あれは話の通じる種の人間じゃなかったよ」
「理優に聞いてんの。アンタは黙ってなさい」
「……にゃーっ」

 ぴしゃりと怒られ、僕は閉口した。
 沙羅は改まって理優に向き直り、彼女の両肩を持つ。

「どうなの?」
「……う、ん。ママに向き合って、いろいろと説得したい……けど……」
「……けど?」
「……殺されるかもしれない。それは……嫌だ……」
「……そう」

 理優の心の内を聞いて、沙羅は手を離し、考え込むように腕組みをした。
 殺されるかもしれない――確かに、あれだけ恐怖を思わせる存在は人を殺めかねない。
 直接向き合って反抗したりしたら、いよいよ殺されたっておかしくはないだろう。

「……理優がうちで暮らすのは、わかったわ。ただ私からもう1人お願いしたいの。瑞揶、いい?」
「えー、誰〜っ?」
「瑛彦なんだけど」
「え!?」

 沙羅の口から能天気な男の名前が出て、理優が驚嘆した。
 ……うん?なにか関係があるのかな?

「別にいいよーっ。瑛彦は昔からしょっちゅう泊まってたしー」
「あわわ、沙羅ちゃん! なんで瑛彦くん!?」
「いや、アンタが欲しそうだったし、それに男が瑞揶だけというのは……あれ? 別にいい気がしてきたわ。なんでかしら?」

 疑問を僕の方を向いて口にする沙羅。
 僕が知るわけないよーっ。

「まぁ瑛彦にも連絡しておくから。瑞揶、朝の洗濯物増えるわね。……あ、理優は下着とかコイツに見られても大丈夫? なんなら男女別にして女子のは私が洗濯してもいいけど」
「……瑞揶くんになら、見られても平気かな? 変なことしないよね?」
「少なくとも私は変な事された覚えはないわ。心配しなくていいわよ。コイツこんなだし」
「こんなって言わないのーっ。沙羅は瑛彦が来るんだから、たまに下着でリビングにいるのダメだからねっ!」
「……理優の母親がコイツだったら良かったのに」

 沙羅が小声で言うけど、ちゃんと聴こえた。
 僕は男だもんーっ、と反論したかったけど、このままだとらちがあかないため引き下がる。

「……沙羅ちゃん、瑞揶くん」
「ん?」
「どうしたのーっ?」

 理優が改まって僕らの名前を呼ぶ。
 その声はどこかぎこちなく、彼女らしい弱々しさがあって、何を言われるのか少し不安になる。
 しかし、そんな不安はすぐに払拭された。

「これから、お、お世話になります……」

 ぺこりと頭を下げて、精一杯なのが伝わる声調で彼女はそう言った。
 改まった挨拶に、僕も沙羅も苦笑する。

「僕らこそよろしくだよ〜っ」
「困ったことがあったらなんでも言いなさい。遠慮は無用よ」
「う、うんっ!」

 僕らの言葉に、理優は元気よく返事を返した。
 こうしてまた響川家の人数は増え、物語は進展する――。

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